第伍拾参話 制裁(脚本)
〇実家の居間
如月玄伍「ふむ、そうか」
手元の紙の束をめくりながら玄伍は頷く。
如月玄伍「二人とも、ありがとう」
飯尾佳明「俺達にできるのは、ここまでだぜ」
古橋哲也「友人を疑うようなことは、したくありませんから」
如月玄伍「確かに、酷なことをさせてしまったな」
二人はまだ高校生である。
土地や人物の調査の手法も知らなければ、経験も無い。
現地に飛び込んだ度胸だけでも褒めるべきなのだろう。
飯尾佳明「じゃ、俺達は帰るぜ」
古橋哲也「それでは」
哲也と佳明は立ち上がり、部屋を出ていった。
〇実家の居間
如月玄伍「さて、どうしたものかな」
佳明と哲也が玄伍に渡した資料は、彼にとって満足のいくものではなかった。
その内容は、表向きのものでしかなかったからである。
創建年代や祭神などをまとめた縁起、現在行われている年間行事、その他美鈴が話した内容の断片的な聞き書き。
玄伍が求める内容とはかけ離れたものばかり。
だが、
如月玄伍「だからこそ、面白い」
裏に隠され、闇に秘された真実や事実。
それらを覆い隠す表向きの姿からでも、秘されたものを推し測ることは可能だ。
如月玄伍「もう一度、足を運んでみるか」
〇教室
飯尾佳明「四神も本当にいるんだな」
姫野晃大「湿疹?」
飯尾佳明「四神だよ、し、し、ん」
古橋哲也「東西南北の四方を守る伝説の生き物だよ」
東の青龍。
西の白虎。
南の朱雀。
北の玄武。
姫野晃大「その名前なら聞いたことあるな」
飯尾佳明「ま、色んな所で使われてるネタだからな」
詳しくは知らなくても、晃大のように名前だけは聞いたことがある、というのが殆どだろう。
飯尾佳明「その中の玄武の宿主?力の使い手?に出くわした」
姫野晃大「どんな奴だった?」
飯尾佳明「ジジイだった」
姫野晃大「え、弱そう」
飯尾佳明「だと思うだろ?」
玄武といえば、蛇を纏った亀の姿で表される事が多い。
他の三体と比べると、あまり勇ましい印象は無い。
その上老翁となれば、尚更強そうには思えない。
だが、しかし。
古橋哲也「ところが、柔術の達人だったよ」
触れた瞬間に一瞬で制圧されたことを話すと、
姫野晃大「マジ!?」
予想通りの反応が返ってきた。
飯尾佳明「マジもマジ、大マジだ」
古橋哲也「そういえば、カズが変な合気の達人のお爺さんに出会ったとか言ってなかった?」
飯尾佳明「おお、そういえば」
飯尾佳明「で、真相はどうなんだ?」
橘一哉「ふあ?」
暑さのせいか気の抜けた返事をして一哉が振り向く。
飯尾佳明「お前、変な爺さんに合気掛けられたって言ってただろ」
橘一哉「んー・・・」
天井を見上げ、記憶を探ってみる。
橘一哉(爺さん、合気・・・)
佳明の出したキーワードに合致するものといえば、
橘一哉「あ、もしかして、」
飯尾佳明「お、思い出したか?」
橘一哉「思い出した」
〇まっすぐの廊下
〇教室
橘一哉「如月玄伍っていうOBの大先輩に出会って技を掛けられた」
「如月玄伍ぉ!?」
哲也と佳明は驚いた。
橘一哉「どした?」
飯尾佳明「カズ、お前、それ、」
古橋哲也「その人、玄武の宿主・・・」
橘一哉「うえ!?」
思わず一哉も変な声が出てしまった。
飯尾佳明「何で名前を黙ってたんだよ!」
佳明が一哉に詰め寄る。
橘一哉「ちょ、落ち着けって」
古橋哲也「飯尾くん、ステイステイ」
哲也が佳明を押し留める。
一年生全体でも屈指の体格の哲也に押さえられては、流石に佳明も動けない。
古橋哲也「飯尾くんが怒るのも分かるよ」
古橋哲也「その名前が分かっていれば、あのイザコザも避けられたかもしれない」
哲也の言う通りだ。
龍使い八人で決めたルールの一つに、『異常事態は即時共有』というものがある。
少しでも気になることがあったら、情報交換をする。
そうすることで、異変に対して早期対応、即応態勢を作る。
強固な協力体制を作っているからこそ、年少で経験の浅い八人は今まで戦い抜くことができている。
橘一哉「・・・ごめん」
妙な使い手と遭遇して名前まで知り得ておきながら、名前を伝えなかったのは一哉のミスだ。
飯尾佳明「まあいい」
佳明は詰め寄ろうとするのをやめて後ろに下がった。
飯尾佳明「過ぎた話だ」
四神は人類守護を使命とする存在。
