prologue(脚本)
〇スーパーの店内
いくら『上』からの命令だと言っても、休日のひとときを楽しんでいた俺に、電話が来たときは泣きたくなった。
嘘だろ・・・・・・これから、スーパーの福引きがあんだよ。列が。せっかく取った先頭が。
全部が台無しになるような急用だ。
よっぽどのもんじゃなきゃ許さん。と怒りに拳を固める俺の耳に、電話越しに社長からの声。
「藍鶴が、いなくなった。探せ」
界瀬「あー、はいはい」
〇ビルの屋上
藍鶴は、同じ会社の同じチームなのだが、どうにも繊細な部分があるようで、何かあると逃げ出してしまう。
会社はあいつを怒らない。俺だって、逃げていいと思うような強烈なトラウマを植え付けた『何か』に、
関わらせた責任があるのは、会社の方だから。
それでも、俺たちはそこから動かない。
藍鶴がやめることもない。
――だって、そこにしか、居場所がないから。
〇ビルの屋上
高いところからの方が探しやすそうだから、スーパーから出ると、塀を登り、どこかのお宅の屋根に勝手によじのぼった。
界瀬「よっし」
捜索、開始。
目を閉じて一心に念じる。藍鶴、どこだ・・・・・・藍鶴・・・・・・
脳裏に浮かぶ風景を足し算して、居場所を割り出す。頭の中に、見慣れた場所が映った。
〇古いアパート
人間の視覚は不思議だ。眼球以外の神経が、画像を拾ってくる原理については、まだ科学的にもよくわかっていないが、
いわゆる、心の目、は存在する。
俺はその心の「視力」がいいらしく、会社にそれを買われている。
俺たちがいるのは、つまり、そういう世界。
界瀬「・・・・・・」
写った風景からしても、居場所はわかりやすかった。あいつが会社をサボタージュしてまで来る場所なんか、限られている。
『そこ』のひとつは、俺の居る、ボロアパートだった。
カンカンと抜け落ちそうな錆びた階段を登り、自分の部屋のある202号室へ。
ドアの前にチャイムがあるが、ピンポン、と押しても、居留守の常連の奴のこと、どうせ出てくれないので、
っていうか自宅だし、鍵を開けて中に入る。
幸い、チェーンはかかっていない。
冷たい空気をまとう短い廊下を歩いて、2LDKの、一部屋のふすまを開く。
界瀬「あーいーづーくん」
長めの黒髪を肩に垂らし、背中を丸めて、縮こまりながら、そいつはケタケタ笑っている。
足元では俺の、ロボ君一号1/50スケールのプラモが、バラバラになっていた。
・・・・・・あーあー。
「こら」
肩から覆い被さってみると、彼はこちらを見もせずに「かいせ・・・・・・」と俺の名を呼ぶ。
界瀬「こら」
〇古いアパートの一室
藍鶴色「かいせ・・・・・・」
藍鶴色「おかえりー」
界瀬「はい、ただいま」
そのまま押し倒すと、藍鶴は肩から上を砕きかけのプラモ共々、畳に倒された。
界瀬「・・・・・・会社が探してるよ」
先に用件を告げる。
彼は、いやいやと首を横に振った。
わかる。
俺だって、あいつの立場ならそうしたい。
精神が壊れても、そこに居続けなきゃいけないなんて、そんなの、拷問だ。
一緒に逃げてやりたいが、なかなか、それさえもできない。
〇古いアパートの一室
藍鶴色「・・・・・・かいせも、追い出す」
涙目で睨まれたので、よしよしと頭を撫でてみる。
彼はふにゃんと笑った。
界瀬「追い出してないだろ? つーか、これ完成させんの大変だったんですけど」
ばらけたプラモを指差してささやくと、藍鶴――藍鶴 色(あいづ いろ)は、
寝転がったまま知りませーんとでもいうように、ふいっと顔をそらす。
前はストーブを破壊しやがったから、冬場買い直すのが怠かった。
組み直せばいいんだがそういや、あれはめんどくさくて捨てた。
界瀬「あー・・・・・・もー!」
あきれればいいのか宥めればいいのか、怒るべきか考えたが浮かばない。
