灰色のカルテジア

八木羊

第1話 片脚のバレリーナ(脚本)

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八木羊

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〇病院の待合室
  そいつに脚を掴まれる寸前、
  ガラスに手が触れた。
  病院のエントランスの自動式ドア
  しかし、ドアが開くことはなく、
  私は無様に転がった
キリエ「ホッキョクグマの体長は 3メートルあるんだっけ・・・」
  目の前の着ぐるみを見て、
  そんなことを思い出した
  いつか動物園でガラス一枚隔てて見た
  シロクマと同じサイズ
  でも今、私と着ぐるみの間にガラスはない
  着ぐるみの怪物は私に覆いかぶさり、
  その鋭い爪は私の『プラスチック』の
  脚を鷲掴みにしている
  ミシ、ミシ、ミシ・・・
  私の左脚に亀裂が入っていく
キリエ「どうして、こんなことに?」
  ミシ、ミシ、ミシ・・・
キリエ「い、いや・・・いやだ、 いやだ、いやーっ!」

〇病室
担当医「・・・経過は順調と。この調子なら 来週からは問題なく登校できそうだね」
キリエ「・・・・・・」
担当医「灰瀬さん? 灰瀬キリエさん?」
キリエ「・・・もうこれで丸山先生とお別れだと 思うと、胸が張り裂けそうで・・・」
丸山先生「はいはい。思ってもないって 顔にありありと書いてあるよ」
丸山先生「まあ、高校入学してまだ1度も 学校に行けてないんじゃ、 色々、不安だとは思うけど」
キリエ「まさか。小学校からずっと エスカレータ式だから、 先生も友達も全然変わり映えしないし」
キリエ「入院中も、授業内容からどーでもいいこと まで、誰かしらメッセくれるから、 あんま離れてるって感じもないかな」
テレビの音声「昨日、19時頃、女性が小指を切り取られ 路地裏で気を失っているのが 発見されました」
テレビの音声「先月から、同様の事件が多発し、警察では同一犯の可能性を視野に捜査を・・・」
キリエ「あ、このニュース・・・」
丸山先生「ん?」
キリエ「学校でも話題になってるんですよ。 女の人ばかり、耳とか小指とか 切り取られる謎の通り魔事件」
キリエ「しかも噂だと犯人はクマの着ぐるみを着て襲ってくるとか・・・」
丸山先生「着ぐるみの通り魔・・・ ずいぶん物騒な話だね」
キリエ「事件現場が学校の付近だから、 先生たちも巡回で大忙しって、 ちょうどさっきもメッセに書いてあって」
丸山先生「まあ、眞秀高校の生徒に何かあったら、 それこそ一大事だからね」
丸山先生「テレビで話題の華道界のプリンスとか、 ジュニアコンクール優勝の天才バレリーナとか将来有望な子ばかりの名門校だし」
キリエ「その天才バレリーナはうっかり 車に轢かれて、 脚の骨をやっちゃったわけですが」
丸山先生「もう骨は繋がっている。 明日には退院だよ。 まだギブスは外せないけど」
キリエ「・・・本当に前と同じ演技、 出来るのかな」
キリエ「こんな石みたいに硬くて重い、 不自由な脚で・・・」
丸山先生「気持ちはわかるけど、焦りは禁物だよ。 そういう身体の感覚は、 所詮、脳のまやかしにすぎないのだから」
キリエ「脳のまやかし?」
丸山先生「・・・灰瀬さんは 『幻肢痛』って知ってる?」
キリエ「ゲンシ?」
丸山先生「幻の四肢と書くんだけど、事故や病気で 体の一部を失った人でも、まるでまだその 体の一部があるように痛むことがあるんだ」
キリエ「ないはずの体が痛む・・・」
丸山先生「痛むのは切断面のニューロンが脳に 誤った情報を送るからで、 つまりは脳が作り出した幻の刺激だ」
キリエ「へぇ、私たちの感覚って 意外とデタラメなんですね」
丸山先生「ああ。だからもし君が『元の脚は自由 だった』と思っていたとして、それもまた 脳が作った、幻の脚なのかもしれない」
キリエ「え?」
丸山先生「人はなくしたものに夢を見がちだ」
丸山先生「たとえばミロのヴィーナス。腕のない女神像が魅力的なのは、その不在の腕に各々が理想を重ねられるからに他ならない」
丸山先生「だから、本当に自由な脚というのは、 その実、脚をなくしたときと 言っても過言では・・・」
キリエ「ストップ! ストップ! 先生、話長い! 早口すぎ!」
丸山先生「ご、ごめん。つい悪い癖が・・・」
キリエ「ミロのヴィーナスが魅力的なのは分かったけど、私は美術品じゃなくてバレリーナ」
キリエ「私の脚は像と違って、 ちゃんとここに在る。 夢や霞の脚で踊るわけじゃないですよ」
丸山先生「それもそっか・・・あはは、今のは 四方山話だと思って、軽く聞き流してよ」
丸山先生「あ、そろそろ、僕は行かなくちゃ。 お大事にね」
キリエ「・・・いい人なんだけど、ちょっと 変わってるんだよなぁ、丸山せんせ」

