出利子再び!(脚本)
〇オフィスの廊下
「何なのよ、もう~!!」
怒り心頭でオフィスにやってきたのは出利子だった。
寿退社を宣言してからわずか一週間。
あまりにも早い帰還であった――。
出利子がプリプリと怒りに頬を膨らませながら、来客用のソファにどっかりと腰を降ろしてコチラをにらみつける。
だが、私は出利子に何かしたわけではない。
出利子が勝手にコチラの顧客情報を見て、連絡をして、佐藤と出会ったのだから。
と、私は佐藤の件で出利子が怒っているのだと思った。
だが――。
「退職金と、結婚祝いが届かないってどういうことよ!」
出利子の要求は、予想の斜め上だった。
もう社員でも会員でもない彼女の席はないから来客用のソファなのは仕方ないとして・・・
一カ月も務めなかったのに『社員』扱いをしろという要求なのか?
とりあえず落ちつかせて、私は入社時にも見せた約款を読み上げる。
社則としてパートにはフルタイムで三年以上の継続勤務の実績がなければ退職金が出ないこと、
同じように会社からのお祝い金が包まれるのも、一年以上勤務した人だけだ。
だが出利子は・・・。
「違うわよ、アンタよ! 仮にもアタシの上司だったんだから、普通はお祝い金出すもんでしょ?」
眩暈がしそうな要求に、私は無意識に内線で出利子の親類である役員を呼び出していた。
親類である役員が話をしている間に、私は上司に引っ張られて給湯室へと向かった。
役員が事と次第を確認したから、出利子の機嫌を損ねないように部署からという形でお祝いを渡してもらえないかということだ。
もちろん、費用は役員持ちということで。
ここで結婚までこぎつければ親類一同万々歳なのである。
だから可能な限り出利子の要求を飲んでほしいということだ。
だが、それに対して私も譲らない条件があった。
あくまで「部署」として出すなら良いが、彼女の上司として「個人」でお祝いを出すのは断固拒否したい。
それは万が一、結婚が上手くいったとしたら、何かあれば延々と祝いをたかられるのが目に見えている。
一カ月も務めていないのに、祝いを要求する精神の持ち主である。ならば私の予想はあながち間違いではないだろう。
絶対に、何があっても、誰が出資元でも私の名前でお祝いは出しません、絶対です!
断固として訴えたら、何とか上司と、途中で抜けてきた役員は申し訳なさそうに頷いていた。
とくに役員は、私の部下になってすぐに出利子が結婚まで考えてくれたのがとてもありがたいようで、とても感謝していた。
間もなくブラック・リスト入りの予定だった佐藤俊夫が彼女の相手なのだが、上司も役員もこの男がどんな人物か詳しくは知らない。
というのも、よほどのことがない限り、私の裁量で会員の進退をある程度決められるほど信頼してもらっている。
だから佐藤俊夫の情報は私で止まっている。
(こいつのせいでどれだけ女性会員に迷惑が被ったことか・・・)
この佐藤俊夫、通称SS(私は『さとうとしお』という名前から『砂糖と塩』で『シュガー&ソルト』、略してSSと呼んでいた)は
結婚相談所を出会い系のように使っている。
基本的に結婚前の婚前交渉は本人たちの付き合いに委ねるのだが、揉め事を避けるために当結婚相談所では
「なるべく控えて下さい」と進言していた。
これまでブラック・リスト入りしたのは入社して6年目だが、4件だけ。
その4件の内、2件は男性側からの婚前交渉を求めて、断った女性側がストーカーされただの、
断られたことでウチを逆恨みして怒鳴り込んできたというものだ。
しかしSSは見た目や結婚相手としての条件の良さ、口の上手さから、女性側も身を許してしまったらしい。
だがSSは付き合ってからしばらくすると、突然連絡を断ち、女性は理由もわからず困惑するのだ。
最初の1、2回は双方の行き違いから生じたと思ったが、さすがに一年で6件もそのような報告があると明らかにおかしいと気づく。
だからSSは次にやらかしたらブラック・リスト入り予定だった。しかしそこに現れたのが出利子である。
出利子とSSはすぐに別れることになるかもしれないが、面倒な会員ふたりを片付けられるとウキウキしていた。
それが今朝の出利子の襲来で怒りと呆れで疲れてしまった。
(・・・それにしても、SSは後がないとはいえ、この強烈な出利子とよく結婚する気になったなぁ・・・)
ふと、出利子とSSとの間でどんな話になっているのか、興味を覚えた。
役員と上司には私がわざと出利子の前にデータを置いておいたことを知らない。
だから出利子が私の机にあったデータを勝手に見て連絡した、と彼らに話したら
情報管理が甘いと言われるかもしれない。だが多少のお咎めがあったとしても、役員は出利子の件で「よくやった!」と言いそうだ。
それでもややこしいことになるのは面倒なので、あとは出利子の話をこちらで聞いておくので仕事に戻ってもらうよう勧めた。
上機嫌の役員はみんなには説明するから、すまないね、と言って私に一人してくれた。
満を持して出利子に向き合う。
お茶のお代わりとお茶菓子のおかわり(普通はあり得ないが)を用意して。
「良かったら、どんな素敵なお付き合いをしているか聞かせてくれませんか?」
おだてるように出利子に話を向けてみた。
だが――出利子から出てきた話に私は驚きに椅子からひっくり返りそうになった。
「お付き合いって言っても、まだメールだけよ。今度の金曜の夜に会いましょって言ってあるの。彼ちょっとメールにルーズだから、
金曜の夜のお誘いメールしてから返事が来ていないの。だから気をきかせて場所と時間を送っておいたわ」
会っていない・・・メールの返信が、ない?
あれ? 結婚が決まったって話じゃなかったでしたっけ?
「そりゃアタシに会えばプロポーズしないはずがないでしょ? これから彼のためにエステ行ったり
デート用の服買いに行ったりで忙しいから、先んじて休職したの。ね、アタシって気が利く女でしょ?
そりゃアタシがいないとこの会社が困るのはわかるけどぉ、でも親も親戚も『早く結婚しろ!』ってうるさいし
そろそろ結婚してもいいかなぁって思ったから」
SS・・・じゃなかった、佐藤俊夫さんの方からも成婚による退会の申請が出ていたような・・・。
「あ、それアタシが出しておいたの。だって、アタシという女がいるのに他の人と会って期待もたせちゃ、可哀相でしょ?」
・・・・・・。
アウト、完全にアウトだ。
書類偽造で、ウチの結婚相談所の存続にも関わることだ。
幸いにも退会申請を出した際に、退会の手続きは月末にまとめて行われる(そうでないと、会費を日割りにして
返金などと問題が出てくるからだ)。
佐藤俊夫の退会までにはまだ時間がある、事実確認をしなくては!
出利子が金曜日のデート(そもそも約束できていない)妄想を語っているが、
私は話を聞くフリをして、手にしたタブレットで上司と役員にこの異常事態を知らせた。
「ねぇ、アンタも嫉妬しないでよ」
は?
「アタシが引く手あまたのイイ男からアプローチされるからって、嫉妬しないでね。アンタ既婚者なんでしょ?
人の男を狙うのは下品よ」
お前が言うな!という言葉を必死に呑みこんだ自分を、とても褒めてあげたい気持ちになったその時、
真っ青な顔をした上司と役員がやってきた。