界瀬「色」
名前呼びしてやると、顔を引き寄せられて口付けられる。
彼は無防備な体勢で、少しドキドキしてしまう。
藍鶴色「ん・・・・・・お仕事より、かいせと、いちゃいちゃしてたい、な」
にへ、と笑って言われて、俺はうっかりほだされそうになる。
知ってる、いつもの手だ。こいつは、誰かを陥落させるのがうまい。
俺たちがいるのは、特殊な体質や技能から、普通の世界ではぐれものになってしまった人間で結成された組織なのだが
、だから一種の自己アピールなのだろう、ある意味カラフルな人間が多い。見た目からやばいのもいる。
そんななかで、彼のまったくそめていない黒髪というのが珍しく、
藍鶴の、その自然体の美しさというか・・・・・・惹かれてる部分も確かにあるし、俺の中では潤いみたいになっている。
が。いやいや・・・・・・
だめだ。
どんなに好きでも、惑わされちゃいけない。
好きだよ。
藍鶴色。
界瀬「――それでも。お前、今呼ばれてるんだよ。命令は、逆らっちゃだめ。終わったらいっぱい甘やかしてやるから」
じわあ・・・・・・と、彼の疲労でくぼんで隈のできた目が、涙で潤んで来る。
藍鶴色「・・・・・・あはっ、あはははは、あはっ、あは、はは」
うまく泣けないから、彼は笑った。悲しそうに笑う。
俺だって断って、こいつが気のすむまで一緒に居たいけれど、そうもいかない。起き上がらせて、目元の涙を手の甲でぬぐってやる。
うえっ、うえっ、と、そいつはえずくような声を出した。
苦しいだろう。
背中をさすって、よしよしと撫でる。
少しして泣き止むと、濡れた目で、そいつは微笑んで聞いてきた。
藍鶴色「かいせも、行く?」
俺は休みだっつーの、お前のせいで福引き抽選会間に合わんっつーの、と言ってやりたかったが、
はあ、と諦めの息を漏らし、行くなら、お前も戻るな? と聞いてみる。
彼の返事は抱擁と「いやだ」だった。
その前に、と、俺は社長に電話をする。
界瀬「保護しましたが、あいつめちゃくちゃ怯えてましたよ。何させたんすか?」
そう言うと一言、すまんな、と返された。言えないらしい。彼が悪いわけではないのは知っていた。誰にも責任を問えないことも。
界瀬「・・・・・・少ししたら、そっち戻ります」
俺が電話越しに曖昧に言うと、社長は、藍鶴の様子はどうだと聞いてくる。
界瀬「だから、めちゃくちゃ怯えてて、俺のプラモが崩壊してましたが、やっと今泣きや・・・・・・んっ」
唐突に唇をふさがれてしまって言葉が紡げなくなる。藍鶴は暇だったらしい。このやろう・・・・・・
考えているうちに、そのまま、ジリジリと迫られ、舌を割り入れられて変な声が出た。
歯列をわざわざなぞって、上顎とかをくすぐるので、びくっと肩を震わせる。
いや、今、そんな暇はないんだって。
藍鶴色「会社戻りたくない・・・」
駄々を捏ねる藍鶴は、どうやら俺の連絡で不機嫌度をあげていた。単独で考えての行動でないので、騙された気分なんだろう。
胸の突起辺りをさりげなくさわられて、や、とか、あぅっとか情けない声を出しそうになって、慌てて通話を終える。
彼に向き直ると、やはりとても不機嫌そう。
藍鶴色「この前のだって、かいせが一人で行かせたから」
界瀬「ごめん」
藍鶴色「別に悪くない」
さっきと真逆のことを言われる。そのときは、ちょうど、さらに前の任務で酷使した体が悲鳴をあげ、寝ていた。
藍鶴色「だって俺たちは・・・・・・特異能力科だから」
藍鶴は、ぽつりと溢す。
藍鶴色「表の世界には、居場所がない人たちだから」
界瀬「ん」
藍鶴色「人間だから、漫画みたいに、ガタが来ないなんて、わけないから、に、にんげ・・・・・・」
人間だから。
俺はそいつを引き寄せて、ぎゅっと抱き締める。
界瀬「そうだ、人間だよ?」
耳元で囁くと、震えた藍鶴は、涙目で頷く。
