第参拾四話 林間学校 初日 後編(脚本)
〇原っぱ
橘一哉「増えてる」
姫野晃大「増えてるな」
橘一哉「流石にコレをスルーは無理だわ」
姫野晃大「・・・だろうな」
トイレを出た二人の眼の前には、キャンプ場を埋め尽くさんばかりの影、影、影。
橘一哉「一つ、言っていい?」
眼の前の影の群れを見つめたままで一哉は晃大に訊ねた。
姫野晃大「何だ?」
晃大も前方を見つめたままで返事をすると、
橘一哉「あのね、この中に、ヤバいのが幾つかいる」
姫野晃大「え」
晃大の口の端が引きつる。
姫野晃大「ヤバいって、どういう意味?」
口元をヒクヒクさせながら晃大が問うと、
橘一哉「そのまんま」
即答。
姫野晃大「つまり、その、いわゆる、」
姫野晃大「『悪霊』的な?」
影の群れ一つ一つを確認しながら一哉は頷く。
橘一哉「月が隠れたから、出てきたんだろうね」
そういえば、月が雲に隠れて今は真っ暗になっている。
なのに、無数の黒い靄のような影は、はっきりと見えている。
普通なら有り得ない。
照らす光も無いのに見えるものなど、明らかにおかしい。
橘一哉「でも、」
一哉は左腕を上げ、
橘一哉「龍に出張ってもらえば大概は逃げるはず」
龍を呼び出すべく口を開きかけた時、
「君たち、どうした?」
〇原っぱ
「!!!!」
声のしたコテージの方を見ると、管理人の真上が懐中電灯を持って出てきていた。
真上「・・・ふむ」
真上は二人とその前方を交互に見やり、何かを察したらしい。
真上「・・・おまえたち、」
真上は一哉と晃大の前方の空間を睨み付け、
真上「Grrrrrrrrrr・・・」
歯を剥き出しにして獣のような唸り声を上げた。
姫野晃大(うわ、)
橘一哉(すげえ)
フッ、フッ、スッ。
黒い靄のような影が、一つ、また一つと消えていく。
真上「Grrrr・・・」
尚も唸り声を上げ続ける真上。
影は更に数を減らしていき、両手で数えられる程までになった。
真上「むう・・・」
真上「これ以上は無理か・・・」
唸りを止め、ため息をつく真上。
真上「君たち、早くテントに戻りなさい」
橘一哉「いいんですか?」
真上「君たちにも、あの影は見えているだろう?」
姫野晃大「はい」
真上「あれは山の生き物の霊魂が寄り集まったものだ」
真上「自分たちの縄張りに近付いてきた君たちに対して尋常ではない敵意を抱いている」
真上「私が彼らに睨みをきかせて動きを止める」
真上「その間に自分のテントに向かうんだ」
橘一哉「いえ、それはできません」
真上「なぜだ?」
橘一哉「俺達はもう彼らに捕捉された」
橘一哉「ここで逃げおおせても、一時的なものでしょう」
橘一哉「彼らは必ず俺達を捉え、捕らえるでしょう」
姫野晃大(何か恐ろしいこと言ってないか・・・?)
晃大の感想は正解だ。
肉体を持たぬ存在には、時間も距離も関係ない。
その意識一つで、望む場所に瞬時に到達し、会いたいものの前に瞬時に姿を現す。
つまり、一度霊に目を付けられたら逃れる術はない。
先方が興味を無くすか、別の対象に意識を引き寄せられるのを待つしか無い。
真上(多少は心得があるようだな)
真上は一哉の言葉に感心した。
この状況で動揺するのではなく、落ち着いて状況を把握している。
無言のもう一人も、慌てず騒がず、友人であろう彼の出方を伺っている。
彼は対処に慣れていないようだが、それでもパニックに陥らない程度の胆力を備えている、と真上は見た。
真上「君たちが人ならざる力の持ち主なのは分かっている」
二人の腕から仄かに漂う、人ならざるものの気配。
それなりの力を持ってはいるのだろうが、
真上「だが、山では勝手が違うぞ」
真上「あれらは山のモノで、ここは山」
真上「ここは彼らの縄張りだ」
方やホーム、方やアウェー。
どちらに有利かは明白だ。
真上「無理をしてはいかん」
姫野晃大「真上さんの言う通りだ」
姫野晃大「行こう、カズ」
橘一哉「もう無理だと思う」
真上「・・・そのようだな」
〇原っぱ
真上「月が出るのを待ちながら、彼らをやり過ごすぞ」
月が出たなら、真上にもやりようがある。
