月光の君 ~越歴草紙より~

やましな

月光の君 第1章(脚本)

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〇屋敷の大広間
  序 葡萄牙の酒をたしなむ文章の博士
文章の博士「おぬしはちと、邪教の教えにかぶれすぎておるようだの」
文章の博士「釈教をもって国を治める本朝においては、《でうす》とか《ぜす》とかいう邪宗の神の教えは認められぬ、ということになっておる」
文章の博士「したがって、この話はこんどの話集には入れるわけにはいかんが・・・・・・わし個人としては大いに心惹かれるものがある」
文章の博士「はるか彼方、外つ国の化け物の話などそう滅多に聞けるものでもありますまいからの」
文章の博士「しかし、残念ながらこれより所用があるゆえ、続きはこの文章寮の学生に話して聞かすがよい。詳しくの」
文章の博士「儂(わし)とこの者が、事件について聞き書きをこしらえることになっておる」
文章の博士「これよ。珍妙なる言葉が多いが、ゆめ聞き漏らすことなきようにの。 ほほほ・・・」
文章の博士「それにしても、そなたが持ってきた、珍陀(ちんた)なる酒はなんともいえず、美味じゃのう」
文章の博士「葡萄牙(ぽどうが)なる国の酒と申したか」
文章の博士「ちと、この色が気にかかるが―――まさか人の血がはいっておるのではあるまいの。ほほほ」

〇屋敷の寝室
  一 夢見る宵待の姫君
宵待の姫君「一目見て、あの方だとわかりました・・・」
宵待の姫君「噂通り、まばゆいほどに色が白くて、上品で美しいお顔だちをしていらっしゃったのです」
宵待の姫君「ずっと幼いころから、私は決めていたのです。美しくて高貴な血を引く方にこの身を捧げるということを」
宵待の姫君「もちろん、言い寄ってくる男なんていくらでもおりましたけれど、ずっとかたくなに拒んできたのです」
宵待の姫君「若くて身分が高いのはもちろんですが、やっぱり姿が美しくなければ嫌です。ひげを生やしている男は嫌い」
宵待の姫君「特に熊みたいに毛深くて大きな男はそばに寄られるだけで、獣臭い匂いがうつりそうな気がします」
宵待の姫君「例えば、屋敷詰めの検非違使のあの男、「夜番頭の平信」のような男」
宵待の姫君「侍女たちなどはあの獣のことを『野蛮頭の平信』などと言って忌み嫌っているのです」
宵待の姫君「お兄さまだって昔は私とならんでいれば、姉妹に間違われるほど美しくて素敵でいらっしゃったのに・・・・・・」
宵待の姫君「最近はほかの男と同じように下品におなりになってしまいました」
宵待の姫君「似合いもしないひげを蓄えたりして、ほかの男の方たちと女をどうこうする話ばかりして」
宵待の姫君「―――他のだれでもない、私のお兄さまだっていうのに」
宵待の姫君「それにしても、この現世の無粋なこと。まるで風流を解さない人が多すぎます」
宵待の姫君「今の私を取り巻いていることなんて―――大嫌い。どうして現の世の人々はこんなに無粋でがさつなのでしょう」
宵待の姫君「できることなら私、物語の世界の中に生まれたかった」
宵待の姫君「そしたら、汚くて愚かな者たちと言葉をかわすことも、醜く老いさらばえてゆくこともなかったでしょうに」
宵待の姫君「私はあの方に会えない昼のあいだ、ずっとあの方のことを考えています」
宵待の姫君「何度も何度もあの方とあの方の愛した女たちの物語を読み続けています」
宵待の姫君「光の君―――私が全てを捧げる人。永遠に若くて美しい源氏の君」
宵待の姫君「早く私をあなたと同じ世界に連れていってほしいのです」
宵待の姫君「あなたのいない昼の長さ」
宵待の姫君「ああ、あなたに会える夜が待ち遠しいこと・・・」

