第七話「キオク」(脚本)
〇教室
緒方五月は、クラスでも非常に目立たないタイプの女の子だった。
六年生でクラス替えした時に、智も、教室であまりにもいつも一人でいるので心配になって声をかけたことがあるほどである。
その時、彼女は読んでいた本から顔を上げて、こんなことを言ったのだった。
緒方五月「田無君は、友達と一緒にいて、ワイワイ過ごすのが楽しいんだよね。わたしも、別にそれが嫌いなわけじゃないの」
緒方五月「でも、それよりもっと、一人で本を読むのが楽しいから一人でいるの」
田無智「そう、なのか?」
緒方五月「うん。世の中にはね、ポジティブな理由で一人でいる人と、ネガティブな理由で一人でいる人がいるの」
緒方五月「一人でいるのが気楽で好きだっていう人と、友達がいないから仕方なく一人でいる人。わたしは前者」
思っていたより、はっきりものを喋る子なんだなと思ったのである。
もっと小さな声で、もごもごと喋るのかと思っていたがそんなことはなかった。
彼女は彼女なりに、ちゃんと“自分”を持っていたのだ。
皆と一緒にいるのが楽しくないわけじゃない。ただそれ以上に、一人で本の世界に浸かるのが楽しい。
世の中にはそういう“一人”もいるのだと理解した瞬間だった。
確かに、そういう意味では“一人”と“独り”は同じものではないのかもしれない。
緒方五月「外に遊びに行きたい人と、そうじゃない人と同じなんだよ」
実質、智は彼女の貴重な読書時間を消費させてしまった形だった。でも彼女が、自分を気遣って話しかけた智を邪険にはしなかった。
心配してもらった、という気持ちを汲んでくれようとしたのだろう。そういうことが、できる少女だった。
緒方五月「例えば、今日みたいに晴れたいい天気の日。出かけないなんて時間がもったいないっていう人がいるでしょう?」
緒方五月「でも、それはその人が“可能な限り外で遊ぶことが、最も有効で楽しい時間の使い方だ”と思っているからこそ出る言葉なの」
緒方五月「世の中には、家の中でやりたいことがたくさんある人もいる」
緒方五月「わたしみたいに本を読むことだったり、小説を書くことだったり絵を描くことだったりゲームをすることだったり」
緒方五月「・・・・・・そういう人達にとっては、家の中こそ有意義な時間で、外に行っている間はそれができない」
緒方五月「だから、極端な話、外に行く方が時間を無駄にしてると思う人もいる」
田無智「な、なるほど・・・・・・」
緒方五月「うん、だから・・・・・・価値観なんて人それぞれなの」
緒方五月「自分の考える価値観が全てと思わないでいてくれたら嬉しいって、わたしは思うかな」
緒方五月「・・・・・・田無君は優しいと思う。強制じゃなくて、一人でいて淋しくないのか?ってちゃんとわたしの意思を訊いてくれたから」
でも、と彼女は続けた。
緒方五月「わたしは大丈夫。どうしても助けて欲しかったら、その時は頼らせてもらうね。本当にありがとう」
〇黒背景
その時。彼女はけして、弱い人間ではないのだと確信したのである。
少なくとも、助けて欲しいと思った時にちゃんと声を上げられる少女だと。
一人で抱え込んで、闇の中に沈んでいくようなタイプではないと。
だから彼女が学校を休んだ時も、病欠というのを疑わなかったのである。
どんなに心が強い人間であっても、体までそうとは限らない。
前に一度お見舞いに行ったことはあったが、その時は“うつるとよくないから”と断られてしまい、それっきりになっていた。
てっきり、本当に体が弱いのかと、そう思っていたのだけれど。
田無智(本当は、悩んでいたんだろうか。俺が気づかないうちに。・・・・・・気づけないで、いるうちに)
後悔しきりである。確かに、璃王たちの言う通り自分にできることなど殆どなかったのかもしれない。
実際に何かをやろうとしたら、かえって迷惑になった可能性もある。それでもだ。
田無智(それに、逸見真友のこともだ。・・・・・・知らなかった、裏でそんなことしてたなんて)
いや、裏掲示板で書かれていたことが真実とは限らない。
五月を苛めていた主犯Hというのが、本当に逸見真友だという証拠もないし──
そもそもそのイニシャルが正しい保証さえないのだから。
ただ、もし本当にそうなら、ちゃんと確かめる必要があるとは思う。
何故なら彼女はクラスでも優等生と名高く、先生受けもよく、男子からも女子からも人気の生徒であったからである。
確か、ちょっと良い家のお嬢様だったはずだ。親が医者をやっている、と聞いたことがあったような気がする。
田無智(ただ。そういえば・・・・・・ちょっと引っかかるようなは発言してたことが、あったな)
〇教室
あれは、クラスの席替えの時だ。
彼女が表立って五月と揉めていたことはなかったが、それでも五月とは真逆の意見を言っていたことを思い出す。
席替えを、どのようにして決めるか。くじ引きがいいという人、仲の良い人同士で決めるのが良いという人。
後者の意見が、圧倒的に多く、くじ引き派は押されていた。真友も仲の良い人同士派の一人だった。
くじ引き派の意見は、“仲の良い人同士で組むと、同じ人ばかりで班ができるし、友達が少ない子が余ってしまう”というもの。
それに対して、真友は真っ向から反論したのだった。
逸見真友「それの何がいけないの?」
彼女はあの時、珍しく怒っていた様子だった。
逸見真友「友達を作らないで、いつも一人でいる人は余っても平気でしょ?」
逸見真友「それなのに、たくさんの友達と一緒にいたい人が我慢しなくちゃいけない理由がわからないわ」
逸見真友「余ってつらい思いをするとしたら、友達を作らない人の自己責任だと思います」
そう、あの時。あの時は流石の智も、きついことを言うなと思ったのである。
ここで余るというのは、“独りぼっち”を望まない人もそうなるということだ。
それに、友達を作るのが得意な人とそうじゃない人がいることくらい智にもわかっている。
田無智(それってなんだか、友達を作れないのが、悪いみたいじゃないか)
それまで特に嫌な印象がなかった彼女に対して、初めて少しだけ嫌悪感を抱いた日だった。
ひょっとしたら。そういうことの積み重ね、だったのだろうか。
真友が、いつも一人でいるタイプの彼女に対して苛立ちを覚えたのは。
文章が好きです。続きも楽しみにしています!