第四拾参話 お兄ちゃん(脚本)
〇道場
橘一哉「ふい〜、疲れた疲れた」
次の試合も始まり、防具を片付けようとする一哉に、
安曇紗那「橘さん!」
紗那が駆け寄って声を掛けた。
橘一哉「あれ、紗那ちゃん来てたの?」
安曇紗那「うん!」
黒龍から時々聞く安曇家の結界は、張った当初と比べてもさほど弱体化はしていない。
つまり、紗那のメンタルや感覚は、まだ耐性が強くなった訳ではない。
そんな中でも、紗那はやって来た。
橘一哉「来てくれてありがとうね」
右脇に抱えた面を左手に抱え直し、一哉は紗那の頭を撫でる。
安曇紗那「えへへ」
紗那も嬉しかったのか、表情を緩ませて笑った。
橘一哉「一旦片付けてくるから、又後でね」
安曇紗那「うん!」
元気に頷く紗那を見て踵を返すと、
辰宮玲奈「お疲れ様」
橘一哉「お、おう?」
玲奈がいた。
やけに圧が強いような気がする。
ついでに距離も近い。
辰宮玲奈「いつの間に理事長先生のお孫さんと仲良くなってたの?」
橘一哉「少し前に理事長先生から呼ばれてさ」
辰宮玲奈「へぇ〜え・・・」
橘一哉(あ、これヤバいやつだ)
何となく一哉は察した。
爆発するとまではいかないが、かなり不満が溜まっている状態だ。
橘一哉「片付けてくるからさ、紗那ちゃんと一緒に待ってて」
辰宮玲奈「分かった」
この場で睨み合っていてもどうにもならないのは分かってくれたようだ。
橘一哉「それじゃ、行ってきます」
一哉は更衣室へと向かっていった。
そんな一哉の背中を見送っていた玲奈と紗那だったが、どちらからともなく顔を合わせる。
辰宮玲奈「とりあえず、ここ出ようか」
安曇紗那「・・・はい」
一旦武道場を出た。
〇渡り廊下
安曇紗那「・・・ふう〜」
武道場を出て渡り廊下を少し歩いたところで二人は立ち止まり、紗那は大きくため息をついた。
辰宮玲奈「人混みとか苦手なの?」
安曇紗那「・・・はい」
安曇紗那「人の熱気とか、気配とか、声とか、煩くて嫌なんです」
辰宮玲奈「そっか」
そんな紗那が、わざわざ一哉の試合を観に来てくれたのだ。
辰宮玲奈「今日はカズの試合観に来てくれて、ありがとね」
安曇紗那(・・・・・・)
言葉の端々に垣間見える玲奈と一哉の距離感の近さに、紗那は胸のざわつきが収まらない。
羨ましいような、鬱陶しいような。
安曇紗那「橘さんと仲いいんですね」
辰宮玲奈「まあね、生まれた時からの仲だし」
玲奈が四月生まれで、一哉は十月生まれ。
辰宮玲奈「あたしの方が半年だけお姉ちゃんだからね」
などと玲奈が一哉と自分のことを話していると、
「あら、玲奈ちゃん」
〇渡り廊下
佐伯美鈴「可愛いお嬢さんと一緒なのね」
辰宮玲奈「あ、美鈴さん!」
二人に声を掛けてきたのは美鈴だった。
安曇紗那(っ・・・!!)
美鈴を見た紗那の背に、一瞬悪寒が走った。
安曇紗那「あの、」
佐伯美鈴「私は佐伯美鈴っていうの。よろしくね」
そう言って右手を差し出す美鈴に、
安曇紗那「安曇、紗那、です」
やや歯切れが悪かったものの、紗那も答えて右手を差し出す。
佐伯美鈴「カズくんに声援、ありがとね」
美鈴は優しく紗那の手を握る。
安曇紗那「美鈴さんも、橘さんのお知り合いですか?」
佐伯美鈴「ええ」
美鈴は笑顔で頷く。
佐伯美鈴「私の趣味は、カズくんだから」
安曇紗那「ええ・・・」
美鈴の一言に、さすがの紗那も引いた。
〇校長室
理事長「三人とも、今日はありがとう」
理事長は三人の若者に頭を下げた。
理事長室に招かれていたのは、月添咲与、月添亜左季、都筑恭平の三人。
紗那の付き添いや護衛を頼まれた面々だ。
理事長「今は橘くんの知り合いが紗那を見てくれているから、君たちも文化祭を楽しんでいってくれたまえ」
月添咲与「ええ、そうさせてもらいます」
月添亜左季「そうだね、姉さん」
都筑恭平「帰ってもいいなら、帰らせてもらうぜ」
理事長「ああ、それでも構わないよ」
都筑恭平「そうかい、じゃあな」
恭平は帰るらしい。
三人は各々退室し、理事長だけが残された。
理事長「これで一段落、だな・・・」
〇渡り廊下
安曇紗那「・・・・・・」
玲奈と美鈴。
共に一哉の縁者らしいということで多少は安心できた紗那ではあったが、
安曇紗那「・・・・・・」
その一方で、胸のざわつきをどうにも抑えきれないでいた。
安曇紗那(なんだろう)
本当に、何と言ったらよいものか。
そんなモヤモヤに踏ん切りがつかないでいると、
???「お嬢さん、何かお困りかな?」
安曇紗那「ひゃう!?」
後ろから声をかけられ、思わず変な声が出てしまった。
ビクリとしながら振り向くと、
梶間頼子「こんにちわ」
辰宮玲奈「あ、頼ちゃん」
頼子だった。
梶間頼子「この子誰?」
頼子の問いに、
辰宮玲奈「安曇紗那ちゃん。理事長先生の孫娘で、カズと知り合いなんだって」
梶間頼子「ほお・・・」
安曇紗那「な、何ですか?」
