第32回『1つの羨望は遅効性で強めな毒』(脚本)
〇屋敷の門
遊佐邸の扉の前で、チルクラシアは立ち止まっていた。
ナタク「何か思い出したかい?」
ナタクの高熱は、チルクラシアのリボンか雨に濡れて体が冷やされたからなのか、既に治っており、額のリボンは消失している。
チルクラシアドール「えーっと、ちょっとだけ待ってて・・・」
チルクラシアは僅かに見覚えのある色に、髪と瞳の色を変える。
チルクラシアドール「見て見て~」
ナタク「遊佐殿と一緒だね」
ナタク「だけど」
ナタクがチルクラシアの頭に優しく手を置くと、
髪と瞳は元の色に戻った。
ナタク「こっちの方が俺は好きだ」
チルクラシアドール「そうなの?」
チルクラシアドール「このままにする~」
──第32回『1つの羨望は遅効性で強めな毒』
遊佐景綱「──!」
扉を開けた遊佐景綱は一瞬驚いた顔をした。
それはナタクが帰ってきたからではなく、彼の隣にチルクラシアがいるからだ。
何を言うべきか考えたのか、発言には少し間を開けた。
遊佐景綱「・・・よく来たな。 ナタクもお帰り」
遊佐景綱「風邪を引くから屋敷に早く入りなさい」
〇御殿の廊下
遊佐景綱「・・・ナタク」
遊佐景綱「チルクラシアに会わせてくれてありがとう」
立ち止まった遊佐景綱は、はっきりと聞こえる声でナタクに礼を言う。
ナタク「気にしないでくれ」
チルクラシアが遊佐邸にいるのは、ナタクが強制したからではなく、最近出現した自分の意思に従ったからだ。
遊佐景綱「チルクラシアは、2日間くらいはこちらで平穏に過ごしてもらおうと思っているが、お前はどう思う?」
ナタク「・・・・・・それを簡単に許さない男がいる」
読者様も既に察しているだろうが、
その男は、フリートウェイである。
遊佐景綱「・・・一応聞くが、誰の事を言っている?」
〇屋敷の寝室
チルクラシアドール(空気が懐かしいなぁ)
チルクラシアは風呂に入って赤い着物に着替え、どこか懐かしい雰囲気のする部屋に布団を敷いて寝転がっていた。
髪と瞳の色はナタクにより元に戻され、もう変えることは出来なくなってしまったが、然程気にしていないようだ。
チルクラシアドール「ナタク兄ちゃんは『此処にいて欲しい』って言ってた 動かないで大人しくしていよう」
食事の時間までは寝るつもりらしく、
彼女は体を伸ばし寝支度を始めるが、
ペトリコールと呼ばれる、雨の匂いを感じたチルクラシアは上体を上げて首を傾げる。
チルクラシアドール「・・・あれ? 今日って雨が降ることになっていたっけ?」
〇御殿の廊下
遊佐景綱「・・・それに、今朝は晴れていたはずだろう?」
──遊佐景綱が、チルクラシアと同じ疑問をナタクにぶつけた瞬間
「!!!」
至近距離で雷が見えたため、反応が遅れた。
あまりの轟音に、ナタクは耳を両手で塞ぐ。
遊佐景綱「ネイのせいか・・・」
突然の雷と遅れてきた轟音に関わらず、遊佐景綱は冷静に窓から曇天を見つめていた。
遊佐景綱「・・・どうやら、ネイはお前に嫉妬しているらしいぞ、ナタク」
ナタク「・・・何故?」
──心当たりがない。
フリートウェイとは、実際に会って、長めの会話もしたことはあるが、怒らせるような事などしていないはずだ。
遊佐景綱「チルクラシアにご執心のようだ。 実に分かりやすいな」
遊佐景綱「チルクラシアをここに連れて来る時は、ネイも呼ぶといいだろう。 またこちらが雷を打たれることになるぞ」
二人とも感電してもそれなりの痛みと火傷と傷痕だけで済んでしまう体のため、雷に関してはそこまで気にしてはいない。