〇屋敷の大広間
  二 案ずる側女の小夜
侍女の小夜「若殿さま―――姫さまのことでございますが・・・ それはもう、大変なやつれ方でございます」
侍女の小夜「「恋の病」などという生易しいものではございません」
侍女の小夜「私どもは姫さまは何か悪いあやかしの類に魅入られたのではないかと心配しておるのでございます」
侍女の小夜「毎夜、姫さまはどこかに行かれるのです」
侍女の小夜「いまさっきまで、文机によりかかって書物をお読みになっていたかと思うと、いつのまにかおられなくなっているのです」
侍女の小夜「誰かよき人でも、と思いましたのですが、どうもそういう殿方がいらっしゃるわけではないように思えます」
侍女の小夜「こっそりと見張っておっても、見張りの者が居眠りをしたすきに姫さまは消えてしまっているのです」
侍女の小夜「そして、一番鶏が鳴く頃に戻られるのです。青白い顔に幸せそうな笑みを浮かべていらっしゃいます」
侍女の小夜「私どもがあれこれとお聞きするのですが、夢見るような目をしたまま、しばらくすると倒れるように眠ってしまいます」
侍女の小夜「そんなことがもう、何日も続いているのでございます」
侍女の小夜「いつごろから―――でございますか」
侍女の小夜「ちょうど四日ほど前、姫さまが楽しみにしておられた源氏の君の物語を手に入れられて──」
侍女の小夜「夢中になって読み始められた頃からでございましょうか」

〇屋敷の大広間
  三 問いただす堀川の若殿
堀川の若殿「おまえは毎夜、毎夜、どこに行っているのだ」
堀川の若殿「どこで、何をしている?」
堀川の若殿「おい、どうしてそんな顔で私を見るのだ? 私が嫌いになったのか?」
堀川の若殿「たった一人の兄ではないか。  おい、どこを見ている。  なにを考えている」
堀川の若殿「お願いだ。私だけには話してくれ。 妹よ」
堀川の若殿「・・・・・・お前は本当に、私の妹なのか!?」

〇畳敷きの大広間
  四 慌てる側女の小夜
侍女の小夜「若殿さま!」
侍女の小夜「これは今朝、姫さまのお召し物を替えるときに気づいたのでございますが・・・」
侍女の小夜「姫さまの首すじに咬みあとのような傷があるのでございます」
侍女の小夜「犬かなにかの牙で咬まれたように、ぽつぽつと二つ、赤く腫れたようになっておるのです」
侍女の小夜「病犬かなにかに咬まれたのであれば、早く薬師の博士に見て頂かねば取り返しのつかないことにもなりかねません」
侍女の小夜「あるいは虻蜂のような虫の咬みあとなのかもしれませんが、どちらにしてもこれは深夜の外出に関係があるような気がいたします」
侍女の小夜「ほんとうに、姫さまはどうされてしまったのでしょうか」

〇屋敷の大広間
  五 悩む典薬寮の医博士
典薬寮の医博士「姫さまのお体には、とくに異常があるわけではありませぬ」
典薬寮の医博士「首の傷はすでにきれいに治りかけておりますし、悪い風が入った兆候も、狂犬の病にかかった兆しもまったくみられませぬ」
典薬寮の医博士「やはり、問題は夜中に歩き回られるということでございましょう」
典薬寮の医博士「これはおそらく『離魂病』という病であると思われますが・・・」
典薬寮の医博士「ただ、これを直すのはもう我々のような医師ではなく、もはや呪い師の仕事でございまする」
典薬寮の医博士「あるいはこの時代に華陀(かだ)や耆婆扁鵲(ぎばへんじゃく)のような名医でもあれば、その病も直せたのかも知れませぬが・・・」
典薬寮の医博士「いまのこの国の医術ではこの病を治す方法というのは加持祈祷にたよるしかないのでございます」
典薬寮の医博士「とりあえずの今のところは、栄養を取り、安静にして養生なさるがよろしいでしょう」
典薬寮の医博士「お薬をお出ししておきますが、これとて滋養を取るため、離魂病のためではございませぬ」
典薬寮の医博士「それではまた明日まいります。お大事になさいませ」

