ルコウソウ(脚本)
〇無機質な扉
おねえさん「な、何これ!?」
おねえさんは弾かれたようにドアに駆け寄った。アイもおねえさんの後ろから様子を伺うことにする。
太い蔦が何重にも絡まって生えており、ドアはすっかり覆われてしまっていた。
隙間から辛うじてその存在を確認できるものの、手を伸ばしても届きそうにはない。
おねえさん「どうなってるの・・・・・・」
おねえさんは戸惑ったような顔で蔓に手を伸ばす。
それから力任せに引っ張り出した。
アイもこっそりと触ってみて、驚いた。────硬い。これじゃあきっと簡単にちぎれないだろうな、と思う。
おねえさん「だめ、切れない!」
しばらくして、お姉さんはがっくりと肩を落とした。
おねえさん「どうしよう・・・・・・これ、サルナシだよね・・・・・・なんでこんなことに・・・・・・さっきまでなかったのに・・・・・・」
おねえさん「そうだ、助けを呼ばなきゃ・・・・・・あぁでも、スマホはロッカーの中だし・・・・・・あ!」
ぶつぶつと独り言を呟いていたおねえさんの顔が、ぱっと明るくなる。
おねえさん「内線電話!」
何か解決策が見つかったらしい。おねえさんはこちらを振り返ると、申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。
おねえさん「なんだかここからは出られないみたいなの。でも、さっきまでいた場所を更に奥に進むと、電話があってね」
おねえさん「先輩・・・・・・ええと、おねえさんよりも偉い人に聞きたいことがあって電話したいから、一緒に付いてきてくれるかな」
アイ「う、うん」
アイはこくりと頷いた。
二人で手を繋いで、元来た道を引き返す。
おねえさん「大丈夫だからね! キミのことはおねえさんがちゃんと送り届けるから!」
そう言って笑うおねえさんの手からは微かに震えが伝わってくる。
アイ(おねえさんも本当は怖いんだ)
アイはキュッとその手を強く握り返した。
〇雑居ビルの一室
おねえさんに声をかけられた場所まで戻り、すぐ傍にあったドアを開ける。
〇植物園のドーム
ドアを開けた先にあったのは────植物園だった。
アイ(あれ? でも、さっきと何か違うような・・・・・・?)
首を傾げるアイの横で、
おねえさん「なんで!?」
おねえさんが大きな声をあげた。
おねえさん「ここは事務所のはずなのに・・・・・・どうなってるの!?」
アイ「おねえさん、大丈夫?」
取り乱している様子のおねえさんに声をかけると、
おねえさん「・・・・・・あ、そうだよね、私が焦っても仕方ないよね」
おねえさん「ありがと、大丈夫だよ」
おねえさんは取り繕ったような笑顔を浮かべた。
おねえさん「それにしても・・・・・・ここは一体」
おねえさんはあたりを見渡している。アイも真似をしてキョロキョロとあちこち見回してみた。
つい先程までいた場所にそっくりだ。
でも、クラスメイト達はおろか、人っ子一人見当たらない。
太陽も見えない。風もない。
なんだか気味の悪い場所だった。
「こんにちは!」
突然聞こえた声に、二人はびくりと肩を揺らす。アイのでも、おねえさんのでもない声だ。
でも、重要なのはそこではなかった。
すぐ傍で聞こえたのに────ここにはアイとおねえさんの二人しかいないのだ。
おねえさん「まさか、ゆ、幽霊・・・・・・」
分かりやすく動揺しているおねえさんに応えるように、
「下よ、下!」
同じ声がそう言った。
アイ(下?)
下を向く。
もちろん、そんなところに人はいない。あるのは、小さな赤い花だけ。
「そう! わたしよわたし、ルコウソウよ!」
おねえさん「ルコウソウって・・・・・・」
おねえさんは小さな赤い花の前にしゃがみ込んだ。
おねえさん「ほ、本当に、あなたが・・・・・・?」
「そうよ、ママ! 会いたかったわ!」
また、同じ声が聞こえた。
おねえさん「ママぁ!? 私が!?」
その発言によっぽど驚いたようだ。おねえさんは素っ頓狂な声をあげる。
「だって、わたし達を育ててくれたでしょ?だからママ!」
小さな花────ルコウソウは、風もないのにそよそよと揺れている。
その姿がアイには喜んでいるように見えた。
アイ「ルコウソウさん」
アイはおねえさんの隣に座り込むと、ルコウソウに話しかけた。
「なぁに、おチビちゃん」
答える声は上機嫌だ。
アイ「ドアがね、通れなくなっちゃったの。ね、おねえさん」
同意を求めておねえさんへと視線を向ける。
おねえさん「え、あ、うん、そうだね。ドアがサルナシの蔦で塞がれてて・・・・・・」
話を振られて驚いたらしい。しどろもどろにおねえさんはそう続けた。
「あら、そうなの。それはきっと、サルナシちゃんが意地悪をしてるのね。だってママがここへ来たの、久しぶりなんですもの」
おねえさん「えぇ・・・・・・私はこんな経験、初めてだけど・・・・・・?」
「そりゃあそうよ! だって、わたし達のママはあなただけじゃないもの」
ルコウソウが放ったその言葉に、おねえさんは「えっ」と声を漏らした。
「わたし達を育ててくれた人はみんなパパだし、みんなママなのよ」
おねえさん「ちょ、ちょっと待って!」
おねえさんが悲鳴に似た声をあげてルコウソウを制止する。その顔は真っ青だった。
おねえさん「それってつまり、私以外にもここへ来たスタッフがいるってこと!?」
「そうよ! かなり前のことだけどね!」
