第7章 霧の夜(脚本)
〇中庭
ゆき「さあっ! 休んでないで、ほら立って!」
日差しを浴びてほんのりと熱を含んだ芝生に手をつくはるかを、必死に引っ張り上げながらゆきが叫んだ。
はるか「もう今日は終わりにしない? ね、もう昼からずっと踊ってるし・・・」
はるかは額を伝う汗をぬぐいながら懇願した。
ゆき「・・・はあ、わかったわよ、仕方ない」
はるかはありがとう、と言うとふたたび芝生へと倒れ込んだ。
1秒でも早く、クーラーの効いた部屋に避難したかった。
ゆき「本番が迫ってる今、体調は万全にしておいて欲しいのも事実だし・・・」
ゆきがぶつぶつとそう言うのが聞こえた。
季節は夏に差し掛かり、屋外での練習でかなり体力が削られるようになっていた。
ゆづき「あと一週間なんて、あっという間だねえ」
ゆづきはそう言ってはるかに水を手渡した。
ゆき「本当よ、一瞬たりとも油断できない」
ゆきがスピーカーから流れる音楽を止めながらピリピリとして言った。
はるか「うん、緊張するけど・・・ でもちょっと楽しみなんだ」
さくら「この前の路上ライブも楽しかったしね!」
ゆきはピリピリとしていたが、はるかは不安に思う反面、楽しみたいと言う気持ちもあった。
〇駅前広場
とりあえずまずは場数を、ということで三人は、先月末当たりから路上ライブを決行するようになっていた。
安物のスピーカーを使った小さなライブだが、毎回数人の観客が足を止め、三人に拍手を送ってくれる。
小さな女の子が駆け寄って、「お姉ちゃんたちすごい、たのしかったよ」と声をかけてくれた時は、三人とも嬉しくて飛び上がった。
たったの10分間、それにDIAmondの曲で・・・練習の延長線上にあるようなお粗末なライブかもしれない。
それでも、誰かが楽しんでくれるという経験は三人にとってかけがえのないものだった。
〇中庭
さくら「あの女の子みたいに笑顔になってくれる人を増やすことができれば、いいところまでいけると思うんだけどなあ」
ゆき「いいところ、じゃなくて優勝しなくちゃいけないのよ」
ゆきは咎めるようにそう言ったが、他の二人も概ねさくらの意見と同意見だった。
ゆき「連日の路上ライブで少しずつ知名度はついてきたけれど・・・ 実力はまだまだ足りてないわ」
さくら「わかってるわかってる でも、gladiolusは出ないんでしょ?」
ゆき「だからと言って油断していいわけじゃないの」
ゆきはスピーカーを片す手を止め、鋭い視線をさくらに向けた。
ゆき「さあ、帰るなら早く帰る! そして身体を休めてちょうだい」
ゆきの怒号が飛んだので、3人は慌てて片付けをし始めた。
ゆづき「はるかは今日もあの子と帰るの?」
ゆづきが片付けを手伝いながら、はるかに聞いた。
はるかは頷いた。
さくら「あの子?」
はるか「うん、最近一緒に帰ってるきりちゃんって子」
〇大きな木のある校舎
初めて会ったあの日から、きりとはるかは一緒に下校するようになっていた。
はるかが練習で遅くなっても、きりは必ず校門で待ってくれている。
これまでたくさんの話をしたが、きりは自分のことを多く語らなかった。
それどころか、日中に学校でその影を見たことすらなかった。
同じ学年なのかすらも、実は知らなかった。
〇中庭
はるか「もっと仲良くなりたいけど、実はどのクラスの子かも知らなくて・・・知ってる?」
さくら「うーん、名前は聞いたことないね」
はるかはゆきの方にも目をやったが、ゆきも「わからない」という顔で首を傾げた。
ゆづき「私が見たときは、色白で細くて、芸能人みたいに綺麗だった」
はるか「そうでしょ! きりは可愛いんだから!」
はるかがふふんと鼻を鳴らした。
自分のことでもないのに、とゆきが顔をしかめているのには、都合良く気づかないふりをした。
さくら「その子のことが気になるなら、いろいろ聞けばいいのに」
はるか「うん、うーん、やっぱりそうなのかな」
はるかはうーんと唸ったが、他の2人も賛同の眼差しを向けたのを見て、多少踏み込むことも必要なのかもしれないと思い始めた。
はるか「とりあえず、もう少しお話ししてみようかな」
〇大きな木のある校舎
はるか「ごめんね、待った?」
きり「大丈夫だよ」
はるかの目線の先で、きりが佇んでいた。
四人でかなり話し込んでしまったので、とうに陽が落ちてしまっていた。
月の光が髪に反射して綺麗だった。
きり「練習、大変だ」
きりがお疲れ様、と肩をぽんぽんやりながら言った。
はるか「ありがと、でも全然大変じゃないよ! 今はみんなとできるのが、楽しいんだ」
きり「楽しい・・・」
きりはぽつりと呟くと、何かを考え込むように黙り込んだ。
〇川に架かる橋
きりは自分から話をしない。
もしかしたら話したくないのではないかと思い、はるかはいつも踏みとどまっていた。
2人は暫く黙ったまま歩いていた。
しかし通学路の中程に到達したところで、きりが唐突に口を開いた。
きり「大会、でるの?」
いつものように、無言のままお別れするものだと思っていたはるかは、驚いてきりの顔をじっと見た。
はるか「うん、出るよ・・・あれ、教えたっけ?」
きり「施設の子が言ってた カゴちゃんの路上ライブの動画、みてた」
きりははるかの方を見ずに答えた。
はるか「施設の・・・子?」
予想だにしない単語が飛び出したので、はるかは一瞬たじろいだ。
それからなるべく顔色を変えないようにして聞き返した。
はるか「なんの施設・・・?」
きり「うん、私、親がいないの」
はるかはどきりとした。
踏んではいけない地雷を踏んでしまったかもしれない、とはるかは焦った。
こういう時、何を言うべきだろう?
