とある青年の世界見聞録

霧ヶ原 悠

花と霞の里(脚本)

とある青年の世界見聞録

霧ヶ原 悠

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〇花模様
  凄いとか、素晴らしいとか、色々言い方はあると思うけど、この日僕が受けた衝撃は、そんな一言で収まるものじゃなかった。
ヤクシャ童子「はっはっ。言葉もないか?」
トルヴェール・アルシャラール「・・・はい。本当に・・・・・・」
  嬉しそうな声にも、僕は呆然として適当な返事しかできなかった。
  今日、僕らは世にも珍しい樹上都市「花と霞の里」へやってきた。
  花と霞の里は、新緑の木々が茂る連峰の頂上に咲いた万年桜の上にある。
  その幹は人間が百人手を繋いでも届かないほど太く、左右に力強く伸びた枝の先には、空を隠すほどの花が幾億も咲き誇っていた。
  花と霞の里に住んでいるのは、鬼と呼ばれる種族で、外界との交流も少なくはない。
  ただ、高い山の上のさらに木の上にあるということで、人間が訪れるのは稀なことらしいけど。
ヤクシャ童子「この万年桜は、その名の通り年中咲いていて散ることはない」
ヤクシャ童子「わしらにはもう見慣れたものだが、外から来たものは皆、おぬしらと同じように見蕩れ、賞賛してくれる」
ヤクシャ童子「いやはや喜ばしい、自慢の古里よ」
  顔をほころばせたこの大柄な鬼はヤクシャ童子さんといって、アダムの古い友人らしい。
  前の町から連絡したら、なんと山の麓まで迎えに来てくれた。
  そこからは鬼の神通力というやつで、万年桜の根元までひとっ飛びだった。
ヤクシャ童子「これほどの桜はこの大地には他にあるまい。よくよく目に焼き付けておけ」
アダム「うむ、明るい中の桜というのも好いな。より華やかだ。前に見た時は夕方だったからなあ」
アダム「里の中へ入った時はイノシシの腹の中で揺られながらであったし」
ヤクシャ童子「そういえばそうだったか。懐かしい話だ。おぬしがくると言ったら、会いたいという奴が二、三おったぞ」
アダム「おおっ、どの女性(にょしょう)だ? 菖蒲の君か、若葛の君か、それとも・・・」
トルヴェール・アルシャラール「いや、ちょっと待って。普通に話を進めるな。なんだイノシシの腹の中って。 そして何人いるんだよ」
  思わず割り込んだけど、アダムはきょとんとヤクシャ童子さんを仰ぐだけだった。
ヤクシャ童子「いやあ、あの時のことは忘れもせんよ。わしがかっ捌いたイノシシの腹の中からこやつがころっと出てきおってなあ」
ヤクシャ童子「さすがのわしも仰天したわ。はっはっは!」
ヤクシャ童子「まったく、よくぞ生きておったものよ」
  僕といいヤクシャ童子さんといい、こいつは普通に誰かと出会うということができないのだろうか・・・
ヤクシャ童子「あと、おぬしに会いたいと言っていたのは酒呑み仲間のほうだ」
  頭が痛くなったけど、自分を待っていたのが女性じゃないと分かって凹むアダムに溜飲が下がったので良しとする。
ヤクシャ童子「さて、なにはともあれ歓迎しよう。 ようこそ、我が里へ」

