6.'sでは広すぎる:後編(脚本)
〇学校の部室
犬飼 レン子「さあ、どちらがギャル子のハンカチだと思う?」
乾 幹太「うう・・・」
乾 幹太(どっちにも『ギャル子のもの』って言える理由があるんだよな・・・)
乾 幹太「あ、あの・・・両方っていうのはナシですか?」
犬飼 レン子「あら、なかなかいい視点ね」
犬飼 レン子「私はアリだと思うわ」
犬飼 レン子「ただ・・・どうしてそう思ったのか、言える?」
乾 幹太「どうして? えっと・・・」
乾 幹太「・・・もともとギャル子のものだった花柄のハンカチをAとして」
乾 幹太「そのハンカチの穴を埋めるために用意された宇宙人柄のハンカチをBとする」
乾 幹太「Aはどんなに繕ってもギャル子のものには違いなく、ギャル子はきっとこれからも使いつづけると思う」
ギャル子「そうっスね」
乾 幹太「じゃあ、花柄になってしまったBはどうかっていうと・・・」
乾 幹太「もとのAのパーツが全部揃ってしまったからギャル子のもの」
乾 幹太「――っていうより、Bのハンカチがそもそもギャル子のものだったんじゃないかって気がするんですけど・・・」
ギャル子「えっ、それはどういうことスか?」
石橋 仁「ちなみに、その気持ち悪い宇宙人ハンカチは、レン子のお気に入りだぜ」
犬飼 レン子「気持ち悪いとはなによ」
犬飼 レン子「かわいいじゃない」
乾 幹太「ははは・・・」
犬飼 レン子「つまり幹太は、こう言いたいわけね?」
犬飼 レン子「Bのハンカチの、もとの持ち主が誰であろうと関係なく、Aの穴を埋めるために用意された時点でギャル子にあげたも同然」
犬飼 レン子「だからBもギャル子のものである、と」
乾 幹太「そ、そうです、それが言いたかったんですっ」
犬飼 レン子「なかなかわかってきたじゃない」
犬飼 レン子「この問題に関しては、私もそれが正解だと思うわ」
乾 幹太「ほんとですか!?」
乾 幹太「って、ほ、他にも問題が・・・?」
犬飼 レン子「そうよ」
犬飼 レン子「今のは、有名な『テセウスの船』という話をアレンジした問題なの」
犬飼 レン子「本家では、ハンカチではなく船を題材にしている」
犬飼 レン子「腐った古い木の板を、1枚ずつ新しい板に取り替えていった」
乾 幹太「それで最終的に、新しい板だけの船になったんですか?」
犬飼 レン子「そう」
犬飼 レン子「さらに、取り除いた古い木の板で、同じ形の船をつくったら、どう?」
乾 幹太「あ・・・」
乾 幹太(さっきまでハンカチでやっていたことと同じだ・・・)
乾 幹太(じゃあ結論も同じに?)
乾 幹太(――いや、待てよ)
乾 幹太(それで話が終わるなら、パラドックスとは言えない!?)
乾 幹太(レン子先輩は、まだなにか隠しているんじゃ・・・)
乾 幹太「あの、他に前提は・・・?」
犬飼 レン子「あるわ」
乾 幹太(やっぱり!)
石橋 仁「おお、すげー」
石橋 仁「幹太がちゃんと成長してる」
ギャル子「さっすが、期待の新人スねぇ~」
乾 幹太「ど、どうも・・・」
犬飼 レン子「その質問が出るということは、ハンカチと同じ結論にはならないことを、もう察しているのね?」
乾 幹太「な、なんとなくは・・・」
犬飼 レン子「上出来よ」
犬飼 レン子「追加の前提はね、ハンカチと違って、その船はもう使われていなかったということ」
乾 幹太「え?」
犬飼 レン子「テセウスは、ミノタウロスを退治した英雄なの」
犬飼 レン子「だから、そのときに使用した船が、長期間大事に保存されていた」
犬飼 レン子「それを『テセウスの船』と呼んだのよ」
乾 幹太「な、なるほど・・・?」
乾 幹太(リアルタイムで使っているかどうかで、結論が変わるのか?)
