いつもより、きみの近く

兎倉とと

本編(脚本)

いつもより、きみの近く

兎倉とと

今すぐ読む

いつもより、きみの近く
この作品をTapNovel形式で読もう!
この作品をTapNovel形式で読もう!

今すぐ読む

〇おしゃれなリビングダイニング
  柔らかい夕日がカーテン越しに差し込む、休日の夕方。
  私はお付き合いを始めて半年になる彼、川瀬郁彦さんの自宅で、いつものお家デートを楽しんでいた。
  映画好きの彼の部屋には、ホームシアターやこだわりの音響設備、座り心地のいいクッションなどが揃えられている。
  私はぐっと身体を伸ばしながら、主人公と恋人がラストシーンで食べていたフレンチトーストに思いを馳せていた。
「ラストシーンに出てきたご飯、美味しそうでしたね。 あんなふわふわのフレンチトースト、お店でしか食べられないもんなぁ・・・」
川瀬 郁彦「ほんとですねぇ。本場のメープルシロップも美味しそうでした・・・ここ最近はカフェにも行けてませんからね」
川瀬 郁彦「デートの場所も、ぼくの家ばかりですみません。きみと映画鑑賞出来るのがとても楽しいんですが、きみは飽きませんか?」
「いえ、そんな!郁彦さんのおすすめはどれも面白いですし、普段見ないジャンルも多いので新鮮で楽しいです」
川瀬 郁彦「あはは、きみにそう言ってもらえると嬉しいです」
川瀬 郁彦「とは言え、もうお付き合いして結構経ちましたし、そろそろ外出もしたいですよね。きみとのお家時間は幸せではあるんですが・・・」
  そう、私たちがお付き合いを始めたのはつい最近のこと。
  情勢やお互いの周りが落ち着くまで、デートは基本的に自宅で、というのがお互いの意見だった。
「この生活になってから、近い距離に知らない人がいるのに不慣れになっちゃって・・・もちろん郁彦さんにはそうは思いませんよ」
川瀬 郁彦「それは何と言うか、その・・・ありがとう、ございます。それだけぼくがきみと長く一緒に過ごしてきたってことですよね」
川瀬 郁彦「他の人を気にせず、二人で楽しめる場所・・・うーん・・・」
川瀬 郁彦「あっ、そうだ!」
川瀬 郁彦「映画館、どうですか?ちょうど今気になってる新作が、通常よりいい音響のシアターで上映されるらしいんです」
「あっ、それって音楽家の人生を描いた映画ですよね?私も気になってたやつです!」
川瀬 郁彦「オーケストラのシーンもあるらしいですから、音響設備のいいところで鑑賞できたら迫力も増しますよ!」
川瀬 郁彦「映画館は換気もしっかりしていますし、上映中は会話もありませんし、それに、その・・・」
川瀬 郁彦「カップルシートを選べば、周りに人はいないので・・・」
  そう言うと彼は顔を真っ赤にして視線をうろうろと彷徨わせた。
「か、カップルシート・・・」
  つられて私まで真っ赤になってしまう。
  自分の顔が熱を持っているのが、嫌と言うほど分かった。
川瀬 郁彦「す、すみません!急な提案でしたよね。あの、嫌だったら全然、断ってくれて大丈夫ですから・・・」
「ち、違います!嫌なんかじゃないんです、その・・・」
「そうやって周りから見てもカップルだ、デートなんだって見える場所に郁彦さんと行くの、初めてだなって思って」
「色々意識しちゃって・・・気が早いですよね」
川瀬 郁彦「いえ、全然です!」
川瀬 郁彦「ぼくも思いついたは良いけど、こんな風にカップルって言われるとなんだかくすぐったいなって、そう思ったので」
川瀬 郁彦「・・・改めてなんですが、よかったら一緒に行きませんか?映画館」

〇映画館の座席
  そうして彼のお誘いを受けた私は、次の休日に映画館へと向かった。
  客席の後方にあるカップルシートに向かう姿は目立つらしく、何回か横目でちらりと見られていたような気がする。
「・・・なんだか、見られてるような気がしますね」
川瀬 郁彦「カップルシートって、なかなか使う機会無いですから。特にこういう作品を見るのって一人で来るような映画好きが多いだろうし」
川瀬 郁彦「でもやっぱり、こうやってちょっと離れた所から見ると、いつもより没入できそうですね」
川瀬 郁彦「ソファだってほら、ぼくの家にあるのよりふかふか!きみも座ってみて下さい!」
  隣を軽く叩く手に促されて、二人掛けのソファに座る。
  ふわりと沈むソファは、角度も高さもスクリーンに最適に作られていた。
「わ!ふかふかですね・・・」
  そう言って隣を見ると、手が触れてしまうほどの距離に郁彦さんがいた。
川瀬 郁彦「・・・えっと、思ってたより近い、ですね」
  いつもは座椅子やクッションをそれぞれで使うから、こんな至近距離で座った事なんてなかった。
  いつもよりずっと近い距離に、ぶつかった視線が固まってしまう。
  高鳴る鼓動を遮るように、シアターに上映開始のブザー音が響く。
  お互いにはっとして、慌ててスクリーンに視線を向けた。
  姿勢を整えようと身動ぎすると、すぐそばにある彼の手に指先が触れる。
  すると彼は、触れた私の指先をそっと掴んで、自分の指と絡ませた。
  
  ──いわゆる、恋人つなぎ。
「郁彦さん・・・っ」
  私が小声で名前を呼ぶと、彼はいたずらっ子のように笑って、シーっと言うような仕草をした。
川瀬 郁彦「始まるよ」
  彼は何事もないような顔でスクリーンを指差す。
  慌てて視線を向けると、来月公開の映画の予告が流れていた。
  ・・・今日の映画の内容、覚えていられるだろうか。
  そんな事を考えながら彼の手を握り返していた私は、マスクの下の彼の頬が真っ赤になっている事に気付けないのだった。

コメント

  • いつもより近い距離に、少し積極的になる彼……ドキドキが止まりませんね。主人公ちゃんの言う通り、映画の内容を覚えられるか不安になります!
    素敵な作品ありがとうございました!

  • 私はカップルシート反対派だったのですが、賛成派に心変わりしそうです。

  • 今の情勢の中でならではのお話で、めっちゃ共感できました!
    室内にに慣れちゃうと外出がちょっと億劫になっちゃうけれど、彼となら……という前向きになれる恋のパワーを感じました。
    ラストの手を繋いでおきながらマスクの下は……なんてズキュンとやられました❤

コメントをもっと見る(7件)

成分キーワード

ページTOPへ