エピソード3(脚本)
〇木造校舎の廊下
廊下の方へと歩いていく。
窓から覗(のぞ)いてみたところ、やはりここは2階で間違いないようだ。
・・・このくらいの高さなら、飛び降りてもなんとか大丈夫だろう。
窓の鍵に手をかける。
旧校舎の窓は古いタイプで、窓枠の中央に刺さっている鍵のようなものを回して開けなければならない。
茶村和成「・・・?」
動かない。
首を傾(かし)げながら、今度は力強く力を加える。
茶村和成「・・・っ」
それでも鍵は微動だにしなかった。
ずいぶん古いみたいだし、錆びてるのか?
しかし、隣の窓も、その窓の外も、すべて同じ結果だった。
接着されているのではないかというほどに固く、びくともしない。
鼓動はさらに早くなっていた。
こめかみに一筋、冷や汗が流れる。
茶村和成「・・・そうだ」
すぐそばの教室に入り、乱雑に置かれた木製の椅子のひとつを手に取る。
長らく放置されたそれには埃が積もっていたが、今は気にしている場合ではなかった。
廊下に戻り、再び窓の前に立つ。
そして椅子を振りかぶり、ありったけの力を込めて窓を殴りつけた。
ガシャンッ
木とガラスがぶつかり、大きな音を立てた。
二度、三度続けざまに椅子を叩きつける。
・・・だが何度おこなっても、窓は割れるどころか傷一つ入らなかった。
茶村和成「・・・ッ」
ここまでくると嫌でも分かった。
俺は今、なにか得体の知れないことに巻き込まれている。
茶村和成「・・・図書館に戻ってみるか」
パニックになりそうな頭を意識的に落ち着け、呟(つぶや)いた。
あの変態なら、なにか分かるかもしれない。
・・・怪異探偵とか言ってたし。
こういうことが専門分野のはずだ。
—ひた
茶村和成「——?」
音が聞こえた気がして、耳を澄ませる。
ひた ひた
足音・・・? 薬師寺か?
いや、あいつは靴を履いていたから、こんな裸足のような音はしない。
じゃあいったい誰だ?
こんな時間に、俺たち以外の人間が旧校舎にいるのだろうか。
音は、俺がいる側とは反対側から、聞こえてくる。
だんだんと、こちらへ近づいてきた。
廊下の奥は薄暗く、よく様子が分からない。じっと目を凝らす。
ひた ひた ひた
少しずつだが確実に、距離が縮んでいるのが分かる。
緊張は最高潮に達していた。
全身に脂汗が滲(にじ)んで気持ち悪い。
音の正体を確かめたい好奇心と、ここにいてはいけないという本能からの警告が、ないまぜになる。
結果、俺の足はその場に縫い付けられたかのように動かなくなった。
視界にぼんやりと影が浮かび上がってくる。
ひた ひた ひた
茶村和成「・・・・・・」
〇黒
はっきりと輪郭が確認できるようになった、そのとき。
俺はその姿を目にしてしまったことを、本気で後悔した。
〇木造校舎の廊下
茶村和成「——!」
現れた女。
長い黒髪に、セーラー服。
それには、胴体以下が存在しなかった。
茶村和成「ッ!!」
女は、両手で自身の両半身を支えている。
肌の色は青白く、ところどころに付着したどす黒い血の色がいやに映えた。
首をありえない方向に曲げながら、また一歩、近づいてくる。
やばい。
こいつは確実にやばい。
振り乱された髪のあいだから覗く真っ赤に充血した目と、視線がぶつかる。
「ヒヒャキェキャキェゲギャッ!!」
茶村和成「ヒッ・・・ッ」
次の瞬間。けたたましい鳴き声のようなものを上げ、奇妙な足音を立てながら一気に迫ってくる。
捕まったら殺される。
そんな確信があった。
ひたすら走った。後ろからは、猛スピードで女が追いかけてきている。
逃げないと。
全速力で階段を駆け上がる。
陸上部ほどではないが、俺は足が速い方だと思う。
しかし、女の速度は尋常ではなく、少しづつだが確実に距離は詰められていた。
〇木造校舎の廊下
4階までたどりつき、一瞬後方に目をやると
女はもうすぐそこまで迫ってきている。
茶村和成「ハァッ・・・ハァッ・・・」
図書館まで戻ろうと思っていたが、廊下の途中で追いつかれる可能性が高い。
とある考えが頭をよぎった。
廊下の角を曲がり、ばっと後ろを振り向く。
