想い焦がれる(脚本)
「秘密? ・・・・・・そんなものないわ」
いつも彼女はそう言って首を傾げるばかりだった。
〇狭い裏通り
僕が出会った中でも特別にミステリアスな笑顔で、謎めいた視線で、柔らかに微笑んで見せる。
彼女「名前だって、年齢だって、連絡先だって貴方は知っている」
彼女「・・・・・・そう、住所だってほら、さっき教えてあげたわ。これは貴方だけよ」
僕自身の意思に反して、視線が勝手に泳ぎ出すのを自覚した。鮮烈な印象を遺すバイオレットの瞳が僕を覗き込んでいる。
美しい。駄目だと分かっていても、そう形容せざるを得ない。
彼女「美しい・・・・・・ですって。あら、そんな風に私を褒めてくれるのね。思っていたより月並みだわ」
「あっ・・・・・・と、これは、駄目ですってば・・・・・・!」
僕は手の中のメモ帳を垂直にして彼女の視線から逃がした。
駄目だ、こんなものを見られてしまっては。呆けている場合じゃない。ちゃんと注意しておかないと。
――こっそりメモ帳に綴ってきた彼女の情報。
そう・・・・・・名前も、年齢も、連絡先も、住所も、そして容姿も。
このメモ帳には、今まで僕が手に入れた彼女の全てが詰まっているのだから。
「あの・・・・・・また一つ、質問してもいいですか?」
彼女「ええ、もちろん。秘密はなしって、そう約束したものね」
彼女の声に引き込まれそうになる。強い香水の香りに頭がくらくらした。
深呼吸をして、意識を保って。
僕は一歩、注意深く彼女に踏み込む。
「昨日の夜・・・・・・あなたが何をしていたのか、知りたくて」
「あ、その・・・・・・何というか、不意にあなたの事を思い出してしまったものですから」
彼女「昨日の夜? そうねぇ・・・・・・」
また、僕の知らない彼女の情報が艶めいた唇から発される。僕はそれを書きとっていく。
一文字も聞き逃さないように。ペン先から直接、脳に刻み込んでいくように。
「そうですか、あの通りにいたんですね。やっぱり・・・・・・僕の思った通りだ」
彼女「あら、それはどういうことかしら?」
「実は昨日、僕もあの辺りにいたんです。視界の端であなたを捕らえたような、そんな気がしまして」
「それでその・・・・・・こんな質問を」
彼女「そうだったの。偶然ね。いえ・・・・・・運命、と呼ぶべきかしら?」
彼女の手が伸びてきて、僕の肩に触れる。驚いた僕が何かを言う前にその手は離れ、一本の糸くずを摘まみ上げていた。
高鳴った心臓の鼓動を押さえつけ、僕は詰まっていた息を吐き出す。
「そう、かもしれませんね。では――」
――昨日深夜二時頃、あの付近で起きた殺人についても、ご存じですね?
彼女「――なぁんだ、そういうこと」
僕の手ごとメモ帳に包み込むように触れ、彼女は眉尻を下げる。
あの夜僕が見た全ての特徴を併せ持った彼女は、それでも僕を受け入れてくれた。
彼女「貴方、刑事さんだったのね。嫌だわ、秘密にしてたのは貴方の方じゃない」
彼女の口の端が上品に持ち上がる。僕を試しているのだろうか。
なんて意地悪なのだろう。僕はもう、衝動を抑えるのでいっぱいいっぱいだというのに。
「訊かれませんでしたからね。僕の素性については・・・・・・ええ。秘密にしていた訳じゃありませんよ」
彼女「ふふ。でも・・・・・・私、犯人じゃないわよ? 確かに見てしまったけれど・・・・・・それくらいはもう、ご存じかしら?」
「もちろん。あなたが犯人じゃないってことは僕が一番よく知っています」
僕はまた一歩、足を踏み出した。
ああ、この期に及んで一瞬でも躊躇してしまう己の欲深さが憎い。
メモ帳を握ったままの左腕をそっと伸ばし、彼女の背中を包み込むように触れる。
右袖の中に隠し持った秘密は、最後まで知られずに済んだ。
〇狭い裏通り
妖艶な黒いドレスが、更に黒く――赤黒く、染まっていく。
「目撃者の人数が、あと一人だけ足りなかったんですよ」
お互い惹かれ合っていることをひた隠しながらも、責める責められるのバランスが行ったり来たりしながら、最終的に一方が優位に立つという、読む側を揺れ動かすストーリー展開でした。
最初はなんかストーカーなのか?とか思っちゃいましたけど、刑事さんの事情聴取的なのだったのですね。
しかし、だいぶ挑発的というか…未知な感じがして怖かったです汗
2人の思惑が見え隠れしていて怖いお話しでした。彼女は初めから知ってたんでしょうね、その上での笑顔。すごいですよね。楽しいストーリでした。