読切(脚本)
〇ホストクラブのVIPルーム
向井修二「すいません。お待たせ致しました」
弥生「いいのよ。いい男は女を待たせるくらいじゃないと。またイケメン度、上がったんじゃない?」
向井修二「前回お越し頂いたのは3日前。変わってませんよ」
弥生「三日しか経ってなかったかしら。「恋焦がれる 女の三日は 一生なり」って言うでしょ」
向井修二「誰のうたでしたっけ?」
弥生「わ・た・し・よ」
向井修二「はは。三日が一生に値するなら、待たせる男はやっぱり罪でしょう」
弥生「だからいいんじゃない。そういう相手に恋に落ちるものよ」
弥生「あなたにもいるんじゃないの。あなたを焦がすような罪深い女が」
向井修二「残念ながら、今のところは・・・」
弥生「どうだか・・・それとも、職業柄、女がいるなんて言えないかしら?」
向井修二「そういうわけでは・・・」
弥生「ここで働き始めて二年よね?」
向井修二「初めから贔屓にして頂いて、有難うございます」
弥生「どう?火傷するくらいの恋をしてみない?」
向井修二「今はちょっと・・・、他にやるべきことがあって・・・」
弥生「あら、大きな夢でも追いかけてるの?」
向井修二「夢じゃなくて、はかない希望ですよ」
弥生「意味深ねえ」
向井修二「・・・」
弥生「はかなくても、希望があるのはいいことよ。困ったらいつでも言ってらっしゃい。力になるわよ」
向井修二「有難うございます」
〇玄関内
向井 咲「お兄ちゃん、お帰りなさい」
向井修二「ああ、ただいま」
向井 咲「夕飯は?」
向井修二「いや、まだだけど」
向井 咲「やったあ。そうだと思って、作って待ってたんだ」
向井修二「体は大丈夫なのか。無理しないで、休んでてくれていいんだぞ」
向井 咲「今日はすっごく体の調子がいいの。それに気分も良くて」
向井修二「そっか」
向井 咲「だから・・・」
向井修二「ありがとう。実はすっごい腹ペコなんだ。早速、飯にしよう」
向井 咲「うん」
〇アパートのダイニング
向井修二「こんなに作ったのか、大変だったろ?」
向井 咲「そうでもないけど、久しぶりだったから、ちょっと焦がしちゃった」
向井修二「ははは」
向井 咲「笑わないでよ。すっごく凹んだんだからさあ」
向井修二「ゴメン。焦がしたことを笑ったんじゃなくて、つい「焦がす」って言葉にな」
向井 咲「・・・」
向井修二「食べよっか」
向井 咲「うん」
向井修二「美味いよ」
向井 咲「ホント?」
向井修二「うん。優しい味がする」
向井 咲「・・・」
向井修二「どうした?」
向井 咲「あと何回、お兄ちゃんに料理作ってあげられるのかな、わたし」
向井修二「咲・・・」
向井 咲「ゴメン。わたしも頑張らなきゃいけないのに、弱気なこと言って・・・」
向井修二「咲、今度の日曜、外出しないか?」
向井 咲「いいの?」
向井修二「遠くは無理だけど、先生に許可とってみる」
向井 咲「わー。どこがいいかなあ」
〇SHIBUYA109
向井 咲「わー、すごい人だねー」
向井修二「人込み、疲れないか?もっと静かなところのほうが・・・」
向井 咲「いいの。賑やかな街、見たかったから」
向井修二「・・・」
向井 咲「若いカップルでいっぱいだね」
向井修二「渋谷は特にな」
向井 咲「わたしたち、周りからどう見えるのかな?」
向井修二「女子高生をたぶらかせてる男と見られたら、嫌だなあ」
向井 咲「お兄ちゃん、イケメンだから、そう思われてるかもね」
向井修二「咲が幼く見えるってのもあるけどな」
向井 咲「ひどーい」
向井 咲「みんな楽しそうだね」
向井修二「うん」
向井 咲「いいなあ」
向井修二「何が?」
向井 咲「わたしもあんなふうに恋、したかったなあ」
向井修二「咲・・・」
向井 咲「あっ、ねえ見て。あんなところに占いがあるよ」
