蝶が舞うように

秋田 夜美 (akita yomi)

第5話 早春(脚本)

蝶が舞うように

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〇部屋のベッド
  部屋に帰るとタバコの箱をテーブルにバラ撒いて、ベッドへダイブする。
  ゴロンと仰向けになると、私を強く照らすLEDライトは厄介者だった。
  視界を遮るように腕で覆うと、ようやく自分だけの世界がやってくる。
冬花「あの歌の主がどこに住んでいるのかはわかった・・・」
冬花「けど私、それを知ってどうしたかったんだろ?」
冬花「「お礼を言いたい」「歌が素敵だった」って伝えたいって思ってたけど、」
冬花「初対面でそんなこと言われたら、気持ち悪いよね・・・」
  コンビニからの帰宅途中、気分良く袋を揺らしながら歩いていると、そんな当然のことにいまさら気付いてしまった。
  向かう道中は酔っ払っているかのような高揚感だったはずなのに、
  それが帰り道には、燃料を失いかけた車のように速度を失ってしまっていた。
冬花「なんで私ってこうダメなんだろ・・・」
冬花「いっつも失敗ばっかり・・・」
  思い返せばこの一週間、私は旅をしているようだった。
  大きな山を登ったと思ったら、今度は谷をくだり、また次の山を登る。
  そんな風に少しづつ進んできたはずだったのに、
  いま眼前にあるのは垂直の絶壁で、到底私が登頂できるような代物ではないように感じられる。
冬花「ここまでなのかな。私にできるのは・・・」
冬花「私にしては頑張った方、だよね?」
  私は腕を下ろすと、空にそう聞いた。
  光明を見いだせない状態に、私はゆっくりと全身の活力を失っていった。
  同時に今日の緊張や慣れない行動の反動なのか、眠気が私を覆い始める。
冬花「もう、いいよね・・・」
  そう何度も反芻しているうちに、
  私の意識は薄れていった。

〇ライブハウスの控室
「・・・!」
  ん・・・。誰かの声がする・・・?
「・・・冬花!」
「ね!とーか、ちょっと起きてっ!!」
  切迫感を孕む声で呼ばれ、私は慌てて顔を上げる。
冬花「えっ?!」
「とーか・・・。やっと起きてくれた!」
  当たりを見回すと、どうやらライブ会場の控室のようだった。
  部屋には防音しきれない大音量のBGMが流れ、目の前の鏡には既に化粧と髪のセットが終わっている自分が映っていた。
「もうっ!これからライブだってのに、寝ちゃうんだもん」
冬花「ごめん・・・!」
  呆れたような聞きなれた声に、私は間髪入れず謝罪する。
  彼女もそれをすんなり受け入れて、鏡越しに笑顔を見せる。
「ふふふっ、気にしないで! でも、本当どこでも寝れる羨ましいな!」
「私なんて夜も全然・・・。ううん、なんでもない!」
  彼女は何かボソボソと言っていたが、どんどん小声になってしまい、最後の方は聞き取ることはできなかった。
  追求しようと私が口を開くと、彼女は素早く話題を変えてしまった。
「あっ!そろそろ時間だね」
「じゃあ、今日も張り切っていこっ!!」
冬花「おーッ・・・」
  まだぼんやりした頭が納得していなかったが、仕方なく適当な返事をした。
  そんな様子を見て、彼女は楽しそうに笑い、私は少しだけ恥ずかしくなり、頬を赤らめた。
  おぼつかない足取りでパイプ椅子から立ち上がると、
  歩き始めた勢いそのままにパイプに引っかかり、見事に転んでしまった。
冬花「ゥン~~ッ!痛たッッ!痛ったいぃぃー!!」
「ちょっと冬花!大丈夫?!」
  彼女が急いで駆け寄ってきて、私の顔と足とを交互に、心配そうに見ていた。
  そんな彼女を心配させまいと虚勢を張る。
冬花「うん・・・、なんとか」
  全く格好はついていなかったが、なんとか笑顔をつくる。おそらくは渋柿を食した時のようであっただろう。
「私、救急箱取ってくる!」
  そう言って彼女は走って行ってしまった。
  ひとり鈍痛に変わりつつあるそれに悶絶していると、自分の声に重なってどこからかうめき声か聞こえてくる。
「ゥン~~ッ!痛いぃぃー!!」
  聞いたことがある気がするその声の持ち主を、頭のWebサイトで検索すると、
  すぐに結果が出る。
冬花「なんだ、残念・・・」