茶村和成「・・・・・・」
このまま、なにもできずに捕まってしまうくらいなら、いっそ・・・。
すぐに現れるだろう女に一矢報いてやるべく、構えをとった。
茶村和成「へっ——?」
ぐわり、と予想もしなかった方向から襟首を鷲掴(わしづか)みにされた。
腕は右手の教室から伸びていて、そのまま室内へと引きずり込まれる。
〇黒
あまりのとっさの出来事で反応できず、されるがままに抱きすくめられる。
そこでやっと、腕の正体に気がついた。
〇木造校舎の廊下
薬師寺廉太郎「ひゃー、命知らずだね」
茶村和成「や、薬師寺・・・」
声のした方を見ると、つい先ほど見た顔がそこにあった。
薬師寺は心底呆れたような表情で、小さく微笑む。
薬師寺廉太郎「さすがにあいつに空手は効かないと思うけど」
茶村和成「・・・うるさい!」
薬師寺廉太郎「ひゃひゃ。 あ、あんまり大きな声出さないでね」
薬師寺廉太郎「あれ、まだいるから」
茶村和成「!」
薬師寺は片手を俺の肩にまわしたまま、扉越しに外の様子を伺っている。
同時に、廊下を覗き込んだ。
茶村和成「・・・・・・」
どうやら女は、見失った俺のことを探しているらしい。
たびたび気が狂ったような奇声をあげながら廊下を徘徊している。
だが、しばらくすると諦めたようで、階下へと下っていく音が聞こえてきた。
身体(からだ)に入っていた力が、すっと抜ける。
茶村和成「・・・はは、今頃震えてきた」
小刻みに震える身体を両手で抱きしめる。
本気で死ぬかと思った。
心臓はまだ、大きく脈打っている。
薬師寺廉太郎「だから言ったじゃん〜? この時間は危ないって」
茶村和成「・・・あいつ、なんなんだ? お前は知ってるのか?」
薬師寺廉太郎「怪異だよ、茶村」
茶村和成「・・・・・・」
図書館で聞いたときはとても信じられらなかった言葉が、今は現実として重くのしかかる。
幻覚と思い込んでしまいたいが、そうするにはあまりに生々しすぎた。
・・・今まで、オカルトなんてまったく信じていなかったのに。
薬師寺廉太郎「“テケテケ”って知ってる?」
茶村和成「・・・名前だけ」
薬師寺廉太郎「上半身しかない女の怪異。 走るときの足音がてけてけって聞こえるから、そこからとってテケテケ」
茶村和成「じゃあ、あいつは・・・」
薬師寺廉太郎「そーテケテケさん。正確に言うとテケテケっていう都市伝説が実体化したもの、だけど」
薬師寺廉太郎「もし捕まったら、上半身と下半身に引きちぎられて仲間にされちゃってたよ」
薬師寺廉太郎「よかったねぇ、逃げられて」
茶村和成「ちぎ・・・って・・・」
もしこの説明を普段の俺が聞いたら、それが本当に実在するなんて、夢にも思わないだろう。
でも、たしかにこの目で見てしまった。
ぼさぼさの黒髪。
血走った目。
歪(いびつ)につりあがった口角。
思い出すだけで悪寒が走るが、薬師寺と出会えたことで多少恐怖は和らいでいた。
茶村和成「・・・どうすればいいんだよ」
薬師寺廉太郎「ん〜?」
茶村和成「そんなに詳しいなら、対処法とか、知らないのか?」
茶村和成「怪異探偵、なんだろ」
薬師寺廉太郎「あはっ、さっきは全然信じてくれかったのに」
茶村和成「・・・悪かった」
薬師寺廉太郎「・・・いいよぉ」
薬師寺廉太郎「人ってのはどうにも、見えないものを信じられない性質(タチ)だからね」
事実、まったく気にしていないらしく、薬師寺は愉快そうに笑う。
こんな状況にもかかわらず笑っていられる精神はあまり理解できない。
だが、こんなことは大したことでもない、というような振舞いは安心感を与えてくれた。
薬師寺廉太郎「それで、対処法だっけ?」
茶村和成「ああ」
薬師寺廉太郎「ないよ」
茶村和成「・・・?」
薬師寺廉太郎「一度現れた怪異は、目的を果たすまで帰ってくれないからね」
薬師寺廉太郎「この場合は、茶村のことをちょん切ったら満足するんじゃないかな」
こう、パスーンっとね。
と薬師寺が右手をハサミに見立てて動かす。
それを見た俺は血の気が引いた。
茶村和成「・・・・・・」