遊佐景綱「私よりチルクラシアのことを気にしてくれ。 あの子はお前との時間を求めているようだ」
〇屋敷の寝室
ナタク「あぁ、やっぱり・・・」
先程の雷が原因で、チルクラシアは怯んで毛布に顔だけ出していた。
その姿は、さながらロールケーキかミノムシである。
ナタク「ナタクだ。 さっきの雷にビックリしたな」
チルクラシアドール「さっきのは雷だったんだ・・・」
先程の轟音の正体に納得したらしいチルクラシアは毛布から出て、布団の上に正座した。
チルクラシアドール「・・・・・・・・・」
何を思ったか、チルクラシアはナタクに近づき、彼の両手にリボンを丁寧に巻く。
チルクラシアドール「・・・何か隠してたりする?」
ナタク「・・・あー、それはだな・・・・・・」
〇御殿の廊下
廊下に残されたナタクは、チルクラシアの様子を見るために彼女の部屋に向かおうとしていたが、歩みが止まる。
ナタク(指先が痛い)
両手、特に指先が痛い。
ネイのナタクに向ける羨望による雷のせいだろうか。
ナタク「・・・遅効性の毒でも入ってたのか?」
純粋な感情エネルギーによる暴発は、
『自然災害』として定期的に起きている。
が、雷や竜巻は一時的な感情エネルギーの暴発によるものが多く、毒などの仕込みは入らないはずだ。
ナタク「・・・ネイは嫉妬深いな。 チルクラシアを遊佐邸に連れて来て、まだ30分しか経ってないはずなのにコレか」
30分で肉体に毒という名のダメージを与える雷を落とすネイ・・・こと、フリートウェイは、時間経過で何をしてくるだろうか。
1時間後には追加の雷を落とすのか、遊佐邸のごく一部や国1つを燃やすのか、水に沈めるのか。
──最悪の想定として、異形と化して大暴れでもするのか。
ナタク(見逃せないほどの痛みでは無いが、恐らく鎮痛剤が効かないだろう)
ナタク「どうするか・・・ 何とか取り繕えるだろうか」
チルクラシアの前で、可能な限り負の感情は見せたくない。
彼女に余計な要素を加えることは禁止されている。
ナタク「表情だけでも何とかするか・・・・・・」
〇屋敷の寝室
ナタク「・・・よく分かったな」
リボンの内側は額に巻いたものと同じくひんやりしている。
チルクラシアドール「あれ? もしかして、予想が当たってた?」
チルクラシアドール「何となくでやってみただけなんだけど・・・」
ナタク「指先が痺れていてね・・・ ちょっと痛かった」
チルクラシアドール「そっか」
気が済んだのか、チルクラシアは少しずつ目を閉じていく。
やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。
ナタク「寝た・・・」
いきなり無防備にも寄りかかってくるものだから、ナタクは驚きながらも華奢過ぎるチルクラシアの身体を支える。
睡眠状態になればリボンは消失するはずだが、ナタクの両手と手首に巻き付くものは消えなかった。
ナタク「・・・体は休めても、頭は休めていないだろう?」
ナタク「──もう大丈夫だ。 俺のためにありがとう」
ナタクの言葉を聞いたリボンは、漸く喪失した。
〇城の廊下
一方、ロアの天気は大荒れになっていた。
レクトロ「・・・今日は大荒れだね」
レクトロ「南の方では避難指示が出ているらしいね。 このままだとちょっと不味いことになっちゃうかも?」
『戦闘用』の姿になったレクトロとシリンは突然の雷雨に対して驚くことはなくただ1つの真実として受け止めていた。
シリン・スィ「あ~・・・それはフリートウェイのせいですね」
レクトロ「──おっと、それは本当かい?」
レクトロ「詳しく教えてよ」
