僕の人生最期の瞬間にしていたこと

ふたひい

エピソード2(脚本)

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ふたひい

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〇黒背景
  まず最初に言っておきます。
  これは哲学ではありません。
  あくまで僕の考察です。
  なので興味のない方は読み飛ばしていただいても結構です。
  ただ一つだけ言えることは、
  これがもし仮に何らかの答えに至ったとしても、僕はその答えに対して何も思うことはないということです。
  さて、まず初めに僕が思いついた考えはこれだ。
  肉体的な死=意識の消滅
  肉体的な死とは、脳の機能停止による意識の消失のことだと思う。
  (魂の存在の有無についてはここでは議論しないことにして)
  この場合の死とは魂の消失と同義である。
  次に精神的な死について考えてみる。
  こちらは脳以外の身体の器官への影響によってもたらされるものと考える。
  具体的には例えば心臓の停止などがそれにあたると思う。
  ここで
  「脳と心臓逆じゃないのか?」
  と思う人は、そう思えばよい
  今の僕にとって、どの臓器がどんな役割を持つのかなんて細かい認識など、
  はっきり言って、大した問題ではないし、どうでもいいのだ。
  少し話がそれてしまったので、話を戻そう。
  そして精神の喪失というのは、心を失うことを意味するのではないかと考えた。
  心を無くしてしまったら、人は人として生きていけないのではないかと。
  ならば心が無くなった後の人間は生きていると言えるのか?
  そう考えたときに思い浮かぶのは、植物人間という言葉だ。
  植物状態という言葉があるが、あれは本当に植物のように動けなくなっている状態のことを言うらしい。
  では植物状態になった人間は生きていると言えるか?
  そもそも植物状態になった人間が、何故植物状態であると言われているか?
  それは、生命活動が維持されているからだ。
  しかし植物状態に陥っている人間の心は、間違いなく失われているのだ。
  つまり、心を失った人間は、ただ息をして呼吸をしているだけの物体にすぎないということになる。
  ここまでが、肉体的精神的両方の死についての簡単な考察だ。
  シーン3へ続く

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