紗那をじっと見つめる頼子に若干引きながら紗那が問うと、
梶間頼子「カズってロリコンだっけ?」
安曇紗那「違います!!!!」
自分でも驚くほどの大きな声で、紗那は怒鳴っていた。
玲奈、頼子、そして美鈴も、驚きで目を丸くする。
安曇紗那「橘さんはそんな変態じゃないです!!!!」
梶間頼子「ごめん、悪気はなかったんだ」
頼子は即座に謝罪の言葉を口にした。
誰がどう見ても、紗那が機嫌を損ねたのは明白だ。
梶間頼子「カズが貴方みたいな年下の可愛い子と知り合いだったのが意外だったから」
安曇紗那「!!」
可愛い子、という言葉を聞いた瞬間に紗那に笑顔が戻る。
辰宮玲奈(分かりやすい子で良かったぁ〜)
玲奈も内心ホッとしていた。
佐伯美鈴「頼子ちゃんも、言葉遣いには気をつけましょうね」
梶間頼子「はい・・・」
〇道場
竹村茂昭「おい、カズ」
橘一哉「んあ?」
片付けと着替えを終えて一旦玲奈たちの所に行こうとした一哉は、茂昭に声を掛けられた。
竹村茂昭「あの一本、見事だったよ」
橘一哉「ありがと」
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し、という言葉がある。
試合の勝敗、茂昭が負けた要因は色々とあった。
最大の要因は、下段に構えた一哉に対して反射的に面を打ちにいってしまった事にある。
下段の構えの基本的な戦術に、相手の打ち込みに対して剣を跳ね上げて応じるというやり方がある。
今回は見事にはまってしまったのだ。
竹村茂昭「次は俺が勝つ」
茂昭が右の拳を突き出すと、
橘一哉「期待してるよ」
一哉は左の拳を突き出し、互いの拳をコツンとぶつけた。
が、
竹村茂昭「!!!!」
その感触に、茂昭は目を見開いた。
橘一哉「シゲちゃん、どうした?」
竹村茂昭「・・・いや、なんでもない」
橘一哉「それじゃ」
一哉は武道場を出ていったが、
竹村茂昭「今の感触、あれは・・・」
一哉の左拳から流れ込んできた『力』。
茂昭にとっては、覚えのあるものだった。
竹村茂昭「まさか、あいつも『そう』なのか・・・!?」
茂昭の予感は的中し、二人は又別の場所で共に戦うことになる。
〇渡り廊下
橘一哉「おや?」
一哉が道場を出ると、
紗那は談笑していた。
佐伯美鈴「あらカズくん、お帰り」
一哉の姿に気付いた美鈴が声を掛けると、
安曇紗那「橘さん!」
紗那は一哉に駆け寄った。
佐伯美鈴「すっかり気に入られてるのね」
そんな二人の姿を、美鈴は微笑ましく見つめる。
安曇紗那「あのね、橘さんにお願いがあるんだけど、」
橘一哉「なに?俺に出来ることならしてあげるよ」
安曇紗那「あのね、」
紗那は顔を赤らめ、モジモジしだした。
橘一哉「どうしたの?」
一哉が身を屈めて紗那に視線を合わせようとすると、
安曇紗那「っ!」
ふいと目を背けてしまった。
橘一哉(どうしたんだろう)
一哉は紗那が言い出すのを待っていると、
安曇紗那「・・・」
紗那は、玲奈と頼子と美鈴の顔を何度も見る。
橘一哉「何か変なこと吹き込んでない?」
一哉が三人に問いただすが、答えは返ってこない。
女子三人は黙ってニヤニヤとしているだけ。
橘一哉「ったく、何を吹き込んだんだよ・・・」
一哉がハァと溜め息をつくと、
安曇紗那「あの、お兄ちゃん、って呼んでも良いですか!!」
橘一哉「えぇ〜っ!?」
素っ頓狂な一哉の声が谺した。
〇学校の廊下
古橋哲也「・・・?」
哲也はふと立ち止まり、辺りを見回した。
飯尾佳明「どうした、テツ?」
佳明も立ち止まって哲也を振り返る。
古橋哲也「・・・橘くんの声が聞こえたような気がする」
飯尾佳明「バカ言うな」
哲也の言葉を佳明は否定した。
飯尾佳明「アイツは滅多に大声出さねえだろ」
佳明の言う通り。
平時の一哉は滅多に大声を出さない。
例外はくしゃみの時ぐらいだ。
一哉のくしゃみは、戦闘時の猿叫よりもよく響き渡る。
だが、くしゃみは声ではない。
だから、一哉がそんな大声を出すような事はあり得ない。
飯尾佳明「気のせいだ、気のせい」
古橋哲也「そうかな・・・」
飯尾佳明「そうだよ」
古橋哲也「なら、そうかも」
〇渡り廊下
安曇紗那「あの、ダメ、ですか・・・?」
おそるおそる紗那は一哉を見る。
橘一哉「いや、ダメということは無いけれども・・・」
突然言われて驚いた。
どちらかと言えば、目上との関わりが多い一哉である。
年少者と関わる機会は少なかった。
弟分扱いが多く、兄貴分として扱われたことは殆ど無かった。
だが。
橘一哉(悪くはないな・・・)
『お兄ちゃん』。
呼ばれて悪い気はしない。
橘一哉「うん、いいよ」
断る明確な理由はないし、呼ばれる事にあまり違和感も感じなかった。
安曇紗那「ほんと!?」
紗那の顔が一気に明るくなる。
橘一哉「もちろん」
安曇紗那「やったあ!!」
安曇紗那「よろしくね、お兄ちゃん!!」