人類に仇為す魔族は、四神にとっても戦うべき相手だ。
遅かれ早かれ、四神の面々とは顔を合わせることになっただろう。
多少の行き違いはあったにせよ、出会いは運命付けられていたのだ。
橘一哉「あのお爺さん、玄武だったのか・・・」
飯尾佳明「ったく、気付かなかったのかよ・・・」
佳明は呆れた。
驚きようから察するに、一哉は全く気付かなかったらしい。
飯尾佳明「あっちはお前のこと龍使いだって把握してたぞ・・・」
橘一哉「それはあの時にも言われた」
飯尾佳明「言われたのかよ」
溜め息をつく佳明。
橘一哉「別れ際にコッソリ耳打ちされた」
飯尾佳明「がっつりクロじゃねえか・・・」
なら多少の類推はできそうなものだと思うのだが、
橘一哉「魔族じゃなさそうだからスルーした」
「そこはスルーしちゃダメなとこだろ」
一斉にツッコミが入る。
橘一哉「しょうがないじゃん、魔族の匂いはしなかったし」
飯尾佳明「あのなあ・・・」
この能天気さは一体どこからくるのだろうか。
一哉の言う『匂い』が一体何なのかも気になるが、要は危険を感じなかった、ということなのだろう。
危険は感じなかったから、報告の仕方も大雑把になってしまったのかもしれない。
橘一哉「確かに、あの技には驚いたよ」
橘一哉「グイグイ崩そうとしてくるからさ、」
橘一哉「負けてたまるかー、って意地でも耐えた」
一哉は心底楽しそうに話す。
飯尾佳明「すげえな、お前」
玄伍に技を掛けられた時、佳明と哲也は驚くばかりで何もできなかった。
それに対抗して耐えきったというのか。
飯尾佳明「おまえ、柔術の心得もあるのか?」
一哉が見せるのは専ら剣術。
そして、天蛇王との戦いで見せた素手の戦い方。
もっとも、素手での戦いは格闘技と呼べるような技術の備わったものではない。
全力で手足を振り回す、という表現が妥当な、打撃中心の素人戦法だ。
橘一哉「んー・・・」
佳明の問いに一哉は首を傾げて暫く考えていたが、
橘一哉「分からん」
満面の笑顔で一哉は答えた。
飯尾佳明「・・・」
橘一哉「崩れないように態勢整えただけ」
それは心得があると言えるのではなかろうか。
本人に自覚は無さそうだが。
一道万芸に通ず、という言葉もある。
無意識のうちに剣術の身体の使い方を応用していたのかもしれない。
橘一哉「ていうかさ、四神が実在するのって当たり前じゃないの?」
姫野晃大「なんで?」
晃大が訊ねると、
橘一哉「だって、由希姉は青龍じゃん」
橘一哉「四神の一柱じゃん」
橘一哉「なら他の三柱がいても不思議じゃないっしょ」
「あ」
三人は漸く気づいたようだ。
〇古びた神社
如月玄伍「・・・・・・」
如月玄伍は、八十矛神社に足を踏み入れていた。
山と森を愛する自然愛好家としてではない。
四神の力を預かる者の一人として、だ。
如月玄伍「よくよく注意せねば、な・・・」
龍使いの若者二人から受け取った貴重な資料。
その中で、一つ気にかかる点があった。
〇霧の立ち込める森
ある場所から先は手付かずの原生林。
水脈が多く、常に霧が深い。
〇古びた神社
如月玄伍(そのようなこと、有り得ぬ)
山地の先端、その麓にある八十矛神社。
如何に水源が多くても、昼日中から霧がかかるような地形ではない。
如月玄伍(佐伯美鈴の術に嵌められたやもしれんな)
霧を以て人を惑わし迷わすのは妖魔の常道。
如月玄伍「さて、奥に入ってみようか」
〇祈祷場
佐伯美鈴「あらー・・・」
拝殿の中で美鈴は困り顔になっていた。
佐伯美鈴「本当に、来ちゃったのね・・・」
髪の色も黄金色になっている。
佐伯美鈴「どうしましょう・・・」
彼女にとっても予想外の事態となってしまっているようだ。
〇霧の立ち込める森
如月玄伍「確かに、霧がかっているな」
本日の天気は晴れ。
雨上がりでもなければ早朝でもない。
如月玄伍「水気が無いな」
地面からも、空気にも、霧が出るほどの大量の水気を感じない。
如月玄伍(惑わす術だな)
玄伍は看破した。
如月玄伍「この霧は幻覚」
如月玄伍「ならば、視覚に頼らなければよい」
目を閉じて周囲の様子を感じ取る。
空気の流れ、木の葉が擦れる音、漂い来る匂い。
如月玄伍「・・・ふむ」
ゆっくりと目を開く玄伍。
心の目を研ぎ澄まし、心眼を実視覚と重ねた玄伍の目に映ったのは、
