第陸拾漆話 龍の子(脚本)
〇古めかしい和室
月添咲与「待って、母さん、ちょっと待って」
咲与は眉間にシワを寄せ、母の話を遮るように手を上げた。
月添咲与「秘伝の会得にやり方は幾つもあるのよね?」
月添灯花「ええ、そうよ」
娘の問いに母は頷く。
月添咲与「なら、どうして夜の八十矛神社へお百度参りさせたの?」
重ねての問いに、
月添灯花「それはね、」
月添咲与「それは?」
月添灯花「何となく、よ」
悪びれることなく灯花はサラリと答えた。
咲与は開いた口が塞がらない。
何となく、で年頃の娘に深夜徘徊をさせたというのか。
月添灯花「あの社と神域は強い力を持っているわ」
月添灯花「だから、迦楼羅の血が反応するかもしれないと思ったの」
灯花の思惑は、結果的には失敗に終わった。
タイミングが悪かったのか、回数が足りなかったのか、それは分からないが、
月添咲与(特に何も感じなかったな⋯)
母の思惑に反し、咲与が特別な何かを感じることは無かった。
月添灯花(真面目に修行しすぎたのかもしれないわね)
咲与は、灯花が教えた数多の門下生の中でも出色の才子である。
教えを覚え、習いを重ねて修めることにかけては右に出るものはない。
が、その出来過ぎた秀才気質が感覚を鈍らせているかもしれない。
そんな迦楼羅の娘とは対照的なのが、
月添咲与「じゃあ、橘一哉が龍の子っていうのは、どういう事?」
灯花が『龍の子』と称する若者。
月添灯花「彼はね、少しばかり特殊なの」
月添咲与「どういうこと?」
月添灯花「それはもう、見ての通りよ」
他の龍使いがやらないこと、できないことも平気でやってのける。
月添灯花「あなたも見たのでしょう?」
橘一哉が身に纏う、龍の一部を。
〇センター街
橘一哉「ハアアァッッ!!」
一哉は気合を発して手足を振るい、その爪で次々と死霊を倒していく。
橘一哉「!!」
時折死角から接近されるが、
辰宮玲奈「えぇい!」
玲奈が矢を放ち、
梶間頼子「このっ!」
頼子が金剛杵を投げて退ける。
退けはするが、
倒すには至らない。
動きを止めるか、後退させるのがやっとだった。
そうやって隙を作り、
橘一哉「だああっ!!」
一哉の攻撃で倒す。
波状攻撃を退けたかと思えば、
魔族「ぬん!」
橘一哉「っ!」
魔族が強力な一撃を叩き込んでくる。
魔族の掌打を一哉は前腕を交差させて受け止めるが、
橘一哉(力比べかっ⋯!!)
魔族はすぐには間合を取らずにそのまま押し込もうとしてきた。
辰宮玲奈「カズから離れなさい!」
「!!」
一哉の真後ろからの鋭い風切り音。
それは一哉の耳元を掠めて魔族へと。
魔族「ちっ!!」
辰宮玲奈「嘘ぉ!?」
思わず声を上げる玲奈。
魔族「やるではないか」
後方に飛び退りながら、魔族は玲奈の放った一矢を片手で掴み取っていた。
とはいえ、魔族も全く無事という訳にはいかなかったようで、
魔族「はああぁ⋯っ」
矢を掴む手に更に力を込める魔族。
よく見れば、魔族は矢を完全に掴んではいない。
矢はドリルの様に高速で回転しており、魔族の手は紙一重で接していない。
魔族は両の眼をカッと見開き、
魔族「喝!!」
大喝一声。
結界内に魔族の声が響き渡り、
辰宮玲奈「矢が!」
玲奈の矢が砕け散った。
魔族「一つ、良いことを教えてやる」
橘一哉「何だ」
魔族「私は、私本来の姿を見せてはいない」
橘一哉「何?」
魔族「この姿は、人の世に紛れるための仮の姿だ」
辰宮玲奈「どういうこと?」
魔族「私は、」
まだ、
真の力を、
発揮してはいないのだよ
〇古めかしい和室
月添咲与「龍の、一部?」
月添灯花「そう、龍の一部」
灯花は頷く。
月添咲与「それって、」
咲与の推測が正しければ、
月添咲与「もしかして、あの手甲と足甲?」
月添灯花「大正解♪」