姫野晃大「でも、どうやって」
光龍「ここは私に任せてもらおう」
姫野晃大「光龍!!」
真上「龍だと!?」
真上は目を丸くした。
真上「高位の神獣が、なぜ・・・!?」
光龍「山住のものよ、ここは私が力を貸そう」
光龍「しばし、月の代わりにはなろう」
眩い光が光龍から広がる。
その光に押され、影達は後退した。
橘一哉「俺達も、やるかい?」
中途半端に掲げたままの左腕に一哉が語りかけると、
黒龍「おそらく大丈夫だろうが、一応控えてはおくか」
真上「こちらも龍だと!?」
一哉の左腕から出てきた黒龍に、真上は再び驚いた。
真上「龍の宿主が二人も・・・!!」
真上は得心した。
肉体を失い、自我すらも失い、しかしそれでも存在し続けるモノたち。
存在する事それ自体に執着しているという一面のある彼らが、力の化身とも言うべき龍の存在に寄り集まるのはある意味必然。
自身の力を強めるために、龍に近寄るのは不思議な話ではない。
水場に集まる動物と同じだ。
真上「龍よ、しばし力を貸していただきたい」
「無論だ」
真上の申し出を、光龍と黒龍は一も二もなく快諾した。
〇原っぱ
真上「さて、牽制できてはいるが、」
残っている影は三人を遠巻きに囲んだ状態になっている。
今も放たれている光龍の光を避けてはいるが、退却する素振りは無い。
明確に此方を狙う意識が放たれている。
縄張りを侵す敵。
こちらの強さを認めているが故に複数がかりで取り囲み、その力を狙っている。
こちらを強敵にして無上の餌だと認識している。
橘一哉「どうしたものかなぁ」
いささか緊張感に欠ける物言いに、真上の眉が下がる。
真上「・・・君は、」
怖くないのかと言いかけて言葉を飲み込んだ。
軽いのは口ぶりだけ。
その瞳は鋭く影たちを捕捉している。
獲物を狩る獣の目だ。
出方次第で、影たちを打ち倒すことすら厭わない。
そんな目をしている。
黒龍「カズ、無闇に彼らを傷つけてはならん」
黒龍「彼らもまた山に住まうモノ、理非をはかれば非は我らにある」
橘一哉「オーケー」
一哉の目から戦闘的な輝きが消える。
真上(黒龍殿・・・)
真上は心底黒龍に感謝した。
戦うことは手段の一つとして考えられるが、この場合においては最後の最後に取るべき手段だ。
争わず、傷つけず、無事に別れることを目指さねばならない。
影が動きを止めているのは、龍が睨みを利かせているからだ。
龍が退いてしまえば、これ幸いとばかりに影達は一哉と晃大を襲うだろう。
仮に戦って打ち倒したとしても、その奥に控える、より強大な山の怪が動く可能性がある。
まして、今キャンプ場には四百人の生徒がいる。
彼らを危険に晒すわけにはいかない。
橘一哉「あ、そうだ」
姫野晃大「どうした?」
橘一哉「テントに帰るんじゃなくて、山に入っちゃえばいいんじゃね?」
「!!」
真上「何を馬鹿なことを言っているんだ!!」
無謀にもほどがある。
夜間に地形もよく知らない所を動き回るなど危険極まりない。
転倒や滑落で最悪の場合命を落としかねない。
それに、
真上「もし朝までに帰ってこられなかったら大事件だぞ!!」
キャンプ場で林間がに来ていた生徒が行方不明。
新聞の一面を飾り、ラジオやTVでは最初に流れる事になるだろう。
取材や捜査で更に人が訪れ、滞在することになる。
マスコミや警察は、山のモノたちの事情などお構い無しに至る所に立ち入り、山を荒らすだろう。
そんな彼らに山のモノ達が手を出さないとも限らない。
橘一哉「・・・やめとこうかな」
真上「当たり前だ」
などと話をしていると、
〇原っぱ
姫野晃大「あ」
雲が晴れて月が顔を出した。
真上「よし、これならぱ」
真上の顔に生気が宿る。
真上「はあぁ・・・ふうぅ・・・」
真上は大きく深呼吸をした。
心なしか震えているように聞こえる。
真上「ふうぅ・・・」
真上「Grrr・・・」
息を吐く時の声が、自然なものから唸り声のようなものへと徐々に変わっていき、
「!!」
真上の姿も変わっていく。
全身に毛が生え、耳が伸び、口が突き出し、
姫野晃大「お、狼・・・」
