エピソード1(脚本)
〇黒
——苦しい。
息が、できない。
俺は瞼(まぶた)をそっと開いた。
目を開けても、そこには暗闇が広がっているだけだった。
ここはどこだろう?
母さんと父さんは?
目を凝らすが、やはり視界は真っ暗でなにも見えない。
周りから、なにかが焦げたにおいがする。
そして、ひどく蒸し暑い。
息苦しさで、喉の奥がひゅっと鳴った。
もがくように身体(からだ)をよじってみる。しかし神経が切れたかのように、手足がうまく動かせない。
いったい、なにが?
わけの分からない状況に恐怖が襲ってくる。
嫌だ。怖い。熱い。
苦しい。誰か、助けて。
力いっぱい叫んでいるつもりなのに、喉からは掠(かす)れた音しか出ない。
不安と恐怖が、喉の奥をぎゅっと掴(つか)む。
一刻も早くここから抜け出したい一心で、声にならない声を叫んだ。
誰か助けて。俺はここにいる。
誰か、誰か、誰か。
だんだんと、意識が朦朧(もうろう)としてくる。
———ぼんやりとした感覚の中で、
リンと鈴の音が鳴った気がした。
〇教室
ガタンッ!
茶村和成「いってぇ!」
茶村和成「・・・って、あれ?」
椅子から転げ落ち、打ちつけた腰をさする。
教室の黒板の上部に備えられた時計は5時を指していた。
茶村和成「ゲッ・・・。1時間も寝てたのか」
ホームルームが終わり、少し眠ってから帰ろうと思っていたがどうやら寝すぎてしまったらしい。
窓の外を見れば、禍々しいほどの夕焼けが空を覆っていた。横切っていく2匹のカラスがひどく鮮明に見える。
瞼(まぶた)を擦(こす)りながらぼうっとしていると、ふいに廊下から声をかけられた。
先生「・・・ん? なんだ茶村(さむら)、まだいたのか」
先生「早く帰れよ」
茶村和成「はい、もう帰ります」
先生「・・・っと、そうだ。その前に、ひとつ頼まれてくれないか?」
茶村和成「早く帰れって言ったのは誰ですか・・・」
先生「悪い悪い。明日の授業で使う資料を旧校舎から取ってきて欲しいんだ」
先生「俺、今から会議でさ。頼む」
先生は手の平を合わせて顔を下げる。
茶村和成「・・・ハイパーカップのバニラで手をうちましょう」
先生「うっ・・・お前、抜け目ねえなあ」
茶村和成「貧乏学生なもんで」
先生「・・・はあ、分かったよ」
先生「じゃあ旧校舎の4階に図書館があるんだが、そこに保管されてる本を持ってきてくれ」
先生「職員室の俺の机の上に置いておいてくれればいいから」
いくつかの本の名称か記されたメモと、百円玉が2枚渡される。
先生「内緒だからな」
茶村和成「まいどあり。じゃあ、行ってきまーす」
先生「あ、それと。来週の三者面談、施設のかたに来てもらえるよう話しておけよ」
茶村和成「あー」
茶村和成「分かりました、今度寄ったときに伝えておきます。それじゃ」
〇まっすぐの廊下
教室から出て、旧校舎へと向かう。
俺の名前は茶村和成(さむらかずなり)。
萬屋(よろずや)高校の2年生だ。
先ほど先生が言っていた施設というのは、中学まで俺が育った児童養護施設のことだ。
俺には、両親がいない。
幼い頃に遭った事故でふたりとも亡くなってしまったらしい。
「らしい」というのは、俺自身も事故で大けがを負い、それ以前の記憶があやふやなのである。
よく「大変だったね」「辛かったね」と言われるが、なにも覚えていないので答えあぐねてしまう。
現在はひとり暮らしだが、事故の際に給付された保険金のおかげで普通の生活は送れてるし・・・。
世間一般の“かわいそう”に括(くく)られても、戸惑うだけだった。
〇ボロい校舎
茶村和成「相変わらずなんか出そうだな・・・」
旧校舎を目の前にし、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