――わたしにさわらないで。
それが、彼の母親からの最後の言葉だったというのを、聞いたことがある。
絆だなんだのといっても、そんなの、無いときは無い。
けど、それを誰かに『間違ってる』なんてことも無責任に言わないで欲しかった。
愛情も、友情も、やはり、無いときには無いのだから。
それが、どうとりつくろおうが正解なのだし、世界はやはり不平等だ。
ただ、愛されなければ愛を知らないという言葉については、あれは嘘だ。
愛されなくても、人は愛されようとする。確かになかなか気づかない、かもしれないけれど、知っては、いるのだ。
ただ、見分けがつかない。向けられる何もかもが愛情に思えて、その微妙な違いが、わからない。
利用ではなく、純粋に優しくされれば、それだけで好き。
だから誰のことも大好きで、でも誰でもどうでもいいという、そういう人間が出来上がるのだと、思う。
いつも、にこにこしていても、ぽっかりと心の根底には穴が空いた、そういう人間。
それは不幸なのか、どうなのか、俺にもまだわからない。
藍鶴色「かいせは可愛いね」
にっこり、笑って言われて、俺はしばらく絶句する。
界瀬「遊びに来た訳じゃないんだって」
なんて言ってたらふいに、両腕を掴まれた。
かと思ったら、かちゃ、とそいつは、どこから出したのか俺に手錠をかける。
呆然としていたから、一瞬、何が起きたかと思ったが、拘束された。
藍鶴色「ここに、居よ?」
にぃっと、そいつは笑う。
界瀬「・・・・・・やだ」
俺は顔を背けて、脱げかけていた服を、どうにか着直そうと、肘で頑張ってみる。
腕を拘束されているから、手は使えないし、もどかしい。
界瀬「お前を保護して、スーパーに行かなきゃ」
藍鶴色「え、買い物中だったの?」
界瀬「お前の好きな大福アイス、買ってやろうかと思ったんだがな」
ふえ、と藍鶴が、どこかひきつった声をあげる。
本当は福引きにならんでいただけだ。3等の商品券がほしかったから。
でも、それを信じた藍鶴色は、驚いたような、嬉しいような表情で目を潤ませた。
藍鶴色「一緒に買いに行く?」
界瀬「手錠をはずせ」
俺が強く訴えると、彼はにやにやして、わっかに繋がっている鎖を引っ張った。犬の散歩みたいだ。
藍鶴色「どうしようかな?」
どうしようもこうしようもないから外せ、という意見は聞き入れられないらしい。
そいつはにこにこ、笑ったまま、また服に手をかける。
辛うじて自由な足で、蹴りを入れる抵抗に出る。おっと、と腹の前で、彼の手に掴まれて足も動かせなくなった。
・・・・・・しまった。
咄嗟に足を出すときは、すぐに引っ込められるように考えなければ。
このように封じられてはかなわない。
そんなことさえ忘れていたのか、たるんでいたのか。
藍鶴色「一日休んだだけで、甘くなるね?」
藍鶴色は、冷たく言った。
界瀬「うるさいなあ」
そいつは乱暴に言いながら、俺の口の中に指をつっこんできた。指とか美味しくないし。
どんなに好きな相手でも、まずいもんはまずい。
うえ、とえずく俺を無視して、しばらく唾液を絡め取られる。
藍鶴色「ん、よくできたね」
界瀬「ふ、ざけるな・・・・・・」
と。玄関から、ピンポン、という明るい音。
何回も連打される。
藍鶴は黙ってそちらに向かった。来い、と俺を引いたまま。
〇空
曇り空、風のびゅうびゅうと吹く日だったと思う。
そいつ――
藍鶴 色を、
初めて見たのは。
歩道橋の上で、真下の道路を見下ろしていた。
寂しそうに。
酷くやつれていたし、何かを怖がっているようでもあった。
しかし、本当に恐れなければならない何かは、簡単に飛び越えようとしてしまうような、なんていうか、危うい感じがした。
〇歩道橋
会社帰り・・・・・・と言っても、前に居た会社をクビになった帰り道だった俺は、