彼を叔父と呼ぶ駆と同じ、狼人間へと変身した。
真上「去れ」
その姿で、真上は影たちに向けて語り掛けた。
真上「この一帯は我らの縄張りだ」
真上「貴様らの巣に戻れ」
「・・・・・・」
影の放つ殺気や敵意が消えた。
影はしばらく静かにしていたが、
「・・・」
???「・・・」
一つ、また一つと姿を消していった。
青白い月明かりに照らされ、幾つものテントが再び姿を現す。
かすかな風に揺れる木の葉擦れの音の中に、虫の音が交じって聞こえる。
真上「ふう・・・」
影の姿も気配も消えたのを確認すると、真上は人の姿に戻りため息をついた。
真上「もう、大丈夫だ」
真上「少なくとも、このキャンプ場内で彼らが君たちを追いかけることはあるまい」
橘一哉「ありがとうございます」
真上「もう遅いから、早く寝て明日に備えなさい」
姫野晃大「はい」
一哉と晃大は真上に向けて一礼すると、それぞれのテントへと向かっていった。
真上「明日の活動の準備が増えてしまったな・・・」
このまま徹夜だな、と苦笑しながら真上は歩き出した。
〇テントの中
晃大がテントに戻ると、
飯尾佳明「ずいぶん遅かったな」
佳明も起きていた。
姫野晃大「起きてたのか?」
飯尾佳明「まあな」
佳明は右腕を擦り、
飯尾佳明「緑龍が教えてくれたんだよ」
飯尾佳明「山のモノが動いてる、ってな」
チラリとテントの入り口を見る。
飯尾佳明「もう居なくなったみたいだけど」
姫野晃大「俺は大変だったよ」
ため息をつきながら晃大は寝袋に入り込み、
姫野晃大「色々あって疲れたよ・・・」
姫野晃大「zzz・・・」
おやすみと言う間もなく、寝付いてしまった。
飯尾佳明「寝るの早っ」
〇テントの中
古橋哲也「大変だったみたいだね」
橘一哉「哲ちゃん、知ってたの?」
一哉のテントでも、同じ班の哲也が起きて彼を迎えていた。
古橋哲也「僕は黄龍の宿主だよ」
古橋哲也「土地の異変はすぐに分かる」
橘一哉「なら来てくれても良かったのに」
古橋哲也「そんな事したら、余計に拗れるでしょ」
橘一哉「でも、中々の見物だったよ」
古橋哲也「なら、行かなくて正解だったね」
一哉の『おもしろい』は俗に言う『異常事態』や『危機的状態』の類語である。
そんな状況にわざわざ進んで首を突っ込む事も無い。
第一、
古橋哲也「知らない場所で無闇に動くわけにもいかないし」
橘一哉「確かにね」
一哉が晃大と共に遭遇した危機も、真上のお陰で事なきを得た。
もし彼がいなかったら、事態は悪化していただろう。
何よりも 、
橘一哉「月が出てくれて助かったよ」
古橋哲也「だよね」
哲也は頷く。
古橋哲也「月が出ていないだけで、本当に真っ暗だったもの」
外ですら、あの暗さだ。
テントの中となれば、もっと暗かっただろう。
古橋哲也「それが、月が出ただけであんなに明るいなんて」
今もテントの入口の隙間から、静かな柔らかい光が漏れている。
月と星という天然の照明は、自然と心が安らぐ。
橘一哉「じゃ、寝ますか」
古橋哲也「そうだね」
二人は再び寝袋に入り、目を閉じた。
〇古民家の居間
真上「ふう・・・」
誰もいない部屋で、真上は一人大きく息をついた。
真上「龍が人に宿っているとはな・・・」
流れの象徴である龍は、本来中立のはずである。
それが個人に宿っているとは。
自分たちの知らぬところで、何か大きな動きが始まっているのだろうか。
この地にキャンプ場を開き、山と人の間を取り持つことを自らの生業として数十年。
霊的、経済的、社会的、様々な危機はあったが、どうにか乗り越えてきた。
ここは真上の縄張りである、と山のモノ達も認識できていたはず。
それが大挙して侵入してくるなど、今まで起きたことがない。
真上「一体、何が・・・」
考えても始まらないのは分かっている。
目の前の今を全力で生きる。
それが、生あるものにできる唯一のことだ。
そうすれば、必ず世界は応えてくれる。
そうやって真上は今まで生きてきた。
真上「彼らが無事であればいいが・・・」
とんでもないものと共生している一哉と晃大のことを案じずにはいられなかった。