さすらい駅わすれもの室

今井雅子(脚本家)

さすらい駅わすれもの室「雨傘の花畑」(脚本)

さすらい駅わすれもの室

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〇田舎の線路

〇森の中の駅
  さすらい駅の片隅に、ひっそりと佇む、

〇田舎駅の改札
  わすれもの室。
  ここがわたしの仕事場です。

〇古書店
  ここでは、ありとあらゆるわすれものが
  持ち主が現れるのを待っています。

〇コンビニの店内
  傘も鞄も百円で買える時代。
  わすれものを取りに来る人は、減るばかり。
  多くの人たちは

〇田舎駅の改札
  どこかに何かをわすれたことさえ

〇渋谷のスクランブル交差点
  わすれてしまっています。
  だから私は思うのです。
  ここに来る人は幸せだ、と。

〇田舎駅の改札
  駅に舞い戻り、
  窓口のわたしに説明し、書類に記入する、
  そんな手間をかけてまで取り戻したいものがあるのですから。

〇田舎の駅
  にわか雨が降り出したある日、
  駅で立ち往生している少年がいました。
  数歩あるけばずぶ濡れになってしまうほどの大雨なのに、
  傘を持っていませんでした。
駅の人「これを使ってください」
  わたしが差し出した傘を見て、
  少年は驚いた顔になりました。
  それは、少年が駅にわすれて行った傘だったのです。
  正確には、駅に捨てて行った傘でした。

〇古書店
  悪意のある誰かが壊したと見え、
  少年の傘は何本も骨が折られ、ボロボロになっていました。
  わたしは骨をつなぎ、
  破れ目をふさぎ、
  もう一度使えるようにしましたが、
  少年が傘を取りに来ることはないと思っていました。
  傘は、わすれもの室の置き傘になりました。

〇田舎の駅
  ところが、突然の雨が、少年と傘をふたたび引き合わせたのです。
少年「どうして・・・?」
  捨てたはずの傘が、あんなに傷めつけられた傘が、思いがけず目の前に現れ、
  少年はまず驚き、それから顔をしかめました。
  傘を壊されたときのことを思い出したのかもしれません。
駅の人「わたしが拾って、修理しておきました」
少年「どうして?」
駅の人「修理すれば、まだ使えそうだったので」
少年「どうして?」
  彼は「どうして」と繰り返しました。咎めるように、呆れたように。

〇美しい草原
駅の人「傘は、開いたときがいちばん役に立つのです」
駅の人「それから心も」

〇田舎の駅
  わたしの言葉が届いたのかどうか、
  少年が遠慮がちに手を差し出し、
  傘は持ち主の手に戻りました。

〇田舎駅の改札
  それからしばらくして、困ったことが起きました。
  わすれものを取りに来た人が、わたしが彼の鞄を自分の物にして使っていると勘違いし、
  とんでもない泥棒だと言いふらしたのです。
  わたしが使い込んでいる鞄は、たしかに、男性がなくした鞄とよく似ていました。
  いい評判はゆっくり伝わるのですが、悪い噂はあっという間に広まります。
  わすれもの室は、苦情の電話や心ない落書きの攻撃にさらされるようになりました。
  なかには直接乗り込んで、挨拶もなく、わたしに怒鳴りつける人もいました。
  わたしは、わすれもの室の扉を固く閉じ、窓という窓を閉め、

〇暗い廊下
  わたし自身をわすれものとともに閉じ込めました。
  わたしを泥棒呼ばわりした人の言葉よりも
  その言葉を誰も否定しなかったことに
  わたしはうろたえ、打ちのめされていました。
  わたしが何十年もかけて積み上げて来たものは、何だったのだろう。
  途方もない空しさに襲われ、涙が止まらなくなりました。

〇城のゴミ捨て場
  誰も取りに来ない棚のわすれものたちに怒りをぶつけて床にぶちまけ、
  それを一つ一つ棚に戻しながら、
  何もかもがつくづくイヤになりました。

〇田舎の駅
  この仕事が好きだったわけじゃない。

〇外国の田舎町
  この町が好きだったわけじゃない。
  この町の住人が好きだったわけじゃない。
  こんな仕事、やめてやる。

〇田舎の線路
  こんな町、出て行ってやる。

〇古書店
  幾日か経つうち、閉ざされた扉や窓の外から聞こえる悪口が消えて行きました。
  人々は、わたしの噂をすることに飽きてしまったようです。
  わすれもの室を訪ねて来る人は、いません。
  わたしを気にかける人も、いません。
  わたし自身が、「わすれもの」になっていました。
  さらに幾日か経ったある日、
  裏庭のほうからざわざわと声がしました。
  それは、悪意の感じられない、穏やかな春の陽射しのようなざわめきでした。
  誘われるようにカーテンを開け、外を見たわたしは、あっと息をのみました。

〇雨傘
  窓の外、裏庭を埋め尽くすように
  色とりどりの傘が開いています。
  きれいに開いた傘の花が咲きそろって、まるで花畑のようでした。
  真ん中の傘に見覚えがありました。
  いつかボロボロになって駅に捨てられていた傘。
  わたしが繕った、あの少年の傘です。
  傘を差しているのは、あの少年でした。
  そのまわりを取り囲んでいるのは、彼と同じ学校の制服に身を包んだ少年たちでした。

〇美しい草原
  そうです。
  そうです。
  そうです!
  傘は、開いたときがいちばん役に立つのです。
  それから心も。
  あの日わたしが彼に贈った言葉、
  その後にわたしがわすれてしまった言葉を
  何倍も豊かにして、
  彼は返しに来てくれたのでした。
  この仕事が好きだったわけじゃない。
  なんて嘘でした。
  この町が好きだったわけじゃない。
  なんて嘘でした。
  この町の住人が好きだったわけじゃない。
  なんて嘘でした。
  こんな仕事、やめてやる。
  こんな町、出て行ってやる。
  そんなの全部嘘でした。
  わたしには、他にどこにも行くところなどないのでした。
  これ以上何も失いたくなくて、
  心に蓋をして、
  嘘で鍵をかけていたのです。

〇古書店
  わたしは固く閉ざした扉を開け、
  窓という窓を開け放ちました。
  外は晴れていましたが、わたしの頬は突然の雨に見舞われました。
  ひとまわり大きくなった彼の顔をよく見ようとしましたが、
  涙に曇ってよく見えません。

〇花模様3
  潤んだ瞳の向こうで
  色とりどりの傘が
  春を告げる花のようにゆれていました。

次のエピソード:さすらい駅わすれもの室「幸運のクローバー」

コメント

  • やはり何度読んでも最後にジワッと来てしまいます。
    傘は…開いた時が一番役に立つ。この一言につきますね。

  • 何度と無く朗読させていただいている作品ですが、背景がつくと、より一層感情移入してしまいます…やっぱり好きな作品です♡

  • 雨が引き合わせた縁・・・素敵です。「傘は開いたときがいちばん役に立つのです。それから心も」というセリフにウルッときました。

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