第35回『重たい情による雨』(脚本)
〇貴族の部屋
フリートウェイ(怖い、辛い、苦しい)
フリートウェイは、自分が思いつく『負の感情』を連想していた。
フリートウェイ(嫉妬、貪欲、落胆、失望・・・)
フリートウェイ「・・・・・・はぁ」
ベッドの上で体育座りをし、表情を見せないように、頭を膝に軽く置いた。
フリートウェイ(──腹が減るだけで、こんなに落ち込むのは何故?)
無自覚に中途半端に強い雨を降らせながら、フリートウェイはシリンに言われたことを思い出す。
言われた直後は衝撃が勝ったが、今は”ショック”が勝っている。
フリートウェイ「・・・お腹空いたなぁ」
──第35回『重たい情による雨』
チルクラシアドール「・・・?」
零れた呟きは想定よりも大きな声だったらしく、チルクラシアは目を覚ます。
チルクラシアドール「・・・何か食べる?」
落ち込むパートナーを見たチルクラシアは、遠慮がちに『声』をかける。
チルクラシアドール「何食べたい?」
彼女は、彼にシャクシュカを振る舞われたことを忘れてはいなかった。
大怪我をするかもしれないが、恩返しという名前の『行動』をするつもりだった。
フリートウェイ「あのな・・・」
フリートウェイ「・・・・・・ちょっと腹が空いてしまって。 どうしようか悩んでいたんだ」
フリートウェイ「それだけなんだ。 どこか具合が悪いわけでは無いよ」
チルクラシアドール(・・・・・・・・・・・・)
フリートウェイはいつも通りの優しい微笑みと声色をしているが、一瞬だけ全く違った表情をしていた。
そして、チルクラシアはそれを見逃さなかった。
チルクラシアドール「何か、出来ることはある?」
フリートウェイ(・・・言わせてしまった)
フリートウェイ(『ぎゅっと、して欲しいんだ』)
──それが、フリートウェイの”食事”だ。
それが『身体の感覚』で分かってしまってから、自分の根本が、変わっては絶対にいけない”何か”が変わっているような気がする。
──その気に身を委ねることが”どうしようもなく怖い”のか、”恐ろしく嬉しい”のかは本人にもすぐには分からない。
フリートウェイ「大丈夫だ。君は、ただ隣にいてくれればいい」
本心は、絶対発言と違うはずなのに。
フリートウェイ(──『夜だけは、オレと二人きりでいてくれ』)
フリートウェイ(──なんて、絶対に言えない。 悟られないように、しなければ)
〇貴族の部屋
フリートウェイ「──気分転換でもしようか」
漸く、感情の浮き沈みが落ち着いた。
この部屋で、”好きな人”と朝を迎えることも悪くは無いが、思考をリセットするために部屋から出ることにした。
フリートウェイ(・・・?)
フリートウェイ(もう、腹が空かなくなった)
”苦痛”を感じていた時は、ちゃんと空腹に悩まされていたのに、もうその感覚は感じない。
フリートウェイ(身体が重いなぁ だりぃ)
その代わりか、食事を求めた身体は鉛のように重くなっていた。
フリートウェイ(・・・・・・まずっ)
フリートウェイ「・・・あれ? こんなに不味かったっけ?」
空腹を紛らわすために、久々に瘴透水(ショウトウスイ)を飲んだがとても不味く感じた。
フリートウェイ「うわっ・・・」
何となくで瘴透水の瓶を見たが、真っ黒になっていた。
フリートウェイ(タールのような黒さだな・・・)
飲み終わった瘴透水の瓶は、飲んだ者の精神状態を反映する。
多少の変色はあれど、
真っ黒になりかけることは、希少である。
フリートウェイ「・・・・・・・・・」
フリートウェイ「一旦、外に出るか・・・」
〇城の廊下
レクトロ「・・・?」
レクトロは立ち止まる。
レクトロ(事故でもあったのかな?)