行く宛も、明日からのことも考えられないでいて、そんな気分で暗く俯いていても、思わず振り向いてしまったほどには、
そいつの纏う空気は異様だった。
界瀬「どうか、しましたか」
声を、かけてしまった。彼は俺を見て、ふっと儚く笑ってから、別に、と橋の一部みたいにまた、橋に寄りかかっていた。
下を通る車を、なんとなしに、無気力に眺めている。
頼りない目をしたそいつがいつかここから落ちてしまうのではと、俺はなんだか気が気じゃなくて、
だから、思わずその手を握った。
指先から、電流がかけぬける。というのは大袈裟だが、俺は生まれつき、変な技術を持っている。
その場にいながら遠くの物を見ることが出来るのだ。
そして、いわゆる、サイコメトラーでもあった。触れたものの奥に残る何かを、読んでしまう。
〇怪しげな部屋
界瀬「・・・・・・っ」
藍鶴色の記憶。
だと思う。
監禁され、暴行され、そして、乱暴され、あらゆるものでまみれたその記憶は、たどるだけでも吐き気がしそうで、
それに耐えてきたのだと思うと、目の前の彼が、ここから飛び立つ資格は、充分にあるように思えた。
なにを言っているんだろう。
――そんなものに、資格なんかないのに。
界瀬「・・・・・・お前、居場所が無いのか」
思っていたことが、思わず、口から溢れた。
そいつは振り向いた。
きれいな黒髪。
きれいな黒い目。
でも、あまりに淀んだ、瞳。細く痩せた身体。
居場所のある人間という感じは明らかにしない。ストレートに聞いてしまった。マシな表現がまだあっただろうに。
藍鶴色「うん」
〇空
そいつは笑う。
藍鶴色「おれ、あいづ いろって言うんだ」
変わった名前。
なのに、なんだか、そいつに似合っているような気がした。
俺も名乗る。
界瀬「俺は、解瀬 絹良――かいせ きぬら」
変な名前、と藍鶴は言っていた。
〇古いアパートの一室
藍鶴色は、あの日から俺のすむアパートに入り浸っている。
・・・・・・押し掛け女房というかなんというか。
ある日、部屋のそばにいたから飼っている。
こいつ、確かに顔は可愛いが男二人だから、なんとも言えない気分。
シャワー浴びてくるね、とそいつがそちらに向かって行ったのを見届けながら、その音を聞きながら、ため息を吐く。
俺、なんで拾ったし。
藍鶴色を拾ってから、さらに不思議なことがあった。
ポストに、見知らぬ札束が置かれ
、さらには聞いたこともない、エントリーもしていない、会社の説明会案内が送られてきていたのだった。
普通なら不気味に思うところだ。
詐欺を疑うべきだ。
なのに、いろいろと混乱していた俺は、それらに手を伸ばしてしまって、結果として、現在に至る。
その会社は、
俺が会社をクビになった原因でもあり、普段はひた隠しにしてきていた、
超感覚的知覚のことを、能力を――
なぜか、知っていた。
〇安アパートの台所
リュージ「ああ、お取り込み中だった?」
そう言って、ドアの前に立っていた柳時(りゅうじ)が笑う。
明らかな、それらしい格好をしていたから、誤解も仕方が無いようだった。
藍鶴色「今、いいとこだったんだ」
藍鶴色は、不満そうに目の前の男を見た。
彼は、ははっと笑う。
彼は何か力があるわけではなくて、もちろん会社の人、なんだが、事務処理とかそういうのをしてくれる、普通の人だ。
なかなか紳士的なのだが、たまに怖い。そんな感じの良いお兄さん。
彼は普通の人、なのに、優しくしてくれる。
リュージ「心配して来てみれば、夫婦の愛の巣か・・・・・・」
彼が苦笑いする。
俺も笑う。
藍鶴色「んーん」
色だけは、不満そうに言う。
藍鶴色「かいせが甲斐性なしだから、まだ、抱いてさえくれないんだ」
・・・・・・しないのは別に、俺が甲斐性なしだからじゃないのだが。
一応、はいはい、と言う。
