阿鼻獄の女

高山殘照

6.歯車(脚本)

阿鼻獄の女

高山殘照

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〇繁華な通り

〇ビルの裏通り

〇怪しい部屋
岳尾 貴美子「昏睡!?」
医者「はい。岳尾雄さんは 現在、昏睡状態にあります」
医者「ご主人の病気は 重度になると意識障害が起きる」
医者「そのことは ご説明を受けているはずですが」
岳尾 貴美子「ええ 主治医の先生から、ずいぶん前に」
岳尾 貴美子「原因は・・・・・・」
医者「・・・・・・」
岳尾 貴美子「ええ、わかってます あんなこと、あったんですもの」
岳尾 貴美子「いえ、あったんじゃない 私が」
医者「奥さん、あなたまで 思いつめてはいけない」
医者「あなたまで倒れたら 誰がご主人を支えるんですか」
岳尾 貴美子「ええ・・・・・・そうね」
医者「この病院を見て 驚かれたでしょう?」
医者「なにせ裏通りにあって 看板さえ出してない」
医者「そういう施設です、ここは どんな秘密も厳守しますよ」
医者「だから、安心してお任せください」
岳尾 貴美子「でも、あの人の病気は 根本的に治すことはできないんでしょう?」
医者「む・・・・・・」
医者「・・・・・・・・・・・・」
医者「あの探偵とは どれくらい前からお知り合いで?」
岳尾 貴美子「3ヶ月も経ってないわ 浮気調査を依頼して」
岳尾 貴美子「それから、 依存誘導プランというのを勧められて」
医者「それが『手』なんだ あの男の!」
医者「奥さん、 あの男は探偵としては凄腕だ」
医者「人探しだろうと浮気調査だろうと 人間関係の構築や妨害だろうと」
医者「解決できない問題はない その点では、最高の相手といってもいい」
医者「問題は、そこからなんですよ」
医者「『合成の誤謬(ごびゅう)』 という言葉をご存知で?」
岳尾 貴美子「確か、経済学の」
医者「はい。ミクロ視点では最善の行動が トータルすれば最悪の結果になり得る」
医者「たとえば企業という企業が 人件費を抑制し、収支バランスを改善する」
医者「すると社会全体でみれば みんな貧乏になって不景気に陥る」
医者「そんな『あるある』を表すことばです」
医者「あの調という男も、似たようなものです 依頼単体で見れば最高の仕事をする」
医者「しかし振り返ってみると 以前より悪い立場へ追い詰められている」
岳尾 貴美子「そんな」
医者「私だって昔は 大学病院に勤めていたんですよ」
医者「それが、犬探しを頼んだだけで 今や、こんな裏病院の雇われ院長だ」
岳尾 貴美子「そんな馬鹿な話!」
岳尾 貴美子「もし、それが本当だとしたら あの男は、なにがしたいの?」
岳尾 貴美子「人の不幸を見たいとかいう そんな嗜好の持ち主?」
医者「岳尾さん、 そこが一番恐ろしいところなんです」
医者「少なくとも私は、 一度もないんですよ」
医者「彼から、悪意を感じたことは」

〇綺麗な病室
岳尾 貴美子「うっ、うっ、うっ」
佐東 法子「よしよし、泣きなさい 誰も見てないから」
岳尾 貴美子「母さん、 私、どうしたら・・・・・・」
佐東 法子「大丈夫 きっと雄さんはよくなるわ」
岳尾 貴美子「根治しないのよ あの病気は」
佐東 法子「医学の進歩はたいしたものよ 私だって、こんなに元気」
佐東 法子「貴美子、諦めちゃダメ 泣いてもいいから、前を向くの」
佐東 法子「雄さんが退院したら、なにしたい?」
岳尾 貴美子「・・・・・・ピクニック」
佐東 法子「うん」
岳尾 貴美子「昔、あの人にプロポーズされた あの場所で」
岳尾 貴美子「もう一度、お弁当広げて 一緒に穏やかな光に包まれて」
岳尾 貴美子「笑い合いたいの 許されるならば」
佐東 法子「許すわ 私が、許す」
岳尾 貴美子「母さん・・・・・・」
佐東 法子「私は味方よ、どんなことがあっても ずっと、ずっと」

〇病室のベッド
岳尾 雄「・・・・・・」
医者「まだ意識は戻りませんが 容態は安定しています」
岳尾 貴美子「また、彼とピクニックに行けますか?」
医者「行けますよ 目が覚めれば、きっと」
岳尾 貴美子「先生、私が 雄さんの治療について尋ねたとき」
岳尾 貴美子「言葉に詰まってましたよね」
医者「・・・・・・」
岳尾 貴美子「そんなふうに」
岳尾 貴美子「なにか、 ご存知なのではないですか?」
岳尾 貴美子「『治療法』 あるんですよね?」
医者「岳尾さん これは明らかに罠だ」
医者「あの探偵は 私に喋らせようとしている」
岳尾 貴美子「知っているなら、教えて!」
医者「・・・・・・場所を変えましょう どうぞ、診察室へ」