木造2階建ての建物には、ところどころ植物の蔓(つる)が絡まっており、年月を感じさせた。
十数年前に今の校舎へと移ったあと、取り壊し予定もなく資料置き場としてずっと放置されているらしい。
正面の入り口から足を踏み入れる。
〇木造校舎の廊下
歩を進めていくたびに床板が軋(きし)んだ。下手すると床が抜けそうだ。
廊下の窓ガラスは風のせいか、バリバリと音を立てながら揺れている。
蛍光灯はあるが電気は通っていないようで、校舎内は薄暗い。
ごくりと唾を飲み込む。
・・・正直、不気味だ。
茶村和成「図書館はたしか、4階だっけ」
心なしか早歩きになる。
〇木造校舎の廊下
3階への階段を上りきったところで、とある噂話を思い出した。
クラスメイトの由比(ゆい)が、前に話していた。
萬屋高校に伝わる七不思議のひとつ———「狐面の男」。
今はもう使われていない旧校舎の4階の最奥にある狭間の時間——、こちらの世界とあちらの世界が交わるそのとき。
この部屋に足を踏み入れて狐のお面を被った男を見てしまった者は、その男に喰われてしまう。———だとか。
茶村和成「あ〜・・・なんで今思い出しちゃったかな・・・」
後悔しながら頭の後ろをガシガシとかく。
幽霊だオカルトだというものはまったく信じていないが、この状況じゃ考えない方が難しい。
よし、こんなときは深呼吸だ。大きく息を吸って——
ガタンッ!
茶村和成「ブフッ!?」
反射的に音がした方向へ振り向く。
茶村和成「・・・なんだ、箒が倒れたのか」
驚かせるのはやめてほしい。心臓が止まるかと思った。
倒れた箒を廊下の隅に立てかけなおし、息を吐く。
こういうのは意識するとよくないんだ、と言い聞かせて、再び足を4階へ向けた。
〇木造校舎の廊下
茶村和成「・・・ここか」
表示板には“図書館”という文字が刻まれている。
間違いない、ここが旧図書館だろう。
そういえば鍵とかもらってないな・・・。
一瞬頭をよぎったその心配は、杞憂(きゆう)に終わった。
——ガラッ
〇古い図書室
茶村和成「・・・・・・」
いとも簡単に開いたドアに若干引く。持ち逃げされたら困るような貴重な資料はないのだろうか。
そもそも、校舎の入り口に鍵がかかっていない時点でセキュリティもなにもないか。
室内には埃っぽい空気が充満していた。久しく空気の入れ替えも行われていないのだろう。
よし、と先生から受け取ったメモをポケットから取り出す。
図書館は思っていたよりも広く、目当ての本を探すのは意外と手間取りそうだった。
よく見れば本棚には空の部分もある。本校舎への移動の際に、持ち運ばれたのかもしれない。
入り口の隣に貼ってあったジャンル分けの地図を参考に、一冊一冊回収していく。
茶村和成「・・・・・・」
順調に見つけていき、残りはあと1冊。
でも、その1冊がなかなか見つけられない。
首を捻(ひね)っていると、本棚の上に分厚い書物が載っているのに気づいた。
——もしかしたら、あれかもしれない。
そう思って手を伸ばすが、すんでのところで届かない。
出来る限りの背伸びをして、再挑戦する。
茶村和成「あと・・・少しっ・・・っ」
???「手伝おうか?」
茶村和成「いや、大丈夫・・・」
返事をして、気づく。
——今、俺、誰と話した?
茶村和成「・・・・・・」
ギギギ、と壊れたロボットのように首をゆっくり右へ向ける。
〇黒
視界に入ったのはひとりの男。
服装は俺と同じ学生服で、本棚に身体をもたれかけている。
色素の薄い、透き通るような髪色が目を引いた。
表情は読めない——なぜなら、男の顔には奇妙な狐の面がついていたから。
〇古い図書室
茶村和成「—————!」
狐面の男。
由比(ゆい)の話通りのその姿に、思わず息を呑(の)んだ。