〇屋敷の寝室
  六 痩せゆく宵待の姫君
宵待の姫君「ねぇ、小夜」
宵待の姫君「おまえは恋をしたことないでしょう?」
宵待の姫君「あるの? 片思い?」
宵待の姫君「でも、あの方はダメよ。あの方は私のものだもの」
宵待の姫君「誰って―――毎晩私を訪ねて来ていらっしゃるじゃない」
宵待の姫君「おまえも毎晩見てるはずよ。光の君」
宵待の姫君「本当にすばらしい人。 なにもかも洗練されてて、とっても洒落ていて―――とってもいい匂いがする。 物語で読んだ通りの人」
宵待の姫君「それに―――とってもよくしてくれるの。いろんなことを教えてくれるのよ」
宵待の姫君「一緒にいるだけですごく安心するの。 気持ちいいの」
宵待の姫君「今まで出会ったどんな男の人よりもすばらしい方。 この世の中で一番すばらしい男性」
宵待の姫君「私の光の君。 あの方がおっしゃったの。 あの月が満ちたら、月明かりの中を出発しようって」
宵待の姫君「あの方の世界。醜いものがなにもない世界。 永遠に美しいままいられる世界。 物語の中のような世界」
宵待の姫君「いっしょに行けたら素敵ね。おまえも連れていってくれるように頼んであげる」
宵待の姫君「私、小夜がいなければ何もできないんですもの。ねぇ、小夜。こんど惟光さまに会わせてあげるわ」
宵待の姫君「知らない?  ―――もう、知ってるくせに。 ほら、光の君にお仕えになっておられるお方」
宵待の姫君「光の君には負けるのですけど、なかなか素敵な方だから」
宵待の姫君「ああ、早く夜が来ないかしら。 早く会いたい」
宵待の姫君「私だけの光の君に」

