第一九話『いざ決戦! 月蝕の祭祀(二)』(脚本)
〇後宮前の広場
天高く跳びあがった皇后に、夜を切り裂き飛来した一矢が迫る。
尹宰相「これぞ天意なり! 崔甜果に、皇后たる資格なし!」
狂乱の声が上がる中、矢が皇后の体を貫いた──かのように見えた。
玉兎「はっ!!」
気合いの声と同時に、皇后が軽やかな動作で見事着地を果たす。
その右手には、しかと矢が握られていた。
尹宰相「なっ・・・空中で矢を掴んだというのか!? そのようなこと、できるわけがない!」
皇帝「宰相、何を騒いでいる。 祭祀を台無しにするつもりか?」
玉兎(さぁ、舞はまだ終わりません。 こんな矢一本で玉兎を止められると思ったら、大間違いですよ)
舞台を飛び出し、通路に降りてなお、玉兎は舞い続ける。
振り上げた袖が落ちれば、玉兎の顔が露わになる。
その視線が向けられた先には──玉兎と同じく、白い衣を着た女人が一人。
大臣・一「おい・・・あれは誰だ!?」
大臣・二「一体何が起きている!」
尹宰相「梅花・・・」
淑妃「皇后崔甜果。天はあなたを認めません。 理由はおわかりでしょう」
玉兎「いいえ、わかりません。天が何を言ったと? 無頼の輩が放った矢が一本、わたくしの元へと届いたのみ」
玉兎「そしてその矢は今、この手の中にある」
淑妃「・・・そうですか。あなたは決して、その座を降りるつもりはないのですね」
玉兎「身命を賭して、何人にも皇后の座を譲るつもりはないわ」
淑妃「・・・四夫人が一人、淑妃・尹梅花。皇后の座を、尊敬を、寵愛を得るはずだったお方のために──いざ尋常に、勝負」
長い袖が振り乱れ、二人の女が衝突する。
楽の音に合わせて舞い踊るように、玉兎と淑妃は素手で組み合った。
玉兎「あなたほどの使い手が、なぜ敵討ちのために力を使うの?」
淑妃「順序が逆です。 敵討ちのために、私は技を磨いたのです」
玉兎「たった数年で、それだけの域に達するなんて・・・もったいない才能だわ」
淑妃「お褒めにあずかり光栄です。不思議なものですね、今初めて、娘娘に心からの賞賛をいただいたような気がします」
玉兎は思い切り背を反らして、鋭い手刀をかわす。
舞い上がった絹が切り裂かれ、はらはらと落ちた。
玉兎「見事!」
淑妃「玉女絹刀(ぎょくじょけんとう)・・・まさかかわされるとは」
玉兎「大臣たちも、そろそろ舞を見飽きる頃。 わたくしは、すでにあなたの手を見切りました」
二手、三手と巧妙な軌道で振り下ろされる手を、玉兎もまた優美な舞の動きでかわす。
淑妃「いくら武門の出とはいえ、この技を簡単に見抜けるはずが──」
玉兎「あなたが落とした武術書を見たわ」
淑妃「な・・・っ」
淑妃の顔に初めて動揺が浮かぶ。
それを表すかのように、淑妃のつま先が迷い、拍子を外れる。
玉兎「ふふ、足が乱れたわよ。 舞ではわたくしに一日の長があるみたいね」
淑妃「はったりですか。やはりあなたは、間に合わせの皇后です。とても──姉様には及ばないっ」
淑妃が手刀を繰り出す。長い袖に紛れて、その軌道は読めない。
玉兎(ですが、手の内を知られるというのは武人にとっての命取り)
玉兎「もう見切った、と言ったはず」
玉兎が舞の振りを変える。
玉兎「奔月門が歩法・跳兎行(ちょうとこう)!」
揺らめくような舞いの足取りから、浮き上がるように跳ね、力強く踏み込む歩法へ。
玉兎「さあ、音を! わたくしに合わせて楽を奏でなさい!」
玉兎が高らかに命じれば、楽人たちが慌てて手を動かす。
二人の女人につられるように、楽の拍が速くなった。
淑妃がまごついた一瞬を逃さず、玉兎が迫る。
淑妃「くっ・・・!」
玉兎「わたくしは北州が辺境守護・崔家の娘」
玉兎「淑妃、憎しみでもって武を振るうあなたの手では、わたくしに触れることはできない」
玉兎(敵討ちのために、血のにじむ努力をしてきたのでしょう)
玉兎(そうでなければ、短期間でここまでの武芸を身に着けることができるはずがありません)
淑妃「私は姉様のために、あなたを倒さねばならないのです・・・!!」
死に物狂いの手が、玉兎の首を狙う。
だがその繊手(せんしゅ)は、勢いよく宙を切った。
淑妃「え・・・?」
翻った袖が淑妃の視界を遮る。
その袖がゆっくりと落ちた時、そこには──誰もいない。
玉兎「奔月門・嫦娥十五手(じょうがじゅうごしゅ)」
背後から聞こえる静かな声に、淑妃の全身が総毛だった。
淑妃「なっ・・・!」
玉兎の右手が、目にも止まらぬ速さで淑妃の背中を打つ。
淑妃「あ、ぐぅっ!!」
玉兎「──おしまいです」
糸の切れた人形のように崩れ落ちた淑妃を受け止め、玉兎は眉を下げる。
玉兎「敵を見極めなければ、勝ち筋が見えるはずがありません。淑妃さま、憎しみで目を曇らせましたね」
淑妃「あなたは、まさか・・・動けないはずでは・・・!」
玉兎「もう、楽の音も止みました」
右腕に淑妃を抱え、千切れた袖を振って玉兎はくるりと舞台に背を向けた。
淑妃「姉様が・・・舞うはずだったのに。 姉様が、娘娘と呼ばれるはずだったのに・・・!」
淑妃の白い頬に涙が伝い、玉兎は唇を引き結ぶ。
玉兎(淑妃さま。あなたとは、違う場面で手合わせをしたかったです)
空には月がないかわり、地上の月たる皇后はしゃんと背筋を伸ばしていた。
〇皇后の御殿
主たる妃たちは祭祀のために出払い、後宮は静まり返っていた。
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