とある青年の世界見聞録

霧ヶ原 悠

回想(脚本)

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霧ヶ原 悠

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〇山道
  もう10年以上前のことだ。僕はまだ年の頃、二桁になっていなかったと思う。
  世界の辺境、東のド田舎に僕の故郷である[春陽と野花の町]はあった。
  緑豊かで、月と太陽の動きに従って生活するようなのんびりとした町だ。その裏手には小さな山があった。
  そこには70年の周期で夜に咲く珍しい花があって、それを見るために僕はあの日、兄さんと父さんに連れられて山を登っていた。
  だけど僕は、それがどんな景色だったのかまったく覚えてない。
  あの日のことを思い出そうとすると、浮かぶのは『彼女』のことだけ。

〇木の上
『彼女』「君は、この世界の《名前》を知ってる?」
  丸くて大きな蒼い月を背に、『彼女』は大ぶりの木の枝に腰掛けていた。
  小石と砂に足をとられないように、慎重に僕は山道を歩いていた。そのときずっと伏せていた顔を上げて息を吸ったのは偶然。
  そして『彼女』の翡翠色の瞳と目があったのは、偶然を超えた奇跡だったと思っている。
『彼女』「ねえ、君はこの世界に《名前》はあると思う?」
  どうしたらいいかわからず固まっている僕をよそに、『彼女』はなおも聞いてきた。
トルヴェール・アルシャラール「な、名前って・・・・・・それは、メトロポリスでしょ?」
  ここがいくら辺鄙な土地でも、自分の住んでいる国の名前を言えないやつはいない。だけど、『彼女』は僕の返事を聞いて笑った。
『彼女』「違うよ。それは違う。フフッ」
  喉を鳴らして、何度も、心底愉快だという顔で。
トルヴェール・アルシャラール「違わないよ。ちゃんと習ったもん」
  笑われたのがどうしてか悔しくて、僕はそう言い返した。すると『彼女』は枝の上に立ち上がって、深い笑みを浮かべたまま言った。
『彼女』「違うよ。それは国の名前。世界の名前じゃない」
  足首まであるような、『彼女』の長い銀糸の髪がふわりと広がった。身に纏っているドレスが僅かな空気を得て、軽やかに宙に舞う。
  千年紡がれた詩のように、幻想的で、心奪われる。
トルヴェール・アルシャラール「一緒じゃ・・・・・・ないの?」
『彼女』「違うよ」
  ざあ・・・・・・っと、木々の葉が揺れた。『彼女』の髪も服も、風に遊ぶ。
『彼女』「人は営みを繰り返し、国を作り、記憶の塵にそれを埋めてしまった。この鳥籠のような、愛おしき箱庭の名を」
  目が離せない。
  『彼女』の声しか聞こえない。
  『彼女』の薄い唇が紡ぐ言葉が、その音のひとつひとつが、僕の体に染み込んで、僕の何かを変えていく。
『彼女』「人だけが忘れてしまったこの世界の名と生まれを、君は知ることができるかしら?」

〇山道
「トルヴェール! どこだ?」
  いつのまにか後ろからいなくなっていた僕を探す父さんと兄さんの焦った声がした。
  そこで僕は我に返った。だけど、『彼女』はもういなかった。『彼女』がいたという痕跡もなかった。
  謎かけのような言葉を残して、蒼き月夜の彼女は僕の前から姿を消した。

次のエピソード:春陽と野花の町

コメント

  • 静かな世界観が好みなので、ぜひとも続きを所望します!

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