エピソード7(脚本)
〇テントの中
本来テントは就寝時、虫や外気を防ぐために入口をジッパーや紐で閉じるのだが、
野生生物だけでなく伝説に登場する怪物までもが実在するこの世界では、それらの脅威に何時(いつ)晒されるか定かでない。
そのため、ルシアが現在使用しているテントの前室と入口は開かれたままになっている。
更に寝袋の正しい使用法は筒状、あるいは封筒状に形成された袋の中に入り、身体を包み込むのだが、
彼女は寝袋の中には入らず、身体に掛けて布団として使っていた。
これらは全て、可能な限り早く戦闘体勢に移行するための処置だった。
そのため、少し離れて焚火を囲っているユキオからは、ルシアの寝顔を窺えることが出来た。
金髪の美女が自分のテントで寝ている光景は、彼にとって想定外の現実だ。
すぐそこで若く美しい女性が就寝しているわけだが、ユキオの自制心が崩れることはなかった。
彼は現代日本の倫理観の下でこれまで生きて来たわけであるし、
客観的な事実として彼女はオーガーよりも強い。下手な事は自殺行為にも等しいだろう。
〇けもの道
ルシアの寝顔から意図的に目を背けると、ユキオは火の勢いが弱まっていた焚火に数本の枝を投入する。
当初は焚火をするつもりはなかったが、真夜中に見張りをするのであれば話は別だ。
光源と暖の確保、そして暇つぶしとこれ以上に最適なモノはない。
組み立て式の焚火台にくべられた枝は小さな破裂音を立てる。
森の中なので木材はいくらでもあるように思われるが、実は焚火に相応しい薪や枝は案外に少ない。
充分に乾燥していないと火の付きが悪いし、このように内部に含んでいた水分が膨張して音を出すのである。
本来なら、事前に燃えやすそうな枝や薪を集める作業が必要なのだが、
今回は急遽な焚火だったのでテント周辺の枝で済ましていた。
ユキオは腰のベルトポーチから伸縮式の火吹き棒を取り出すと、生乾きの枝に空気を吹き掛ける。
強制的に風を送られたことで、枝はやっと自身を焦がす炎を安定させた。
それを見届けると、ユキオは次に投入する枝の準備に移行する。
近くでルシアが寝ていなければ、鉈や携帯式のノコギリでがんがん新しい薪を作るのだが、
今はなるべく音を立てないように、手で折れる程度の枝を焚火台のサイズに合わせて加工する。
後は火加減を確認しながら、その作業を繰り返し続ける。
魔法が実在する異世界でも、焚火のあり方はまったく変わらなかった。
〇炎
焚火の炎を眺めながらユキオは今後のことを考える。現時点で元の世界、日本に戻れる確証はない。
その事実は彼の胸に大きな不安として圧迫していたが、
ルシアが〝リーミア〟と呼んでいる、この世界に対する期待感も同時に沸き起こっていた。
ユキオがバックパックキャンプを趣味としていたのは、
人間にとって未知の領域である山や森への冒険心がその根底あった。
自動車を使ったオートキャンプではなく、荷物の全てを自分で担ぐバックパックキャンプを主体としているのも、そのためだ。
自動車が通れる道がある時点で未知の要素が薄れてしまうと彼は思っていた。
その意味では、異世界は彼の願望の究極と言えなくもない。
ユキオの心は本物の冒険に挑戦している昂揚感と、命の危機に対する恐怖と不安で、焚火の炎のように揺れ動くのだった。
〇けもの道
成崎ユキオ「ところで・・・見張りの交代って何時だ・・・」
しばらくの間、自分の感情を洞察しながら焚火を見つめていたユキオだったが、
ルシアと具体的な交代時期を約束していなかったことに気付く。
彼女に夕食をご馳走した時の雑談で、この世界の一日もおよそ24時間であることを知らされているので、
ユキオの腕時計はそのまま時間を計ることが出来た。
ルシアがテントに入ったのは夜九時頃、そして現在は午前二時を示しているので、およそ五時間が経過したことになる。
朝に人里に向けて出発するなら、そろそろ交代しても良い頃だ。
とは言え、明確な交代時間を決めていなかっただけに、
ユキオとしては寝ているルシアを無理やり起こすには抵抗があった。
ルシア「んん・・・そろそろ交代だな・・・」
んな心配をしていたユキオだったが、しばらくすると当のルシアが自発的に起きたことで杞憂に終わる。
彼女の話では、この世界の住人は太陽と月の位置や角度で時間を計っているらしいが、
ルシアは体内には優れた時間感覚を備えているようだ。
ルシア「ふあ・・・どうやら、何事もなかったな・・・」
テントから出たルシアは欠伸を噛み殺しながら、伸びを行なう。
だが、緩めていた鎧や剣帯のベルト締め直すと、直ぐに隙のない毅然とした顔付きを取り戻していた。
成崎ユキオ「ええ、幸いにして」
ルシア「うむ。それと警告通り武器を身に着けたようだな」
ユキオの返事に頷きながらルシアは満足そうな笑顔を見せる。
その指摘通り、彼は焚火をする前から薪割用の鉈を腰から下げていた。
元々、鉈の鞘にはベルトに通すためのストラップが付いているので、本来の使い方と言えなくもない。
だが、現代の日本でこのような使い方を出来るのは、限られた環境と職業の人間だけだ。
ユキオのようなキャンプ地での薪割、もしくはプロの林業や植木職人くらいだろう。
ルシア「そんな小さな刃物でも無いよりかはマシだからな」
成崎ユキオ「そ、そうですね・・・」
日本の常識を持つユキオにルシアは困惑するような言葉を続ける。
彼が使用している鉈は一般的なタイプで、切っ先は無く平らになっているが、
刃渡りは30㎝近くあり、薪を割るための肉厚な刃を持っている。
日本人の感覚ならこれはかなり大型の刃物となるだろう。
だが、全長が1メートルほどもある長剣を腰に差しているルシアからすれば〝そんな〟程度の武器に見えるようだった。
〇けもの道
成崎ユキオ「・・・では、俺も寝かせて貰います」
ルシア「ああ。・・・それと、この焚火は消してもいいかな?」
価値観のギャップに戸惑いつつも、暖が取れる焚火前を譲ろうとして立ち上がったユキオに、ルシアは問い掛ける。
成崎ユキオ「ええ、構いませんけど。良いんですか?」
その台詞にユキオは意外とばかりに確認する。寝ずの番なら焚火は必要と思われたからだ。
ルシア「私は〝猫目〟・・・暗闇でも視界を維持出来る魔法を取得しているから問題ないんだ」
成崎ユキオ「ああ・・・そういうことですか・・・」
ルシアが魔法の使い手であることを思い出したユキオは素直に納得する。
その〝猫目〟とやらの効果がどれほどかは知らないが、暗視能力があれば光源は不要どころか逆に邪魔だろう。
彼女の荷物が極端なまでに少ない理由がまた一つ明らかになった。
ルシア「そういうことだ」
成崎ユキオ「じゃ、俺が消しておきますよ」
納得したユキオは用意していた土を降り掛けて焚火の炎を消す。
水で消してしまうと再点火の場合に手間が掛かるし、何より水を節約したかった。
成崎ユキオ「では・・・」
ルシア「ああ、おやすみ」
焚火を消し終えたユキオは、ようやくとばかりにテントの中に転がり込む。
武器に対する価値観と魔法の実在、更には未知の世界への不安と恐怖があったが、
疲労による睡魔と近くにルシアが居るという安心感から、彼は異世界での第一夜を過ごすのだった。