〇畳敷きの大広間
  七 おびえる側女の小夜
侍女の小夜「平信様!  夜番頭の平信さま! 私は見てしまったのでございます」
侍女の小夜「ただ、これを若殿さまに申してよいものかどうか、私には判断がつかないのです」
侍女の小夜「昨夜のことにございます」
侍女の小夜「私は臥所の外に控えておりましたのですが、いつのまにやら眠ってしまっておりました」
侍女の小夜「突然、姫さまの大きな笑い声がして、私は目を覚ましました」
侍女の小夜「近頃、あまりお笑いにならないので珍しいことだと思い、驚いて様子をうかがっておりましたところ、なんといいますか―――」
侍女の小夜「悲鳴のような、あえぐような声がしてきたのでございます」
侍女の小夜「ながらくおそばに仕えておりますが、このようなことは初めてでございました」
侍女の小夜「あまりにご様子がおかしいので、私はおそるおそる障子の間から寝間を覗いてみたのでございます」
侍女の小夜「寝間の中にいたのは姫さま一人ではありませんでした。殿方と一緒であったのです」
侍女の小夜「美しき御仁でございました。なまめかしいほど白く、若く麗しい殿方でございました」
侍女の小夜「私が、見たままをお話しいたします。 白い手が姫さまの体をまさぐると、姫さまは嬉しそうにその手をとらえて口吸をしました」
侍女の小夜「その殿方は姫さまの胸に手を入れたり、首筋に噛みついたりしておりました」
侍女の小夜「姫さまは「光の君」とその方のことを何度も何度も呼んでいらっしゃいました。 私は見てはいけないものを見てしまいました」
侍女の小夜「姫さまと光の君との秘め事を。 そして、光の君の秘密を」
侍女の小夜「ただの男と女ではなく・・・もっと深くて得体の知れない絆をお二人は持っていらっしゃるようでした」
侍女の小夜「私はどうしてもそこから離れることができませんでした。 私はなんだか、目眩めくような妙な気分になってきました」
侍女の小夜「妙な気分・・・」
侍女の小夜「姫さまがされていることを見るだけで、心の臓が高鳴り、まるで私がそれをされているかのように体が熱く、息が乱れるのでした」
侍女の小夜「おかしくなってしまいそうだったので、これ以上見ぬようにしようと思ったのですが、どうしても目を離すことができませんでした」
侍女の小夜「体がひとりでに揺れ、動きはじめ、ついに私は「ああ」と小さく声をもらしてしまいました」
侍女の小夜「「惟光」と、光の君がおっしゃいました。 「はい」  だれもいない闇の中から返事がありました」
侍女の小夜「「誰かが覗いているね」 光の君は私の方を見ておっしゃいました」
侍女の小夜「『きっと小夜ですわ。 あの子ったら、いやらしい。 惟光さまに会わせてあげるって言ったら断ったくせに』」
侍女の小夜「その口調にはいつもの凛とした姫さまらしからぬ、無邪気で甘えたところがありました」
侍女の小夜「「ねぇ、光の君。小夜は私の側女で、乳姉妹なの―――許してあげて」 「ああ。かまわない」」
侍女の小夜「光の君は姫さまの口を吸い、姫さまは身をよじりながら光の君の首にすがりつきました」
侍女の小夜「光の君はそうして姫さまをもてあそんでいるあいだにも、なまめかしく涼しい光をたたえた目で、私のほうを見ているのです」
侍女の小夜「「惟光、小夜どののお相手をしてさしあげなさい」 光の君が姫さまの口を吸うのをやめて言われました」
侍女の小夜「闇の中からあらわれた精悍な若い男の人がこちらに来ようとしているのがわかりました」
侍女の小夜「私は恐ろしさのあまり裸足で外に逃げだしたのですが、惟光さまは、まるで闇の中をすべるように素早く歩いてこられるのです」
侍女の小夜「私は立ちすくんでしまいました。 観念して、惟光さまのされるままにその長い腕にかきいだかれたのでございました」
侍女の小夜「惟光さまの光る眼が、私を見下ろしていました」
侍女の小夜「涼しい光の君の面立ちとは違って、惟光さまは力強く凛々しい顔立ちをなさっておりました」
侍女の小夜「その目で見つめられると、なんだか夢の中のような心持ちになって、さっきまでの恐ろしさが嘘のように思えてきました」
侍女の小夜「しだいに、なにも考えられなくなってきました」
侍女の小夜「私のような者でも、姫さまと同じ甘い夢を見てもいいのかと思うと、何か申し訳ないような気もしました」
侍女の小夜「なんだか体の中が幸せな気持ちでいっぱいになってゆくような気がして、惟光さまになら、命を奪われてもいいような気がしました」
侍女の小夜「無性にすべてをゆだねたくなって、知らぬまに私は目を閉じていたのでした」
侍女の小夜「そのときでございます」
侍女の小夜「突然。 ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始めたかと思うと、一瞬の後にザアと叩きつけるような堅い雨が降り出したのです」
侍女の小夜「「ぎゃあ!」 惟光さまは大声で悲鳴をあげ、取り乱しました」
侍女の小夜「惟光さまは、私をつきはなすと、大きく目を見ひらいて、袖で顔を隠しながら、転がるように屋敷の中へ走って行かれました」
侍女の小夜「その後ろすがたを見ながら、私はずぶぬれになって呆然と立ち尽くしておりました」
侍女の小夜「冷たい雨がしだいに私に心を取り戻させ、それと同時に恐ろしさが私の心を占めはじめました」
侍女の小夜「私はそれからのことはあまり憶えておりません。 気がつけば六条にある実家の戸を叩いていたのです」
侍女の小夜「幸い惟光さまは追いかけてこなかったようでございました」
侍女の小夜「ああ、平信さま、私、恐ろしいのです」
侍女の小夜「平信さま―――消えないのです。 その光の君の、その妖しく美しい御姿が、まぶたの裏に焼きついて、今も消えないのです」
侍女の小夜「猫のように闇に光る惟光さまの眼が―――そのときの心のときめきが」
侍女の小夜「そしてなにより光の君の、姫さまの首筋に噛みついたそのお口の、狼のような尖った牙が―――恐ろしくてたまらないのです」

次のエピソード:月光の君 第2章

コメント

  • まるで姫さまが物の怪に取り憑かれているような、不思議なお話でした。
    最後のあたりのエピソードが特に気に入っています。
    神を信じるのはこんな時なんだろうな、と。

  • 随所に源氏物語を思わせるものが、散りばめられており古典好きにはたまりません。この後姫はどうなったのかが気になります。
    続編があれば読みたいです。

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