乾 幹太(そんな不思議なことが――いや、あるんだ、きっと)
乾 幹太(レン子先輩の手にかかれば、すでに決まっていたはずの事象さえ、変わってしまうから)
犬飼 レン子「ちょっと話を戻すけど、さっきから言っている『ギャル子のハンカチ』の定義って、なんだと思う?」
乾 幹太「定義?」
乾 幹太「えっと・・・ギャル子の持ちもの、ギャル子が使っているもの、ですか?」
犬飼 レン子「そうね」
犬飼 レン子「じゃあ『テセウスの船』の定義は?」
乾 幹太「それはもちろん、ギャル子のと同じで・・・」
乾 幹太「あれ?」
乾 幹太「テセウスの持ちもの――であったもの」
乾 幹太「テセウスが使って――いたもの」
乾 幹太「か、過去形にしかならない!?」
犬飼 レン子「そのとおり」
犬飼 レン子「保存されているあいだ、テセウスが所有していたのかも怪しいわ」
犬飼 レン子「木が腐るほどの時間が経っているなら、テセウス自身はもう死んでいるのかもしれない」
乾 幹太「で、ですよね・・・」
乾 幹太(ギャル子の場合は、今現在使っているし、これからも使っていけるから『ギャル子のハンカチ』って言うのが簡単なんだ)
乾 幹太(でも『テセウスの船』の場合は、船はもうテセウスの手を離れていて・・・)
乾 幹太(過去のことでしかテセウスのものであったことを証明できない・・・!)
乾 幹太(だからこそ結論も変わってくるのか)
犬飼 レン子「すべて新しい木の板に変わった船が、前と同じ船か?」
犬飼 レン子「と言われたら、これはどんな前提を並べてもノーよね」
犬飼 レン子「まあそれも『同じ』という言葉の定義を馬鹿正直に受け取った場合の話だけれど」
石橋 仁「1か所でも変わってるなら、普通『同じ』とは言わないもんな」
ギャル子「せいぜい『ほとんど同じ』って言うくらいスかね~」
犬飼 レン子「『テセウスの船』か?」
犬飼 レン子「という問いの意味が『テセウスが使っていた船と同じ形の船か?』であるならば」
犬飼 レン子「直された船も、新たにつくられた船も、どちらもそうであると言える」
犬飼 レン子「『テセウスが所有しているか?』という意味であるのなら、そんなのは管理者に訊かなければわからない」
乾 幹太「そ、そうですよね・・・」
犬飼 レン子「つまり『テセウスの船』という言葉が含む範囲が広すぎて、パラドックスが生まれているというわけよ」
犬飼 レン子「だから、それさえ狭めてしまえば、パラドックスはなくなる」
犬飼 レン子「幹太はどう?」
犬飼 レン子「『テセウスの船』の意味が『テセウスが使っていたものと同じ船』だとしたら、どちらが当てはまると思う?」
乾 幹太「『ギャル子のハンカチ』とは逆です」
乾 幹太「どちらも当てはまらない・・・!」
犬飼 レン子「そう」
犬飼 レン子「つまり、悩むだけ無駄ってことね」
石橋 仁「バッサリいったー!」
石橋 仁「ハイパー屁理屈斬りっ」
ギャル子「レンちゃんカッコイイ~っス」
乾 幹太「そ、そういえば、石橋先輩がロッカーに入っていたのは、なんだったんですか?」
乾 幹太「一般人まで犠牲にして・・・」
石橋 仁「ああ、あれなー」
石橋 仁「おまえの反応を確かめたかったんだって」
乾 幹太「え?」
犬飼 レン子「ハンカチと同じ実験よ」
犬飼 レン子「そいつの服を脱がせても、飼い主であることは変わらない」
犬飼 レン子「逆に、そいつの服を人に着せても、他人は他人」
乾 幹太「そりゃそうですよ!?」
犬飼 レン子「じゃあ、あらゆる臓器を取り替えたとしても、変わらない?」
乾 幹太「えっ・・・?」
犬飼 レン子「多分多くの人は、脳があるところを『その人』と判断するでしょうね」
犬飼 レン子「身体をすべて取り替えたとしても」
犬飼 レン子「違う肉体に入ったとしても」
乾 幹太「それは・・・そうかもしれません」
乾 幹太「記憶や意識を大事に考えるから?」
犬飼 レン子「どうかしら」
犬飼 レン子「逆に、もし記憶喪失になったとしたら『その人』と言えるものは身体しかなくなる」
乾 幹太「あっ!?」
犬飼 レン子「もしも両方同時に失くしたら──」
犬飼 レン子「それはもう、死んでいるのと同じだと思わない?」
犬飼 レン子「どんな事象も、人が絡むと割り切れなくなるの」
犬飼 レン子「厄介なものよね」
乾 幹太「レン子先輩・・・」
乾 幹太(昨日も言ってたな、『死』って言葉)
乾 幹太(「どうしても解けないパラドックスがあるから死ねない」って・・・)
じゃあ
もしも解けたら
そのときは──
乾 幹太(死ぬつもりなのかな・・・)
「テセウスの船」に対するレン子さんのパワフルな解答、そして問題提起、楽しくなりますね!
ていうか、この為だけに巻き込まれてロッカーに入れられた一般人の方(しかもビジュアル無し)、本当にご愁傷様でした…