〇畳敷きの大広間
ヤクシャ童子「さあ、着いたぞ。ここがわしの家だ」
  分かれるいくつもの枝の道を、そして枝と枝の間に架けられた橋を渡り歩いて、一軒の立派な茅葺き屋根の屋敷に辿り着いた。
  ここに来るまでの間、たくさんの鬼がヤクシャ童子さんに声をかけてきて、同時に僕を見て驚いたように目を丸くしていた。
  やっぱり人間は珍しかったのかな。
アダム「む? 我らの他にも客人がいるのか?」
  家を囲う塀や門はなく、にぎやかな声が風に乗って聞こえてきていた。
ヤクシャ童子「いやあ、なに。つい先日、大蛇の者から今年の酒が届いてな」
ヤクシャ童子「実はおぬしらが来るのを待てずに、先に飲みはじめてしまった。わっはっは!」
アダム「なんと、客人より先に飲むとはどういう了見か! 笑い事ではないぞヤクシャ童子!」
アダム「あの有名な大蛇の酒というなら我も飲むぞ! 早よう連れてゆけ!」
ヤクシャ童子「そう言うと思うたわ。前に来たときもわしらと同じくらい飲み食いしておったからなあ」
ヤクシャ童子「そんな小さな体によくもあれだけ入るものよ。はっはっは!」
  そうと決まれば僕たちは、寝泊まりする部屋で荷物を下ろしたあと、すぐに広間へと案内された。
  鬼の宴会、なんて字面だけを見ると恐ろしく感じるけど、実際は気のいいおじさんたちの飲み会って感じだった。
  大口を開けて笑い転げる鬼がいたり、芸を披露しては失敗している鬼もいたり・・・
  それこそ、僕の故郷でもよく見たような。
ヤクシャ童子「盛り上がっておるようだな」
鬼1「おお、ヤクシャ童子!」
鬼2「家主のくせに来るのが遅いではないか!」
鬼3「そら、こっちへ来い!」
アダム「我もいるぞ! 遠路はるばるやってきたのだ。我にも酒をもてぇ!」
鬼4「おお、本当に来たぞ! 懐かしい顔だ、200年ぶりぐらいか?」
  襖を開ければ、ヤクシャ童子さんは大歓声で迎えられ、アダムは素早くそこに混ざるとさっそく杯を傾けていた。
  僕のことは簡単に、アダムの連れとだけ紹介された。
鬼5「ほれほれ、坊主も飲みやれ。お連れも楽しんでおるようじゃしな!」
トルヴェール・アルシャラール「あ、はい。では、いただきます」
  小さなお猪口いっぱいに注がれた透明なお酒は、初めて嗅ぐ独特の匂いがした。
  おそるおそる口に含み、
トルヴェール・アルシャラール「ぶっはぁっっっ!」
  そして思いっきり吹いた。
  悶絶する僕に、ヤクシャ童子さんが水を差し出し、さらに周りの鬼を諌めてくれた。
ヤクシャ童子「おいおい、何をしとるんだ。人間にこれはちとキツいと言われたのを忘れたか。 ほれ、水じゃ」
トルヴェール・アルシャラール「あ゛、あ゛りがどゔござい゛ます・・・」
鬼5「おおっ、そういえばそうだったか」
鬼4「人間なんぞと酌み交わすなど、久方ぶりすぎて忘れておったわ」
鬼3「すまんのぉ、坊ちゃん!」
  残念ながら、まったく謝られてる気がしなかった。いや、まあ悪意がないからいいけどさ・・・
ヤクシャ童子「やれやれ・・・。好みの酒があれば用意させるが?」
トルヴェール・アルシャラール「いえ、お気遣いなく・・・。今のがだいぶ効きました・・・」
ヤクシャ童子「それでは茶にしよう。鬼の宝珠茶は人間にも好評だ」
  そう言ってヤクシャ童子さんは奥へ向かって声を張り上げた。
  もらった温かいお茶は、五臓六腑に沁みわたるぐらい美味しかった。

〇空
  宴もたけなわになり、僕はトイレに立ったついでに少し縁側に出てみた。
  縁側というと普通、庭と家の間をつなぐものだと思っていたけど、この家の縁側は、文字通り家の縁(ふち)だった。
  枝からほんの少し外に張り出しただけだから、足を踏み外したら下へ真っ逆さまだ。
トルヴェール・アルシャラール「おおっ、桜が近い・・・」
  花びらの枚数も数えられるほど近くで咲いていて、思わず桜へ手を伸ばしたくなった。
  黒く塗り固められた夜空の色も、控えめに焚かれた篝火を反射して光る無数の淡い花のおかげで、重くは見えない。
  どこからか、楽の音色が聞こえてくる。
  この家の他にも、鬼の人たちは毎晩のように誰かの家に集まって宴を開いているらしい。
  きっと、それのどこかで演奏されているんだろう。
  なんか好いなあ、と淑やかで朧げな雰囲気に酔っていたのかもしれない。
アダム「なーにをアホ面で惚けておるか」
  脳天にチョップをくらった。たまにアダムはこうしておかしな身体能力を見せる。
トルヴェール・アルシャラール「痛いな。落ちたらどうしてくれる」
アダム「がんばって自力で這い上がってくればよい」
トルヴェール・アルシャラール「そういうこっちゃないんだけど」
  文句を言いながら見下ろせば、アダムは自分のお猪口と徳利を持って座っていた。
トルヴェール・アルシャラール「あれ、あっちはいいのか?」
アダム「酔った勢いで掴み潰されそうだったから避難してきたのだ!」
トルヴェール・アルシャラール「ああ、なるほど・・・」
  アダムと並んで座ってしばらくぼーっとしていると、ヤクシャ童子さんがやってきてちょっと困ったように笑った。
ヤクシャ童子「二人揃って休憩か? スマンな、加減が出来んで」
アダム「まったくよな。気がいいのは大いに結構だが、酒が入りすぎると容赦ないアレはどうにかならぬか」
  アダムが珍しく長ーいため息をついた。
トルヴェール・アルシャラール「いつもあんな感じなんですか?」
ヤクシャ童子「うーむ・・・。今日はいい酒が入ったし、久しぶりの友も来た。少しはしゃいでおるかもしれんな」
アダム「まあ我としては、みな息災であったのが分かってなによりだがな」
  つかの間、ヤクシャ童子さんの目が泳いだ。
アダム「まあ、それはそれとしてだな」
  それに気がついただろうに、アダムは手酌でお酒をお猪口へ満たしながら言葉を続けた。
アダム「あちらではおぬしとゆっくり飲めぬわ。ちょうどよい、なんぞ面白い話でもあったら聞かせてはくれぬか?」
  ヤクシャ童子さんは自分のお猪口にゆっくりお酒を注ぎ終えると、ふっと息を吐いた。
  僕の前にお茶を入れた湯呑みを置いてくれ、ヤクシャ童子さんは静かに口を開いた。
ヤクシャ童子「では、こんな話はどうだ? 題するならば・・・そう、『鬼事の怪』とでも言おうか」
ヤクシャ童子「鬼が鬼事というのも妙なことだが」
  カコーンッと、しないはずの鹿威しの音が聞こえたような気がした。