レクトロの視線の先には、大量の人が立ち止まり何やら話をしていた。
レクトロ「何が起きたの?」
レクトロの声を聞き、その姿を見た貴族たちは、彼のために道を開ける。
『后神様!我々は先へ進めなくて困っているのです』
『助けてくれませんか?』
レクトロ「助けはするけどさ・・・ いつ頃からこうなってしまったの?」
『15分前からですね。先に壁のようなものがあって一歩も進めないのです』
レクトロ(ついさっきから、か 『壁』の存在もあるのか)
レクトロ(ふむ・・・)
『壁』とは、人から離れ、人とのコミュニケーションを避けるための物である。
そんなものが実際に出せる者に心当たりがあったレクトロは、笑みを浮かべる。
レクトロ「分かった。後もうちょっと待っててね!」
レクトロだけは、先へ進むことが出来る。
『流石、后神様だ』
『后神様は慈悲深いわ』
『これでこの問題も何とかなったな!』
貴族たちは大喜びしているが、レクトロ本人だけは違った。
レクトロ「──不敬者共が」
〇城の廊下
???「・・・大荒れだねぇ」
レクトロ「──随分と不安定じゃん。 何かあったな」
左の目に朱い瞳を出現させているレクトロは、
止むことの無さげな雨の中心に、声をかける。
雨の中心──フリートウェイの両肩を両手に添えたレクトロは彼の顔を見る。
レクトロ(・・・・・・シャーヴの言った通りじゃん)
レクトロ「・・・右の目、閉じてくれるかい?」
フリートウェイの右目に、レクトロは包帯を巻く。
・・・包帯、と言っても、チルクラシアがたまに使う”リボン”のように半透明のものだが。
レクトロ「人から与えられたものは大事にしないと」
レクトロ「その命も、今感じる確かな不安も、 全部君のためになるからさ」
レクトロ「この僕、レクトロ・ログゼが、これを約束するよ」
レクトロ「──『信じてくれ』! 僕はこれを偽ることなどないよ」
フリートウェイ「・・・・・・・・・」
フリートウェイは、重い口を漸く開く。
フリートウェイ「・・・・・・たかったんだ」
フリートウェイ「────────だと、思う」
フリートウェイ「・・・思わせてほしい。 『オレがチルクラシアを喰らっている』わけがない、と」
彼の『命』ともいえる右目の瞳を欠けさせたものは、『チルクラシアに関するもの』だった。
シリンが、彼に直接的な表現では無いとはいえ『離れると餓死する』と言ってしまったせいか、
言う前から不安定だったのに、更に落ち着かなくなっているようだ。
レクトロ(少し重たいくらいで、丁度いいんだよ。 これはちょっと重過ぎる)
レクトロ「・・・その重たい情を、少しでも分けてくれない?」
レクトロ「きっと、楽になるよ!」
フリートウェイの額に右手を置いたレクトロは、彼から僅かに感情エネルギー(という名の一日分の”食事”)を抜き取った。
脳から情報を抜かれて眠くなったフリートウェイは、そのままレクトロに寄りかかる。
レクトロ「大丈夫さ。 君が理性を失うことなんて、余程のことが無い限り無いはずだ」
レクトロ「・・・先のことも、君が思っている程悪いものじゃないと思うよ」
〇城の廊下
レクトロ「・・・・・・・・・」
フリートウェイを宥め、自室に戻るように勧めたレクトロは、先ほどの貴族たちに嫌悪感を覚えていた。
レクトロ「あの子を待たせてしまった・・・」
レクトロ「行かなきゃ」
すぐに思考を切り替えて、次やるべきことに取り組もうとする。
レクトロ「・・・誰かな?」
『レクトロさん?ちょっといいかしら?』
レクトロ「奥方様じゃん! 仕事があってね、手短に頼むよ」