〇黒背景
  ゴーン、ゴーン・・・
キリエ「・・・鐘の音? 私、いつの間に寝てた?」

〇病室
キリエ「すごく暗いけど、今、何時だろ。 あれ? スマホは・・・」
  思わず息を呑んだ。
  窓の外に浮かぶ黒い丸。あれは・・・
キリエ「・・・太陽? でも、なんか白黒だし、 どういうこと?」
  カツン・・・
キリエ「え? 何、これ・・・」
  ベッドから立ち上がろうとして気づいた。
  ギブスでぐるぐる巻きのはずの私の
  左脚が・・・
キリエ「マネキンになってる!?」
  スウェットパンツの下からのぞくのは、
  滑らかで硬質な作り物の足。
  軽く叩いてみても、痛みも痒さも感じない
キリエ「足だけ? いや・・・膝も、腿も。 あ、お尻は・・・違う」
キリエ「ともかく左足全部が、 人形みたいなんだけど!?」
キリエ「何なの!? ねえ、これは一体なに!?」
  ・・・・・・
キリエ「あ、ああ・・・そっか。そういう夢ね。 なんか、くるみ割り人形のクララの気分」
  コツ、コツ・・・
キリエ「脚の付け根は自分の意志で動かせる・・・ これならギブスと同じ要領で、 松葉杖で歩けそうかな」
キリエ「ねずみの王様か、呪われた王子様か。 何が出るか知らないけど、 どうせ覚める夢なら、どうとでもなれ、だ」

〇大きい病院の廊下
キリエ「6階、5階と降りて、人の気配はなし。 この角の向こうは、 ナースセンターのはずだけど・・・」
  ザァザァザァ・・・
キリエ「・・・雨音?」
  音に誘われるがまま、
  ナースセンターのほうに足が向かった
キリエ「やっぱり誰もいない、か・・・ん? 人影?」
  詰所に繋がる奥のドアがわずかに開いていた。カウンターによじ登って内側に入る。脚のせいで、少し面倒だ
  杖をカウンターに置いて、デスクを支えに扉に近づき、そっと押し開ける
キリエ「・・・え?」
  目に飛び込んだのは、白衣の大きな背中。しゃがんでいるとは言え、大きい。
  いや、大きすぎる
  大柄な男の人だって、そこまではない。
  そもそも、『あの頭』は何?
  カツン・・・
  思わず、後ずさりをした。途端、
  それは立ち上がり、こちらを振り向いた
着ぐるみ「・・・・・・」
キリエ「ひっ・・・」
  空っぽの眼窩から止めどなく垂れ流される黒い砂
  私の知る着ぐるみと、
  それはあまりにかけ離れていた
  ザァザァザァ・・・
  それは、まるで恋人を抱擁するように
  両手を広げた
  その指の先にきらきらと
  鋭く光るのは・・・
キリエ「刃物・・・メス!?」
  殺される!
  ・・・そう思った、その時だった
???「こっちだ!」
  甲高い声が、張り詰めた空気を破るように、ナースセンター中にこだました

次のエピソード:第2話 灰男(アッシュマン)

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