〇祈祷場
　　不妊に悩む夫婦がいた
　　どうしても子供が欲しい。そう願う彼らはとある宗教と出会い、信心の末に子供を授かることができた
　　信者たちはそれを奇跡と崇め、奇跡によって生まれた子供は神の子として祀り上げられた
　　神の子は人間ではない。人間の身体は単なる器であって、それを依代に神様は地上に顕現なさるのだ──と教祖様は語る
　　その「神の子」こそが私、天童美琴である
　　神の子は人間社会と不必要に交わってはならない。何故なら、清い魂が穢れてしまうから
　　私は幼い頃より、俗世と遮断された生活を送ってきた
　　娯楽を制限され、友達を作ることも許されない
　　大人たちは私を特別な存在だと語るが、私は普通の人間になりたかった
　　普通に学校に通い、普通に友達を作り、普通に遊ぶ
　　そんなありふれた日々を過ごしたかった

〇古民家の蔵
　　十七の夏。私はその旨を両親に話した
　　『私は神の子なんかじゃない。貴方たちの子供だ。ただの人間なんだ』
　　この十七年の間、彼らにも思うことはあったのだろう。両親はどこか悟った様子で、私の言葉を受け入れる
　　だが、神の子としての私の立場は、私の意志や両親の一存だけではどうにもならない
　　私に神様の自覚がなくても、信者たちが私を神と崇める以上、私は神様にされてしまうのだ
　　信者たちを説得し、新たな「説」を作ることでしか、私は私の立場を降りることができない
　　神の子を降りる──そのための儀式を、私は教祖様の指示で執り行った

〇怪しげな祭祀場
　　儀式は三日三晩行われた
　　直立する二人の少女。そして、それを見守る大勢の信者
　　私の身体に住む神様を、私よりも若い別の器に移す。そうすることで、神様は永遠にこの世に顕在できる
　　──という「説」を教祖様は語った
　　二人は目を閉じたまま、互いの身体を擦り合わせる。長い時間をかけ、何度も肌を重ねる
　　最初は手足、次に胴体、最後に頭──
　　全身を移し終えると、そこには天童美琴の名を持つ、ただの肉体だけが残った
　　ただの人間としての、私の肉体
　　この瞬間より晴れて、私の身体は私だけのものとなった
　　私は神の子から、人間へと生まれ変わることができたのだ

〇広い和室
　　自由を得た私は、ずっと憧れだったスマートフォンを購入した
　　初めて触れる、インターネット。そこには、テレビや新聞では得られない膨大な情報と、人間の営みがあった
　　私は夢中だった。外の世界はこんなに広いんだ。良い人や悪い人、色々な人がいて、殺伐とした中にも穏やかさが垣間見える
　　なんて醜く、美しいんだろう。幻想を謳う宗教の世界と違って、そこは目が眩むほどに現実（リアル）だった
　　インターネットを通じて、私は現実世界とリンクした
　　ずっと鳥籠の中にいた私が、幸せの青い鳥の羽を借りて、外の世界と繋がることができたのだ

〇ネオン街
　　そして今日、画面越しの現実から、さらに奥の現実へと飛び立った
　　教団の許可なく、自分の意思で外出する高揚感は私の魂を震わせた
　　初めての景色、初めての経験
　　これからもっと私の世界は広がっていく。したいことをしていく
　　──そう、思っていたのに
　　──────

