小さなコンサート(脚本)
〇学校の屋上
冬花「冷たっ・・・」
金属製のフェンスは指を切り裂くような温度だった。
しかし私はそれを離さず、2mはあろう高さをしがみつくようにして登っていく。
「ガシャンガシャン!」
冬空にフェンスの乾いた音が響いた。
視界を遮るものがなくなっても、白い照明で化粧をした街は私に興味を持たなかった。
冬花「・・・」
フェンスから落ち立つ地点にはわずかな隙間だけが私のために用意されていた。
慎重に降り立ち、ゆっくりと身体の向きを反転させる。
すると街との境界はなくなり、広大な空間が私を飲み込もう手招きをしているようだった。
冬花「ゴクッ・・・!」
唾の飲み干し方を忘れたように喉が鳴る。
恐怖から逃げ込むようにギュッと目を閉じると、呼吸と鼓動だけが世界の全てに変わった。
安全で孤独な世界だった。
しかし、私の世界は加速していった。はちきれるばかりの加速だ。
そして、突如全てが止まったように何も感じなくなった瞬間、ふわりと身体が浮いた。
スローモーションのように身体が傾いていって、間もなく落下軌道に入る。
冬花「・・・やっと、終わった」
そう思った矢先、まぶたの裏に濃い赤がびっしりと飛び散った光景が見えた・・・気がした。
冬花「ッッ!!」
壮絶な恐怖心を焼き付けられた私は、宙に投げ出されそうな身体を無理やりにひねって手を伸ばした。
「・・・ガシッッ!!!」
伸ばした右手が凹凸に引っかかり落下の勢いを殺すことに成功するが、反動で下半身が外壁へと打ち付けられる。
冬花「ぐふっ・・・!」
あまりの衝撃と痛みに口からおかしな音が出るが、なんとか持ちこたえる。
あと一瞬手を伸ばすのが遅かったら間に合わなかったに違いない。
手をかけられるところを見つけてのっそりと身体を持ち上げると、やっとの思いで屋上の狭い足場までたどり着く。
冬花「はぁ、はぁ・・・」
肩で息をしながら必死に酸素を取り込む。いつの間にか涙が滲み、手足はがくがくと震えている。
本物の死を前に、覚悟したはずの決意はあっという間に揺らいでしまった。
私は自分の中で膨らむ想いを抑えきれなくなって絶叫した。
冬花「わたしはッ!! 死にたくなんてないッッ!!!」
冬花「でも、私の居場所なんて、どこにも・・・どこにもないじゃないッ!!」
「・・・」
必死の想いもこだますることさえなく、街へと溶けていってしまった。
冬花「うぅっ、うぅ・・・」
ひと際強い風が吹いた。
バランスを崩しかけた私は、懸命にフェンスにしがみついてやり過ごす。
その姿はなんとも無様で滑稽だった。
冬花「私には・・・死ぬ勇気も、ない・・・」
〇玄関内
冬花「はぁぁぁぁ・・・」
冷えきり傷んだ身体をなんとか部屋まで連れ帰ると、糸が切れたように座り込んでしまった。
自らが追い込んだ境地だったが、解放されればやはり安堵を感じずにはいられなかった。
しかし寒さだけはいつまでも私の中に留まり続け、歯と歯を打ちつけ合わせる。
冬花「ととと凍死でもも、いいいけどどなぁぁ・・・」
そう思ったが、先ほどの底知れぬ恐怖が甦るのを感じてしぶしぶ身体を奮い立たせる。
〇白いバスルーム
風呂場の扉を開き、シャワーの蛇口を捻る。今の私には服を脱ぐことすら億劫だった。
「シャーーー」
シャワーから漏れ出した温まる前の水が床に跳ね返り、足へとぶつかる。
普段ならとても寒くて耐えられないが、何かが当たっている感覚以外には今は何も感じなかった。
湯煙が立つようになってきた頃合いで、私は頭からそれを浴びる。ぬるめに設定したお湯でも火傷しそうなぐらい熱い。
擦りむいた膝と青あざになりつつある太ももにピリピリと沁みて、屋上での出来事をリフレインさせてくる。
冬花「私、何してるんだろ・・・」
そう自分を嘲笑しようとしたが、実際に出てきたのは涙と嗚咽だった。
冬花「わぁあぁ、うわぁあぁぁ・・・!!」
シャワーの音に隠れて、私は感情のままに泣いた。
〇白いバスルーム
感情を洗い流した私は幾分かの落ち着きを取り戻し、湯船に浸かることにした。
ゆったりと芯が痺れた頭を休めていると、換気口から様々な音が聞こえてくることに気付く。
道路を行きかう車の音、酔っぱらいの嬌声、緊急車両のサイレン。深夜の街にも音が溢れていた。
冬花「いつも聞こえてたっけ?」
昨夜は気にも留めていなかったその音たちに耳を澄ませていると、風切り音の向こうに旋律が混じっていることに気付く。
女性の歌声だった。意識を集中させると途切れずに聴きとれるぐらいの大きさだ。
冬花「誰か歌ってる・・・?」
初めそれに気付いた時、自分の時間を邪魔されたような気がしてわずかに不愉快になったが、すぐに印象が替わる。
冬花「なんか落ち着く・・・かも?」
迷いのない音階からは力強さを感じるが、それでいて声質からなのだろうか、優しさが溢れ出しているような印象だった。
冬花「不思議。なんだかあったかい・・・」
彼女の歌声が痛みを和らげるように私を包み込んでくれるかのようだった。
短い時間で私はその歌声をすっかり気に入ってしまった。
知らない誰かの知らない旋律。それなのに今まで触れ合った何よりも私を受け入れてくれる。そんな気がした。
しばらくの間、湯船の縁に置いた両腕に頭を預けて、私だけのコンサートを静かに聴いていたが、
やがて、歌は聴こえなくなった。
私は水音を立てないように息を潜めていたが、小さなコンサートが再開されることはなかった。
冬花「終わっちゃった・・・」
名残惜しい気持ちは拭えなかったが、お風呂に入る前とは打って変わって、なんとも穏やかな心持ちだった。
脱衣所に出て頭を拭いていると、私の興味は歌い手へと移っていく。
冬花「どんな人なんだろ・・・?」
冬花「隣の部屋の人が歌ってた・・・とか?」
端の方へ脱ぎ捨てた服を洗濯機に放り込みながら想いを巡らせる。
冬花「どんな人なんだろ?」
冬花「また、聴けるかな・・・」
少しだけ頬が緩むのを感じながら、私は脱水ボタンを押した。
冬花さんの抱える、虚無感や自己否定の感覚に引き込まれそうになりました。とても生々しい心情描写がひしひしと伝わってきます。
屋上での情景描写、心理状態の移り変わりがリアルでした。
過去一度似たような絶望を経験したことがある人は、彼女の状態がよくわかったと思います。
どん底スタート、なかなか出来ないですよね、凄いです。
これから読ませて頂きます。
とてもつらいけど、彼女には自分のペースで生きてほしい・・・
続きも読ませていただきますっ!