柳時さんは「そうか、奥さん、頑張れよ」なんて声をかけているから、もうやだ、恥ずかしい。
手錠で縛られた手が、少し熱を持つ。
ぼんやりしていたら
藍鶴色「あ、先に俺がだけばいいんじゃ」
とか藍鶴が言い出したので、頭を軽く叩いてやった。
界瀬「じゃ、俺ら着替えたら会社、戻りますんで」
玄関先で俺が言うと、彼はそうしてくれと言い、俺の頭を撫でて去っていく。本当にいい人だ。
――内面がどんなに、汚れていても。
頭に残った感覚が、彼に気を付けろと告げていた。
〇事務所
その組織で、俺たちが何をするかと思うだろう。
なんでもする。
予知して、透視して、記憶を読んでと、そりゃあもう便利。
おおよそ非科学的な、でもそうでもしなきゃ見つからないほどの未解決事件を
、たまにクライアントの半信半疑、遊び半分で受け持たせてもらえているのだ。
あと実は求人も表にだせない、胡散臭い会社の連中に仕事が来るのは
、警察にカオが効くという柳時さんが、ここを密かな情報筋として使ったりするからでもある。
藍鶴と会ってから、まだ日も浅い頃、ある仕事をした。
クライアントはどこかの金持ちで、夫が7年以上帰って来ないというものだった。
7年も経過していたら、危難失踪とかで死亡届を出せるレベルなのだが、ご婦人は諦めていない。
しかし、他の家族や警察は、諦めモードらしい。
ご婦人が「冬、彼が山登りに行ったきり」だというので、
ふもとで見つかったらしいネクタイを貰い、彼女の記憶と、夫の記憶を読み取ることに専念した。
目を閉じる。葉が見える。茶色い、大きな葉。
そして一面の土――
それだけが、見えた。
枯れ葉だらけの視界。目を、開く。
界瀬「・・・・・・なにかわかったら連絡します」
まだ、情報が足りないから、これについては言わず、頭を下げて挨拶する。今日は、顔合わせというやつだ。
彼女の、このぼろい事務所には、似つかわしくない、贅沢なドレス姿と、豪華なルビーのペンダントが、癪だったが、礼儀は礼儀。
クライアントA「期待してます。もし本当なら、お金、もっと払いますよ」
よく聞く台詞を残し、彼女は事務所のビルから立ち去って行ったので、俺たちは愛想笑いをした。
本当なら、か。
その通りだ。
なのに、いつも、不愉快になる言葉だ。
期待なんか、してないくせに。
〇事務所
界瀬「葉っぱが見えた」
デスクで、契約関係の書類にサインを書きながら、
普段のパートナーであり、会社では、大抵、虚ろな目で、隣の椅子に座ったまま動かない藍鶴に言う。
藍鶴色「葉っぱ?」
そいつは、不思議そうに俺を見る。
葉っぱが見えた。
俺がわかるのは、それだけ。
藍鶴色「なにそれ・・・・・・どんな?」
藍鶴は興味を引かれたのか、形や、葉の色を深く聞いてきて、ある地方にしか生えない桜の葉だということまで、教えてくれた。
こいつは、そういう知識がなぜか無駄にあるのだ。
その後俺は、透視やらなんやらに疲れきったのでその日は寝てしまった。
〇事務所
やがて、一人で下見に行って 帰ってきたらしい藍鶴は変で、いつもに増して変で、手には瓶を持っていた。
界瀬「おかえり」
と言ったが返事をしてくれない。
代わりに、スーツを着た、虚ろな目の藍鶴は、瓶をこちらに見せてくる。
界瀬「なんだ、それ」
藍鶴色「これだ、夫」
中に入っているのは、枯葉。枯葉が詰まっている。
界瀬「へえ・・・・・・」
藍鶴色「かいせが見たのが、夫だよ。枯葉になっていた」
界瀬「ハハッ、見つからないわけだな」
藍鶴は笑わなかった。
「俺らじゃなかったら見つからないな」という冗談は交わした、けれどその後。
彼はふらついて――意識を、失った。
ガタガタ震えて、何か、発狂して。
〇安アパートの台所
それから毎日、吐くようになった彼を見るのは辛い。