〇祈祷場
  ゆめうつつの伽藍の間に、青い鬼火が四つ、五つ灯る。
ヤクシャ童子「今より三月ほど前のこと。この里は鬼殺しの憂き目にあっていた。殺されるのは酔いつぶれた者か、力の弱い幼子ばかり」
ヤクシャ童子「いずれも心の臓や肝を抉り取られ、無惨な死体だけが転がっていた」
ヤクシャ童子「始まりを思い返せばさらに十月(とつき)前。一人の人間の男がやってきて、」
男「鬼の霊薬を売ってほしい。金ならばいくらでも払う。これだけが最後の望みなのだ」
ヤクシャ童子「と、涙ながらに訴えた」
ヤクシャ童子「よくよく聞いてみれば、親しい者が病に伏し、明日をも知れぬのだとか」
ヤクシャ童子「なんと哀れなことよ。さりとて、我らにも薬を売れぬ訳があった」
トルヴェール・アルシャラール「それは、どうしてですか?」
ヤクシャ童子「なぜなら、誰も鬼の霊薬某(なにがし)というものを知らぬからだ」
ヤクシャ童子「聞いたこともなければ、見たこともない。作り方さえ分からぬ」
ヤクシャ童子「存在しないものを、どうやって売れというのか」
ヤクシャ童子「鬼の肝から作られると言われど、思い当たるものは何もなかった」
ヤクシャ童子「古来より鬼と人は時に争い、時に共存し、交流を持ってきた」
ヤクシャ童子「今でこそ平穏な関係を築けているが、そうなるまでには短くない年月と紆余曲折があったという」
ヤクシャ童子「自分たちより遥かに強靭で寿命が長く、妖術まで使う鬼を見てきた中で、『万病に効く鬼の霊薬』というまやかしも生まれたのだろう」
ヤクシャ童子「男に何度説明しようとも、男はそんなことはない、あるはずだ、売ってくれとそればかり」
ヤクシャ童子「しまいには男も業を煮やして、」
男「こんなに頼み込んでいるというのに売らぬとは。ならば力づくで奪い取るのみ」
ヤクシャ童子「と、剣を抜いて言った」
ヤクシャ童子「こうなってはやむなしと、男を取り押さえ里の外へと追い出した」
ヤクシャ童子「それからしばらくもしないうちに、一人の鬼が殺された」
ヤクシャ童子「みな驚き怒り、」
鬼「誰ぞ何かを見た者はおらぬのか」
ヤクシャ童子「と問えば、」
鬼「闇にまぎれて去る影を見た。 遠く、速くてよく分からなかったが、人間のように見えた」
ヤクシャ童子「という声が上がった。 次も、その次も、鬼が殺される時には必ず人間の姿が目撃された」
ヤクシャ童子「毎日交代で里を見回り、死人が出たとなれば山狩りを行えど、犯人の行方は杳として知れぬ」
ヤクシャ童子「だのに、そのとき誰かが何かを見れば、それは必ず人間であるという。さても奇妙なことよ」
ヤクシャ童子「それが三月前のある晩、腹を裂かれても、かろうじて命だけは失わなかった鬼がいた」
ヤクシャ童子「なんとか助けられた鬼は荒い息を整えぬまま、」
鬼「我らは間違っていたのやも知れぬ。あれは人間なぞではない。変化(へんげ)じゃ、変化の術を持つ輩の仕業じゃ」
鬼「わしは逃げる奴の姿を見たが、上半身から消えていきおった。騙されてはならぬ。変化の種族を捕らえるのだ!」
ヤクシャ童子「と言った」
ヤクシャ童子「そして樹のうろ、川縁、家の下、山中のありとあらゆる場所を探しまわり、一匹の貂を捕らえた」
ヤクシャ童子「貂には『狐七化け、狸八化け、貂九化け』という話がある」
ヤクシャ童子「切なげに泣くこの小さなケモノがまことに鬼殺しの犯人かという疑いもあった」
ヤクシャ童子「なれど首めがけて刀を振り下ろせば、なんと貂は大層な悲鳴をあげて人の姿へ化けて逃げ出そうとした」
ヤクシャ童子「それを見逃すような間の抜けた鬼はおらぬ。再び捕らえられた貂は浅ましくも、」
貂「お、おれは、その! た、頼まれただけで! お、鬼の内臓は、めったに出回らない珍品だからって!」
貂「め、め、めてゃくちゃいい値がつくんだよ! だから、さ! そんなん言われたら・・・・・・ほら!」
???「誰だって、やってみたくなるじゃん!? だ、だから、おれは、おれは、悪くないっつーか! なっ!?」
貂「あるだろそういうこと!? 誰にだってよぉ!」
ヤクシャ童子「と命乞いをした」
ヤクシャ童子「後ろ手で縛られたまま、立ち上がることもできず。哀れ青ざめた貂の男は、尻で後ずさる」
ヤクシャ童子「だが、行く先にも希望はなく、待つのは怒りを煮滾らせた鬼の折檻」
ヤクシャ童子「十月の間、ずっとずっと追いかけ、ようやっと捕らえた怨敵ぞ。もはや逃がしてなるものか」
  スゥと目を細め、夜叉(やくしゃ)童子は笑った。なんの感情も乗せず。
ヤクシャ童子「そのあと貂がどうなったのかは、知らぬことである」
  再び、カコーンッという鹿威しの音を聞いた気がした。
ヤクシャ童子「これにて、鬼事の怪は終いじゃ」