おねえさん「そ、そんな・・・・・・」
今にも崩れ落ちそうなおねえさんを見て、アイは首を捻る。
どうしておねえさんがそこまで動揺するのか、分からなかった。
アイ(植物とお話できること、おねえさんなら喜びそうなのに)
植物にも〈心〉があるかもしれないと話していたおねえさんは、あんなにも嬉しそうだったのに。
「ねぇママ! わたしってばね、お節介の世話焼きなの! だからママにこっそり教えてあげる!」
おねえさんの様子を気にも止めず、ルコウソウはそれはそれは楽しそうに笑う。
「わたし達は、いいえ、わたしはパパもママもみんなみんな大好きよ。だってここまで育ててくれたんですもの!」
「でもね、ここにいる全員がママのことを好きかって言われたら、そんなことはないわ! 中にはママを恨んでる子もいるの!」
アイ「どうして?」
アイの質問に、「簡単よ!」とルコウソウは続けた。
「だってわたし達は、剪定や間引きなんかでママ達に『殺された』、植物達の成れの果てなんですもの!」
アイ「『殺された』・・・・・・?」
予想外のその言葉を、アイは反芻(はんすう)する。
おねえさん「・・・・・・」
おねえさんは悲しそうな顔で目を伏せた。
「そういう子は悲しみでいっぱいなのよ」
「『どうしてわたしだったの?』」
「『これから綺麗な花が咲くのに、もうすぐ実を結ぶのに』」
「『もうひとつ隣のあの子を間引いてくれたなら、わたしは死なずに済んだのに』」
「ってね!」
おねえさん「・・・・・・」
「もちろん、そんな子達ばかりではないわ! ママ達が好きすぎるあまり、「ずっとここにいてほしい」って願う子もいる」
「ここはそういう、植物達の〈心〉が生み出した世界なの」
少しの間のあと、おねえさんは指先でルコウソウを優しく撫でた。
おねえさん「ごめんね・・・・・・」
「別に、わたしは怒ってないわ! わたしが綺麗な花を咲かせることができたのは、ママ達が一生懸命にお世話してくれたお陰だもの!」
対して、ルコウソウは明るい声でそう告げる。そのあとで少しだけ声のトーンを落とし、
「でも、そんな子ばかりじゃないから、ここを歩く時は気をつけた方がいいわってことよ!」
と続けた。
おねえさん「とりあえずここがどういう場所なのか理解したし、私が迷い込んだ理由もなんとなく察したけど」
そこで言葉を切って、おねえさんはアイに目配せをする。
おねえさん「この子がここにいる理由が分からないよ」
「さぁ?」
ルコウソウの返事は素っ気ないものだった。
「ママを呼んだのも、おチビちゃんを呼んだのもわたしじゃないもの。そこまではわたしだって分からないわ」
「理由を知りたいのなら呼んだ子を探せばいいのよ! どうせ帰り道はサルナシちゃんに塞がれているんでしょ?」
「結局、サルナシちゃんを探して道をあけて貰う必要があるんだし、ちょうどいいんじゃない?」
アイはおねえさんを見上げた。
おねえさんは困ったような、泣きそうな顔をしていたけれど。
おねえさん「大丈夫、絶対におうちに帰してあげるからね」
そう言って、アイを励ましてくれた。
アイ自身、不安がないわけがない。
いきなり目の前の花が話し出して、こんな場所に閉じ込められて、友達もクラスメイトも先生もいなくて。
もしかしたら────、おうちに帰れないかもしれなくて。
けれど一人じゃない、おねえさんがついてくれているという事実に、ほんの少しだけ、安心することができた。
アイ「ルコウソウさんも一緒に行く?」
アイの提案に「残念だけど」とルコウソウは答える。
「わたしはここから動けないの。 だから二人で行ってちょうだいな」
アイ「そっかぁ」
おねえさん「・・・・・・ねぇルコウソウはどうして、ここまで親切にしてくれるの?」
おねえさんはルコウソウに訊ねた。
「言ったじゃない! わたしはお節介な世話好きなのよ! それにわたしはママが大好きだもの、好きな人は手助けしたくなっちゃうわ」
おねえさん「・・・・・・そっか、ありがとう」
「ふふふ、どういたしまして!」
おねえさんが微笑むと、ルコウソウは嬉しそうに花々を震わせた。
そのあとで「そうそう! あとね!」と話を続ける。
「おチビちゃんも! 相手は植物だと思って舐めたらだめよ! 怪我したくなかったらね!」
アイ「うん、分かった。ありがとう、ルコウソウさん」
「ふふ、ふふふ! やっぱりお節介って気持ちいいわねぇ!」
アイがお礼を言うと、ルコウソウは嬉しそうに声を弾ませた。
「ママ、会えて良かったわ!」
おねえさん「・・・・・・私も。あなたとお話できて良かった」
おねえさんはパッと立ち上がると、「行こうか」とアイに右手を差し出す。
アイは頷いてその手を取った。
アイ「ばいばい、ルコウソウさん」
あいている方の手を振ると、ルコウソウも花を揺らして「またね」と答えてくれる。
そんなルコウソウにもう一度別れを告げて、アイはおねえさんと歩き出した。
おねえさん「そう言えば、まだお名前を聞いてなかったね」
ふと、おねえさんがそんなことを言い出した。
言われてみればそうだった。
アイもおねえさんの名前を知らない。
おねえさん「おねえさんはカスミって言うんだ。キミは?」
アイ「アイだよ」
カスミ「アイちゃんか。よろしくね」
おねえさんの屈託のない笑顔につられるように、
アイ「・・・・・・うん、よろしくね」
アイも微笑むのだった。