〇森の中
如月玄伍「やはり、な」
さらに奥へと続く、舗装はされていないが人が通る道だとはっきり分かる山道だった。
道を塞がぬように両脇の茂みは刈り込まれ、枝打ちもされている。
如月玄伍「何を隠しているのかは知らぬが、見せてもらうぞ」
玄伍は奥へ奥へと歩いていった。
〇山の中
佐伯美鈴「急がなくては・・・!!」
道なき道を進む美鈴。
その足取りは速い。
茂みの隙間を縫い、枝を掻い潜り、木の根を飛び越えて。
衣服の裾も、棚引く髪も、一切が障害物に触れることなく進んでいく。
佐伯美鈴「あの場所に入れてなるものか・・・!!」
〇湖畔
如月玄伍「これは・・・」
玄伍は驚いた。
如月玄伍「山の中に、このような場所があったとは・・・」
山道を進んでいたと思ったら急に視界が開け、目の前には泉が広がっていた。
泉のほとりには巨大な岩があり、巨樹が根を張っている。
その根の一部は泉の中に伸びているが、腐っている様子はない。
磐座と巨樹の向こう側には、連なる山麓が見える。
如月玄伍「何たる威容・・・」
感嘆の息を漏らす玄伍。
言語に絶する景色だ。
???「まさか、ここまで辿り着いているとはね」
如月玄伍「!!」
背後から声がした。
如月玄伍「何者だ!」
振り向くと、
〇湖畔
如月玄伍「佐伯美鈴、か・・・?」
金髪の巫女。
微風にそよぐ柔らかな金髪が、自然な光沢を放っている。
染めたものではなく天然の地毛らしいが、
如月玄伍「いや、彼女の髪は亜麻色だったはず・・・」
背丈と顔貌は佐伯美鈴その人だが、髪の色だけが違う。
佐伯美鈴「ここは我らの秘所、余人が濫りに足を踏み入れて良い場所ではない」
玄伍の動揺を意に介さず、美鈴は言葉を発した。
佐伯美鈴「疾く失せよ」
如月玄伍「ぐっ・・・」
顔を歪める玄伍。
強い言葉だった。
語気が強いとか、そんな次元の話ではない。
言葉に含まれる意思と感情、即ち『言魂』が、非常に強い。
無条件に心身が従ってしまいそうになるのを、歯を食いしばってこらえる。
佐伯美鈴「あの二人を差し向けたのも、貴様だな」
如月玄伍「・・・・・・」
玄伍は答えない。
否、『答えられなかった』。
目の前の相手が放つ、殺気、怒気、威圧感。
それらが綯い交ぜになって、玄伍を縛り付け、締め付け、押さえ込んでいる。
如月玄伍「お前は、何ものだ・・・」
頭頂から四肢の指先まで余す事無く締め付ける強烈極まりない圧迫感の中、玄伍は声を絞り出して問うた。
佐伯美鈴「ここは八十矛の杜」
佐伯美鈴「四神といえど、許しなく入れば尽く滅ぶと知るがいい」
如月玄伍「ぐっ・・・」
必死に息を整え、玄武の神気を纏おうとするが、うまくいかない。
如月玄伍(四神の力が・・・)
届かぬことが、あるというのか。
佐伯美鈴「人の身で、ここまで来たことは褒めてやろう」
佐伯美鈴「だが、」
美鈴の目が吊り上がり、カッと見開かれる。
射抜き貫く鋭い眼光。
玄伍は生まれて初めて眼力というものを感じた。
二筋の強力な力の到達を感じた瞬間、遂に玄伍は動けなくなってしまった。
気血が滞るのを感じる。
金縛りだ。
佐伯美鈴「境界を守るものが境界を犯すとは、許しがたい蛮行」
反論できない。
境界を守る、即ち境界を侵さないという四神の使命を忘れてしまった罪悪感による心理的な要因。
美鈴の怒気と殺気と覇気による威圧で呼吸すらままならない程の金縛りになっている、物理的な要因。
二つの要因により、玄伍は意識を保っているのがやっとの状態だった。
佐伯美鈴「尸林に生者は不要」
佐伯美鈴「失せるがいい」
〇古びた神社
如月玄伍「む・・・?」
気が付くと、玄伍は八十矛神社の拝殿の前に立っていた。
如月玄伍「私は確か、」
八十矛神社の森の奥に踏み入ったはず。
如月玄伍「いつの間に戻ったのだ・・・?」
いや、そもそも本当に奥に入ったのだろうか。
現実感が薄い。
如月玄伍「!!」
思案しながら、ふと空を見上げた玄伍は気が付いた。
如月玄伍「もう日が暮れているではないか・・・!」
いつの間にやら日が傾いている。
如月玄伍「一旦出直すか・・・」
夢か現か。
狐に化かされたような、というのは今のような気分を言うのだろうか。
拝殿に向けて一礼すると、玄伍は八十矛神社を出た。