2/2(脚本)
〇大教室
12月中旬、冬休み前。
既に退学を決めていた私は、残り少ないキャンパスライフを悔いなく過ごしたい、なんて考えながらフラフラと構内を彷徨っていた。
その日も、偶然鉢合わせた友人の休講の暇潰しに付き合ってやろう、なんて軽い気持ちでいたのだった。
その子は私と同じ、普通が嫌いな、頭のいい子だった。
高校からの付き合いもあり、とても良好な関係を築けていたと思う。
だから、私の考え、行動理念、その他大概のことを、彼女であれば理解を示してくれる。
そう思っていた。
人生観。学歴というものへの考え方。
──成人式、というものに対する価値観。
ヒトミ「────!!」
「本気で言ってるとは思ってたけど、正直本当にやるなんて思ってなかった」
「退学も冗談だし、成人式もなんだかんだで出るつもりだって思ってた」
「どこまで本気で、どこまでめちゃくちゃやる気なのかわからなすぎて怖くなってきた」
楽しそうに、予約を済ませたという振り袖のカタログを見せつけてきた彼女の言い分はこうだった。
友人「・・・」
ヒトミ「・・・」
〇川に架かる橋
ミヨ「先輩はコーヒーにしたんですね」
ヒトミ「アハハ・・・まあ、寒いし?」
ヒトミ(小学生の前で酒はさすがにねえ・・・)
ヒトミ「ミヨのはちょっと意外かも。 エナドリ飲むんだ?」
ミヨ「はい。 夜に勉強している間とか、とても重宝するんです」
ヒトミ「そっか、ミヨも大変だねえ」
ミヨ「大変です。 でも、そうしている間はとても有意義に時間を使えている気がして、最近は楽しくもあるんです」
ヒトミ「・・・」
ミヨの言葉に他意はない。
純粋に本心を語っていることは承知の上なのだが、ヒトミにとっては思うところがないわけでもない。
そんな些細な胸のつかえが、少なからず顔に出ていたのだろう。
ミヨ「──それで。 先輩はこんな時間に何を?」
ヒトミ「遊んできた帰りだけど、それがどうかした?」
ミヨ「いえ。 先輩が何もなしに夜出歩いてるのって、なんか想像できなくて」
ミヨの懸念に不思議はない。
事実、本来インドア寄りのヒトミが休日に出歩くこと自体稀なことだ。
ヒトミにはその自覚があり、また、ミヨにも日頃から出不精であることを話していたのだった。
・・・まあ、それ以外にもミヨがそう思う理由にいくつか思い当たる節はあるのだが。
ミヨ「おばさんとケンカした時とか、先生に酷く叱られた時とか、遅くまで帰らなかったって話、聞いてます」
ミヨ「あとはその・・・ 高校の彼氏さんと別れた時も」
ミヨ「だから・・・また先輩が何か悲しい思いをしているんじゃないかって、ちょっと気になってしまって」
ヒトミ「・・・ミヨはわかっちゃう、か。 隠す気はなかったんだけどね・・・」
〇公園のベンチ
ミヨ「それで、お友達とケンカを・・・」
ヒトミ「ケンカってよりは、互いに互いが興味なくなっちゃっただけだと思う」
ヒトミ「お互い誤解し合ったまま、なんか思い描いてたものと違うことに気づいちゃっただけ」
ヒトミ「だから別に、ミヨが心配するような嫌な思いはしてないよ」
ミヨ「・・・でも、悩んでいますよね?」
ミヨ「或いは迷っているか・・・ いずれにしても、楽しそうじゃない先輩のままじゃ私は嫌ですよ」
ヒトミ「・・・」
ヒトミ(この子、小学生なのに昔から妙に鋭いんだよなあ・・・)
ミヨ「私はずっと先輩のことを見てきましたから、そのお友達の方よりも先輩がどういう人かわかってるつもりです」
ミヨ「だから、先輩が何をそんなに迷ってるのか、逆にわかりません」
ヒトミ「あ、そこはわかるわけじゃないんだ・・・」
ミヨ「わからないです。 だって成人式に出ることは至って普通のことじゃないですか」
ヒトミ「・・・っ」
ミヨ「先輩は普通であることが嫌なんでしょう? ならば普通の人が離れていくことは苦でもないはずです」
ミヨ「ならば先輩は、一体何に悩んでいるんですか?」
そんなことは──と言いかけて思いとどまる。
何が”そんなことは”ないのか。
友人が離れていくことが苦ではない、ということに対してか。
それとも、そもそも悩んでいることを否定したいのか。
或いは・・・
ヒトミ「・・・もう、わからないんだと思う」
ヒトミのこれまでの行いは、取り立てて誰かに否定されるようなものではなかった。
他者に流されず、自分だけの考えで行動できること。
それ自体、現代社会においては肯定され、時に憧憬すら抱かれるものだ。
故に、ヒトミのような人間が自分を自発的に疑い始めることは滅多にない。
「前と言っていることが矛盾する」
「これまでは賛同できていたが、その考え方は私に都合が悪い」
「そもそも気に食わない」
自分なりの考えを持つ者には、常にそういった否定から自分を守る責任がついて回る。
そして、それらに対する厚顔さを持ち切れなかった者達はやがて、自分自身からの疑念によって自信の喪失を余儀なくされる。
ヒトミ「・・・これ以上は、自分を誤魔化し切れないかも」
ヒトミの場合、最初は馴染めない自分を守る言い訳だった。
世の中を正そう、とか、そういった高潔な動機ではない。
ただ自分が困るから、世の中の”普通”から逸脱する道を選んできた。