〇怪しい部屋
医者「ふぅーっ」
医者「机の上が散らかってるな」
医者「ちょっと片付けますので 少し離れてていただけますか?」
岳尾 貴美子「ええ・・・・・・」
医者「・・・・・・」
医者「うわああああああ!」
医者「いつもこうだ! 調! どうしてだ!」
医者「どうして こんなことができる!!」
岳尾 貴美子「先生、落ち着いて」
医者「岳尾さん あなたはきっと、聞きたいだろう」
医者「どんなことをしても たとえ自分がどうなろうと」
医者「『治療法』を聞きたい そう思うでしょうね」
岳尾 貴美子「当然よ」
医者「しかし聞けば それだけで、地獄に落ちる」
岳尾 貴美子「地獄?」
医者「地獄って どこにあるかご存知ですか?」
医者「地の底、空の果て?」
岳尾 貴美子「いったい、なにを言って・・・・・・」
医者「私は知ってますよ 今から、ここが地獄なんです」
医者「あなたが何気なく過ごしている日常 それは一枚のレイヤーなんです」
医者「それが『地獄』に置き換わる」
岳尾 貴美子「しっかりしてください!」
医者「見てのとおり 私はどうかしている医者だ」
医者「それでいいじゃないですか 別の病院に移ってください」
岳尾 貴美子「私がなにをしたか ご存知でしょう!?」
岳尾 貴美子「覚悟は、できてます」
医者「覚悟?」
医者「はっ」
医者「そうですか、もう手遅れなんですね」
医者「ご主人じゃない あなたが、です」
医者「いいでしょう お教えしましょう」
岳尾 貴美子「感謝します、先生」
医者「私も、 責任持ってお付き合いしますよ」
医者「なに、言ってしまえば 実に簡単なんです」
医者「一回の点滴 それだけで完治できるんですよ」
岳尾 貴美子「点滴? なにを点滴するんですか?」
医者「ご主人の疾患は 要するに膵臓の機能不全なんです」
医者「ならば膵臓の移植が一番手っ取り早い」
医者「しかもこの場合、 膵臓の一部だけでいいんです」
医者「詳しい説明は省きますが 抽出した必要部位をカプセルに入れ」
医者「点滴を通じてご主人の膵臓に定着させれば ほぼ間違いなく完治します」
岳尾 貴美子「それだけ?」
医者「それだけです」
岳尾 貴美子「なんだ、簡単じゃない ねえ、本当? それ」
岳尾 貴美子「そんな治療 聞いたことないけど」
医者「どうして 聞いたことないんでしょうね」
岳尾 貴美子「インチキだから? あまりにも高額だから?」
医者「違います」
医者「ちなみに、臓器移植につきものの 免疫不全も起こしません」
岳尾 貴美子「夢みたいね」
医者「そう、夢みたいに都合がいいんですよ」
医者「ところで、 その膵臓はどこから持ってきましょうか」
岳尾 貴美子「肝臓みたいに 一部を切り取って移植を・・・・・・」
医者「試みられてはいますけど、ね」
医者「まあだいたいは 膵臓まるごと一個すり潰すことになります」
岳尾 貴美子「え」
医者「そして人間に膵臓は一個しかありません 同時に、膵臓がなければ生きていけない」
医者「もう分かったでしょう」
医者「誰かが死ななければ この方法は使えないんです」
岳尾 貴美子「で、でも臓器提供制度が」
医者「あなたのマイナンバーカードでも 見てみるといい」
医者「臓器提供意思表示の欄に なにか書いてますか?」
医者「ねえ、分かるでしょう」
医者「死にたての人間から膵臓が取り出され それがご主人の元まで届く」
医者「それがどれだけ難しいか」
岳尾 貴美子「私のを使ってください」
医者「話聞いてましたか 膵臓がなければ死ぬんですよ」
医者「構わない、 なんて言わないでくださいね」
医者「それを受けたら 私はいよいよ殺人者だ」
岳尾 貴美子「じゃあ」
医者「岳尾さん」
岳尾 貴美子「じゃあ誰かから」
医者「それ以上言っちゃダメだ!」
岳尾 貴美子「じゃあ誰かから 奪ってくればいいじゃない」
岳尾 貴美子「免疫不全もないなら 誰のだって」
岳尾 貴美子「あ・・・・・・」
岳尾 貴美子「私、なにを言って・・・・・・」
医者「・・・・・・」
医者「人間が、人間ではなく 膵臓を包む袋に見えてしまう」
医者「それが、この治療法における 最大の副作用です」

次のエピソード:7.悲しき玩具

コメント

  • すごいですね、毎回。ミルフィーユストーリーテラーのようです。毎回、前回を上回るナゾナゾを出されているようです。

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