向井修二「ホントだ」
向井 咲「占ってもらおうよ」
向井修二「何を?」
向井 咲「わたしたちの未来を」
向井修二「それはちょっと・・・」
向井 咲「お願い、一回だけ。何を言われても、覚悟できてるから」
〇占いの館
弥生「いらっしゃいませ」
向井 咲「すごーい。雰囲気ある──」
弥生「どうかされました?」
向井修二「あっ、いいえ・・・」
向井 咲「ちょっと占ってもらいたくて、わたしたち、幸せになれますか」
弥生「それはふたりとしての幸せという意味でしょうか?それとも、あなた方それぞれの幸せという意味でしょうか」
向井 咲「それは・・・」
弥生「どちらの回答をお望みですか?」
向井 咲「わ、わ、わたしたち二人の幸せでお願いします」
弥生「畏まりました」
弥生「深い霧の中を彷徨っている姿が見えます」
弥生「シルエットはひとつ。どちらのシルエットかはわかり兼ねます」
向井 咲「二人で歩んでないですか?」
弥生「私にはシルエットがひとつしか見えないと申し上げておきましょう」
向井 咲「・・・」
弥生「隣を歩くことが全てではないと存じます。後ろからずっと見守り続けるという形もあるでしょう」
弥生「それに霧とは単なる迷いの象徴。止まない雨がないように、晴れない霧もございません」
弥生「晴れた霧の先に、お二人の想いが同じところに到達していたならば、それは幸せと言えるのではないでしょうか」
〇SHIBUYA109
向井修二「さっきのこと、気にしてるのか?」
向井 咲「ゴメン。どんな事言われても、覚悟できてるって言ったのに・・・」
向井修二「占いなんて、こっちの心理をうまく誘導してるか、誰にでも当てはまることを言ってるだけで、気にすることなんかない」
向井 咲「わたし、やっぱりお兄ちゃんの隣り、歩けないんだね・・・」
向井修二「占い師も言ってただろ。隣を歩くのが全てじゃないって。俺はずっと咲を見守ってる。隣じゃないかもしれないけど、そばにいる」
向井 咲「恋してるカップルだったら、そうやって励まし合ったりしてるんだよね?」
向井修二「そうだな。ちょっとした言葉だけでも、救われることってあるからな」
向井 咲「そっか、そうだよね」
向井修二「そうだよ」
向井 咲「えへへへ」
向井修二「何だよ?」
向井 咲「やっぱ憧れちゃうなあ。そういうの」
向井修二「・・・」
〇占いの館
2日後
弥生「あら、いらっしゃい。今日はひとり?」
向井修二「弥生さんですよね?」
弥生「ホスト通いにはまった中年女が、まさか占い師だったとはね。驚いた?」
向井修二「ええ、まあ」
弥生「ただそれを確認しに来たわけじゃないわよね?」
向井修二「・・・」
弥生「可愛らしいお嬢さんね」
向井修二「妹です」
弥生「妹さん!? 珍しいわね、兄妹で占いに来るなんて」
向井修二「ちょっと事情がありまして・・・」
弥生「そう。それで今日は何を占いに来たの?それとも文句を言いに?」
向井修二「霧の中を彷徨っているのって、俺ですか、咲ですか?」
弥生「妹さん、咲ちゃんっていうのね。素敵な名前ね」
向井修二「・・・」
弥生「その質問をするってことは、妹さんについて何か気になることでもあるの?あなた自身の迷いなら、確認する必要はないわよね?」
向井修二「・・・」
弥生「前にも言ったけど、それはわからないわね」
弥生「仮にあのシルエットが妹さんのものとして、気にすることないんじゃないかしら。思春期なんだから、迷いくらいあるでしょ」
向井修二「咲の・・・妹の霧を、願いを叶えてやりたい」
弥生「優しいお兄さんをもって、咲ちゃんは幸せね。彼女はどんな願いを?」
向井修二「・・・」
向井修二「普通に恋がしたかったと」
弥生「可愛らしいお嬢さんだし、何か問題でも?」
