守るべきもの(脚本)
〇電車の座席
出勤途中の電車の中、サラリーマンの松尾和夫は困惑していた
隣に座っている若い女性。疲れているのかウトウトしているのだが、度々自分の肩にもたれかかってくる
ほんのり太陽のような、ポカポカした香り。正直ちょっと嬉しい状況だ
ただ、もう片側の隣のおじさんもウトウトしてもたれかかってくる。時々ハフーと寝息を感じる
正直、おじさんは起こしたいが、肩を震わせる事で、もう片側の女性が起きてしまう事は不本意だ
どうしたら良いものか。そんな事を考えていた
〇空
ふと意識が戻ると目の前には夜空。状況を整理するのに少し時間がかかった
自分は公園のベンチで寝ていたようだ
なぜか大きな白い犬が、布団のように自分の上に乗っかっていた
松尾「こいつの呼吸があのおじさんの寝息だったのか・・・そういえばポカポカした香りも、この犬のものだったのかも・・・」
自分の現状は把握できたが、なぜこんなところで・・・いつも通り残業をして、家に帰る途中で・・・
裕那「良く眠れましたか? 松尾さん」
〇住宅街の公園
裕那「随分ぐっすり眠られていましたし、私の絵も乾くまではそれなりに時間がかかっていたので。私は片付けをしていました」
裕那「こちらが出来上がった絵になります。持って帰りやすいように手さげ風にしてみました」
裕那「今は夜だし外なので見にくいと思いますので、お家に帰ってから見てみてください」
〇雑踏
ようやく思い出した
いつも通りの仕事帰りだったが、金曜日だったからか、かなり疲れて歩いていた
そんな中で声をかけてきたのが似顔絵師の女性だった
可愛かったという事もあったが、少しだけどこかで休むための理由が欲しくて、絵を描いてもらう事にしたのだった
ただベンチに移った辺りくらいからの記憶は曖昧だった
〇住宅街の公園
松尾「あのー、おいくらでしょうか」
裕那「お金もらえませんよ〜。疲れ過ぎて記憶も曖昧な方に頼んじゃったみたいだから。これでお金を頂いたら詐欺になってしまいますよ〜」
松尾「そっ、そうですか〜・・・」
松尾「あっ!!」
松尾は自分のカバンの中を探り、疲れを取るために買ったチョコレートやコーヒーを手渡した
松尾「こんなものしかなくてゴメンね」
そう言って松尾は再び帰路についた
〇シックな玄関
松尾「ただいま」
おそらく家族の皆は寝ている時間。「ただいま」の声も家族に聞こえないように洩らした言葉だ
寝ている家族が起きないよう、水量を抑えてシャワー浴をし、着替えてすぐ眠る。平日の夜は毎日これの繰り返しである
〇おしゃれなリビングダイニング
松尾は奥さんと子供1人の3人で生活をしている。休日の朝、最初に起きるのは妻の明子
明子が朝食を作り始める頃、子供も起きてくる。名前はヒナタ
明子が朝食を並べ始める頃になると、ヒナタは和夫を起こしに行く
そして3人揃っての朝食が始まる。これが松尾家の休日の朝。しかし平日の順番は違う
明子と和夫は目覚まし時計によって、ほぼ同時に起きる。共働きの松尾家、朝食は和夫の当番となっている
ヒナタの送り迎えもある明子は、自分のメイク、ヒナタの朝の準備もあり忙しいのだ
かわりに明子は夕方のヒナタのお迎えから、全ての家事を担っている。それは和夫が毎晩残業で遅いため
体が元気なうちは、なるべく残業をしてヒナタのためにお金を貯めていきたいとの考えから、明子とも相談をして決めた事だった
都内でマンションを借りての生活。しかし今の生活で本当に良いのか。和夫は今の生活に何か違和感を感じていた
〇美しい草原
和夫は長野県で生まれた。一緒に暮らしていた祖父は農家として働いていた。祖母も一緒になって働いていた
父親その地域で公務員として働いており、休日になると祖父の仕事を手伝っていた。祖父が衰えると、早期退職をして農業を継いだ
長野県の家は母の実家だった。父は婿養子ではなかったが、農業が好きだった母に惚れたので、母の実家に入る事を決めたのだとか