今日も、アパートに帰ってくるなりえずくような声を聞いて洗面所で、顔を下に向ける彼を見つけた。
背中をさすりながら、ただいまと言う。
彼はおかえりとは言わなかった。
そっと体に触れると、伝わるのは、酷い拒絶、恐怖心、不信感。
界瀬「なぁ、色」
彼は答えない。
界瀬「なぁ、あれって」
あの事件はまさか――――
藍鶴色「っ、言うな」
そいつは苦しそうに言って、こちらを睨んだ。
〇ダイニング(食事なし)
ほれ、お茶だ
湯呑に入ったそれを手渡すと、ダイニングに着いた彼が、潤んだ目をしながら受け取り口を付けた。
界瀬「おまえはお茶が好きだったよな。煎茶・・・・・・美味しいか?」
こく、と頷いたそいつは、やがて、だっと走り出して、俺のラジコンカーへと向かう。
何かあると物を解体するのは、そろそろやめていただきたい。
界瀬「こーら」
背中を掴み、抱き締める。彼はぴたりと動きを止めた。
藍鶴色「・・・・・・」
震えている。
界瀬「そっちは、だーめ」
藍鶴色「・・・・・・や」
界瀬「俺がいるのに、機械を壊す方が楽しいわけ?」
ぶんぶんと首を横に振る。少し安心した。
正面から抱き締めて、もう吐き気はないかなど聞いてみる。
藍鶴色「ない・・・・・・」
界瀬「そうですか、っと」
無理矢理抱えると、近くのソファーに座らせる。
藍鶴色「かいせ・・・・・・」
お茶を飲みながら不安そうにするそいつが愛しい。
界瀬「お前には怖いもんが沢山あるのだろうから、無理に笑えとかは言わんが、もう少し、俺に預けてくれないか」
藍鶴色「・・・・・・」
ぶんぶんと、首を横に振られる。
藍鶴色「お前に話すような、話ではない」
界瀬「はぁ、そーいうとこ、頑固だよな」
藍鶴色「・・・・・・」
なにも言わずに抱きついてきた。甘えているようだ。
藍鶴色「きらい?」
界瀬「嫌いなら、とっくに追い出すけどさ」
藍鶴色「・・・・・・」
回りくどいのが気に入らないのか、じとっと見つめられる。
界瀬「っ、好きだ」
藍鶴色「好き!」
審査に合格したらしい、ぎゅうう、と抱きつかれて、鼓動が早くなる。
藍鶴色「すき、すき、好き・・・・・・!」
界瀬「お、おう・・・・・・」
藍鶴色「えへ、へへへ・・・・・・すき!」
界瀬「ああ」
頬擦りされて、なんの攻撃なんだと頭を抱えたくなる。
界瀬「・・・・・・あ、あの」
藍鶴色「このままになってて」
頼まれてしまったので、そいつにくっつかれたまま固まる。俺を枕にして眠るつもりみたいだ。
藍鶴色「はぁー、あ」
界瀬「なに、眠れなかったの?」
藍鶴色「昨日も徹夜」
なるほど。休む程の暇が無かったらしい。
藍鶴色「ぶっちゃけ、上のジジババがぎゃーぎゃー言わなきゃ、もうちょい効率いいと思うんだよな」
界瀬「まあまあ、先輩なんだから」
藍鶴色「せんちゃっていえば、暇なるが騒いでたね」
界瀬「あー。あれも被害者仕草作りだろ。いつもの事だ」
藍鶴色「アハハ。信じられないよな、人体実験の被験者の話とかを裁判で公開処刑したり、」
藍鶴色「面白くミームにする上で正義を語るってのは、 いくら疑いをかけられたくないからって」
界瀬「俺らは上の連中や反日グループにとっちゃ、人間扱いじゃないからなぁ」
藍鶴色「りゅうじさんも、笑顔で対応してるが、なんであんな冷静なんだか」
界瀬「いろいろ諦めてるんだろ、そういう人だから」
俺の上でじたばたしていたそいつは、太もも辺りに顔を寄せたまま、目を閉じる。
藍鶴色「あの古い契約書渡したのは大体あのジジイのミスだ」
界瀬「あるある」
藍鶴色「クライアントは、それをまだ信じていたんだ。それでもめた。ジジイは渡してないとか言いやがるし、あああもう!」
界瀬「あー、俺もそれ、やられたことあるわ」
藍鶴色「あれ面倒だよね。ほんと、ただでさえ寝不足でイラついてたとこで――――」
