かたまり(脚本)
〇島国の部屋
──8年前、母はうつ病を患った。
母は長年勤めた印刷会社を退職し、
それから3年ほどかけて、うつ病を克服して、今は専業主婦として過ごしているのだが、
それから母が家の外に出ることは無くなった。
〇島国の部屋
ピンポーン
母「あ、来た」
母「はーい!どうぞー!」
母がインターホンのマイク越しにそう言うと、桜子がうちに上がってきた。
桜子「おじゃましまーす」
桜子が今日もやってきた。
桜子は、僕よりも年上の人だ。
近所に住んでおり、小さい頃よく遊んでもらった。
桜子は、頭の良い大学を卒業したらしいが、未だに働かずに実家にいるらしい。
いわゆる、ニートだ。
桜子「ママさん、例のやつ持ってきましたよ」
母「例のやつ?」
母「あ、「名探偵コマル」!」
桜子「昨日、続き読みたいって言ってたんで」
母「え、ありがとう!早速読ませてもらってもいい?」
桜子「どうぞどうぞ」
母「ねぇ見て、桜子ちゃんに貸してもらった。これ知ってる?」
桜子「いや、メジャーなやつじゃないから知らないかも」
母「あ、そうなんだ!」
桜子「むしろ知ってたら熱いくらい」
母「へぇ~!」
母「じゃあ、ちょっと読んでいい?」
桜子「どうぞどうぞ」
こうして2人は毎日うちで漫画を読んだり、時にはゲームをしたりして遊んでいる。
そんな2人を、僕は
《かたまり》だと思った。
〇島国の部屋
父「ただいま」
父「あー、疲れた疲れた」
父は、母が仕事を辞めてから帰りが遅くなるようになった。
家族を養うため毎日残業をしているのだ。
きっと父は仕事が無くても、会社に残って残業代をコツコツと稼いでいるのだろう。
母「おかえり」
父「ん、ただいま」
父「なんだこれ?」
母「あぁ、貸してもらったの」
父は僕の方に来て、ひっそりと尋ねた。
父「また桜子ちゃん来たのか?」
父「本当に毎日来てるな」
父「どう思う?」
父「いや、母さん50歳だぞ?」
父「普通じゃないだろ、50歳のおばさんと遊ぶなんて」
父「桜子ちゃん、何歳かは知らないけど、多分まだ20代だろ?」
父「あそこの親御さんはしっかり稼いでる家だけど、いい歳して、結婚も仕事もせずに」
──父は考えが古い人間だ。
同性愛などには否定的で、おまけに他人を見下す癖がある。
父「母さんも母さんで50歳にもなって、遊ぶなんて」
父「普通じゃないだろ」
父の言う「普通」とは何なのだろうか。
僕には父の感覚を理解できないし、理解したいとも思わない。
けどこの時、
僕は、母と桜子をかばう言葉を言えなかった。
母「風呂沸いてるから、熱いうちにどうぞ」
父「お、おう、わかった」
母「この漫画知ってる?」
母「桜子ちゃんから貸してもらったんだけどね、結構面白くてさ」
そして母は最近、同じ話を何度もするようになっていた。
〇黒
母は、この家の《かたまり》だ。
桜子も《かたまり》だ。
それは間違いないと思った。
けど《かたまり》とは何だろうか。
それはわからなかった。
〇島国の部屋
父「はぁ~、いいお湯だったぁ」
母「夕飯できてるから、テーブルに運んで」
父「今、風呂上がったばかりだろ」
母「ご飯冷めちゃうから」
父「はいはいはい」
父「(お前が運べよ)」
父は、小さくそう言って、食事をテーブルに並べた。
母「はい、もう、食べよ。お腹減った」
父「はい、食べよ」
父「いただきます」
母「はい、どうぞ」
母「あなたこの漫画知ってる?」
父「知るわけないだろ」
母「桜子ちゃんに貸してもらったんだけど」
父「さっき聞いた」
母「最後まで聞いて」
母「桜子ちゃんに貸してもらったんだけど、読んでみたら面白くてさ」
父「そう、良かったね」
母が楽しそうで、僕は嬉しいと感じる。
けど、何なのだろうか、この気持ちは。
僕は、母をどこか許せないのだ。
〇黒
翌日もいつもと同じように桜子が遊びに来る
──はずだった。
〇島国の部屋
母「桜子ちゃん、今日も来ないわねぇ」
母「何かあったのかな」
母「お母さん、心配だわ」
桜子が来ない日が三日続いていた。
僕は居心地が良かった。
ぴんぽーん
母「あ、来た!」
母「どうぞー!上がってー」
インターホンに向かって母が言う。
桜子が "また" うちに来る。
桜子「こんちわー」
母「桜子ちゃん、最近全然来ないから、体調でも悪いんじゃないかって、みんな心配してたのよ」
誰も心配してない。
桜子「いや、ネトゲやり込んでて」
母「あぁ、そうなの、なら良かった!」
桜子「あ、ママさん。これ」
桜子「貸しますよ」
母「え!?いいの!?」
桜子「いいっすよ、うち今パソコンばっかなんで」
母「ありがとう!」
母「さっそくやっていい?」
桜子「どうぞどうぞ」
