プロローグ(流星群) +1(脚本)
〇散らかった研究室
モニターの前で、桐谷遼はひたすら数字と向き合っていた。
観測所から届いた生データを補正し、グラフを描き直し、また確かめる。
数百行にも及ぶ数字の羅列を前にしても、眉ひとつ動かさない。
気づけば昼を過ぎていたが、机の片隅に置いた冷めたコーヒーに口をつけるだけで、空腹を紛らわせる。
外から学生たちの笑い声が聞こえた。春の陽気を楽しむ声。
遼は一瞬だけ顔を上げたが、すぐに視線をモニターに戻す。
人の声より、淡々と輝くデータの方が、ずっと落ち着くのだ。
〇散らかった研究室
桐谷 遼「・・・!」
振り返った拍子に、机の端に置いていた紙コップのコーヒーを倒してしまう。
桐谷 遼「・・・うわあっ!」
対応がぎこちなくて拭ききれない。
浅倉 美咲「この書類一旦ここにおいとくね」
浅倉 美咲「あっ!ちょっと待ってて」
自然にハンカチを取り出して、自然にコーヒーを吹く
桐谷 遼「・・・!」
〇散らかった研究室
桐谷 遼「・・・美咲?」
浅倉 美咲「やっぱり、遼だ!偶然だね」
桐谷 遼「ごめん、君のハンカチ、汚しちゃった」
浅倉 美咲「大丈夫だよ。洗えば落ちるし、きにしないで」
桐谷 遼「でも・・・」
遼はまだ申し訳なさそうに眉を寄せる。
そんな彼に、美咲はくすっと笑って言った。
浅倉 美咲「変わってないね、遼。昔から何かあるとすぐ謝ってた」
桐谷 遼「・・・・・・」
遼は返す言葉が見つからず、ただ頬が熱くなるのを感じる。
〇散らかった研究室
美咲はコーヒーの染みを拭きながら、何気なく顔を上げた。
浅倉 美咲「そういえば、遼ってここで何してるの?研究って言ってたよね」
桐谷 遼「・・・・・・」
遼は一瞬だけ迷ったあと、正直に答える。
桐谷 遼「・・・主に流星群の観測データを解析してる。光度や出現頻度を統計的に処理して、母天体の軌道との相関を──」
浅倉 美咲「ちょ、ちょっと待って!」
美咲は手を止めて目をぱちくりさせる。
浅倉 美咲「光度?相関?なんだか魔法の呪文みたいで全然わかんないよ」
遼は気まずそうに咳払いをした
桐谷 遼「・・・つまり、流れ星がどのくらいの明るさで、どこから来て、どういうふうに降るのかを調べてるだけだ」
浅倉 美咲「そうそう、それならわかる!」
浅倉 美咲「遼って昔からそうだよね。すぐ難しい言葉使って説明するの」
遼は耳まで赤くなり、机の上のノートに視線を落とした。
〇散らかった研究室
桐谷 遼「美咲は今何をしてるんだ?」
浅倉 美咲「わたし?私はね今プラネタリウムでアルバイトをしてるんだ」
浅倉 美咲「子どもたちに星の名前を教えたり、神話を話したりするの。『夏の大三角はどこ?』って一緒に探したりするのがすごく楽しいんだ」
美咲の顔がいきいきとして、星を見ていた子供の頃の姿と重なる
遼はそんな彼女を見て「やっぱり星が好きなんだな」と心の中で思う。
浅倉 美咲「最近は投影機を動かす練習もしてるんだけど・・・・・・けっこう難しくてね」
浅倉 美咲「この前なんて、ボタンを押し間違えて夜空が昼空になっちゃったの。子どもたちに『おひさまー!』って笑われちゃった」
美咲は気恥ずかしそうに笑う
遼は思わず吹き出しそうになるが、彼女の真剣さを感じて「でも挑戦してるんだな」と尊敬の念を抱く。
浅倉 美咲「いつか見に来てよ。今度は私が星を見せる番だから」
遼は戸惑いながらも、心のどこかで楽しみにしている。
〇散らかった研究室
美咲が窓の外を見てぽつりと言う
浅倉 美咲「ここからは星、見えないんだね」
その一言で、遼の脳裏に流星群の夜の記憶が鮮明に蘇る。
夏の夜の丘。流れ星の軌跡。美咲が「ひみつ」と言った声。自分が口にした「大人になっても、美咲の隣で星を見たい」という願い
遼の胸に強くよみがえるが、目の前の美咲には何も言えない。
「覚えてる?」と聞きたい気持ちが喉までこみ上げる。
でも、十数年の時間と今の距離を思うと、言葉が詰まってしまう。
桐谷 遼「約束を口に出すのは簡単だ。けれど、言った瞬間に壊れてしまう気がする」
遼は胸にしまい込み、ただ静かに微笑もうとする。
その微笑みもぎこちなく、結局は言葉にならない。
浅倉 美咲「この前、プラネタリウムで子どもたちが『星座クイズ』に大はしゃぎしてね」
浅倉 美咲「投影機の操作、まだうまくできなくてさ。昼空にしちゃったときも、笑われちゃったんだ」
楽しそうに語る美咲は、まるであの頃の少女のまま。
『大人になっても、美咲の隣で星を見たい』
この言葉が重く心にのしかかる。
もしかしたら彼女は、あの約束を覚えていないかもしれない
対して美咲は、今現在の話を身振り手振りを交えて話している
浅倉 美咲「ねぇ、遼。今度見に来てよ。プラネタリウム」
浅倉 美咲「私頑張っちゃうから」
美咲の笑顔を壊したくなくて、結局は何も言わない。
〇散らかった研究室
浅倉 美咲「また、一緒に星を見られたらいいね」
遼の胸に「約束」の記憶がさらに強くよみがえる。返事をしたいのに、声にならない。
「もちろん」と言えば過去を暴くようで怖い。「忘れた」と装うのはもっと怖い。
結局、曖昧に頷くだけ。
遼の心臓は速く打ち、指先が少し震えている。
桐谷 遼「心の声)美咲・・・・・・本当に忘れてしまったのか? それとも・・・・・・」
浅倉 美咲「じゃあ、今度プラネタリウムに来てね。私が星を見せてあげるから」
浅倉 美咲「って、私ほとんどプラネタリウムの話しかしてないね。でも、それぐらい、おすすめだから約束!忘れないでよね」
研究室に再び静けさが戻る。
美咲が去った後、机の上にはコーヒーの染みと、まだ温もりを残した空気。
遼はパソコンのモニターを見つめるが、星のデータはもう目に入らない。
胸に残るのは、再会の余韻と、言えなかった「約束」の言葉だけ。