和夫が子供の頃、固定電話がようやく各家庭に普及していった頃でもあった。天気が良い日、男の子は外で遊ぶ事が当たり前だった
農業を営む家庭で育った数。自分もいつかはと考えていた。大学生になるまでは
〇古い大学
大学2年生の夏、大型の台風が日本列島を横断した
実家の田んぼはほぼ壊滅状態になり、その年の年収はとても悲惨なものだったと、後に母から聴いていた
サラリーマンをした後に実家で農業をと考えていた和夫。しかしその台風がきっかけで、農業への意欲は失せてしまった
〇おしゃれなリビングダイニング
一週間分の疲れを開放してくれるのは、娘のヒナタ。そしてヒナタを元気に育ててくれている明子の存在だ
休日はなるべく一緒に遊ぶのだが、その週は特に忙しかったせいか、室内でゆったり過ごさせてもらっていた
その日大人しく過ごしてくれたヒナタへの感謝、疲れている和夫を元気にするために、明子は2人が大好きなカレーを夕食に作った
〇おしゃれなリビングダイニング
翌朝の日曜日、明子は違和感のあるものを、和夫の仕事用のカバンの陰に見つけた
2枚の厚紙で出来た手さげ風なもの。その片隅には、「元気になってくださいね、松尾さん」と女性の文字で書かれていた
そして文字の隣には、アクリル絵の具で綺麗なイトトンボの絵が描かれていた。明子は寝ている和夫を無理矢理起こした
明子「和夫さん、これは何なの!!」
〇綺麗な部屋
松尾「えーっと、えっと・・・何だっけそれ」
疲れ過ぎていた時の出来事だった事、それ以上に明子の怒りに満ちた顔、完全に記憶が飛んでしまった
明子「とぼけているの」
松尾「そうじゃないけど、とりあえず僕にも確認させて」
明子から手渡された2枚1組の厚紙。それを恐る恐る開いてみる和夫
松尾「あっ、これ絵だよ。仕事帰りに似顔絵を書いてくれる人に会って・・・でも、その人似顔絵って言ってたんだよ。本当に・・・」
描かれていたのは、空から見た田舎のような風景だった。和夫は明子に全てを話した
明子「そう言われれば、少し離れている私の場所から見ると、人の顔にも見えるけど。川が顔の輪郭みたいで」
描かれていたのは小川や田んぼ。だけど離れた距離から見ると、力強い男性のように見える絵だった
明子「顔には見えたけど、あなたにはあまり似てないわね。お義父さんには少しだけ似てるけど」
明子の誤解は溶けたが、絵は謎だらけだった。ただ、絵に描かれている人のような顔に、和夫は理想の自分を感じていた
〇綺麗な部屋
ヒナタ「パパ、ママどうしたの、ケンカしてるの?」
声だけ聞いて起きてきたヒナタはちんぷんかんぷん。周りを見渡すと、ふとイトトンボの絵が目が入った
ヒナタ「ねぇ〜このトンボかわいいね」
明子「イトトンボ・・・かしら」
松尾「そう、イトトンボ。懐かいしなぁ」
明子の生まれは伊豆。生まれ育った自然環境は和夫とかなり似ていた
懐かしむ2人だが、ヒナタは初めて知る生き物。しかも2人は綺麗だったと話しをしている
ヒナタ「パパ、ママ、ヒナタも見てみたい。イトトンボさんはお店で売っているの?いくらかなぁ」
和夫と明子は切なくなった
松尾「そうなんだね、ママと一緒に考えてみるよ」
〇おしゃれなリビングダイニング
松尾「明ちゃん・・・俺、脱サラしてもいいかなぁ。ヒナタからイトトンボを買いたいなんて言われるなんて」
明子「実家の農業でしょ、いいと思う。私も一緒だから。ヒナタの言葉が悲しく聴こえたのは」
松尾「でも収入下がるし、明ちゃんにも迷惑かけちゃうかもしれないよ」
明子「イトトンボにホタル、私達は苦労するかもしれないけど、ヒナタはここで生活するよりも成長するんじゃないかしら」
〇美しい草原
和夫と明子は仕事を退職し、長野県にある和夫の実家に引っ越した
収入は不安だったが、家族と一緒にいる時間が増えると、共感できる不安は幸せにも感じた
数カ月後、ヒナタは初めてイトトンボを見て感動した
ヒナタはイトトンボを採取せず、じっくり観察をしていた
ヒナタ「また会いたいから」
優しさの蕾を見つけて、僕らはとても嬉しくなった