電話の相手が、自身が恐れる遊佐景綱ではなく、彼の妻の遊佐偃であることにレクトロは喜んだ。
『姫野晃大と姫野果世の様子を見て欲しいの』
レクトロ「・・・あの人間達に? 景綱君に何かあったの?」
『たまには『希望の光』が見てみたい、と思っただけよ』
レクトロ「いいけどさぁ・・・ 僕達は、彼の能力を受け付けないんだよ」
レクトロ「ネイも、彼の能力は嫌がるだろうし・・・ こちらがそれを有効に使うには早い、というやつでは無いかな?」
崙華は、ほぼ全ての光を避けている。
理由らしい理由は、遊佐景綱とその妻が、
光によって片頭痛を引き起こす時があるくらいである。
レクトロは光を避けることはしていないが、『希望』という感情エネルギーは眩しく見えるため、それが嫌いだ。
レクトロ「僕の代わりに、シリンちゃんに行かせてもいい?」
レクトロ「あの子の話術は、僕たちに無いものだよ!」
『主人も、スィ家の娘のことは気になっていたわ。会えると嬉しいわね』
偃曰く、『(珍しく)遊佐景綱は、シリンに興味を示している』らしい。
レクトロ「彼女の予定を確認しておくね! きっと、承諾してくれるさ!」
〇大広間
──レクトロがフリートウェイに交渉という名の譲歩をしている間、シリンはまだ雨が降り続ける城の大広間にいた。
レクトロ「シリン、お待たせしたね」
レクトロ「ネイには、大人しく自室で安静にさせることにしたよ」
シリン・スィ「・・・シャットダウンした、の間違いでは?」
シリン・スィ「記憶操作は、脳に負荷がかかるんですよ」
シリン・スィ「・・・使い過ぎたらどうなるかなんて、貴方が一番分かっているはずなのに」
記憶操作は、『レクトロが最も苦手としている能力』の一つである。
『苦手』故に脳の負担も凄まじく、ブロットが溜まることで体の劣化が進んでしまうため、
シリンはレクトロにこの能力を使って欲しくなかった。
レクトロ「そもそもアレは、使うべきじゃないんだ」
レクトロ「他人の頭の構造を弄ることは、『洗脳』と同じ意味を持つからね。 良いところなんて、何一つないよ」
レクトロ「──だから、今のネイはちょっとヤバい」
レクトロ「君のお仕事は、ネイの不安定を落ち着かせるためのものだよ」
長い前置きは、シリンに仕事を与えるためだ。
シリン・スィ「あら、そうなの?」
レクトロ「南の方に、『姫野一族』が住んでいるの。 彼らの様子を、少し見て来てくれないか?」
レクトロ「僕はネイから抜いたモノを解析して、 チルクラシア・ドールのアップデートをしなければならない」
レクトロ「君にしか頼めないし、これは君以外には出来ないんだ!」
シリン・スィ「どうしよう・・・ 私、ちょっとゆっくりしたいわ」
レクトロ「仕事をちゃんとやったご褒美は、イカ焼きだよ」
渋るシリンに、レクトロは彼女の好物で釣る。
シリン・スィ「行 く わ ! !」
好物であるイカに即食いついたシリンは、掌を返したように、仕事しすぐに終えることを決めた。
〇おしゃれなリビングダイニング
──姫野家
姫野晃大「最近は急な雨が多いなぁ・・・・・・」
姫野晃大「洗濯したかったのに」
シリンに家が捕捉されていることなど知らない晃大は、突然の雨で洗濯が出来なくなったため落ち込んでいた。
学校が半日になり妹の側に居られることだけは嬉しかったが、クラスメートとその家族が心配だ。
姫野果世「またなの?」
姫野果世「もう避難するのはこりごりよ」
姫野家は、ロアの南部にあるため
数日前までは避難生活を余儀なくされていた。
やっと家に戻ってきたのに、すぐに避難生活に逆戻りである。