向井修二「妹はずっと病弱で学校も休みがちなんです。だから友達とかも少なくて・・・」
弥生「相手を見つけるのが難しいってこと?別に焦ることはないでしょう。あんなに可愛いんだから」
向井修二「妹には・・・咲には時間が残されてないんです・・・」
修二は弥生に咲の病状のことを話した
弥生「以前、お店で話していた儚い希望って、妹さんのこと?」
向井修二「はい・・・」
弥生「私に考えがあるの。少し時間を頂けるかしら」
向井修二「えっ!?」
〇シックなカフェ
3日後、修二は弥生からの連絡を受けて、待ち合わせの喫茶店に来ていた
弥生「あら、今日は私が待たせてしまったようね」
向井修二「いえ、あのそれで・・・」
弥生「早速、本題に入ろうかしら。その前に、紹介するわ。その方が話が早いから」
謎の男「床嶋と申します。暗示師をしております」
向井修二「アンジシ!?」
弥生「驚かせてごめんなさい。どこから説明しようかしら」
弥生「妹さんをこの世で一番愛し、大切にできるのは、誰だと思う?」
向井修二「それは・・・自分かと・・・」
弥生「そうよね。であれば、その役目を果たすのはあなたが一番最適じゃないかしら」
向井修二「何のでしょう?」
弥生「恋の相手役よ」
向井修二「兄妹なんですが・・・」
謎の男「ここからは私が説明しましょう」
謎の男「妹さんの記憶の中から、過去に出会ったことのある男性の記憶を呼び出し、それをあなたと置き換えます」
向井修二「はい?」
謎の男「もちろん効果は長く続きません。一時的にです」
向井修二「仰っていることがよくわからないのですが・・・」
謎の男「人間の脳は左半球と右半球にわかれていることはご存知ですか?」
向井修二「ええ、知ってます」
謎の男「では、その役目は?」
向井修二「左脳は直観的とか言いますよね?」
謎の男「より正確に言うと、違います。左脳は得た情報を右脳に蓄積された情報と照合しているのです」
謎の男「ですが、右脳に情報がない場面、あるいは即断が求められる場面において、左脳が瞬時に判断しているから、そう言われているのです」
向井修二「・・・」
謎の男「これは何ですか?」
向井修二「コーヒーです」
謎の男「視覚や聴覚や嗅覚、感覚器官から得た情報を心像といいます。これを己の記憶にあるものと照合をしているわけです」
謎の男「つまり、あなたは今、右脳にある記憶と照合し、コーヒーと答えた。もし心像が記憶にある別のモノと照合していたら・・・」
謎の男「これは紅茶になるワケです」
向井修二「言いたいことはわかります。でも、そんな簡単に人間の記憶を操れるワケがないですよね?」
謎の男「ふふふ」
弥生「ふふふ」
向井修二「何ですか?」
謎の男「あなた先日、弥生さんのお店に行かれたんですってね」
向井修二「はい・・・」
謎の男「そこで弥生さんに会った?」
向井修二「はい・・・」
謎の男「ホントに出会ったのは弥生さんだったんですか?」
向井修二「えっ?」
謎の男「今、あなたは自身の記憶と照合しませんでしたか?そして疑った。私のたった一言で」
向井修二「・・・」
謎の男「ヒトの記憶というのは曖昧なのです。わざと曖昧にできてるって言った方が正しいですね。なぜかご存じですか?」
向井修二「いえ・・・」
謎の男「弱いからですよ、人間が」
向井修二「・・・」
謎の男「つまり忘れやすいようにできてるワケです。辛いことばかり記憶していたら生きていけませんよね?」
向井修二「ええ、まあ・・・」
謎の男「自然に忘却したり、あるいは都合よく書き変えたりもする。脳がコントロールしているんです」
向井修二「・・・」
謎の男「暗示とは、潜在的に眠っている意識や願望に問いかけ、それを呼び起こす。呼び起こすのは簡単ですよね?」
向井修二「それを人が望んでいるからですか?」
謎の男「その通りです」