シリン・スィ「いや、詳しくと言われましても・・・・・・」
シリン・スィ「『ナタクへの嫉妬』、ただそれだけですよ」
レクトロ「・・・え?」
レクトロは面食う。
レクトロ「・・・・・・それだけなの? 他に何かないの?」
シリン・スィ「私の知る限りでは、無いです」
シリンの焦り顔を見たからか、フリートウェイが軽い暴走をしていることが確定したのか、レクトロは薄ら笑いを浮かべた。
レクトロ「・・・ネイらしいなぁ。 まぁ、こうなるのは薄々察していたけどね」
シリン・スィ「・・・は?」
レクトロ「チルクラシアドールがいないと、彼はすごい勢いで異形になりかけるからね」
レクトロ「ある意味、誰よりも何よりも不安定なのさ」
フリートウェイが高確率で感情エネルギーの暴発によりおかしくなることは、既に察していた。
レクトロ「シリンは、この天気の『調整』と『加減』をして欲しいな。 このまま放置すると人間が危ない」
シリン・スィ「え?あぁ、はい・・・」
シリンは闇が深い事情に困惑しつつ、仕事をすることになる。
シリン・スィ「でも、レクトロ様はどちらに?」
レクトロ「ネイに会いに行く」
レクトロ「そのために、この身体を『使う』のさ」
〇貴族の部屋
フリートウェイの部屋は、水で満たされていた。
レクトロ「気分はどうだい?」
フリートウェイ?「──最悪に決まってるだろ」
部屋の奥から、黒色の巨大な人魚の影が現れる。
レクトロの身長は220cmだが、人魚は彼を余裕で上回っており、尾びれが部屋の壁に亀裂を作っていた。
レクトロ「そこまで気に病まなくてもいい。 君の望みはすぐに叶う」
レクトロ「その時が来るまで、一緒に待つのはどうかな?」
─────「一人でいい」
レクトロ「・・・それは残念」
全く残念がらないレクトロは、人魚の尾びれに瘴透水(ショウトウスイ)を注射した。
─────「それなりに痛かった。 オレに何をした?」
レクトロ「何って・・・」
レクトロ「────ただの『お呪い』だ 僕からの祝福、というやつさ」
──祝福と呪いは紙一重。
レクトロ「チルクラシアは、必ず君の元へ寄り道せずに帰ってくるよ」
─────「──信用してもいいのか?」
レクトロ「────勿論」
レクトロ「僕を信じた後の行動は、君次第さ」
レクトロ「だから、チルクラシアに何をするかは、よく考えておいてね」
〇時計台の中
レクトロと別れたシリンは、器の1つが封印されている城の最下層にいた。
シリン・スィ「・・・・・・」
シャーヴがいないことに安心しながら、彼女は本を開く。
シリン・スィ「『ロアを襲う大雨は、2日間続いた』」
シリン・スィ「『この大雨で、4人が行方不明になった』 『王族らは后神に救いと慈悲を求めた』」
シリンの固有能力には、『一度書いたものは内容を問わず消すことが出来ない』という強烈なデメリットがある。
そのため、彼女は内容を一つ一つ口に出しながら、本に書くことにしている。
シリン・スィ「『──────────』」
シリン・スィ「はい終わり」
シリン・スィ「私のこれが、どれだけの影響を与えるかしら・・・」
シリン・スィ「ちょっと楽しみだわ」
〇屋敷の寝室
ネイの影響によるものか、眠っていたチルクラシアは人間ではなくドールの姿に逆戻りしていた。
チルクラシアドール「・・・?」
──誰かが自分を呼んでいるような気がした。
チルクラシアドール「・・・・・・・・・」
部屋から出たチルクラシアだが──
〇黒
──何処へ行くつもりだ?
──外は危ないぞ。早くこっちへおいで
フリートウェイは結構面倒くさい性格だなぁ…
次回も楽しみにしております。