卵は、孵らない。(脚本)
〇団地のベランダ
美美「・・・・・・────♪」
由悠季「姉さん。またベランダに出てるの?」
美美「あら、ゆきくん」
美美「ええ。お日様に当たるのは、大事でしょう?」
由悠季(今日も機嫌が良さそうだ)
僕は姉さんの笑顔にほっとしながら、
撫でる腹には目を逸らす。
由悠季(また・・・・・・大きくなっているな)
由悠季「姉さん」
美美「なぁに? ゆきくん」
由悠季「先生は、何て?」
美美「ああ!」
美美「順調だって!」
由悠季(ああ、そう言うことにしているのか・・・・・・)
僕は笑顔が崩れていないと良いなと思いながら、複雑な気持ちになる。
由悠季(本当に・・・・・・たいせつそうにしている)
姉がやさしく撫で擦るお腹は、真実その中に赤子がちゃんといるようだ。
中身は、空っぽだと言うのに。
『想像妊娠』────
現在、姉が通院する病院の医師はこう、診断した。
・・・・・・姉は、新婚旅行で義兄を亡くした。
数年付き合った彼との、しあわせの絶頂で未亡人となった当時の姉は、とても憔悴し切っていて。
由悠季(見ていられなかった)
ところが、義兄の葬儀から一箇月が過ぎた辺りで、姉が奇妙なことを言い出す。
「赤ちゃんが、いるの」
いきなり明るい調子で笑う姉の発言に、聞いた家族の皆が耳を疑った。
由悠季(そんなこと、在るはずも無いのに)
姉自身、義兄が亡くなった日に緊急入院して一命を取り留め、あらゆる精密検査を受けている。
妊娠の兆候は無かった。もしかしたら、とまた病院で検査したけれど、やはり結果は同じ。
陰性。
一時的な乖離症状、逃避行動だろうと言われた。
由悠季(だと言うのに・・・・・・)
現実に、腹が膨らみ始めた。
“想像妊娠”────書いて字の如く、つまり思い込みで、妊娠したみたいな症状が出ている、と。
主治医は、難しそうな面持ちで語った。
由悠季(信じただけで実際に悪阻や体調不良、食欲減退は当然、)
由悠季(生理も止まって腹も大きくなった・・・・・・)
姉の腹は空っぽのくせに、日々膨らんで行く。
美美「────ねぇ、ゆきくん」
由悠季「なぁに? 姉さん」
美美「どんな子が産まれるか」
美美「楽しみね?」
由悠季「・・・・・・」
由悠季「そうだね」
たいせつな、本物の卵を撫でるように、姉は自らの腹を摩る。
由悠季(鳥も・・・・・・)
由悠季(無精卵でも自分が産んだ卵を、あたためるんだっけ)
今の、姉さんみたいに。
姉さんの抱える卵が、有精卵ではなく無精卵だと言うことを、
孵ることは、どれだけ掛かっても絶対に有り得ないのだと。
姉さんのうれしそうな笑顔の前に屈する僕は
未だ、言えないままでいる。
【 了 】
様々な感情と、それによる身体症状というヘビーなテーマを繊細に描いた、とっても素敵な物語ですね。この物語の後、美美さんは一体、そして由悠季さんはそれを見て、などと想像したくなる"余地"がたまりませんね。
切ないような不思議なような独特の雰囲気に包まれたお話でした。想像妊娠は、心が「妊娠した」という情報を脳に送ると本当にお腹が膨らむんですよね。産まれた(?)後もお人形を赤ちゃんとして育てさせる治療法もあるとか。心と体の関係は本当に不可思議ですね。
扱っているテーマは重く感じますが、何となく幸せそうな雰囲気を感じ取ってしまいます。これから傷つく未来が来るのかもしれませんが、この物語には支えてくれる人がいるようなので。