エピソード8 初恋と決意(脚本)
〇高級マンションの一室
「久弥、学生証落ちてるわよ」
事務所のマネージャー・塩谷妙子がソファーの上に落ちている学生証を手に取っている。
実際のところ彼女は、佐竹の裏仕事の秘書で愛人なのだが、その業務内容から皆にマネージャーと呼ばれていた。
久弥「あ、悪い。 後ろのポケット入れてたから」
「久弥が高校生だなんて不思議な感じよね。 学校でモテて大変でしょう?」
笑いながらそう言って学生証の写真を眺めている。
久弥「別に。 俺を買える金もないクラスメートの女子にキョーミはないから」
「ホント、たいしたものね」
彼女が楽しげに笑ったその時、学生証からヒラリと一枚の写真が落ちた。
そこに写っているのは
12歳の自分と二十代の女性。
「もしかしてお母さん?」
久弥「まさか」
と、笑って、学生証と写真を彼女の手から抜き取った。
〇高級マンションの一室
久弥「施設のセンセイだよ」
面倒な詮索をされる前に簡単に答える。
「初恋の相手だったり?」
好奇心に目を輝かせる彼女に特に何も答えなかった。
そうなんだろうな。
きっと初恋だったのかもしれない。
〇空
『久弥くん、お母さんが出て行っちゃったなんて、つらいね、つらかったね』
そう言ってボロボロ涙を流して抱き締めてくれた養護施設の新米先生。
いつも感情剥き出しで、
綺麗ごと全開で。
『あんな風に可哀相がるのはどうかと思いますよ』
なんて、よく怒られていたな。
それなのにめげずに、
『子ども達を私の実家に交代で泊まらせてあげたいんです!
家庭の温かさを教えてあげたいんです!』
なんて無茶な提案をして、また怒られていたり。
『偽善的だ』とか『野良猫に気まぐれに餌をあげてるようなもの』なんて、いつも責めれて吊るし上げにあってて、
精神的に追い詰められて。
結局そんな彼女を見てられなくなった交際中の彼氏がプロポーズをして仕事を辞めてしまった。
皆にアレコレ言われていたけど、俺は彼女が好きだった。
『ずっと面倒見られるわけじゃないのに、野良猫に気まぐれに餌をあげるのは無責任』
そういう人がいるのは分かるけど。
野良猫は、その一瞬餌をもらえたら、嬉しくて幸せなんだ。
別に一生餌をもらえることなんて、期待もしてない。
俺は彼女がほんのひととき与えてくれた、なんの打算もない愛情に救われたんだ。
それが気まぐれなものでも、ただの同情でも。
〇空
今も残る、頬に伝わる彼女の熱い涙。
ギュッと抱き締められた身体の柔らかさ。
母親に抱き締められた記憶のない自分にとって、たったひとつの眩しい宝物のように。
それはやっぱり初恋といえるのかもしれない。
自分が壊れすぎずに、こうしていられるのも、彼女の存在が大きい気がする。
『久弥くん、幼い頃は不公平なことがいっぱいあると思うけど、大きくなったらみんな平等になるからね。
勉強さえがんばって、誰にも負けなければ、境遇なんて関係ないの。
いい大学だっていけるし、いい会社にだって入れるの。
優秀になったら、必ず大きくなったら幸せになれるから、勉強がんばってね』
熱心にそういってくれた彼女のお陰で勉強に身を入れる自分もいた。
優秀であれば、大きくなったら、幸せになれる。
なにかの呪文のように、刻みこまれた言葉。
〇ラブホテルの部屋
そんな頃、珍しく『苦痛だ』と思えることがあった。
その日、俺を買ったのは三十代の男。
『今日は男か』
最初に思ったのはそれだけで、抱けばいいのか抱かれたらいいのか、どっちなんだろうと、いつものように思っていた。
相手が何を求めているか探ろうと視線を合わせた瞬間、いきなり殴り飛ばされた。
驚く間もなく髪をつかまれ、
「一人前に痛そうな顔をすんだな、 このクズが」
と嘲笑を浮かべたまま、ズボンのチャックを外して、
殴りながら、行為に及ぶ。
あー
こういうのが好きな輩か。
Sプレイを楽しみたいというより、相手を滅茶苦茶にして蔑みたい、そんなタイプ。
そんな客が初めてなわけではないけど、さすがに慣れることはない。
〇空
文字通り、その男との行為で俺はボロボロになった。
顔も身体も痣だらけ。
身体のどこを動かしても痛みを伴い、熱を帯びていた。
『大事な商品になんてことをするんだ』
とマネージャーは怒っていたけど、いつもは流せる『商品』という言葉もチクリと胸に刺した。
〇本棚のある部屋
その後、佐竹がこういう時の為に懇意にしている、半モグリのような医者に手当を受け、
車で自宅マンション前まで送ってもらった。
ベッドに横たわっていても、ズキズキと体が脈打つように傷むだけ。
ようやく眠れても、ひどく悪い夢を見るだけで、
気が滅入るからと、外に出た。
〇渋谷のスクランブル交差点
痣だらけ、絆創膏だらけの自分の姿に通りすぎる人たちが振り返る。
若者が喧嘩でもしたんだと思っているんだろうな。
まさか男に身体を売って、めちゃくちゃにされた傷だなんて、想像もしてないだろう。
そんな風に思い、自嘲的な笑みが浮かぶ。
〇渋谷のスクランブル交差点
すれ違った手をつなぎ歩く母と幼い子に目がいく。
あんな風に母親と手をつなぎ歩いたことなんてなかった。
いつも彼女は酔っ払い、定期的に違う男を連れ込んでいた。
決して長続きはしないのに、男を切らさなかった。
その中に、あの男がいたんだ。
「涼太、たくさん食べろよ」
雑踏の中、どこからか不意に耳に届いた、聞き慣れた声。
〇テラス席
声の方向に顔を向けると、
レストランのオープン席で優しい笑みを浮かべるあいつの姿が目に飛び込んで来た。
「あなた、そんなこと言ったら、涼太は本当にたくさん食べちゃうわよ。高校生になってから特に食欲がすごくて」
「いいじゃないか、育ち盛りの男の子はたくさん食べないとダメだ」
涼太「そんじゃ、遠慮なく いただきますっ」
それは俺を地獄に叩き落とした男
佐竹とその妻と子だった。
〇テラス席
生垣の向こうに見える、楽しそうに笑い、食事を楽しむ家族の姿。
そういえば佐竹には俺と同い年の息子がいるって話は聞いたことがある。
佐竹は、息子を愛しそうに見ている。
その隣で上品そうに微笑む妻。
家族と一緒に食事することを少し気恥ずかしそうにしながらも、屈託ない笑みを浮かべている息子。
それは本当に、幸せな家族の姿だった。
〇空
どうして、そんな優しい父親面してるんだよ?
ああ、そうだな。
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