謎の男「振り込み詐欺に大金を支払ったことは?」
向井修二「ないです。そんなもん」
謎の男「大金を振り込む前に気づくと思うでしょう?あれは人間のどんな意識、欲望といった方がいいかな。訴えてると思います?」
向井修二「楽をして金を儲けたい」
謎の男「そう。誰だって、そういう欲望は持っている。表面化するかしないかの違いです」
謎の男「騙された経験のある人ならば、己の記憶と照会し、そこでストップがかかる」
謎の男「しかしそこでストップがかからなければ、あとは脳が大金を振り込む理由を勝手に作り上げてくれる」
向井修二「・・・」
謎の男「言っておきますが、私は暗示を詐欺に使うつもりはございません。人の心を救うために使っています」
向井修二「別に俺は・・・そんな・・・」
謎の男「むしろ怪しんでください。構いませんよ。そういう商売ですから」
謎の男「ひとつ言えることはホントに怪しかったら、白昼堂々と人前に出てこれませんよね?」
向井修二「・・・」
謎の男「もう一度、妹さんを弥生さんのお店に足を運ぶようにしてもらえませんか。弥生さんに診断してもらう必要があります」
謎の男「私が提案できるのはここまでです。あとはあなたが決めてください。妹さんのためにできる最適な選択を」
〇見晴らしのいい公園
謎の男「今日、妹さんの様子はどうでしたか?」
向井修二「なんか・・・いつもより楽しそうでした」
謎の男「そうですか」
向井修二「ホントに暗示なんてものが・・・」
謎の男「信じなくて構いませんよ。別に暗示がかかってないなら、あなたはここで妹さんと会うだけ。違いますか?」
向井修二「まあ、そうです」
謎の男「おさらいをしておきましょう。暗示を解かないための鉄則です」
向井修二「はい・・・」
謎の男「まずは名前を呼ばないこと。名前で呼びかけることは、本人の自意識をより強く喚起してしまいます」
向井修二「はい・・・」
謎の男「それと普段のあなたの嗜好と変えてください。好きな食べ物、色、映画。不自然にならない程度でいいです」
向井修二「・・・」
謎の男「それと当たり前ですが、お二人共通の思い出話はご法度です。よろしいですね?」
向井修二「わかりました」
謎の男「どうやらお見えになったようです。私は撤退します」
向井 咲「お久しぶりです、先生」
向井修二「先生!?」
向井 咲「どうかしました?」
向井修二「あっ、いや。咲っ、いや、もうキミの先生じゃないから・・・つい」
向井 咲「そうですね。突然の連絡でビックリしました」
向井修二「連絡?あっ、いや・・・。ゴメン、昔から学校休みがちだったし、どうしてるのかなと」
向井 咲「病気が完全に治ることはもうないですが、なんとか生きてます」
向井修二「・・・」
向井 咲「そんなことより、どっか行きませんか?いい天気ですし」
向井修二「ああ、そうだね」
〇ゴリラの飼育エリア
向井 咲「わー、ゴリラだ。改めて見ても、やっぱでかいや」
向井修二「・・・」
向井 咲「えへへへ。動物園来るの、久しぶりなんです。自分の体が大きくなっても、やっぱ動物は大きく見えるもんですね」
向井修二「俺も小さい頃に、妹と・・・いや、何年か前に1回来たかな。ゴリラっていえば・・・」
向井 咲「・・・」
向井修二「ゴリラ顔って言われる奴って、ホントにそうだよね」
向井 咲「あははは。ホントだー あの、動物は何が好きですか?」
向井修二「ええっと、虎・・・いや、テナガザル・・・」
向井 咲「テナガザル?どうして?」
向井修二「その、なんていうか・・・身体能力が凄くて・・・。そう、あのアクロバティックな動きは、見てて飽きない」
向井 咲「あはは、そうなんだ。じゃあ、早く観に行こうよ」
向井修二「そういう咲っ・・・君はどんな動物が好きなの?」