月添咲与「それはそうなんじゃないの?」
龍使いの武具は、龍の力を形にしたもの。
ならば、龍使いの武器は全て龍の一部と言って差し支えないはずだ。
月添灯花「いいえ、そんなものではないの」
灯花は首を横に振る。
月添灯花「彼、橘一哉が手足に纏ったのは、」
正真正銘、龍の手足
月添咲与「そんな、まさか、」
ありえない。
神獣使いとは、神獣から力を借り受ける事のできる存在。
あくまでも『力を借りる』だけのはずだ。
神獣自身の一部を物のように扱うのは互いの関係からして不可能なはず。
月添灯花「そう、不可能よ」
月添灯花「神獣と、神獣使いの関係であれば、ね」
月添咲与「つまり、」
一哉と黒龍の関係は違うというのか。
月添灯花「最初に言ったでしょう?」
月添灯花「彼は『モノが違う』のよ」
月添咲与「どう違うの?」
咲与が見る限り、橘一哉は普通の人間だ。
魔族と戦い武道を嗜んでいる分、常人より感覚が鋭いのは確かだが。
しかし、それ以外はごく普通の人間にしか見えない。
いや、普通の人間のはずだ。
魔族の血を引く者に特有のものを感じない。
月添灯花「そうね、咲与の見立ても間違ってはいないわ」
月添灯花「彼は人間よ」
余計に訳が分からない。
月添灯花「ここから先は、私の推測になるのだけれど」
前置きをして語り始めた灯花の話は、俄には信じがたいものだった。
〇センター街
魔族「ハッタリでも、強がりでもないぞ」
魔族「事実だ」
橘一哉「なら見せてみろよ」
橘一哉「あんたの本当の姿をさ」
梶間頼子「ちょっと、カズ」
頼子は困惑した。
一哉の挑発的な言葉にではない。
彼の表情にである。
梶間頼子(なんでアンタ、)
楽しそうに笑ってるの?
そう、一哉は微笑んでいた。
魔族の口にした『真の姿』。
まるで、その姿を見るのが楽しみだと言いたいかのように。
そうして笑う一哉は、まるで獣のようだった。
梶間頼子(戦いが、楽しみなの?)
戦闘狂。
そんな単語が頼子の脳裏をよぎった。
元々戦いを忌避する風の希薄な一哉ではあった。
だが、戦いを楽しみにするような気性ではなかったように思う。
それが、今はまるで魔族が力を発揮するのを心待ちにしているように見える。
魔族「・・・よかろう」
魔族「私も気分が乗っているのでな」
魔族「貴様ら諸共、その内に宿る龍を喰らってくれるわ!!」
「!!」
魔族の気が膨れ上がった。
〇古めかしい和室
「!!」
咲与と灯花は、同時に顔を上げて同じ方向を見た。
月添咲与「・・・母さん」
月添灯花「あなたも、感じたのね」
二人は顔を見合わせる。
月添灯花「今日の話は、ここでおしまいよ」
月添咲与「・・・はい」
月添灯花「貴方は明日に備えて休みなさい」
月添咲与「うん、そうする」
咲与は立ち上がり、自室に戻っていった。
月添灯花「・・・まさか、擬態を解いたの?」
居間で一人となった灯花は、小さく呟いた。
〇校長室
「!!」
月添母子が感じた異変を、別の場所で感じ取った者たちがいた。
理事長「朱童くん」
矢口朱童「・・・はい」
安曇理事長に呼ばれ、朱童は頷いた。
矢口朱童「何者かが、『開放』したようですね」
理事長「『こちら側』と『向こう側』の僅かの差異、それが大きな負担になるはずだが」
理事長「思い切ったことをするものだ」
矢口朱童「何か秘策があるのかもしれません」
理事長「・・・ふむ」
椅子に深く腰掛け、安曇理事長は嘆息した。
矢口朱童「斥候を出しますか?」
理事長「・・・いや、その必要はないよ」
朱童の言葉に理事長は首を横に振った。
理事長「誰かが既に出しているだろう」
理事長「我々は我々の役目を果たせば良い」
矢口朱童「・・・分かりました」
〇センター街
魔族「こちら側では力の消耗が大きい故に擬態していたが、今なら戦える」