〇部屋のベッド
冬花「痛ぃぃッッ!」
  なんてことはない、聞こえたのは私の声であった。
  どうやら寝返りを打った拍子に、壁でも蹴ったらしい。
  夢の中で歩くときに現実でも足を前に出したのかもしれない。なんとも間抜けな話だ。
冬花「はぁぁー・・・」
  足先を何度も擦っていると、痛みが少しずつ遠ざかっていった。
  夢の中でも、私はわたしだった。
冬花「でも、あれが現実だったら・・・」
  そんな風に夢を夢みたが、すぐにその想いは封印することにした。
  足の痛みが遠ざかってから、いつものようにスマホの画面をタップする。
冬花「また3時かぁ・・・」
冬花「・・・あっ!」
  ほんのわずかな時間、躊躇したが、やはり急いでお風呂場へと向かうことにした。
  どうやら習慣というのは、なかなか変えることができないようだ。

〇白いバスルーム
  いつもの如く、ドアを勢いよく開いて頭を突っ込む。
冬花(どうせ今日も聴こえないんでしょ・・・)
  そんな想いを抱きつつ沈黙を保つと、
  いつもそこにあるかのように、歌が聴こえてきた。
冬花「えっ・・・?」
  自分の間の抜けた声も合わせて聞いてから、服の擦れる音も立てないようにして湯船の縁に座った。
冬花(キレイ・・・)
冬花(やっぱり幻聴じゃなかったんだ!)
  ようやく私は、あの歌声が現実のものであることを確信するのであった。
  それにしても、彼女の歌声は相変わらず力強く、そして優しかった。
  きっと世界には歌がもっと上手な人は数多いると思う。
  だけど、彼女の歌の良さはそういうことではない。そういうことではないのだ。
  歌詞の最後まで繊細な表現で仕立て、それでいて喜怒哀楽に満たされていて情緒的だ。
  嬉しいことを楽しそうに、悲しいことを切なそうに表現する。そういった素直さが私の心を強く打ったのだった。
  そんな彼女の歌声を聞いていると、ここ最近の私の行動すべてが報われる気がした。
冬花(この歌声には魔法がかかってる・・・)
  私は本気でそう思った。
  再び「会いたい」という気持ちがメキメキと盛り上がり、弱い私を悠々と超えていく。
  私はとうとう絶壁に手をかける覚悟を決めたのだった。
  決意を固めた後の彼女の歌声は、それはまた格別であった。

〇マンションの共用廊下
  翌日午後8時前、私は彼女の部屋の前に立っていた。
  昨日、荷物が届いていた時間だ。
冬花(きんちょーするぅぅー!!)
  私の鼓動はクライマックスに向かっていくオーケストラのように、激しくなっていった。
  一方で、ラストを飾るシンバルのようには思い切れず、
  先ほどからインターフォンのボタンに指を伸ばし、降ろす、という動作を繰り返していた。
冬花(しっかりしろ!私!)
  そう自分を叱咤してから、ひとつ深呼吸。
冬花「すぅぅーー、はぁーーー」
  それから再び指を伸ばすと、今度こそボタンを押し込むことに成功する。
「ピンポーン・・・」
冬花(押した・・・。押ちゃった・・・!)
  やっと押すことができた達成感と、鳴り響くインターフォンの音に動揺しながら反応を待つと、
  まもなく応答があった。
「はい、どちら様ですか?」
  私は口元まで上がってきた心臓をなんとか飲み干すと、用意してきたセリフを読みあげる。
冬花「あ、あ、ああの、私、505号の岡野、とと冬花と申します」
冬花「あ、あの、変なことをお聞きしますけど、よよ夜中に歌ったりしてませんか?」
「・・・」
「・・・ちょっと待ってもらえますか」
  長い沈黙があってからそれだけ言うと、インターフォンはガチャリと切られてしまった。
冬花(どうしよう・・・!怒らせちゃったかな)
  そんな不安を抱きながら立ち尽くしていると、チェーンを外す音に続けて扉が開く。

