手を伸ばせば、届く距離(脚本)
〇電車の中
どうしてあの人はここにいるんだろう。
視界に入ったら、
どうしても望んでしまう。
手を伸ばしてしまう。
──だって、届きそうだから。
どうせ手に入らないのなら、
手を伸ばせる距離になきゃいいのに。
〇電車の中
試しに手を伸ばしてみる。
ほら、もう届きそう──。
──って、誰かに手を掴まれた!?
手塚望「あ、悪い」
彼は満員電車の中で、
掴んだ私の手をぐいっと引き寄せた。
耳元に唇が近づく。
手塚望「(耳元で囁く)痴漢でもするのかと思って」
な、なな、な、なんだこいつは──!?!?
〇駅のホーム
紫月あやめ「あ、あの!」
手塚望「あ? なんだよ」
紫月あやめ「か、勘違いしてるかもしれないけど、 私は別に、悪気があったわけじゃ──」
手塚望「・・・だろうな」
手塚望「けど、気をつけろよ」
手塚望「お前に見えてるものだけが、 この世に存在してるわけじゃない──」
手塚望「遠くばっか見てると、つまずいて転んで、 終いには立てなくなるぞ」
空を見上げながら低い声でそう言った彼は
とても静かで遠い目をしていた。
〇公園のベンチ
その日の昼休み。
手塚望「ありがとうございましたー」
紫月あやめ「・・・なに、してるの」
手塚望「バイト。キッチンカーの」
紫月あやめ「・・・・・・」
手塚望「次で売り切れんぞ」
紫月あやめ「えっ? そ、そんなに人気なの・・・?」
手塚望「お前、知らねえの。 この店、超人気店なんだぜ」
紫月あやめ「で、でも、私、 ここで、このお店初めて見たけど・・・」
手塚望「・・・それはお前が見えてなかっただけだろ」
紫月あやめ「う゛っ・・・」
手塚望「食うの、食わねえの」
紫月あやめ「い、いただきます・・・」
〇公園のベンチ
──お、おいしい・・・
手塚望「いい顔してんな」
紫月あやめ「なっ、なんで、ここに!?」
手塚望「あ? 俺も昼休みだから」
紫月あやめ「いや、だからってここじゃなくても──」
手塚望「うるせえな。 俺はいつもここで食ってんだよ。 お前が何も見てなかっただけだ」
紫月あやめ「・・・・・・」
──不思議な時間だった。
出会ったばかりで、
特別な会話もない。
それなのに、なんだか
ずっと前から知ってるみたいに、
この沈黙が心地いい──
手塚望「・・・お前、あいつのこと好きなの」
紫月あやめ「えっ?」
その時は、なんとも唐突に──
──それは私の地雷だ。
紫月あやめ「関係ないでしょ ・・・って言いたいとこだけど」
手塚望「・・・?」
紫月あやめ「わかんない」
手塚望「・・・は?」
紫月あやめ「だからー、わかんないの。 好きかどうかなんて」
手塚望「じゃあ、なんで痴漢しようとしたんだよ」
紫月あやめ「あっ、だから、痴漢じゃないってば」
手塚望「や、そこはどうでもいいだろ・・・」
紫月あやめ「あの人、私の前の派遣先の上司だったの。 優しくて大人で、頼りがいがあって」
手塚望「・・・ふうん」
紫月あやめ「ああ、この人に手が届けばいいのになって 思ってた。ずっと──」
手塚望「──ああ、だから・・・」
紫月あやめ「そう。でもね、届かないのって苦しいの」
紫月あやめ「あの人がいたら、 私はいつまでも手を伸ばし続けちゃう。 いっそのこといなきゃいいのにって」
紫月あやめ「──勝手な女でしょ?」
聞いているのかいないのか、
彼はじっと黙ったまま、
ふいに空を見上げた。
〇空
手塚望「──わかるよ」
紫月あやめ「えっ?」
手塚望「俺の両親がそんな感じだから。 母親の病気に高い治療費がかかってさ」
手塚望「親父は寝る間も惜しんで働いて。 母さんも辛い治療を耐え続けて。 会えない日があっても我慢して。 けど、だめだった──」
手塚望「母さんはもうこの世にいない。 それでも親父は、 今でも母さんのことしか見ていない」
手塚望「俺は手を伸ばせば届く距離にいるのに──」
手塚望「別に愛して欲しい、頼って欲しいってわけじゃない」
手塚望「ただ、忘れないで欲しいんだ。 俺がいることも──」
手塚望「二人のことがあってからよく思うんだよ」
手塚望「希望と絶望は紙一重なんだって」
手塚望「一筋の希望の光に手を伸ばして、 伸ばしただけじゃ届かないからって 一歩踏み出した先は崖だった・・・」
手塚望「それなら最初から 希望なんかなきゃいいのにって──」
手塚望「そんな時、お前をここで見かけた。 親父や母さんと同じ目をしてた」
紫月あやめ「・・・私のこと知ってたの?」
手塚望「言っただろ。 お前が見えてなかっただけだって──」
そう、彼は何度も言っていた。
きっとあの人以外、
私には見えていなかっただけなのだ──。
〇電車の中
夜。
仕事帰りの満員電車。
手塚望「よう」
紫月あやめ「なっ・・・また?」
手塚望「なんだよ、またって。 俺はいつもこの電車に乗ってんの」
紫月あやめ「あぁ、はいはい・・・」
紫月あやめ「──あ」
手塚望「あ? なんだよ」
あの人が、いる──
手塚望「・・・ああ」
手塚望「見るから、手を伸ばしたくなるんだろ。 ──じゃあ、見なきゃいいんじゃねえか」
そう言って彼は、
私の視界を自分の体で遮った。
あの人の姿が見えなくなる。
手塚望「(耳元で囁く)俺だけ、見てろ」
何言ってんだ──とは思わなかった。
ふわふわと心地よい揺れ。
ぽかぽかとあたたかい気持ちが私を包む。
身を任せていたら後ろの扉が突然開いた。
彼が咄嗟に支えてくれる。
彼は文句を言うでも、急かすでもなく、
私の手を引いて空いた座席を勧めてくれる。
紫月あやめ「・・・座らないの?」
手塚望「あ? 俺が隣に座ったら、 俺のことが見えなくなるだろ」
訪れたのはやっぱり沈黙。
けれど、とても爽やかな沈黙。
そして、私の降りる駅。
ようやく気がついた。
私の正面にはあの人が座っていた──。
〇駅のホーム
電車を降りて、
私は初めて自分から彼に手を伸ばした。
紫月あやめ「──ありがとう」
手塚望「あ? 何が?」
紫月あやめ「──ううん、なんでもない」
これが恋愛感情なのか
彼に共感しているだけなのかはわからない。
でも、これだけは言える。
私は、あなたは、
手を伸ばせば届く距離に、
ちゃんといる──
手を伸ばせば届く距離って、それを受け止めてくれる相手ならいいんですが、そうじゃないと…よけいに距離を感じますよね。
そんな時の彼の優しさが温かいです。
見えなくしてくれてるんですよね。
出会いの形はロマンチックというには遠いかもしれませんが、徐々に距離が近づいていく感じがとてもよかったです!
俺のことを見てろって、いやぁいいですねぇ笑
ヒロインの思いに気づいた彼だからこそ、手を伸ばせ場届く場所にいてあげたいと思ったのでしょうね。人生視野が狭くなることばかりで、もっと周りを良く見ていれば……なんてこともよくあります。私も反省。爽やかな物語の終わり方に、これからの二人の関係の始まりを感じました。恋に落ちて欲しいとかではなく、二人がお互い幸せになってほしいなと思いました。