その指輪を、返して(脚本)
〇桜並木
はらはらと桜の花びらが舞い落ちる
穏やかな春の空。
樹(イツキ)「これ、受け取ってくれる?」
樹(イツキ)「少し早いんだけど、記念日のプレゼント」
華(ハナ)「これ、指輪・・・」
樹(イツキ)「うん、華に似合うと思って」
華(ハナ)「綺麗・・・」
樹(イツキ)「喜んでくれて良かった、ふふっ」
照れ隠しのように、二人でクスクスと笑い合う。
温もりに満ちた優しい時間が、このまま永遠に続いていくと思っていた。
〇本棚のある部屋
華(ハナ)「──っ」
華(ハナ)「・・・」
華(ハナ)「夢・・・」
ぼんやりと虚空を見上げる。
AM1:30
スマートフォンの青白い画面がぼんやりと時刻を示していた。
泣きはらした瞼が、鉛のように重たい。
華(ハナ)(ーもう、あの頃には戻れないんだ)
頭は現実を受け入れようともがくけれど、心が頑なにそれを拒む。
温かい微笑みで慈しんでくれた彼は、もう彼女の元を去ってしまったのだから。
とっくに枯れたと思っていた涙がぽろぽろと溢れて、シーツに染みを作った。
華(ハナ)「樹・・・」
小さく彼の名前を呼びながら、彼女は再び目を閉じた。
〇本棚のある部屋
???「──」
???「──華」
名前を呼ぶ、かすかな声。
ふわりと懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。
華(ハナ)「・・・」
華(ハナ)「──樹っ!?」
確かな気配に、彼女はガバっと身を起こした。
樹(イツキ)「華、久しぶり」
華(ハナ)「・・・どうして」
樹(イツキ)「元気そう、ではないよね・・・」
華(ハナ)「──っ、当たり前でしょ!」
華(ハナ)「私が今までどんな気持ちで・・・!」
樹(イツキ)「・・・」
堰を切ったように感情が溢れる。
華(ハナ)「戻ってきて、くれたの?」
樹(イツキ)「ごめん、そうじゃない」
華(ハナ)「じゃあ、なんで・・・」
樹(イツキ)「・・・」
長い沈黙の後、彼は静かに口を開いた。
樹(イツキ)「君に贈った指輪を、返してほしいんだ」
華(ハナ)「──え?」
耳を疑った。
今も外せないでいる指輪を隠すように、咄嗟に右手を引いた。
華(ハナ)「なんで、そんなこと言うの?」
樹(イツキ)「・・・」
樹(イツキ)「その指輪が、きっと華を縛り付けて苦しめている」
樹(イツキ)「だから・・・」
華(ハナ)「・・・酷いよ」
華(ハナ)「私には、もうこれしか残っていないのに・・・!」
樹(イツキ)「・・・ごめん」
樹(イツキ)「でも俺は・・・」
樹(イツキ)「華が苦しむ姿を見ているのが 辛くてたまらないんだ」
彼は、優しく彼女の頬に手を添えた。
そしてその手は頬に触れること無く、すっと霞のようにすり抜けた。
華(ハナ)「──っ」
樹(イツキ)「華もわかってるでしょ」
樹(イツキ)「俺はもう、この世のものじゃない」
樹(イツキ)「・・・絶対に君を幸せにすることができない」
華(ハナ)「・・・」
彼女は、顔を上げて彼の目をまっすぐ見据えた。
彼の半透明の姿越しに、窓の外の月が朧げに光っている。
樹(イツキ)「華には誰よりも幸せになってほしいから」
樹(イツキ)「──早く、俺のことを忘れてほしいから」
樹(イツキ)「お願い、その指輪を返して」
〇店の入口
数ヶ月前
華(ハナ)(どうしたんだろう)
華(ハナ)(1時間も連絡無しで遅刻なんて)
未読のままのメッセージ。
何度電話をしても、鳴るのは単調なコール音だけ。
華(ハナ)(・・・帰ろうかな)
ブーッ
知らない番号からの着信に心がざわついた。
華(ハナ)「・・・もしもし」