はるかは考えを巡らせたが、何を言っても火に油な気がしてならなかった。
〇通学路
結局なんとも声をかけることができないまま、2人の別れ道まで来てしまった。
この先に児童養護施設がある事を、はるかはたった今思い出した。
今まで何故疑問にも思わなかったのだろうと、はるかはより一層惨めな気持ちになった。
きり「私、夢がある」
きりがまたしても唐突に口を開いたので、はるかは再びぎくりとした。
きり「私はどこかから連れてこられたって、施設の人が言ってた」
きり「でも両親のことや連れてこられた理由を誰に聞いても、たったの一人も答えてくれなかった」
そこまで言い終わると、きりは制服の中にしまっていたネックレスを取り出した。
月の光にきらきらと反射している。
とても綺麗だが、どこか儚げだ。
きり「これ・・・お母さんがわたしにくれたものなんだって」
きり「小さなオルゴールがついてるの・・・寂しい時、いつもこれを聞いてた・・・」
きり「たったひとつ、これだけが、わたしの心の支え──」
きりはペンダントをまっすぐ見つめながら呟いた。
きり「──私ね、お母さんに会いたいの」
はるかは小さくこくりと頷いた。
何かを言ってきりの話を遮るのは、絶対にしてはならない気がした。
きり「お母さんのお弁当ってどんな味? お母さんの匂いってどんな匂い? お母さんに抱きしめられるってどんな気持ち?」
きり「愛されるってどんな気持ち?」
はるかは何も答えなかった。
正確には答えられなかった。
はるかは想像した。
これまでのきりの寂しさを想像した。
気の利いたひとことも言ってあげられないという事実が悔しくて、はるかは俯いたまま手のひらをぎゅっと握った。
きり「知りたい だから、探す」
きりの目はまっすぐ月を見上げていた。
それはどんなに困難な道のりでも、やってみせるという覚悟にも見えた。
きり「だから、寂しくない だから──」
〇空
きり「──だから、そんなに寂しい顔しないで」
夜風が2人の間を通り抜けた。
夏の虫たちの合唱が、いつもより一層大きく聞こえるようだった。
時を同じくして、gladiolusの練習スタジオ──
〇稽古場
あやか「あら、熱心に何をみてるのかしら」
珍しく画面を熱心に見つめるりょうを見て、あやかが声をかけていた。
りょう「うん、友達がアイドルを始めたって言ってたから」
〇駅前広場
りょうはそう言って画面をあやかの方へ見せた。
駅前で踊るHappy♡Paradeの三人が映し出されている。
〇稽古場
りょう「このショートカットの子が友達なんだ」
あやか「へえ・・・」
あやかは画面を見た。
コメント欄の一番上のコメントがちらりと見える。
あやか「ちょっと見せて」
あやかはりょうから端末を奪い、コメント欄をスクロールした。
『今はアイドルって大会ばかりで面白くないと思ってた』
『アイドルって本来はこういう楽しい!って気持ちが大切なんだよな』
そして────
あやか「・・・・・・『gladiolusとかの気取った点稼ぎチームとは違ってこっちの方がいい』」
あやかは端末から目をあげた。
その目は笑っていない。
あやか「もう結構よ」
あやかはりょうの手に端末をむんずと押し付けた。
あやか「彼女たちはアイドルごっこをしているのかしら?」
りょう「うーん、今度大会に出るみたいだけど・・・来週のサマースプラッシュカップ」
りょうはあやかの顔色を伺いながら答えた。
あやか「・・・そう」
あやかの目がぎろりと光った。
あやか「りょうちゃん、用意して欲しい書類があるの」
〇空
あやか「・・・まったく、ふざけたチームがいるものだわ」