読切(脚本)
〇お化け屋敷
かつて私は大切なものを
ある男に譲ってしまった。
その時はわからなかったが、
後になって、
それは私にとってかけがえのない
大切なものだったと気がついた。
トモコ「なんか不気味なとこね・・・・・・ あの変人らしいわ」
〇暗い廊下
その大切なものとは、
──────
「ある体験」だ。
〇数字
人類は進化し、
「体験」という情報を
他人に
転送するすべを持った。
体験を失った人間は、
体験した記憶がなくなるわけではないが、
体験した実感そのものが失われる。
つまり、
主観的な実感がなくなり、
客観的な事実だけになってしまう。
他人の体験を
売り買いできる時代だ。
それを私は
売ってしまったのだ。
〇コンピュータールーム
男は、
体験のコレクターで
あらゆる体験を収集している。
男からこれを買い戻すことはできない。
その体験を取り返す唯一の方法は、
その男が提示した体験を
自ら新たに体験し、
交換するしかなかった。
〇貴族の応接間
トモコ(趣味の悪い部屋・・・)
男「トモコさん、お待ちしてましたよ。 本当に随分待ちましたが・・・ふふ」
トモコ「ええ・・・本当に長かったわ それだけ時間のかかることだったからね」
トモコ「あなたの求めたものが・・・」
男「ふふ・・・ そうですね。 それだけあなたが取り戻したい「体験」は、 私のお気に入りだったのでね」
トモコ「10年・・・ 地球の反対側にいたわ そして、やっと手に入れた」
男「ふふふ・・・ 素晴らしい。 しかし、それだけの苦労をしても取り戻したいものだったんですね?」
トモコ「ええ。そうよ。 今となってはなおさら 私には大切なものだわ」
男「いいでしょう。 それではあなたの取り戻したい体験と 交換いたしましょう」
〇研究所の中枢
いよいよ体験の転送が行われる。
トモコ(忘れていた私の大切な体験・・・)
男「あなたに体験が戻ります。 そして、この10年の体験は失われます。 よろしいですね?」
トモコ「ええ・・・ そのために10年過ごしたのよ」
男「それでは転送します・・・」
〇水の中
〇電脳空間
「・・・・・・・・・!!」
〇商店街
私の中に、
忘れていた体験が戻ってくる。
懐かしい・・・
見慣れていたはずの景色
ああ、知っている街の匂い、音・・・
〇ビルの裏
古びた電信柱、
そこを曲がれば見慣れた路地裏
──────
ひんやりしてた。
そこだけ暗くて、足早に通り抜けたっけ。
そっか・・・なんだか少し怖かったんだ。
〇空き地
どこからかカレーの匂い、
故郷の懐かしい景色が脳裏に蘇る。
夕暮れはいつも寂しい。
うちはお母さんの帰りはまだかも、って
寂しかったんだ・・・
〇田舎の公園
夕暮れ、
6時を知らせる童謡の放送が
町に反響している。
わざとのんびり帰ってた。
お母さんが帰ってくるまで
しばらく一人だから・・・
〇水玉
口の中に広がる
優しく柔らかな甘み。
ああ・・・大福
お母さんがよく買っていた大福の
あんこの味
〇アパートのダイニング
なんでもない大福を頬張る私。
夕食前に時々、
なんでもない大福を頬張る私。
大福の味。
お母さんが買っていた
大福の味
なんでもない体験。
お母さんの帰りはまだだけど、
お母さんが用意してくれていた大福が
慰めてくれてたんだ・・・
優しい味
寂しいけど、
安心させてくれた味
〇ベビーピンク
なんでもないように思えた体験だったが、
お母さんがいた頃の
幼かった私の大切な体験
〇貴族の応接間
男「「いやあ、お気に入りの体験だったんですが・・・・・・。 でも、仕方ありません」
男「何しろあなたが10年かけて 新たな体験を 持ってきてくれたのですから。
これはこれで貴重ですからね」
男「今度は大切にしてくださいね」
〇お化け屋敷
10年かけて手に入れた体験は
すっぽりと私の中から
抜け落ちていたが、
あんこの優しい味だけを
私は
いつまでも記憶の中でかみしめていた。
〇黒
おわり
今の自分を形成している大切な体験、でも忘れてしまっているものって結構ありますよね。私自身のものはまだ他所に移していないので、読後にゆっくり思い起こしたくなりました。
売ってしまう気持ちも取り戻したくなる気持ちも、よく分かる記憶でした。ただの味だと思えばなんてことない気もしますし、お母さんが用意してくれたものだと思えばかけがえのない記憶に感じます。後から価値に気づくって不思議ですね。体験はもうしているのに、価値はその後でも上がると思うと、寂しさもありつつも人生が楽しくなります。
「転送します」このフレーズが妙に心に残りました。なんでもない、毎日が実はなんでもあったり、、、日々の大切さを感じさせられました。