帰り道(脚本)
〇黒
熱々のクリームシチューが食べたい。
唐突に、そんな衝動にかられた。
〇クリスマス仕様のリビング
冷え切った体の、空っぽの胃袋に。
濃厚で、熱々のクリームシチューを
スプーンにたっぷりとすくって、ふうふうと冷ましてから、口の中に運ぶのだ。
〇おしゃれなキッチン
スープの味付けはコンソメだろうか?
シーフードが入っているなら、濃厚なダシでいっそう旨味が出ているだろう。
そこにクリームが合わさることで、コクと深みが大きく増すのだ。
慌てて食べようとしたせいで、口の中をやけどしてしまったところまで脳内で鮮明に再生してしまった。
〇黒
・・・これ以上はいけない
〇電車の中
今自分がいるのは帰り道の電車の中。
今は都市部の渋谷あたりを走っており、家はまだ遠い。
口の中に溢れた唾液を飲み込む。
こんな時に、こんな想像をしていては持たない。
なんとかほかの事を考えようと、頭を働かせてみるが、思い出すのはあの懐かしい味ばかりだ。
〇クリスマス仕様のリビング
濃厚なスープの中に隠れた色とりどりの具材たち。
コトコトと煮込まれた赤いニンジンは、甘く、柔らかい。
歯ごたえを残した、緑のブロッコリー。
黄色いジャガイモは、噛むとほろほろと崩れていき、濃厚なスープと混ざり合う。
そしてなにより大事なのは肉だ。
野菜もうまいが、何といっても肉である。
肉の種類はもちろん鶏肉だ。
カレーと違って、入れる肉はこれ一つに絞られるだろう。
母が雑に切り分けた大きな肉を、大きく口を開けて頬ばる。
口いっぱいの肉を頑張って噛むのだ。
肉の隙間に絡んだスープが、噛むたびに染み出てくる。
なんとか飲み込んだ後には、すでに私の眼は次の肉を補足していた。
好きなものはあとに残したいのだが、我慢できない。
なので一つづつゆっくり食べていくのが自分流だ。
最初の一口から、最後の一口まで。同じペースで食べ続けられるように。
それが傍目には、まんべんなく順序良く食べる、いわゆる三角食べができるいい子に見えるようだった。
それで父には行儀がいいと褒められていた。
別に私は、いかに肉をおいしく食べるかを考え続け、たどり着いた方法を実践していただけで
褒められたくてやっていたわけではなかったのだが・・・
褒められたのは、純粋に嬉しかった。
〇黒
・・・父は、元気だろうか。
もう何年、まともに会っていないだろう。
母は元気だろうか。
きっと、都会で独り暮らす自分を心配しているだろう。
〇渋谷のスクランブル交差点
キラキラ輝く街に憧れ、そこで暮らす将来の自分を夢見て、家を出たあの時を思い出す。
〇渋谷のスクランブル交差点
ああ、ただ家で温かいご飯が待っていることが、これほどにも素晴らしいことだったなんて思わなかった。
大切なものは失ってから気づくなんて、それこそ失う前に教えてほしかったものだ。
〇黒
・・・
〇電車の中
電車がどこかの駅に止まる。
空いた扉から冷気が流れ込む。
それらが思い出に浸っていた意識を現実に引き戻した。
・・・
〇黒
こうなることを知っていたとしたら、自分は家を出なかっただろうか?
ふと、そんな疑問が頭をよぎる
・・・
〇ライブハウスのステージ
ふと電車にあるテレビを見ると、最近売れっ子のアイドルが映っていた
華やかな成功談が語られるたび、芸人やオーディエンスが歓声を上げる。
〇黒
現実は残酷だ。
テレビで見るような成功談では描かれない苦痛が、幾重にも折り重なってくる。
小さいはずの苦難がいくつも積み重なって、重しとなる。
テレビに出るような天才たちはなぜ、苦痛まみれの「成功」をあんなに笑って語れるのだろうか。
どんな苦痛もない、真に恵まれた環境に生まれられたからなのだろうか。
あるいは、苦痛をものともしないからこそ天才なんだろうか
・・・
〇電車の中
自分は、そうなれるだろうか
どこまでも凡才な自分にも、夢をかなえることはできるのだろうか
〇黒
目を閉じて、思い出す。
自分がここで生きることを決めた理由を
自分の生きたい人生に出会った日を
「憧れ」に出会った、あの瞬間を
〇電車の中
駅に着き、扉が開く
冷たい空気が流れてくる方向に、歩き出す。
背筋を伸ばして、確かな足取りで
「―――頑張ろう」
誰へとなく、そう呟いた。
毎日の日常の中でふとなんとなく昔を思い出して懐かしくなって、優しい気持ちになる、、、ありますよね。何だか自分と重ねて読ませて頂くことが出来ました。
何の気無しに、ふと昔のことを思い出して
懐かしむ瞬間ってありますよね😌
この作品はそんな記憶が蘇ってくるような
暖かいストーリーでした😊
わずか数分の間に頭を駆け巡った記憶が本人を勇気づけてくれたようで良かったです。大切な思い出って心の奥にしっかり閉まってあるものですよね。夢に向かって頑張る人へのメッセージの様に感じました。