第弐拾四話 辻斬り 前編(脚本)
〇普通の部屋
魔族の大軍を相手にした大立ち回りの翌朝。
黒龍「随分と器用になったな、カズ」
橘一哉「ああ、最近は足腰を重視して鍛えてるからね」
黒龍「人もまた獣」
黒龍「至弱ゆえに最強となる可能性を秘めている」
橘一哉「コウちゃん、大丈夫かな・・・」
昨日の戦いを思い出す。
最後の最後まで、晃大は戦いを拒み続けた。
その姿勢は間違いではない。
戦わずして事を収めるに越したことはない。
戦い慣れぬ者が無理に戦えば、足手まといにしかならない。
援護を受けてどうにかなるならまだマシな方で、最悪の場合は己も味方も全滅しかねない。
瑠美の手を引っ張っていったのは、少々予想外だったが。
黒龍「あれでも光龍が見込んだ男だ、大事はあるまいよ」
橘一哉「相変わらず冷静だな、黒龍は」
よいしょ、と一哉はリュックを背負う。
黒龍「お前こそ、随分と肝が据わったもんだ」
しみじみと語る黒龍の声音に、ふと思い立った一哉は左の袖を捲ってみた。
黒龍「な、なに見てるんだお前!!」
橘一哉「あ、やっぱ変わるんだ」
一哉が予想した通り。
一哉の左前腕にある黒龍の痣。
その龍の顔が、変化した。
捲った瞬間はしみじみと感慨にふける緩んだ表情をしていたのが、
( ゚д゚)ハッ!
となり、
慌てふためく表情になった。
黒龍「は、早く行かんと玲奈が来るぞ!!」
「もう来てますけど?」
白龍「何を狼狽えているのです、黒龍」
いつの間にか玲奈が部屋の戸を開けて立っていた。
白龍も玲奈の袖口から顔を出してキョトンとしている。
橘一哉「おはよう、玲奈」
玲奈は毎日迎えに来てくれる。
ありがたい幼馴染に朝の挨拶をすると、
辰宮玲奈「おはよう、カズ」
玲奈もいつも通りの笑顔を返す。
辰宮玲奈「学校、行こうか」
橘一哉「そうしますか」
準備はもうできている。
玲奈の言葉に一哉も頷き、二人は家を出た。
〇街中の道路
辰宮玲奈「姫野くん、今日は学校に来るかな?」
玲奈が開口一番に話題にしたのは晃大のことだった。
無理もない。
魔族の包囲網を突破した玲奈達が見たのは、
〇電器街
全身返り血塗れで血刀を引っ提げた一哉。
足元に吐瀉物を撒き散らし、瑠美に支えられて立ったまま気を失っている晃大。
青褪めた顔で、晃大を支えるというよりも互いに寄りかかるようにしている瑠美。
そして、一哉を労うかのように彼の肩にそっと手を置いている頼子。
一体何が起こったのか、大体の見当はついた。
それは、一哉にとっては当然の仕儀。
しかし、一哉以外にとっては異常な事。
獣が、獲物を、喰らう。
〇荒地
「それだけのことだよ」
かつて玲奈がそれを初めて見た時、黒龍も、一哉すらも、全く同じ事を口にした。
平然と言ってのけ、平然とやってのけた事が何であったかというと。
〇電器街
斬りつけ。
組み伏せ。
八つ裂き。
斬り刻んだ敵の四肢五体。
その気血骨肉の全てを、一切余さず残す事なく消滅せしめたのである。
その現場を、玲奈は直接見たわけではない。
しかし、風を司るが故に『流れ』の『向き』に敏感な白龍の宿主である玲奈には分かってしまった。
一哉が消滅せしめた敵は、肉体も魂魄も、全てが分解されて黒龍に飲み込まれたのだ。
そういう気の『流れ』を、確かに感じた。
返り血や血溜まり、衣類と思しき布の切れ端が散乱していたから、おそらく倒すのに精一杯だったのだろう。
玲奈は一哉と仲間の無事に安堵した。
安堵するだけにしていた。
そして、一哉の傍に居られなかった事を悔やんだ。
そんな自分に出来る事は、
辰宮玲奈「カズ、」
草薙由希「カズ、又無理して・・・」
玲奈の横を涼し気な空気が駆け抜け、由希が一哉の肩を抱いた。
辰宮玲奈(・・・出遅れた・・・!!)
