読切(脚本)
〇雑踏
『昨日のわたし』
──────
システムのエラーなのか、
バグなのか、
とにかく私は前の記憶がまだ残っている。────
今日の私は、
冴えない独身35才会社員、冴子だ。
冴子は、子どもの頃から
決して前に出ることはなかったし、
親にも一度も反抗したことのない子だった。
〇教室
普通に勉強をして、
普通に進学して、
普通に就職した。
──────
〇駅のホーム
恋はしたこともあったが、
密かな思いを抱いたことはあったものの、
それが実ることはなかった。
冴子のこれまでの人生は
あらかじめ決まったレールを
定刻通りに運行する列車のようだった。
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〇川沿いの道
しかし、
私はこの世界が
──────
毎日、記憶を書き換えられた世界だということをどういうわけか知っている。
〇おしゃれなリビングダイニング
冴子の過去は実在しない。
今日、新たに作られた記憶だ。
〇オフィスのフロア
もし、他の人たちも
同じように記憶を書き換えられているなら、──────
世界は今日も過去を持っているかのように
今日という新しい人生を送っている。
〇サイバー空間
システムのエラーなのか
バグなのか──────
私には、
昨日の別の人生の記憶があるからだ。
その前の日は、
また別の人生の記憶だった。
──────
だから、
──────
〇散らばる写真
口を開けば小言を言う母も、
──────
部屋の壁にかけてある
小学校の時に唯一賞をもらった、
なわとび記録会の賞状も、
──────
可愛がってくれたおばあちゃんのお葬式で棺からなかなか離れなかったことも、
──────
意地悪ばかりしてくるクラスメイトの
小杉が、2人の時は優しかったことも、
──────
本当はその小杉を好きだったことも、
──────
一度でいいから
思い切り腹の底から
大きな声を出してみたいと
思っていることも、
──────
〇水たまり
全ては幻だということを知っている。
しかし、
それはあまりにもリアルで、
切なくて、本当に小さな願いだったから、
──────
私は涙が溢れてきた。
涙で霞む目の前に、
──────
〇オフィスのフロア
古い価値観を押しつけ、
女性蔑視のパワハラ発言を
連発している真っ最中の、
──────
ハゲ上がった頭が
真っ赤に茹で上がった
見覚えのある中年男性がいる。
ああそうだ、
決して逆らうことができない上司が
目の前にいる。
なんだか、
タコみたいに口を尖らせて
しつこくパクパク何かを言っている。
次の瞬間、
──────
〇黒
自分でも驚く言葉が
(この場合驚いたのは
冴子という記憶だが)
腹の底から飛び出してきた。
──────
「バッカヤローーーーーー!!!!!!!!」
システムのエラーなのか
バグなのか
──────
それは、
昨日の人生の
「私」だった「小杉」の声だった。
〇黒
小杉の声だったんだ。
──────
昨日のわたしは、小杉。
──────
わたしが好きだった小杉。
〇サイバー空間
システムのエラーなのか、
バグなのか、
──────
わたしには前の記憶が残っている。
──────
昨日のわたし。
昨日のわたしと恋をした
今日のわたし。
〇黒
おわり。
人生の全ては幻で,辛いことはバグでシステムエラーだと思えば,人生のどんな辛いことも乗り越えられるかもしれない,と考えさせられる作品でした。
システムエラーかバグなのか、人間には使わない言葉ですがなぜか違和感なくすーっと入ってきました。確かに過去の自分は本当に自分だったのか、、とても不思議なお話でした。
昨日も、一年前も、明日も全部自分。そう考えると何だか不思議ですよね、過去には戻れない、現時点では明日には行けない、けど感情はわかる。楽しいお話しでした。