唇を奪うと、静かになった。
恥ずかしそうに、抱き締められているそいつが可愛いので、しばらくそのまま味わわせてもらっていると
、疲れてきたのか、やがて顎をぐいっと押し返された。
藍鶴色「・・・・・・や、めろ」
界瀬「嫌だった?」
藍鶴色「お前の声が聞きたい」
目に涙をためながら、必死に息をして言われる。
界瀬「それ、俺からさわると、声を聞く余裕が無くなるってこと?」
返事はない。
今度はぐい、と引き寄せられて、さっきと逆の立場でそれが続く。
そういう気分らしい。
そして俺も少し、そんな気になってきた。
最近は忙しくてあまりかまってやれなかったから。少ししてそいつは離れた。
藍鶴色「好き?」
界瀬「そうだよ」
藍鶴色「いろんな人が、好きって言うけど、そんなのは思ってなくても言えるから、俺は信用しない」
界瀬「じゃ、なに、今のは」
藍鶴色「俺が好きだから、嬉しいだけだよ。信じているわけじゃない」
なんだよ、それ。
界瀬「お前はどうしたら、俺を見てくれるんだ?」
藍鶴色「わかんないよ」
こういうとき。
わかり合えないと思う。見えないけど、確かにある、薄い薄い壁。
それを、俺はただ『他者』と呼んだ。
心とは別にある、自分と他人を隔てるための、何か。
藍鶴色「分からない。極端だ、好きじゃなくなったら、捨てる?」
界瀬「好きじゃなくならないから、大丈夫」
藍鶴色「二つしか、選択できないみたいで、怖い。俺を置いてく? ひどいことする? 要は、利用して、いらなくなる、どちらか?」
界瀬「話を、きーけー!」
両頬を掴み、顔を合わせる。きょと、としていた。
界瀬「いいか、そういうやつはな、そもそもお前をそんなに好きじゃなかったんだ」
界瀬「理想を描いてただけで、それが違ってたことを相手のせいにするだけ」
藍鶴色「・・・・・・?」
界瀬「まあいいや。俺は、そんなことはしないから」
藍鶴色「信じておくよ。今はね」
背中に手が回る。ぎゅっとされている辺りは、一応の信頼はあるのかないのか。よくわからない。
照れているのか黙ってもたれかかってくる。
こっそりと目を閉じて集中し、そいつの感情を読み取ってみた。
温かい、きらきらした、寂しい、苦しい、嬉しい、柔らかい、眠い。
ごちゃごちゃ散らばっている。どれも本当のことではあるが、断片的だ。
総合的に自分がどうなのかはわからないっぽかった。
なんだか、パソコンのデフラグみたいだ。
藍鶴色「勝手に見るな」
足を踏まれた。
気付かれたらしい。
界瀬「いたーい」
藍鶴色「寂しいときにだけ、利用してるみたいで、癪」
界瀬「すればいい。いつでも、俺は、嬉しい」
界瀬「・・・・・・んっ」
口付けられてそのまま押し倒され、だんだんとシャツのボタンを外されていく。
界瀬「するの?」
藍鶴色「声が聞きたい。困ったような声」
――――と。
・・・・・・。
また、ピンポンと鳴った。
〇事務所
界瀬「――しっかし契約書関係の書類、厚すぎ!」
ぱらぱらとページをめくり、間違いなどを照らし合わせながら唸った。
事務作業の手伝い。
夕方、柳時さんが、ショートケーキとともに訪ねてきて、これを任されたのだった。
調査に出掛けるらしい。
界瀬「ねー、色ぉ」
だるすぎて、癒しを求めてみるが、相手は冷ややかだった。
藍鶴色「やかましい、働け」
界瀬「つーめーたーいー」
藍鶴色「ケーキ分の労働をしなければ」
界瀬「うー、優しくしてよー」
藍鶴色「・・・・・・」
だらだらと唸っていたら、藍鶴が近づいてきた。そして、額にちゅっと口付けてから、さっさとしろ、と言った。
界瀬「はい・・・・・・」
事務作業を終えてからも、少しだらだらした。
界瀬「ねー、色ぉ・・・・・・」
藍鶴色「死ね」
界瀬「俺何もしてないよ!?」
資料をまとめて机に置き回転椅子に腰かけていると、その横にいるそいつは、背もたれにもたれてくる。
