愛情の矛先(脚本)
〇電車の座席
電車の中で仲良さそうにしている男女。多分世界で一番ではなくても、幸せランキング上位組だと自分達の事は思ってるのであろう
美人な女性、可愛い女性と付き合っている男性。カッコイイ男性、良い職業の男性、ちょっとヤンチャな男性と付き合っている女性
お互いの性格や価値観がピッタリな人と付き合っている人。独りが好きで、趣味を満喫している人。電車の中には色々な人がいる
今この車両の中で、一番幸せでないのは自分だと思う。やりたい事が出来ていない。この先の人生にも希望が持てない
かと言って死にたくもない。痛そうだし
苦しそうだし、そもそも悪い事なんてしていないし。出来ることなら幸せにはなりたい
でも、自分にとっての幸せって何だろう。自分の事なのに、そんな事も分らない。お金はあるのに、何故か不幸だ
〇白いバスルーム
はぁ~今日もブサイクだ。そのくせ名前は「武」。どこが「武」なんだろう
そもそも何で自分は男なんだろう。女性みたいにオシャレをしたいし、男を漢と書くような男の人と親密な関係になりたいのに
今どきの細みな男性も魅力的だが、昔ながらの骨太の男性にも心が惹かれる
私は男の人の方が好きなのだ。そして自分の見た目は、美しくもっときらびやかにしたいのに
女性が好きな男性なら、もっと愛を考えるのかもしれないが、男性を好きなブサイクな綿
お金はそこそこ持っているけど、特に魅力の無い私。私と付き合ってくれる男の人なんていないと思う
そもそも誰にもカミングアウトもできていないし
〇ネオン街
歌舞伎町やその手の方が集まる場所にはかなり行った。でも、お店等に入る勇気はない
せっかく東京にまで上京したのに
地方から東京に出て、普通に毎日仕事をしているが、これまで知り合った人の中には、自分と同じようなタイプの人はいない
そもそも自分と同じような思いをしている男性は、世の中にどれくらいいるのだろうか
幼少の頃から辛かったけど、大人になっても変えられないなんて・・・
今夜もマンションでひとり酒。アルコールが手伝ってくれる、妄想ひとり酒だけが唯一の楽しみになっている
〇新橋駅前
「ませーん・・・ みませーん・・・ すみませーん」
裕那「こんばんは。私は似顔絵を描く事を仕事にしている、「裕那」と言います」
裕那「私に似顔絵を描かせてもらえませんか。なんかいい絵が描けそうな気がするんです」
何だこの女は。私は自分が嫌いなんだ、その似顔絵を描こうなんて
武「けっこうです。私、自分の似顔絵になんて興味ないので」
裕那「うーん・・・いつもの事なんですけど、私の似顔絵はお客様の気持ちでお金を頂いています。それでも描かせてもらえませんか」
いきなり声かけてきて、何を勝手に言っているんだろう。普段なら割とイラッとする発言。ただ、なぜかそれほどでもない
今日は割と気分がいい日なのかもしれない
武「あんたそれって、気に入らなかったらタダでもいいってこと」
裕那「ハイ。私はいつもそういうやり方をしていますので」
武「明日も仕事があるんだから、早くやっちゃってよね」
〇テクスチャ
早くマンションに帰って、シャワー浴びて妄想ひとり酒をしたいのに。なんでこんなところで時間を止められているんだろう
そういえば、さっきの言葉使い、自分の本音に近いかも。「わたし」とか「あんた」なんて言葉、ほとんど言うことは無かったし
心ときめく男の人とは全然違うこの女。なのに何故、こんなに本音が言えるのだろう
似顔絵を描かれている間、自分の心境を色々振り返っていた
ところでこの犬は何なんだろう。自分のヒザの上で寝転んでいて。でも何か嬉しいなぁ。犬でもこんなに密着してくれて
好きな人だったら、もっと嬉しいのかもしれない。そんな事を考えていると、わりと今の時間も幸せかもしれない・・・
〇新橋駅前
