メクラネズミの夜明け(脚本)
〇外国の駅のホーム
存在するはずのない電車がホームに滑り込んできた時、気づいた。
ここは、さっきまで僕らがいた世界ではないと。
幼い頃に乗った「二子玉川園」発の電車。
20年以上前に廃止された駅名を見て思わず、隣に座る彼女に尋ねる。
僕「今って、西暦でいうと何年ですか?」
?「2022年ですが、ここは違うみたいですね」
僕「・・どうして、過去に来てしまったんですかね?」
?「たぶん、逃げて来たからじゃないでしょうか」
?「地下鉄の魔法が私たちを守ってくれたのかも」
なんですか、それ。と応える気にもなれず、ただ深い溜息で返す。
?「でも、ここならきっと、誰も追って来られないと思いますよ」
〇電車の中
悲鳴と怒号が交錯する車内。
他人を押しのけ、我先に隣の車両へ逃げていく群れ。
その光景に心底嫌気がさして、僕は右手に収まるナイフを見下ろす。
一つ息を吐き、逃亡者たちを追いかけようと踏み出した。
瞬間、暗闇が車内を包んだ。
〇電車の中
灯を取り戻した車内にただ一人、座ったままの少女がいた。
僕「逃げないんですか?」
?「道連れにしたいなら、どうぞ」
真っ直ぐに見上げる瞳を見たとき、なぜか、昔見た空を思い出した。
〇フェンスに囲われた屋上
小学生の時、一人で屋上に入り込み、空を見た。
理由は思い出せない。
〇フェンスに囲われた屋上
ただ、それ以降二度と屋上へ登らなかったことだけは覚えている。
〇暗いトンネル
あてもなく隘路を進みながら、
いつか本で見たメクラネズミのことを思い出していた。
目と耳が退化したその鼠は、気が遠くなるほど長い一生を、土の中だけで過ごすという。
考えずにいられなかった。
光と音を徐々に手放していく絶望感を。
そうすることでしか生き延びられなかった境遇を。
思えば、地を這うような人生だった。
子供の頃から、色素の薄い髪と瞳を理由に虐められた。
同じ瞳をもつ母は幼い頃亡くなり、
程なくして、僕の目を一瞥しては「気持ち悪い」と吐き捨てる義母が来た。
いつの頃からだろう。
声が聞こえ始めた。
誰も彼も傷つけてしまえと言う声が。
人とすれ違うたび喚く声に怯え、外に出ることさえままならなくなった。
〇外国の駅のホーム
電車が闇に消えて行く。
僕「・・何がしたかったのか、自分でもよくわからないんだ」
僕「ただ、もう限界だった。誰も彼もが自分を嘲笑ってるような気がして」
こんなことを会ったばかりの少女に言って、何になるんだろう。
忘れてくれ、と言おうとした時。
?「私も、」
?「ずっと、自分だけ地の底に落とされてるような気分だった」
?「でもね、」
?「あなたに出会えて、何もかも変わったよ」
僕「‥よく言うよ。まだ会ったばかりだろ」
?「ううん。本当に変わったの」
優しい眼差しに絆され、言葉が零れる。
僕「本当は、誰のことも傷つけたくなかった」
?「まだ、誰も傷つけてないよ?」
僕「‥逃げる時に怪我した人くらいいるでしょ」
?「本当に、あなたには向いてないよ。 人を傷つけるなんて」
彼女の言葉は何故か、歪みなく心に染み渡っていく。
?「ねぇ、空を見に行こう」
僕「・・駅の外へ出るってこと?」
?「ううん!地上ホームに出ればいいの!」
僕「地上ホームって。そんなの9年前に取り壊されて・・」
僕「って、そうか!」
?「そういうこと!」
?「二子玉川園駅行きの電車が走ってるなら、ここは今2000年以前ってこと」
?「それなら、地上ホームもまだあるはず!」
〇駅のホーム
果たして、地上ホームは存在した。
仄暗い中、朝日が登るのを待つ。
僕「そういえば、駅名で過去だと気づくなんて、鉄道好きなの?」
?「ううん」
?「昔、大切な人とよく地下鉄に乗って渋谷に来たの。だから、少し詳しいだけ」
僕「大切な人、か」
僕「子供の頃、母と二子玉川園駅から乗って、ここに来たんだ」
僕「公園通りに馴染みの中華屋があって、そこでいつも同じものばかり食べてたな」
母は、若い頃から世話になっているその店に大層感謝していた。
貧しい家庭を支えるために16歳で上京した母。
酷く苦労し、その頃から身体を壊し始めたことだけ、女将との会話から知れた。
〇綺麗な病室
最後に見た母の姿を思い出す。
僕の手を握る白い手はあまりに痩せていて、それでもなお、温かった。
母「優太、」
母「空を見てごらん」
母「優太とお母さんの目の色だね」
母「青空が見える時、お母さんがそばにいることを思い出して欲しいの」
母「二人だけの約束よ」
それじゃあまるで、永遠のお別れみたいじゃないか。
喉まで出かかった言葉は、母の真剣な眼差しで掻き消えた。
見たことのない縋るような表情に、これ以上この人を悲しませてはならないのだと思った。
優太「・・うん。わかった」
母「‥ありがとう」
あの時、確かに約束をしたのに。
どうして、今まで忘れてしまっていたのだろう?
〇駅のホーム
優太「‥自首、しようと思うんだ」
彼女は、一瞬驚いたような顔をして、それから静かに微笑んだ。
優太「ひとつ、聞いていい?」
?「いいよ」
優太「あなたは、」
優太「母さん、だよね?」
?「そうだよ。遅くなってごめんね。優太」
〇フェンスに囲われた屋上
あの日屋上に登ったのは、
青空の下に行けば、母さんが来てくれるかもしれないと思ったからだ。
でも、そこにはただ青空が広がっているだけで。
母にさえ見放された気がして、空を見上げることをやめてしまった。
〇駅のホーム
優太「信じ続けられなくて、ごめん」
優紀子「ううん、いいの」
優紀子「でもね、優太には、空の下で生きてほしい」
優紀子「‥約束してくれる?」
優太「約束する」
優紀子「ありがとう」
微笑む母の輪郭が、空気に溶けて、消えていった。
彼はずっと苦しんでいて、それを救うためにお母さんは現れたのでしょうか?
悲しみと絶望を感じさせるこの作品に、お母さんの存在が色をつけてくれたように感じます。
亡き母に逢うために空に近い屋上に向かう、その時の彼の心情を想像しただけとても切ないです。長く暗いトンネルから連れ出してくれたのが、少女に姿を変えた母親だったというフィナーレもとても印象的です。
どんな時でも味方してくれるのがお母さん、お父さん。
子供の頃はそれを知ろうとせず、大人になってから気づくものですよね。
生きている間に、もっと感謝しなければ…。