「すみません、こちら警察の者ですが」
〇黒背景
──そこから先の記憶は、ぽっかりと抜け落ちている。
気づけば真っ黒な服を着て、彼の微笑む写真を見つめながら呆然と立ち尽くしていた。
〇本棚のある部屋
樹(イツキ)「俺は・・・最期まで華を悲しませることしか出来なかったから」
樹(イツキ)「華にはこれからの人生を、俺に縛られないで幸せに生きてほしいんだ」
華(ハナ)「・・・勝手なこと、言わないで」
樹(イツキ)「華・・・?」
華(ハナ)「どんなに辛くても 私は一生、樹だけを想って生きていく」
華(ハナ)「それ以外の幸せなんていらない・・・!」
樹(イツキ)「──!」
彼女は、すっと指輪を外し彼に向けて差し出した
華(ハナ)「これは樹が持って行って」
華(ハナ)「でもこの指輪は返すんじゃない」
華(ハナ)「預けるの」
華(ハナ)「私が歳を取って命を終えて そして、いつかまた巡り逢えた時に」
華(ハナ)「改めて私に贈ってほしい」
華(ハナ)「今度こそ、永遠に一緒にいられるように」
樹(イツキ)「──!」
樹(イツキ)「俺は・・・」
樹(イツキ)「華の人生から自分を消してしまおう、って そう決意してここに来たのに」
樹(イツキ)「そんな言葉を聴いたら 君を・・・諦められなくなる」
華(ハナ)「そんな悲しいこと、二度と考えないで」
華(ハナ)「樹を愛し続けて生涯を終える」
華(ハナ)「そんな人生を送っても良いって思えるぐらい、あなたは愛おしい存在なんだよ」
樹(イツキ)「・・・華」
樹(イツキ)「ありがとう」
樹(イツキ)「きっと、たくさん寂しい思いをさせてしまうけど」
樹(イツキ)「次に出逢えた時には 今度こそ君を幸せにしてみせるから」
樹(イツキ)「・・・ずっとずっと、君だけを愛してる」
微笑む彼の姿が、眩い光に包まれ薄らいでいく。
消えゆく最後の瞬間を見届けると、彼女の意識はフッと闇に溶けていった。
〇本棚のある部屋
カーテンの隙間から差し込む朝日に、思わず顔をしかめる。
胸が痛くなるような、愛おしい夢を見ていた気がする。
華(ハナ)「・・・あれ?」
ふと右手に違和感を覚えた。
視線を落とすと、そこにあるはずの大切な物が忽然と消えていた。
華(ハナ)「・・・そっか、指輪」
華(ハナ)「持っていってくれたんだね、本当に」
寂しくなった薬指をしばらく見つめると、彼女はスッと立ち上がり窓の外の空に向けて囁いた。
〇空
華(ハナ)「ねぇ、樹 ・・・ありがとう」
華(ハナ)「また逢える日まで、どうか見守ってて」
彼女の言葉に応えるかのように、春霞の彼方で一筋の風が桜の花弁を運んで消えていった。
〇白
ー数十年後
〇雲の上
華(ハナ)「・・・ごめんね、長い間待たせちゃった」
樹(イツキ)「ううん 本当に来てくれたんだね」
樹(イツキ)「・・・会いたかった」
樹(イツキ)「やっとこれを君に渡せる」
古びた指輪をそっと左手にはめる。
瞳を潤ませ微笑む彼女の顔を見つめ
愛おしそうに口付けながら。
樹(イツキ)「これからは、ずっと一緒に・・・」
遠く遠く、空の彼方へ
手を繋いだ二人はどこまでも歩いていった。
ー幸せそうに、微笑み合いながら。
胸が切なくキュウっとなりました。ずっと一途だっな華が、最後は笑い合えて良かったです~( ;;)
二人が空の彼方で、いつまでも幸せに笑っていられますように……
他のコンテスト作品にはあまり見かけないテーマで面白く、素敵なお話でした!
とても切なくて、愛おしいラブストーリーでした。2人が同じくらいお互いのことを想っていたからこそ、あの世でまた出逢えたのでしょうね。待っていた樹も、人生を全うした華も本当に素晴らしいと思います。