〇渋谷のスクランブル交差点
不知火美桜「結局、私も貴方についてきちゃった」
天童美琴「・・・ちょっと待って、何の話？」
不知火美桜「私も現実世界に来ちゃったってこと」
天童美琴「・・・え、どういうこと？」
天童美琴「現実世界にって・・・そりゃ、オフ会は現実で会うことを意味するけど」
天童美琴「フォクシーって何？ 私のハンドルネームは“ヨウコ”だよ・・・」
不知火美桜「あー、覚えてないんだ」
不知火美桜「・・・まあ、それもそうか。フォクシーは完全に幻想を否定しちゃったからね」
天童美琴「・・・？」
不知火美桜「ねえ、フォクシー。いや、“ヨウコ”ちゃん」
不知火美桜「私、ヴァンパイアだって言ったら笑う？」
天童美琴「ヴァンパイア・・・」
天童美琴「そういえば“アリス”ちゃんって中二病だったね・・・。リアルでもそのノリなんだ」
不知火美桜「・・・クックック」
不知火美桜「我は夜を統べる者にして、全ての光を飲み込む者。気高きヴァンパイアの真祖、ヴァイオレット・ジギタリス・アリスである」
不知火美桜「因果を凌駕し、この地に目覚めた我は贄に飢えている。さあ、その身を差し出すが良い人間よ。我と血盟を交わそうじゃないか」
天童美琴「・・・」
不知火美桜「これじゃ中二病と言うより、そういうプレイだね」
天童美琴「そういうの、ロールプレイって言うんだっけ？」
不知火美桜「ふふっ。そう、ロールプレイ」
天童美琴「フォクシーがどうとかってのも、ロールプレイ？」
不知火美桜「そう、ロールプレイ。前世の記憶的な〜」
天童美琴「・・・そうだったんだ。ごめんね、ノリ合わせられなくて」
不知火美桜「無理に合わせなくていいよ。全部私の妄想だから」
不知火美桜「私の妄想に付き合ってると“ヨウコ”ちゃんまで痛い子になっちゃうよ〜」
天童美琴「あははっ」
不知火美桜「・・・ところでさ、さっきの人たち誰？」
不知火美桜「怪しい雰囲気だったけど、もしかして“ヨウコ”ちゃん、謎の組織に追われてたりする？」
天童美琴「・・・謎の組織って言うほどのものじゃないけど、追われてる」
天童美琴「でも、あの人たちは私じゃなくて、私の中にいる別の誰かを追ってるんだ」
天童美琴「もう私の中には誰もいないのに・・・」
不知火美桜「その別の誰かってフォクシーのこと？」
天童美琴「だからそのフォクシーって何〜？」
不知火美桜「フォクシーはね──」
？？？「見つけましたよ、御子様」
？？？「近くに車を停めてあります。教会に戻りましょう」
天童美琴「ちょっ・・・何で・・・」
不知火美桜「・・・」
？？？「これ以上、下界と関わるのは毒です。即刻、身を清めなければ」
天童美琴「離してよ。私はもう、貴方たちとは関係ない」
？？？「関係あります。御子様の魂と我々の魂は一つ上の次元で繋がっている。貴方の指し示す道にこそ、我々の目指すべき明日があるのです」
不知火美桜「・・・目指すべき明日ってどこだよ」
？？？「はい？」
不知火美桜「いやあ、興味深い話だと思って」
不知火美桜「目指すべき明日があるとして、じゃあその先の明後日、明々後日はどこへ向かうの。一体君たちはどこへ向かっているの」
？？？「向かうべきは永遠の安寧。我々は御子様に天界へと導いてもらい、そこで魂の安らぎを得るのです」
不知火美桜「永遠の安寧かぁ。なんかそれ、すっごく退屈そう」
？？？「・・・退屈？」
不知火美桜「「永遠」ってさ、言葉の響きは良いけど、実際苦痛でしかないよ」
不知火美桜「明日の明日の明日の明日の明日の、そのまたずーっと明日を迎えても、一向に朝日は昇らない」
不知火美桜「自分の存在が分からなくなるほど、何も見えない夜が続く。そして、その夜は決して明けることはない」
不知火美桜「「永遠」とはね、「闇」なんだよ」
？？？「わっ」
天童美琴「えっ・・・」
通行人「えっ、どうしました？」
通行人「急に人が倒れて・・・」
通行人「きゅ、救急車呼びます？」
不知火美桜「行こうか」
天童美琴「・・・」

〇SHIBUYA109
天童美琴「・・・ねぇ、さっきの黒いの何？」
不知火美桜「ヴァンパイアの権能だよ」
天童美琴「権能・・・」
天童美琴「“アリス”ちゃんって、本当にヴァンパイアなの・・・？」
不知火美桜「“ヨウコ”ちゃんの捉え方次第かな」
不知火美桜「貴方がヴァンパイアだと思えばヴァンパイアだし、違うと思えばただの人間」
天童美琴「・・・」
不知火美桜「どっちが良い？ 私はどっちにもなれるよ」
天童美琴「・・・“アリス”ちゃんはどっちが良いの？」
天童美琴「私じゃなくて、“アリス”ちゃんは自分のことどう思ってるの？」
不知火美桜「私は、自分で自分を定義できない」
天童美琴「えっ・・・」
天童美琴「でもさっき、“アリス”ちゃんは自分のことヴァンパイアだって・・・」
不知火美桜「言ったじゃん。そういうプレイだって」
不知火美桜「私はずっと何者かを演じてるだけ。それっぽい言葉に自分を当てはめて、自分を定義した気になっているだけ」
不知火美桜「本当の私は何者でもない、何の正体も持たない何か──」
天童美琴「・・・」
不知火美桜「──だから、私の中身は“ヨウコ”ちゃんが決めて良いんだよ」
天童美琴「・・・それで、“アリス”ちゃんは満たされるの？」
天童美琴「自分の中身を決めるのは自分だと思う。じゃないと、満たされない・・・」
不知火美桜「ここでも同じ質問するんだね」
天童美琴「・・・？」
不知火美桜「私は満たされてるよ」
不知火美桜「でも、満たされてるから満たされない」
天童美琴「どういうこと？」
不知火美桜「何を手にしても、手に余ってしまうのさ」
天童美琴「あっ、待って・・・！」

〇SHIBUYA SKY
不知火美桜「世界と世界の間にはそれらを繋ぐ世界があって、私はそれを「境界」と呼んでいる」
不知火美桜「「教会」には「境界」の役割があって、教会で祈りを捧げる人たちは皆、現実と空想の狭間にいるんだ」
天童美琴「はぁはぁ・・・歩くの速いよ・・・」
不知火美桜「私の心も未だ「境界」にある」
天童美琴「ねぇ、どこかお店に入らない？ 私、お腹減ってきちゃって・・・」
不知火美桜「もうちょっとだけ、空腹を楽しもうよ」
不知火美桜「空腹は料理の一番のスパイスだよ」
天童美琴「うぅ・・・」
不知火美桜「・・・私の家来る？」
天童美琴「えっ」
不知火美桜「追われてるんでしょ。匿ってあげるよ」
天童美琴「それは・・・ありがたいけど」
不知火美桜「スマホの位置情報だけオフにしてね。どうやら追跡されてるみたいだから」
天童美琴「う・・・うん」