向井 咲「わたしは、キリンかな」
向井修二「キリン?どうして?」
向井 咲「より遠くの景色が見えるから。もっと高いところから見たら、世界が違って見えるのかなって」
向井修二「・・・」
向井 咲「あっ、上から目線でってことじゃないですよ。あくまで遠くの景色が見たいってことですからね」
向井修二「大丈夫。わかってる」
向井 咲「ホントに?」
向井修二「ああ、ホントに。 キリン、観に行こうか?」
向井 咲「はい」
向井修二「遠くの景色を眺めるためにね」
向井 咲「もう──」
〇広い改札
向井 咲「今日はありがとうございました。楽しかった──」
向井修二「ああ、俺も」
向井 咲「ホントにー?」
向井修二「マジで」
向井 咲「よかったー。わたし、今日のことは一生忘れません」
向井修二「ちょっと大げさじゃないか」
向井 咲「ううん。絶対に絶対に忘れません」
向井修二「そっか」
向井 咲「じゃあ、ここで」
向井修二「うん」
向井 咲「・・・」
向井 咲「・・・」
向井 咲「・・・」
向井修二「・・・」
謎の男「どうでした?」
向井修二「わっ?」
謎の男「良かったのではないでしょうか。一生忘れないと仰ってましたね」
向井修二「見てたんですか?」
謎の男「申し訳ございません。見届ける必要がございましたので」
向井修二「・・・」
謎の男「とてもいい笑顔だったと思いますよ」
向井修二「ええ・・・」
〇玄関内
向井 咲「お帰りなさい、お兄ちゃん」
向井修二「ああ、ただいま」
向井 咲「ゴメン、今日、夕飯は用意できてないんだ。ちょっと帰りが遅くなっちゃって」
向井修二「ああ、大丈夫。外で食ってきたから」
向井 咲「よかった」
向井修二「体調はどうだ?」
向井 咲「何ともないよ。どうして?」
向井修二「いや、その・・・帰りが遅くなったっていうから。心配で」
向井 咲「全然、大丈夫」
向井修二「よかった。どっか出かけてたのか」
向井 咲「えへへ、ちょっとね」
〇占いの館
半年後
弥生「お久しぶりね。いつか来ると思ってたわ」
向井修二「スイマセン。ご無沙汰しておりました」
弥生「いいのよ。仕事、辞めたのね」
向井修二「はい、お金を稼ぐ意味、なくなりましたから」
弥生「そう・・・」
向井修二「咲は・・・妹は亡くなりました。ご連絡が遅れて申し訳ございませんでした。あれだけお世話になっておきながら・・・」
弥生「いいのよ。そんなこと」
向井修二「・・・」
弥生「今、仕事は?」
向井修二「まだ何も・・・」
弥生「そう・・・」
向井修二「あの・・・もう一度、床嶋さんに会うことはできますか?」
弥生「どうして?」
向井修二「消せないものでしょうか。悔いを」
弥生「・・・」
向井修二「もっと俺にできたことがあったんじゃないか。咲が生きるために、俺がもっと頑張っていれば・・・」
向井修二「暗示でどうにかしようなんて考える俺って、卑怯ですか?」
弥生「卑怯だとは思わないわ。人間なんて弱いものよ」
向井修二「・・・」
弥生「仕方ないことだけど、咲ちゃんが心配していた通りの事態になったわね」
向井修二「・・・」
弥生「暗示を成功させるために必要な要素は2つあった。ひとつは演技力」
向井修二「演技力って・・・何を言ってるんですか」
弥生「あなたを兄としてではなく、別の男として接する演技力」
向井修二「なんでそんなことをする必要があるんですか?」
弥生「残されたあなたの悔いを、心の負担を少しでも軽くするため」
向井修二「・・・」
弥生「そしてもうひとつ大切な要素は、あなたへの想い」
向井修二「・・・」
弥生「彼女は幸せだった残像を、あなたの記憶に残そうとした。この先、あなたが前向きに生きれるように」
向井修二「そんな・・・」
弥生「生きてる者は去っていった者の想いを繋がなきゃいけないの」
