蝶が舞うように

秋田 夜美 (akita yomi)

第4話 左とずっと下(脚本)

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〇玄関内
  サラダやサンドイッチ、飲み物を冷蔵庫にしまうと私はまた玄関に腰を下ろす。
  左隣の住人を確認するためだ。
  今度は先ほどのように玄関を出て行く必要がない。
  のぞき穴から確認するだけでよいからだ。
  先ほどと比べるとずっと気が楽だったが、のぞき穴から隣の住人を確認するというのは、なんとも気が引けた。
冬花「・・・私、ストーカーっぽいよね」
  改めて考えると少し落ち込んだが、今は歌の主に会いたいという想いの方が優っていたので、
  やめようという気持ちは湧いては来なかった。
  いつものように暇を潰そうと持ち帰ったばかりのビニール袋に手を突っ込み、
  タバコのフイルムを剥がそうとした時、手がぴたりと止まる。
冬花「これ・・・私の吸ってるヤツじゃない」
  どうやら銘柄を間違えられてしまったらしい。
冬花「ツイてないなー・・・」
  幸いにもレシートは袋に入れておいたので、交換はしてもらえるだろう。
  ただ、家に帰ってきてしまったら、もう一度外出するのは気分がのらない。
冬花「はぁぁー、憂鬱・・・」
  先ほどまでの高揚感はどこへやら、いつもの根暗な私が顔を出していた。
  元々、私は家から出るのが苦手だ。
  外出先では、意図せずストレスをため込んでしまう体質らしい。
  極力外に出なくていいように買い溜めをしたり、人が多いところに出るときはイヤフォンをしたりして凌いでいるのだが、
  予定外の外出を迫られる時には、決まって憂鬱さが倍増する。
  それがすぐそこのコンビニであったとしても、だ。
  私は電子タバコを投げ出して、ついでに自分自身も冷えた廊下に投げ出した。
冬花(駄々っ子みたい・・・)
  そんなことを想いながら、私は天井を眺めていた。

〇玄関内
  それから約1時間。ドアの向こうから話し声が聞こえてきた。
  その音に私はピンッと跳ね起き、耳を澄ませる。
  女性の楽しそうな声が聞こえてくるので、初めはカップルでも帰ってきたのかと思ったが、
  どうやらそうではないらしい。
  コツコツというヒールの軽い足音しかしないのだ。
  おそらく電話しているのだろう。
  そんな当たりをつけながらドアに張り付いていると、段々と声とヒールの音が近づいて来た。
「・・! ホント楽しかったね!私、次はあっちのもやってみたい・・・」
  会話が聞き取れるようになってきた頃合いをみて、私はのぞき穴に右目を付ける。
  すると、数瞬のうちに女性が一人、レンズの中に入り込んできた。
  首元と袖先にファーが付いた白のロングコートに、見るからに高さがあるヒールのブーツ。
  毛先を巻いた明るい長い髪に、電話で話す甘えるような鼻にかかった声。
冬花(私とは縁遠いタイプの人、だね・・・)
  彼女が目の前を通過するのを確認すると、歩く先をイメージしながら耳を澄ませる。
  視界から消えてから5、6歩で立ち止まり、数秒おいて扉を閉める音が聞こえてきた。
  どの音も、彼女が左隣の住人であることを示していた。
冬花「ふぅぅー・・・」
  いつの間にか止めていた息をしっかりと吐き出すと、それから少しだけ俯いた。
冬花「空振り、かぁ・・・」
  初めに声が聞こえた段階で、あの歌の主とは違うと気付いてしまった。
  それゆえ隣の住人でないことを祈っていたが・・・。
  右隣と上の部屋がハズレだと分かった時、「もう左隣しかない!」「やっとあの歌の主に会える」と、
  そう期待していたが、現実は厳しく私の期待は裏切られてしまった。
冬花「でも、だとしたらあの歌はどこから聴こえて来たんだろ・・・」
冬花「下の部屋から聴こえるってこともあるのかな?」
冬花「もしそれも違うとしたら・・・」
  そんな風に思考は悪い方へと転がっていった。
  しばらく立ち尽くし考えていたが答えは出ず、とりあえず一服したいという思いに従ってコンビニに再度向かうことにした。
  気分は重い。
冬花「でも、一歩ずつ近づいているはず・・・」
  私はまた、扉を開けた。

〇マンションの共用廊下
  エレベーターで1階に降りると、インターフォンを鳴らす音が聞こえてきた。
  チラリとそちらへ視線を向けると、廊下の真ん中で宅配業者が荷物を抱えて待っている。
冬花(私もカップスープ頼んでおかないと・・・)
  そんなことを思いながらエントランスへと歩を進めていると、
  応答する住人の声が、まだ私に届いてきた。
「はーい! 今、開けます」
  全くなんてことのない会話だ。
  日常的に誰もが発する、来客に対するただの返事だ。
  しかし、私はそれを聞いた瞬間、全身の毛穴という毛穴が大きく開くのを感じた。
  そう、あの歌の主の声とよく似ていたからだ。
  急いで宅配業者が見えるところまで戻ると、柱の影から顔の半分だけを出して様子を伺った。
  おそらく、宅配業者が振り返ったら悲鳴をあげるだろう。
  しかしそんなことは気に留めず、目線だけで手前からドアを数えていく。
冬花(1、2、3、4・・・5)
冬花(なるほど・・・)
  私はひとり納得した。
  私の部屋は505号室。
  つまり、宅配便が届いたその部屋は、私の部屋の真下だったのだ。
  歌声と話し声では雰囲気が変わるため確信には至らなかったが、
  私の部屋の真下であることを踏まえると、限りなく正解だろうと考えた。
冬花(やった!ホントに見つけられた!)
  怪しまれないように急いで踵を返すと、今度こそエントランスを出る。
  私は意識して抑制しないとスキップでもしてしまいそうなほど高揚していた。
  重い気分だった予定外の外出は、思わぬ形で逆転の作用を生んだのであった。

次のエピソード:第5話 早春

コメント

  • 冬花さんの様子が、もはやストーカーチックになってしまっていますが、目的に向けての「行動」「判断」が凄まじいですね。とても生き生きとしていますね!

  • ヒロイン登場楽しみにしています!

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