母「あんたこれやったことある?」
僕は無視した。
それでも母は話し続ける。
母「あんたもゲーム好きだから、これ知ってるんじゃない?」
桜子「あ、そこはこれ選んでください」
母「あ、これね」
桜子「ママさん、うまいすね」
母「いやでも、もう歳だから目がチカチカするわ」
桜子「ほどほどに」
笑い合う二人。
この《かたまり》が、僕には
〇島国の部屋
父「ただいま」
母「あ、おかえり」
母は昼からずっと桜子から貸してもらったゲームをしていた。
父「何やってんだ?」
母「ん?ゲーム」
母「桜子ちゃんから貸してもらったの」
父「「貸してもらった」って」
父「風呂は?」
母「あ、沸かしてない」
父「え!?飯は?」
母「まだ」
父「は!?おい、家事くらいしてくれよ」
母「風呂沸かすくらい自分でやってよ」
父「俺は仕事してきたんだぞ!」
母「ちょっと、いまいいところだから!」
父「そんなもの知るか!」
父「毎日毎日、遊んでばっかで!」
父「家事くらいちゃんとやれよ!」
母「大きい声出さないで!私”うつ”なのよ!」
また始まった。
母「あなただって働いてるからって偉そうにしてるけど、でかい態度とれるほど稼いでるの!?」
父「なんだとお前!俺は家族のために!」
母「自分のためでしょ!」
父「どこがだよ、休まずに働くことのどこが自分のためだよ!」
母「だから大きい声出さないで!」
母「私だって働きたいの!」
父「じゃあ、働いて俺より稼いでみろよ!」
母「だから”うつ”だから無理って言ってるでしょ!」
ぴんぽーん
・・・
ぴんぽーん
桜子です、ママさんに漫画渡すの忘れてて
父「桜子ちゃんか?」
え、あ、はい。パパさんですね、ご無沙汰してます。
父「上がりなさい」
母「ちょっとやめてよ、変なこと言うの」
父「いいから上がりなさい」
桜子「おじゃまします」
桜子「あ、えっと、ママさんにこれ」
父「あんたもあんただ」
桜子「え」
父「もううちに来るのやめてくれないか?」
桜子「えっと」
父「うちの嫁さん”うつ”だからさ」
桜子「あ、えっと、一応知ってますけど」
父「桜子ちゃんいくつだ?」
桜子「え、今年で28歳です」
父「その歳になって仕事してないってどうなんだ?」
父「桜子ちゃんの親御さんは何も言わないのか?」
桜子「すいません」
母「ちょっと!桜子ちゃんに八つ当たりしないで!」
父「八つ当たりなんかしてない! 実際、桜子ちゃんが来て、うちの嫁さんは堕落した」
母「桜子ちゃんのせいじゃない!」
父「そもそも50歳のおばさんと20代の子どもが一緒に遊ぶなんて普通じゃないだろ!」
母「別にいいでしょ!そんなの私たちの勝手じゃん!」
桜子「あの、普通ってなんですか?」
父「普通は普通だよ」
桜子「何が普通なんですか? どうしたら普通なんですか? どうあることが正しいんですか?」
母「桜子ちゃん・・・」
父「もういいよ」
桜子「良くないです、普通って何ですか? 私も普通に、普通に生きいたいんです!」
桜子「私も普通に働いて、結婚だって!」
桜子「私はどこで間違えたんですか? 私は何に失敗したんですか? 教えてください!お願いします!」
父「もういいから、帰りなさい!」
桜子「わからないんです、どうしたらいいのか、どうしたいのか、わからないんです」
母「桜子ちゃん・・・」
母「もう帰ろ?ね?帰ろ?」
桜子と母はその夜、泣き続けた。
〇島国の部屋
それから桜子がうちに来ることはなくなった。
母は桜子に返し忘れた漫画を読み、ゲームをして時間を潰している。
父は相変わらず働き詰めだ。
桜子は僕にとって《かたまり》だった。
母も《かたまり》だ。
そして、父も僕にとって《かたまり》だ。
恐らく、僕も誰かの《かたまり》なのだろう。
こうして僕は家を出た。
母と桜子の生活は現代社会ならありうる話だと思いました。語り手「ぼく」にとってモヤモヤする違和感のある人間関係や固定概念に囚われた人間を「かたまり」という言葉で表現した作者のセンスが素敵です。
本編の、かばう言葉が言えなかった、という一文。胸に刺さりました。戸惑いや苦悩が滲むようですね。父、母、桜子さんそれぞれに思いを巡らせる主人公は、悩ましくとも考えることを諦めない人なのだな、と思いました。
私の母もうつ病で、家事が出来なくてお父さんが困っていて…ということが昔よくあったので、とても心に響くお話でした🥲
うつ病は家事しなきゃいけないってわかってるのに出来なかったりするけど元気な人から見たらそれがサボってるように見えてしまう事があるんですよね😅なってみないとわからないからお父さんがあんなふうに言ってしまうのも仕方ない気もします…。お互い理解し合えたら一番良いけど難しい問題ですよね😭