まもなく渋谷です

猫将棋

まもなく渋谷です(脚本)

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〇電車の中
  夏の午後。
  電車が自由が丘の5番線ホームに着いた。
カズヤ「──」
カズヤ「!?」
  扉の脇に立っていたカズヤは思わずハッとした。
  あの子が乗っている。
  向かいに停まっている各駅停車に。

〇電車の中
  大学時代に思い焦がれていた、あの子が――。

〇電車の中
カズヤ「・・・・・・」
  あの子とは――エリコとの出会いは、渋谷のキャンパスだった。
  学部も学科も一緒で、連絡先も自然と交換した。
  しかし奥手な性格が災いして、在学中からまともに話したことがない。
  彼女とは大学を卒業してから、実に7年ぶりの再会になる。
  どうしよう。声を掛けようか。
  バイトまでにはまだ時間がある。
  ホームに降りて乗り換えさえすれば、憧れの彼女とおしゃべりが出来るのだ。
カズヤ「!!」
  彼女と目が合った!
  ・・・ような気がする。
  慌てて目を逸らしたからよく分からな
  い。
  羞恥に震えて体が熱くなる。
  再びチラッと盗み見ると、彼女は何やらスマホをイジっていた。

〇電車の中
  青いアサガオだろうか。
  花柄のワンピースがよく似合っている。
  彼女は陽気な性格で、笑うと右頬にえく
  ぼが──

〇電車の中
  トゥルルルルゥゥゥゥ!
  発車ベルが鳴った。
  降りるなら今しかない。
カズヤ「・・・・・・」
  足が竦んで動かない。
  頭ではGOなのだが。
  扉が閉まる。

〇電車の中
  すると途端に彼女が顔を上げ、こちらを向いた。
  惜しげもなく注がれる彼女の視線。
  もう二度と会うことはない。
  まるでそう、確信しているかのように。

〇電車の座席
  手を振ろうか。
  それとも「サヨナラ」と口パクで――。
  ────
  結局、何も出来ずに電車が動き出す。

〇古い大学
  大学時代もこうだった。
  キャンパスで彼女を見つける度、声を掛
  けよう。声を掛けよう。
  そう胸に秘めながら何も言えずに背中を見送る日々。
  この臆病さはずっと変わらない。
  あぁ、声を掛けなくてよかったなぁと──
  彼女に嫌われなくてよかったなぁと──
  自分の臆病さに安堵さえした。

〇電車の中
  車内のアナウンスが次の停車駅を告げる。
  「次は、中目黒に停まります」
  流暢な英語の案内が後に続く。
カズヤ「・・・・・・」

〇走る列車
  ガラス越しに住宅街を眺めながら、ふと考えた。
  エリコにメールを送ろうか、と。
  今日は土曜日、明日は日曜日。
  『たまたま電車で見掛けたから、明日お茶でもどうですか』

〇電車の中
  ・・・なんて具合にメールを送れるなら、とっくにやっている。
カズヤ「・・・ハァ」
  小さくタメ息を吐く。
  すると突然、スマホにメールが届いた。
  まさかエリコから!?
  淡い期待を胸に画面を開く。
カズヤ「・・・・・・」
  メールは母親からだった。
  肩を落としてスマホをしまう。
  しかし機械音痴の母がメールを送って
  くるのは、基本的に緊急時のみ・・・
  思い直して母からのメールを開いた。
  『カズヤ。元気にしてる?』
  『もうじきお盆だね。たまには実家に帰って来たら?』
  『お父さんも心配してるよ?』
  『せめて返事くらいちょうだいね。母より』
カズヤ「・・・」
  帰郷を促す母からのメール。
  顔をしかめて反省に沈む。
  故郷へはしばらく帰っていない。

〇渋谷のスクランブル交差点
  バイトが忙しい。
  ――というのは建前で、本音は帰るのが後ろめたかった。
  大学を卒業した後、ろくに就職もせずにプラプラしてきた。
  周りに流されるのが嫌だった。
  海外ドラマにハマったのをきっかけに、シナリオライターを志したりもした。
  けどダメだった。
  いくら頑張ってもまるで芽が出ない。
  やがて不貞腐れて努力さえしなくなった。
  いったい自分は何がしたいのか。
  何のために生きているのか。

〇電車の中
  「中目黒、中目黒です」
  気付けば電車は中目黒に到着していた。
  人の乗り降りがある。
  背広を着たサラリーマンを見る度に惨
  めな気持ちが込み上げてくる。
  こんなことならちゃんと就職しておくんだった。
  自分はもう、手遅れではないか。
  電車が中目黒を出る。
  そうだ、母への返信と再びスマホに目を落とす。
  ――とはいえ、いったい何をどう返せばいいのやら。
  いまだに時給がどうこうというアルバイト生活。
  自分は何者にもなれなかった。
カズヤ「・・・・・・」
  母への返信を打っては消し、打っては消
  す。
  『お盆には帰る』
  『年末には帰る』
  たった一言がどうしても言えなかった。

〇電車の中
  電車が長いトンネルに入った。
  扉のガラスに映る自分の哀れさ。
  俺の人生、もう終わりかな。
  不意に鼻水が出てくる。
  光るものも頬を伝った。
  ――と、その時だ。
乗客の女性「・・・・・・」
  近くにいた女性がスッとハンカチを差し出してくれた。
  ハイビスカス柄の可愛いハンカチだ。
  ゆっくり顔を向けると、彼女は言葉の代わりに微笑みをくれた。
  同い年くらいの綺麗な女性だ。
  せっかくのご厚意を袖にしてはとハン
  カチを受け取る。
  涙を拭う。
  良い香りがする。
  洗って返さなくちゃなと思う。
  人のこういうちょっとした親切に、心を救われることもある。
  そうだ。
  生きていればきっとイイことがある。
  人生まだまだ捨てたもんじゃない。
  車内のアナウンスが到着駅を告げる。
  「まもなく渋谷です」

コメント

  • まさに一駅分のストーリー。電車と気持ちが並走するリズム感を感じました。あぁ、人生って、永遠のスクランブル交差点。私の選択は続く。後悔も、勇気も。

  • 主人公の心情がとても伝わってくる物語でした🥲
    やらない後悔よりやる後悔と分かっていても、
    なかなか実践するのは難しいものです😢
    最後にハンカチを貸してくださったお姉さんにも
    良いことがあって欲しいですね😭

  • 踏み出せない気持ち、わかる…ちょっとした一言が自信を持って言えない気持ち、わかる…と思いながら読んでいました。誰かと語り合いたくなる作品ですね。
    文章がとても読みやすく、随所のタメが絶妙でした。「この後どうなるの?」「負けないで!」って時にちょうど場面が切り替わるので手品みたいでした。長押しで元気を送れるボタンが欲しかったです。

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