魔族は初老の男性から精悍な若者に姿を変えた。
橘一哉「へえ、中々の色男じゃないか」
魔族「同性に褒められるのは微妙なものだな」
魔族「悪い気はしないが」
クク、と笑う魔族。
魔族「さて、誰から仕留めるか」
魔族は三人の龍使いを順番に見やる。
橘一哉「まずは、俺と相手してもらおうか」
玲奈と頼子を守るように、一哉が一歩前に進み出た。
魔族「良かろう」
魔族「フウウウ・・・」
大きく深呼吸をする魔族。
呼気に合わせて濃密なオーラが立ち昇る。
それは次第に形を成し、イヌ科の獣のような形状になった。
魔族「我は尸林の獣なれば、死霊は我が同胞なり」
魔族「貴様もその中に加えてやろう!」
魔族は一足飛びに跳躍して一哉との間合を詰める。
橘一哉「お断りだね!!」
対する一哉も一足飛びで魔族へと跳躍した。
〇センター街
辰宮玲奈「スゴい・・・」
梶間頼子「それって、どっちのこと・・・?」
玲奈も頼子も、一哉と魔族の戦いを見ていることしかできなかった。
橘一哉「オオオッ!!」
魔族「ハアアアッッ!!」
拳が、蹴りが、次々と、息つく間もなく繰り出される。
それはまるで演武を見ているような錯覚すら覚える。
攻防が目まぐるしく入れ替わり、時に同時に行われる。
だが、
魔族「どうしたどうした!」
橘一哉「っ⋯!!」
魔族「緩くなっているぞ!」
一哉がやや押され気味になってきた。
橘一哉(くそっ・・・)
魔族「勁の通りが甘いなぁ!!」
橘一哉「っ!!」
痛い所を指摘された一哉の口の端が歪む。
魔族「勁の乗りが甘いぞ!!」
橘一哉「こなくそ!!」
苦し紛れに出した一哉の一撃を、
魔族「おっと!」
橘一哉「!!」
魔族は簡単に払い除け、
魔族「爪牙は斯様に使うものよ!!」
払われた腕の上腕部が魔族の一撃で切り裂かれる。
橘一哉「くそっ・・・」
攻防も、身法も、内功も、基本は習った。
だが、練りが決定的に足りない。
その差が如実に出ている。
だが、もっと根本的な部分での違いを一哉は見落としていた。
〇センター街
黒龍「朱雀の招式、やはり齟齬があるか」
橘一哉「どういうことだ、黒龍」
黒龍「お前が習ったのは朱雀の動き、それ故に龍の戦いとは些かズレがある」
橘一哉「じゃあ、どうしろってんだ」
黒龍「技術など考えるな」
黒龍「お前の感覚、お前の心に従って身体を使え」
橘一哉「・・・分かった」
〇センター街
橘一哉「・・・そういうことなら」
呼吸を整え、意識を集中する。
手足の指に意識を通し、刃とする。
魔族「・・・ほう?」
魔族も一哉の変化に気付いたようだ。
呼吸を整え、意識を集中し、
橘一哉「オオオオオオオオオオオオッッッ!!」
吠えた。
空気が震える。
結界内に満ちた力が、雄叫びで切り裂かれていく。
魔族「何だと!?」
一哉の身体から黒い霧が噴き出し、
魔族「なに!?」
消えた。
魔族の目の前から、一哉の姿が消えた。
魔族「そんな、バカな!?」
動揺しつつも、魔族の身体は防御態勢を取っていた。
肘を曲げ、身を丸め、頭と胴体への致命傷を避けんとする戦士の本能だったが、
魔族「!!」
超至近距離に一哉が見えたと思った、次の瞬間、
一哉の一撃を受けると共に魔族は黒い霧霧に包まれて消滅した。
〇センター街
そんな一哉の様子を、玲奈は呆気に取られて見ていた。
辰宮玲奈「黒い、龍・・・?」
一瞬の出来事だった。
一哉は黒龍の宿主。
黒い龍が見えても別段不思議はないように思えるが、
辰宮玲奈「カズが、黒い、龍に・・・」
今回ばかりは事情が違った。
一哉自身が、黒い龍と化して魔族へと襲いかかったように見えたのだ。
そして、
辰宮玲奈「なんで、笑ってるの⋯?」
一哉は、笑っていた。
鋭い目つきと、獣が牙を向くような、そんな表情で、笑っていた。