藍鶴色「・・・・・・なあ」
ふと、藍鶴はいう。
俺らは、人間なのかな
界瀬「当たり前だ」
藍鶴色「そうだよ、ね・・・・・・」
何か見たり聞いたのだろうか。あまり自信のない声だ。
藍鶴色「人間だよね。こんな体でも、人間、だよね」
プライドとかそんなんじゃなくて純粋に疑問なのだ。疑問で、それだけだった。
界瀬「――どうかしたのか?」
そいつは首を横に振った。話したくないならいい、と、そっと手を掴む。
断片的な感情がごちゃごちゃしている。
彼の寂しそうな目が見開かれる。腕が離れる。
界瀬「あ、ごめん――記憶、勝手に読んでしまって」
〇事務所
ばさ、と舞った資料に書かれているのは、未解決事件たち、
それから俺らのような人たちの研究書類。
合ってるんだか違うのだかわからないような文献。
藍鶴色「望む言葉なんて、どこにも、無い。あんな研究から平和なんか生まれない、希望も」
じわ、とそいつの目から涙が滲んでくる。
界瀬「どこにも無くても、俺らが生きていれば誰かの希望になるかもしれない」
抱きついてきたそいつを抱き締める。あたたかい。
藍鶴色「俺・・・・・・」
界瀬「わかってる。 人間だよ」
けれど圧倒的に少ない。間の当たりにすると、やはり、衝撃は大きいだろう。まるで、異常者の証みたいで。
藍鶴色「こんなの、読みたくないな、なんで見なきゃならないんだ」
拾い直しながらそいつは言う。
藍鶴色「研究者は、関係ない。ただ、俺が」
そう言って、しゃがみこんでしまう。わかっている。余計に寂しさが増すということなのだろう。
見たくないと言うほど、俺らが生きるほど、増えていく。
どうしていいか、わからない。
藍鶴色「ああ、うんざりする。 こんな葛藤さえ興味の対象か?そんなに、面白いのかよ!」
界瀬「色・・・・・・」
額をさわる。熱い。
界瀬「少し休め」
そいつは数秒考えてから、抱きついてくる。
〇水たまり
資料の中には他に、国が掲げている『特殊能力障害者利用制度』についてのものがある。
就職氷河期の中、障害者は生活で懸命だが、
能力だけは保持しているので
そちらは代わりに就活生に利用する権利を与えるという
、通れば大ニュースになるものだ。
障がい者の生命活動、精神的な活動を補助するためだという説を物凄い勢いで踏みにじる驚くべき暴論だが、
概ね歓迎され、利用サービスもまだ非公認だが順調に開始され始めている。
最低限の生命維持があれば
生きている、ということなのだろうか。
俺にはよくわからない。
障がいを持つ知り合いは知っているけれど、近頃は様子がおかしくなってしまった。
障がい者や、特殊体質者の自殺も増えてきたらしい。
少し前もまた一人死んだ。
けれど『負担』は減ったとしてまた歓迎されるむきもある――俺には障がいはないけど。
ある意味そんな扱いだから、なんだか複雑な気持ちになった。
俺たちは普通ではない。
だから普通な人たちに、利用権利が与えられる。
国ごと、推奨されて、
存在が無くなっていく。
懐かしい夢を見る。
胸がキリリと悲鳴をあげて苦痛を訴えた。この気持ちは、言葉でどう表せばいいのだろう。
特異能力というのは必ずしもアドバンテージではなく、人によっては自分自身がそれに蝕まれてボロボロになる場合もあるのだということが分かりました。藍鶴にとってやっと見つけた安らぎの避難所のような界瀬。二人が醸し出す独特の空気感がいいですね。
同じ境遇の2人しか分かり合えない。そんなところから愛は生まれるんだな、と。共依存の2人には、幸せになってほしいなと思いました。
異性でも同性でも、愛情に満たされないまま成長し、不器用でも確かな愛を探している姿は魅力的なものですね。そういう人から与えられる愛情は又特別なように思います。