胸がズキリと痛んだが、それを堪えて親友に歩み寄る。
辰宮玲奈「瑠美、瑠美!!」
穂村瑠美「ああ、玲奈・・・」
心底からの安堵の表情を浮かべて倒れ込もうとする瑠美を支える玲奈。
既に気を失っている晃大には、哲也と佳明が駆け寄って左右から支えた。
その後、結界は無事解けた。
八人の龍使いは一旦八十矛神社に立ち寄り、瑠美と晃大の心身が落ち着いたのを確認すると各々帰宅した。
〇街中の道路
橘一哉「大丈夫だとは思うけどねぇ」
そう言って首を擦る一哉。
迷いや心配がある時の彼の癖だ。
辰宮玲奈(心配はしてるんだ)
どの程度のものかは分からないが。
橘一哉「やる気と支えが、どうなるかな・・・」
辰宮玲奈「そうだね・・・」
晃大が今後どの様な道を選ぶかは本人次第。
彼が孤立無援でないことは、この数日の出来事で分かってはいる筈だが、
橘一哉(どうにも面倒だな・・・)
戦いに対して消極的なのが気になる。
辰宮玲奈「でもさ、瑠美ちゃんが一緒だから、多分大丈夫だと思う」
橘一哉「穂村さんが?」
確かに。
晃大は瑠美の手を引いて逃げていた。
それだけ気に掛けているということだ。
辰宮玲奈「瑠美ちゃんも、姫野くんに隠し事してたのを気にしてたし」
橘一哉「そっか」
一哉も、玲奈が白龍使いになった時の事を思い出す。
橘一哉「俺も玲奈の時は、」
辰宮玲奈「全っ然変わってないよね、前も後も」
橘一哉「ゔっ」
辰宮玲奈「まだ覚えてるんだからね、あの日のこと」
橘一哉「お、おう」
辰宮玲奈「ねえ、思い出したらイライラしてきたから叩いてもいい?」
橘一哉「それは叩く前に言ってほしいな」
ペシペシと一哉の肩を叩く玲奈。
とても本気とは思えないが、それに押されるように一哉は前へと歩いていく。
「朝から旦那を鞭打つなんて、熱心だねぇ」
辰宮玲奈「あ、頼ちゃん」
梶間頼子「おは」
や、と軽く手を挙げる頼子。
橘一哉「鞭打たれる俺を労ってはくれんのですかい」
梶間頼子「まだ若いんだから、シャキッとする」
そう言って頼子は玲奈が叩いているのとは反対の肩を叩くが、
橘一哉「ごめん、スラッとするので精一杯だわ」
梶間頼子「しっかし、この細い体の何処にあんな力があるのか疑問だよね」
腕、胸、腰、と一哉の身体を頼子は撫で回して揉みしだく。
橘一哉「あふん」
辰宮玲奈「うわぁ〜頼ちゃんてばイヤらしい〜」
梶間頼子「ハハハ、何を、」
言いかけて頼子の顔が引きつる。
梶間頼子「失礼しました」
親友の背後に般若が見えた。
慌てて手を引っ込めた頼子だったが、
橘一哉「うお!」
辰宮玲奈「うひゃ!?」
反動で一哉は押され、それを玲奈が抱き止める形になった。
思わず一哉も反射的に玲奈に両腕を回し、二人は抱き合う形になる。
梶間頼子「お熱いねェ、ご両人」
脱兎。
辰宮玲奈「あ!!」
橘一哉「ちょ!!」
頼子は全速力で駆け出し、二人から遠ざかっていった。
橘一哉「稲妻ランナー頼子・・・」
辰宮玲奈「速い・・・」
二人は暫く頼子の背中を目で追っていたが、
「!!!!」
今の状態に気付き、慌てて離れた。
辰宮玲奈「は、早く行こっか」
橘一哉「そうだな」
〇教室
そして学校。
担任教諭「各クラスの人数調整の関係で、この三人がクラスに加わることになりました」
飯尾佳明「飯尾佳明です」
辰宮玲奈「辰宮玲奈です」
梶間頼子「梶間頼子です」
佳明、玲奈、頼子の三人が晃大達のクラスに転入となった。
姫野晃大「マジか・・・」
担任教諭「そういえば、橘くんは?」
穂村瑠美「そういえば来てないね」
古橋哲也「どうしたんだろう」
担任教諭「誰か知ってる?」
生徒達を見回す教諭だったが、誰も知っているはずがない。
可能性があるとすれば、
クラスの生徒の何人かの目線が玲奈へと注がれる。
高校教育が義務教育同然と化している今、大半の生徒は近場の高校に進学している。
つまり、一哉と玲奈の関係性を知っている生徒は、このクラスにも一定数存在する。
二人と特別親しい関係に無くても、知っている生徒はいるのだ。
さて、当の玲奈はというと、
辰宮玲奈「・・・」
困惑し、逡巡し、躊躇していた。
それを隠す特別な事情があるわけではない。
特別な事情があるとするならば、
辰宮玲奈(あたしにアレを言えっていうの・・・!?)
