雨水の来客 ~とあるバーのお話~

ビンゴボンゴ

読切(脚本)

雨水の来客 ~とあるバーのお話~

ビンゴボンゴ

今すぐ読む

雨水の来客 ~とあるバーのお話~
この作品をTapNovel形式で読もう!
この作品をTapNovel形式で読もう!

今すぐ読む

〇ジャズバー
  チリンチリン
わたし「いらっしゃいませ」
  ここは、渋谷道玄坂を少しのぼった先。
  細い脇道に入り、
  ビルの外階段を上がった2階。
  暖色の灯りが心地よいバー。
  2月下旬。
  外の気温は3度ほどで、風も強そうだ。
  店内には若い男性客とご年配の女性客が
  それぞれのひとときを楽しんでいる。
わたし(さて、どんなお客さまがいらしたのかしら)
  そこにいたのは、
  物憂げな表情を浮かべた女性
  
  カウンターに座ると、
  大きなため息をひとつついて、注文した。
女性客「なにか、冷たいものを」
わたし「それでしたら・・・」
  お店の売りであるハイボールを差し出すと、ひと口飲んでグラスを置き、またため息をこぼす。
  ふわりと柔らかそうな長い髪を片側でひとつにゆるくまとめ、薄紅色のリボンで結んでいる。
  少女のような瞳をしていて気弱そうにも見えるが、背筋をしゃんと伸ばして、凛として美しい。
  あんまり綺麗なので、迂闊に声がかけられない、と分かりやすい表情を浮かべた男性客をわたしは横目で見て、
  心の中で「そりゃそうだ」と思うほどだ。
  人の悩み事にあまり立ち入るのもな、と触れないことにしようとしたが
  一杯、また一杯とハイボールを飲み進めるうちに涙目になっていく姿を見て、さすがに声をかけずにはいられなかった。
わたし「どうかされましたか?」
女性客「・・・」
  話したくないならいいか、と磨いていたグラスに目を落とすと、か細い声でぽつりと呟いた。
女性客「・・・寒いんです」
わたし「??」
  店内の話だろうか?
  訪れたお客さまたちが寒くないように、
  勿論暖房はつけている。
  入り口近くはとくに暖かくしていて、
  店奥のカウンター付近は暖房があまり強くないとは言っても、上着なしで十分快適に過ごせる温度だ。
わたし「あの、温かいお茶でしたらお代は要りませんが、いかがですか。それか、次はなにか温まるお酒にいたしましょうか」
女性客「寒くて。今年は無理なんじゃないかって。心配で心配で。楽しみにしてくれている人たちもいるのに」
女性客「なんでまだ雪なんて残ってるのかしら。せっかく準備してきているのに」
  こちらの提案はすっかりスルーして、涙ぐみながら少し変わった愚痴をこぼし始めた。
  たしかに今年は異常に寒いし、やたらと雪も降った。
女性客「毎年毎年、たくさんの人たちが見てくれるの。1年のうちでそんなに見てもらえるのなんてたったの1、2週間やそこらだから、」
女性客「わたししっかり気合いを入れて。普段は見向きもしてくれないのよ」
女性客「ああ、夏場なんかは近くに来てくれる人が少し増えたりするわね。夏は日差しが強いもの」
女性客「そうやって役に立てるのも悪くはないわ。けどやっぱり、綺麗な姿をたくさんの人に見て貰いたいじゃない。だから、心配だわ」
  意外とよく喋る方だなあ、が表情に出ないように平静を装って話を聞いた。
  わたしは勘は悪くない方だし、先入観とかは持たないようにしている。
  どんな人だっているさ。ここは、渋谷だしね。
わたし「大丈夫です。今年もまた、春は来ますよ」
  そう言って女性に次のお酒を差し出した。
  桜材の樽で熟成されたウイスキーを使ったハイボール。塩漬けした桜の花もあしらわれている。
  女性は、驚いた表情を浮かべたあと、少し頬を赤らめて微笑んだ。
女性客「ありがとう」
  両手でグラスを持って、大事そうに、嬉しそうに飲む姿は、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。
女性客「ご馳走様。またいつか」
わたし「またお待ちしております」
わたし(元気になってもらえたかな)
男性客「さっきのお酒、美味しそうだったね。わたしにもひとつ」
女性客2「あ、わたしにも」
わたし「はい、よろこんで」
  (大丈夫。春は必ず来ますし、皆楽しみにしています。)
  女性の嬉しそうな表情を思い出しながら、桜をあしらう。

〇広い改札
  数週間後
わたし(まずい、仕事に遅れる)
  少し焦りながら渋谷駅の改札を抜けて交差点へ急ぐ。ここ数日で気温はグッと上がった。

〇渋谷のスクランブル交差点
  今日は天気がいいなあ、と空を見上げると、駅前の木に桜の花が咲いているのが見えた。五分咲きといったところだろうか。
  立派に咲きはじめた桜の木を、通りすがりの人たちが見上げ、嬉しそうに写真を撮っている。
  木の上の方まで眺めると、桜の花に紛れて、枝にリボンが結ばれているのが見えた。
わたし(よかったですね。とっても綺麗ですよ)
  心の中でそう呟いて、信号を渡った。

コメント

  • 冬の終わり頃になると、綺麗な桜あふれる春を思い浮かべて、それだけで心が待ち遠しくなります。毎年毎年、頭の中で繰り返されている幼い頃からのいつもの公園の風景。植物にも生き物にも、生きとし生けるすべてのものには気持ちが宿っている、そんなメッセージが込められたすてきな作品でした。

  • バーの独特な雰囲気の店内で、悲しそうな表情をしてるお客さん…ってよくある光景な気がしますが、彼女はお客さんの正体に気づいてたんですね。
    読んでてきれいな風景が頭に浮かびました。

  • 都会のおしゃれな場所に現れた女性。そういえば、もう春なんですね。ソーシャルディスタンス、集まってのお花見は無理だけど、花をめでる時間は作りたいですね。

コメントをもっと見る(5件)

ページTOPへ