姫野晃大「雨の降り方が前とよく似ているから、すぐに止むとは、思えない」
姫野果世「そうなの? 着る服が無くなっちゃうじゃない」
姫野果世「落ち着かないわね・・・」
姫野晃大「誰だろう」
姫野果世「・・・一応、話は聞いてみたら? 私達に助けを求めているかも?」
姫野晃大「見てくるよ!」
生粋の優しさを持つ晃大は、妹の発言に背中を押されたのか玄関に向かった。
姫野果世「・・・優しいわね あれは、無償で助けるつもりだわ」
姫野果世「・・・・・・ちょっと優しすぎるかもしれないけど」
〇シックな玄関
ドアを開けた晃大は、驚きながら少女を家に入れた。
俯く少女は、雨で頭からつま先までびしょ濡れだ。
このままでは風邪を引くだろう。
姫野晃大「お風呂に入って」
シリン・スィ「・・・いいんですか?」
姫野晃大「このままじゃ、風邪を引いちゃうよ!」
姫野晃大「何か飲みたいものはあるかな? 作っておくよ!」
晃大が自分の思ったより優しすぎることに戸惑うシリン。
シリン・スィ「・・・コーヒーが飲みたいです」
少し間を開けて、ホットコーヒーだけを求めた。
姫野晃大「分かったよ。 お風呂でゆっくりしてね」
シリン・スィ「・・・・・・・・・・・・・・・」
玄関に一人残されたシリンは、晃大の優しさに甘えるつもりだが、同時に困惑していた。
シリン・スィ(変な・・・いえ、不思議な人ね)
〇おしゃれなリビングダイニング
シリン・スィ「・・・・・・・・・」
無事、姫野家に入ることが出来たシリンは、コーヒーを飲みながら、間取りを覚えるようにリビングを見つめていた。
シリン・スィ(あの人間は、素性を明かさぬ私に、広い風呂を貸し、服を用意し、コーヒーまで作ってくれた)
シリン・スィ(『優しい』よりも無垢な人ね。 社会の闇を知らない男って感じ)
シリンの、姫野晃大の初印象はこうだった。
特段良いわけでも、特段悪いわけでも無かった。
ただ──
シリン・スィ(・・・あの人間は、ごく普通に生きているんだよね?)
シリン・スィ(フリートウェイやチルクラシアとは違うけど、普通の人間には無いモノを感じるわ)
こちらに似て非なるものを感じたシリンだが、自分から晃大に声をかけることは無く遠目で見つめているだけだ。
姫野晃大「温まったかな?」
晃大は、少し遠慮がちにシリンに声をかける。
シリン・スィ「ええ、貴方のお気遣いに感謝するわ。 ありがとう」
姫野晃大「いやいや。 俺は当然のことをしただけだよ」
姫野晃大「お母さんに連絡をしよう。 携帯を貸してあげる」
スマートフォンのロックを解除し、シリンに渡すが、彼女はすぐに返してしまう。
シリン・スィ「・・・お母さんは、ロアにいないのよ」
姫野晃大「・・・いないのぉ?」
晃大は、『シリンの親はどこかの国にいる』のだろうと思ったが
シリン・スィ「私の家族のほとんどは、北極にいるの」
姫野晃大「???」
予想の斜め上のことを言われたことで思考がフリーズする。
シリン(の外見)は十代前半の女性で、人間だ。
北極生まれの人間なんて、聞いたことが無い。
シリン・スィ「後、自力で帰れるわ。 雨が弱まったら、一声かけるから」
姫野晃大「あ、そうなのかい・・・」
姫野晃大(絶対人間じゃないし、すごい強かだなぁ。 一人で家に帰るつもりだよ)
姫野晃大(この子はどんな過去を歩んできたんだろう・・・)
晃大は、シリンに驚いている。
が、確かな興味も出てきていた。
姫野晃大「・・・君のことを教えてくれる? よかったら、友達になろう」
久々の姫野くんでしたね。
シリンは一体何をする気なのか?
次回も楽しみにしてます。