それ故、自分の正しさを否定されてしまっては、その道を貫けない。
それほどの厚顔さを、ヒトミは持っていない。
ヒトミ「・・・だからって今更普通の人ぶってそれっぽく生きることも出来ない。 考えれば考えるほど、私ってもうどうしようもないなって」
ミヨ「・・・」
〇黒
正しさを見失っては人は立ち行かない。
それが世の中的なものか、自分なりのものか、或いは善として、悪としての違いはあれ、その大原則は変わらない。
自分の間違いを自覚していても、どこかで必ず正当性を求めるもの。
正しさとは人間を縛るものではなく、最低限の原動力だ。
無意味でも見せかけでも、人は自分を納得させ、肯定させる何かが無くては進めない。戻ることもできない。
──だからこそ、互いを認識し、互いの成長を認め合い、互いを励まし、労わり合う場というものを、人間社会は生み出した。
人生における、次の段階に意味と自信を付与するための通過儀礼。
成人式もその一つだ。
〇公園のベンチ
ミヨ「・・・まず、私は先輩が間違ってるとは思いません」
ミヨ「でも、そういった悩みが原因で先輩が苦しんでいるというのであれば、今からでも少しやり直してみるのもアリだと、私は思います」
ヒトミ「・・・ありがとう。 そう言ってもらえると、少し気が楽になる」
ヒトミ「でもごめん。 やり直すにはやっぱり遅すぎるよ」
ミヨ「いいえ、そんなことはないんです」
ミヨ「「人生、”遅すぎる”なんてことはなかった」 って、お婆ちゃんが言ってました」
ミヨ「・・・今だから思うんです。 その言葉、先輩と私に向けて伝えてくれた言葉なんだろうな、って」
ミヨ「それに・・・」
〇ダイニング(食事なし)
「お婆ちゃんって、普通の人だよね」
「おや、どうしてそう思うんだい?」
「だって、小学校の先生をやってる途中でお爺ちゃんと結婚して、先生やめちゃったんでしょ?」
「隣のクラスの中村先生も結婚して今年で先生辞めちゃうんだって」
「みんな普通のことだって言ってた」
「そっか。じゃあお婆ちゃんは、今でも普通の人なんだねえ」
「違うと思ってたの?」
「さあ・・・”普通”って、いつの時代も同じとは限らないからね」
「お婆ちゃんの頃は女の人が結婚して仕事を辞めるのは当たり前のことだったけど、今は女の人も働き続ける時代だろう?」
「そっか。テレビでもよく言ってるもんね」
「でも、あの頃は逆に、お婆ちゃんみたいな人は珍しかったかもねえ」
「学校を辞めた後、実はもう一回別のことがやりたくなって大学に入ろうとしたんだよ」
「えっ、そうなの!?」
「結果は振るわなかったんだけどね。 「嫁いでおいて家事を放り出すとは何事か」って、ミヨのひいおじいちゃんに怒られたものだよ」
「なんで、そこまでして大学に行くきたかったの?」
「そうさねえ。 色々あるけど、一番の理由は”お爺ちゃんがいたから”かねえ」
「お爺ちゃんは良くも悪くも”普通の人”だったからね」
「”職場でもそばで支えてあげたい”なんて思ってしまったんだよ」
「普通だと支えてあげたいの?」
「支えてあげたいのもそうだけど、普通でいられる人が傍にいたから、お婆ちゃんもちょっとだけ無茶をする勇気が出たんだよ」
「”お前が世間から見放されても俺が守ってやる”だなんて言われちゃったら、頑張ってみたくもなるじゃないの」
「・・・”普通”なあの人がいたから、なんだってやれる気がしたのさ」
「どこまで行こうと連れ戻してくれて、もう一回やり直そうと思える最低保証みたいなものなんだろうねえ、”普通”って・・・」
〇公園のベンチ
ヒトミ「最低保証・・・”普通”であることが・・・」
ミヨ「当時の私にはまだ難しかったんです。 でも最近、少しずつ言葉の意味を調べたりしていくうちにわかるようになっていって」
ヒトミ「ミヨのお婆ちゃん、結構難しい言葉遣いするもんね」
ミヨ「はい。 でもおかげで、私も色々な言葉を勉強してみよう、って気になりましたし・・・」
ミヨ「──何より、先輩を励ますことが出来るかもしれませんから」
励まし・・・確かに、ミヨの話を聞くうちに、ヒトミの中ではどこか安心感のようなものが生まれていた。
ヒトミの悩みは晴れていない。
何かが解決したわけでもなく、前途多難であることにも特に変わりはない。
けれど。
ヒトミ「・・・うん。認めてくれる人がいるんだもんね」
一度逸脱した人間を、世間は簡単に許さない。
就職。再入学。起業。結婚。
今後採りえるあらゆる選択肢が、逸脱したヒトミを許しはしないだろう。
でも、胸を張ることは出来る。
こんな自分でも、認めてくれる人がいて。
間違っていないと受け入れてくれる人がいる。
その事実だけで、踏み出す一歩はとても軽くなった。
ミヨ「そうです。 どんなに大変なことがあっても、私が先輩の耳元で 「がんばれー!」 って応援してあげます」
ミヨ「だから、もうそんな不安そうな顔をしないでくださいね」
2023年1月9日。
この日、川成ヒトミは成人しない。
それは意固地でも、捻くれでもない。
スタートラインに立ち直す者として、改めて目指し直すべき場所として見据えるため。
ヒトミ「・・・皆、新成人おめでとう」