弥生「傷が癒えるまで時間がかかってもいい。今はゆっくり休みなさい。でもいつか、悔いを消すんじゃなくて、前を向きなさい」
弥生「それが咲ちゃんの最後の想いなんだから」
〇墓石
あれから数年後
「パパ―、こっちでいいの?」
「ああ、一番奥のやつ」
「わかったー」
向井修二「ちゃんと挨拶しなさい」
向井 花「花です、おばちゃん」
向井修二「おばちゃんはないだろう。まだ若いんだから」
向井 花「え──、だったらなんて呼べばいいの?」
向井修二「そうだなあ」
向井修二(咲、随分、待たせて悪かった。ようやく花を連れて来れたよ。おばちゃんって呼んだことは許してやってくれ)
向井修二(正直、どう呼ばせればいいかわからない。お前の時間は16歳で止まったままだから)
向井修二(今でも思う時があるんだ。あれがホントに演技だったのかって)
向井修二(ホントに暗示がかかってたなら、お前は今、俺が何のことを言ってるのかわからないよな。俺とは違う誰かとデートをしてたんだから)
向井修二(何年か過ぎて、もうひとつの可能性に気づいたとき、弥生さんから手紙が届いた)
向井修二(前に働いてた店に届けにきたらしい。「元気になったら読め」って言伝だけ残して)
向井修二(参ったよ。そこにはこう書いてあった)
真実は闇の中
向井修二(俺が気づいたもうひとつの可能性・・・それはお前が本気だったってことだ)
向井修二(演技でも、暗示でもない。お前はホントの気持ちを俺に伝えようとした。互いに傷つかないやり方で)
向井修二(初めて占ってもらった時、彼女はお前の本当の想いに気づいたんじゃないだろうか。それがもう一度、会った時に確信に変わった)
向井修二(今になって手紙を送ってきたのは、俺が真実を受け入れる時が来るまで待った)
向井修二(お前に暗示をかけるようにみせかけて、実は俺にかけていた・・・。彼女はお前のために、想いを伝えるための舞台を作った・・・)
向井修二(真実を確認しようと、弥生さんを探したけど、姿を消した)
向井修二(でも、もう弥生さんを探すのはやめた)
向井修二(「真実は闇の中」っか。それでいいような気がする。真実を知ることよりも、何が一番大切だったのか)
向井修二(霧の中にいたお前が最後に何をしたかったのか。互いに傷つかないやり方で、俺らはどうしたら幸せになれたのか)
向井修二(なあ、咲。いつか、花も大きくなっていく。そして好きな相手もできるだろう)
向井修二(そんな時、俺はこの子に何を望むのか)
向井修二(愛を伝えられる相手ができたなら、しっかりとその想いを伝えて欲しいと思う。それで心が救われることもあるんじゃないか)
向井修二(ただ愛を伝えること。そうすることで、想いがまた他の誰かに繋げられていく。それって、美しいことだと思わないか?)
向井修二(いつかきっと、また前を向いて生きていける時が来る)
向井修二(また来るよ。じゃあな)
向井修二「帰ろうか、花」
向井 花「うん。わたし、疲れちゃったから、おんぶして──」
向井修二「仕方ないなあ。乗れ」
向井 花「わーい」
おしまい
切ない儚いストーリーですね。人を想う気持ちって本当に強くって、色々な表現のしかたがあって、、、でもこの二人の場合とても優しく表現されていて感動しました。
お互いがお互いを想い合い、お互いの幸せを願う、しかし未来には自分が(相手が)いないということがわかっているなんて残酷な人生ですね。しかし、こういうことは生きていれば早かれ遅かれ誰しもにありえることで、こんな愛し方もあるんだなと感じました。
読んでて切なさと、お互いの愛情が伝わってきました。
妹さんの愛情と、お兄さんの愛情と…そして変わらない思いが大きくて。
二人とも優しくて、その愛に包まれたお兄さんの娘さんが幸せに育ちますように。