〇空
  まるで腸(はらわた)に石を詰められたかのように苦しかった。
アダム「・・・なんとも愚かな奴よ。鬼の一族は、見た目の恐ろしさに反して情に厚い種族。いかなる法も貂を守りはしなかったろう」
  アダムが一息に大蛇の酒を呷ったのを見て、僕もつられて湯呑みに手を伸ばすことができた。
  湯気を立てていたお茶は、すっかり冷えてしまっていた。
ヤクシャ童子「わしらには、人間のように墓標を立てる習慣はない。皆、この桜の木の下で眠っておる」
ヤクシャ童子「よければ帰りにでも、顔を見せてやってくれ。古き友よ」
アダム「あい分かった。・・・さて、」
アダム「そうと決まれば飲み直すとするか! 夜はまだまだ長いのだからな!」
トルヴェール・アルシャラール「待て、今そういう流れじゃなかっただろ!?」
  そんな僕のツッコミは、笑うヤクシャ童子さんの大声にかき消された。
ヤクシャ童子「そうさな。天地に巡りあるように、生けるものの全てにも巡りがある」
ヤクシャ童子「わしらも長寿の種族とはいえ、いつかは死ぬ。それが早いか遅いかの違いよ」
ヤクシャ童子「辛気臭く泣いて暮らすより、思い出話に花を咲かせて飲んでおった方が、奴らも楽しかろうて」
トルヴェール・アルシャラール(本人たちがいいなら、僕がとやかく言うことないか・・・?)
  そう思って、意気揚々とアダムが掲げたお猪口に湯呑みを当てようとして、ヤクシャ童子さんが僕を見ているのに気がついた。
ヤクシャ童子「よいか、トルヴェール。この地で我らが成すことは全て何かに見られているものだ」
ヤクシャ童子「ゆえに、俺を見ろと胸を張るぐらいの気概を持って生きねばならぬぞ」
ヤクシャ童子「世界が何者であれ、生きてきた己が否定されることはないのだからな」
トルヴェール・アルシャラール(・・・?)

〇花模様
  それから僕らは五日間ほど滞在して、ヤクシャ童子さんの案内で里中を巡った。
  いろんな鬼の人たちを見て、慣れた固くて平らな地面の上ではなかったけれど、ここはたしかに誰かが暮らす場所だと知った。
  里はそれはそれは見事だったけど、朧桜を背にしたヤクシャ童子さんの言葉が、なんだか妙に一番強く心に残った。

〇空
ヤクシャ童子「世界が何者であれ、生きてきた己が否定されることはないのだからな」

次のエピソード:運命の席は夢の中を転がる−ケース4.機械人形の場合

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