〇マンションの共用廊下
夏葉「ごめんなさいッッ!!」
  栗色の髪が印象的な女性は、扉が開き切る前に勢いよく頭を下げた。
夏葉「5階まで響いていたなんて、私知らなくて・・・」
夏葉「本当にごめんなさい!!」
  予想外の展開に私は慌てたが、すぐにクレームに来たと勘違いされていることを悟り、頭を下げる彼女に声をかける。
冬花「ち、違うんです!責めに来たわけじゃなくて・・・。と、とにかく、頭を上げてください!」
  そう私が言うと、彼女は不思議そうな顔をしながら、頭を上げてくれた。
冬花「あの・・・! 私、すごく落ち込んでいた日にあなたの歌を聴いたんです」
冬花「それでその歌声に慰めてもらって、勇気を貰って・・・」
冬花「その歌声の方にお礼をしたくて、探していたんです!」
冬花「そしたら昨日、偶然宅急便が来ている場面に遭遇して、そこであなたの声を聞いて・・・」
冬花「もしかしたらそうなんじゃないかって思って、」
冬花「今日お伺いしてみたんです!」
夏葉「・・・」
  私がそういうと彼女は驚いたように口に手を当てて、黙り込んだ。
  しばらく間が空き、気まずくなった私は立ち去ろうと頭を下げた。
冬花「すごく綺麗な歌声だなって思いました。本当にありがとうございました!」
  それだけ言うと、相手の顔も見ずに逃げるようにその場を離れようとした。
  しかし、
夏葉「待って・・・!!」
  彼女から呼び止められた。
  私は急停止すると彼女と顔を合わせることもできず、前を向いたまま次の言葉を待った。
  扉が閉まる音に続いて、後ろから彼女の足音が近づいて来る。
夏葉「あの・・・、」
夏葉「歌を褒めてくれて、ありがとう」
夏葉「そんな風にリアルで言われたの初めてで、驚いちゃって・・・」
  彼女は言葉を選びながら、静かにそう言った。
夏葉「あのね・・・渡したいものがあるの」
  そう言われた私はようやく彼女の方を向いた。
夏葉「・・・!」
夏葉「・・・勇気を出してくれたんだよね」
夏葉「こんな対応しかできなくて・・・ごめんね」
  私は精一杯、カブリを振った。
夏葉「良かったら、これ・・・!」
  そう言って、彼女は私に小さな紙切れを差し出した。
  広げてみると、何やら"春花"という名前と英数字が並んでいた。
夏葉「私、”クロスロード”っていうアプリで配信をしているんだ」
夏葉「・・・歌ったりもしてるの」
夏葉「良かったら・・・遊びに来てもらえないかな?」
  私は信じられない思いで、ぼろぼろになった顔を上げた。
夏葉「今日訪ねて来てくれて、正直戸惑った」
夏葉「だけど、きっとすごく勇気が必要なことだったんだと思うんだ」
夏葉「だからお礼っていうのもなんだけど・・・あなたが好きな曲を歌わせてほしいな、なんて・・・」
  彼女は頬をポリポリと掻きながら、そう言った。
冬花「・・・え?! いいの!?」
夏葉「うん!毎日22時から配信してるから、都合が合う日に来てくれると嬉しいな」
冬花「絶対行くっ!今日行きますっ!!」
夏葉「そんな風に言われると照れちゃうな」
  彼女は本当に頬を赤く染めた。
夏葉「あ、一個だけお願いがあるの。一緒のマンションに住んでるってことだけは伏せておいて欲しいの」
夏葉「もしかしたら迷惑かけちゃうかもだから」
冬花「・・・? うん、言わない!」
  事情はよくわからなかったが、私はしっかりと頷く。
夏葉「ありがとう!じゃあ、また22時にね!」
冬花「うん!」
  そう言うと彼女は笑顔で私を見て、それから部屋へ向かっていった。
冬花「あ、名前は! お名前を聞いてもいいですか!」
夏葉「”春花”こと、日向夏葉です」
  彼女は華やかにくるりと振り返り、ハニカミながら、そう名乗った。
夏葉「アプリでは”春花”っ呼んでね!」
  彼女の可憐さに、私はぼーっと見惚れてしまった。
  彼女は恥ずかしそうに笑ってから、じゃあね!と手を小さく振った。
  思わず私も小さく手を振ると、彼女は部屋のドアを閉める時も顔と手を出して、もう一度手を振ってから扉を閉めた。
  私の心の中にも一足早い春が訪れたようであった。

次のエピソード:第6話 歌の力

コメント

  • インターフォンの前の冬花さんの描写で、私自身も緊張してドキドキしてしまいました。2人が出会ってからの感情の移ろい(緊張・戸惑い・勇気など)がダイレクトに伝わってきます

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