裕那「完成でーす。アクリル絵の具だけど、やっぱり乾くまでには少しお時間がかかってしまいまして」
裕那「こちら、完成した絵になります。夜ですけど見えますか」
似顔絵・・・って言ってたけど。なにこの絵・・・
漆黒で綺麗な形に角張った花瓶。そこに場違いのような大きな花の蕾(つぼみ)。背景にはうっすらと、大きな花が描かれてる
人らしきものがどこにも描かれていない絵。これが似顔絵なのだろうか
裕那「あのー、この絵は気に入っていただけそうですか」
武「気に入らないわね。でもお金はお支払いするは」
武は財布を出して中を確認した。所持金は3万と数百円
武「3万払うは。好きじゃないけど、私のセンスが試されている気がするから」
武はお金を払って絵を貰い、マンションに帰ると、適当に空いている壁に絵をかけて、ひとり酒を楽しみながら就寝した
〇ファンシーな部屋
翌朝は不思議な気持ちで目が覚めた。昨日は何で変な似顔絵に3万円も払ったんだろう
そんな事をかんがえながら、改めて昨晩壁に飾った絵を見てみる
よく見ると、何となく雰囲気が自分に似ていると感じた。角張った花瓶は、本音を隠して、男らしさを常に演じている自分みたい
花瓶の蕾(つぼみ)は元気がなく、少し下を向いている。いつも感じている自分の内面のよう
背景にうっすら見えている花。この蕾が咲いたものかどうかは分らない。ただ、何かの可能性の一つのようだった
今の自分は限りなくこの花瓶そのものだ。蕾は自分の心の中の葛藤。下向きなのは、うんざりしている気持ちのようだ
〇水の中
自分の見た目を描かれるよりも、よっぽどそっくりに描かれている似顔絵。この絵に何か引っかかっている自分がいた
何が引っかかっているのだろう
ふと、昨晩支払った3万円が、頭の中で広がった。高いとか安いとかではなく。財布の中にあった紙幣全てを手渡した理由
花瓶の中にある蕾、それを咲かせること。つまり自分らしく生きようと決めるために支払ったのではないか
武はこれまで犠牲にしていた色々な事が、急に馬鹿らしくなった
〇アパレルショップ
武はその朝会社を辞めた。貯めていた貯金をかなり下ろして、その日は買い物に明け暮れた
〇白いバスルーム
その夜マンションに戻った「武」は、「ケイシー」へと生まれ変わった
綺麗でも可愛くもない。むしろ毒々しさを感じさせるような風貌。それが最高に自由を手に入れた気分にさせてくれた
ただ約1ヶ月、毎日が大変だった。何せ「武」に必要だったものが、全てゴミになったのだから
「ケイシー」になるための買い物は最高に幸せだった
割と高収入だった武。おかげでかなり早いペースでケイシーになる事が出来た。ケイシーは過去の武に感謝した
〇スナック
ケイシーの再就職先は、結構早くに見つける事が出来た。そこは同じ内面を持つ仲間が集まっている「夜の店」
自分を開放したケイシーの毒舌さは、多くのお客さんの本心に突き刺さった。たちまちケイシーはお店の顔になっていた
お客さんには女性も多く、色々なことで相談もされた。武としての社会経験を持つケイシー、女性達は姉のように慕っていた
ただ、初めて恋愛相談を受けた時は少し戸惑った。ほんの少しだけ。ふと裕那の絵を思い出した
ケイシー「あんたはどうしたいのよ。どうせ相手の事なんてわかんないでしょ。あんたは自分のことどれだけわかってんの」
言葉はそのものは綺麗ではないが、相手の心を大切に考えて伝えている。それがケイシーの魅力だった
〇テレビスタジオ
ケイシーはテレビやラジオにも呼ばれるようになった。女性が通うスナックのカリスマママとして
一日の多くを笑顔で過ごしているケイシーだが、時々切なくなる事がある
自分を変えてくれた似顔絵師。探しているのだが一度も会えておらず、感謝の言葉が伝えられていないから
どこかで見ていて欲しい裕那へ。ケイシーは人前では絶対、笑って過ごすように振る舞うのだった