年頃の女子としては口にするのが憚られる。
ただそれだけである。
梶間頼子(それにしても、カズも魔族に大人気だよね・・・)
親友の顔と今朝の唯一の空席を交互に見ながら、頼子は心の中で呟いた。
梶間頼子(ん〜・・・)
一部から注目を集める玲奈は、どうにも言いにくそうな様子だ。
梶間頼子(よし、)
そこで頼子は決意した。
友人の危機を救わねば。
梶間頼子「先生、」
頼子は挙手をし、
梶間頼子「橘くんは一身上の都合でトイレから大幅に出遅れるそうです」
辰宮玲奈「!!」
担任教諭「それって、つまり、」
梶間頼子「寝冷えしてお腹を下したそうです、盛大に」
顔色一つ変えずにサラリと言い放つ頼子。
教室は一瞬静まり返り、直後にドッと爆笑の渦に包まれた。
担任教諭「梶間さん、割とデリケートな話だから、もう少し言い方を、ね?」
梶間頼子「はい」
辰宮玲奈「・・・」
何となく神妙にしつつ、何処となくしてやったりといった顔をする頼子。
そんな頼子を、玲奈は何とも言えない顔で見つめていた。
〇ビルの裏通り
橘一哉「こんな時間に出てくるなんて、一体全体どういう風の吹き回しだ?」
足元で俯せている鬼に対し、一哉は問いかけた。
左手で刀の柄頭を握り、その切っ先は仙骨を貫いて地に刺さっている。
一哉は片膝を着いて鬼を組み敷いている。
右足で鬼の背中を踏みしめ、左の脛で右手を押さえ付けていた。
鬼は掠れた息で呻きを上げている。
無理もない。
打ち倒されるほどのダメージに加え、体幹の要である仙骨と、その前方にある丹田を潰されているのだ。
下半身の要所を潰され、上半身の損傷も大きい。
その損傷から、気血が徐々に失われていく。
鬼「様子を、見に来たのさ」
何とか鬼は言葉を紡ぎ出す。
橘一哉「様子見?」
怪訝な顔とは裏腹に、鬼を押さえつける一哉の力は更に増した。
気血が強引に搾り出される。
胸の圧迫によって絞り出された息は、苦痛と脱力も相俟って情けない呻き声となった。
鬼「順調に、壊れてるじゃないか」
橘一哉「あ?」
ボキリ、という音の二重奏。
鬼の背中と右腕が有り得ない曲がり方をし、一哉の右足と左膝が深くめり込んでいる。
橘一哉「その程度の用事とは、ご苦労なことで」
体重を落として両足を沈めた反動で鬼の腰から抜いた刀を諸手に握り、一哉は鬼の首を刺し貫いた。
息絶える寸前、鬼は何事かを呟いたが、最早声にもならず聞き取ることはできなかった。
しかし、それを見た一哉の表情は微かに陰りを見せた。
〇教室
橘一哉「すみません、遅刻しました」
一哉が教室に入ったのは、一時間目の最中だった。
担任教諭「橘くん、調子は大丈夫?」
幸運なことに、今日の一時限目の科目はクラス担任の担当する科目だった。
橘一哉「ええ、何とか」
何となく力の感じられない受け答えをして、一哉は自分の席に着いた。
飯尾佳明「カズ、お前、またやったのか?」
佳明の言葉に、他の生徒からもクスクスと笑いが漏れる。
橘一哉「言うな、それを言ってくれるな、よっくんや・・・」
顔を引き攣らせる一哉を、
梶間頼子「全く、あたしも恥かいちゃったよ」
頼子が隣から茶々を入れる。
担任教諭「みんな、授業は始まってますよ」
教諭の一言で、生徒達は己の本分を思い出した。
〇教室
そして休み時間。
姫野晃大「なあ、橘、」
橘一哉「んあ?」
後ろから声を掛けられた一哉が首を仰け反らせて後ろを見ると、
姫野晃大「あれ、嘘だよな」
橘一哉「アレって?」
姫野晃大「今朝の遅刻の話」
橘一哉「近いぜコウちゃん」
すぐ目の前に晃大の顔。
その目はいつになく据わっている。
橘一哉「ホントだよ」
姫野晃大「信じられるかよ」
穂村瑠美(鋭いなあ)
本当に、晃大は勘が鋭い。
いや、鋭くなったというべきか。
以前の晃大なら、このような絡み方はしなかった、と瑠美は思った。
橘一哉「まあ、」
一哉は体ごと後ろを向いて晃大と向かい合い、
橘一哉「襲われて出遅れたのは本当だよ」
何に、とは言わないが、晃大には察しがついている。
姫野晃大「なんで、それで何事も無かったようにしてられるんだ、お前は」
一哉の遅刻の本当の理由が腹痛や下痢でないことは、晃大にも分かっている。
しかし、周囲の皆の反応から察するに、これまでにも何度か同じ様なことをしている。
が、
橘一哉「いちいち気にする程の事でもないよ、よくある事だし」
何食わぬ顔、しかも笑い混じりに言われると、返す言葉を失った。
姫野晃大「おまえ、」
あまりにも平然としすぎている。
古橋哲也「気にしない方がいいよ、彼はいつもこんな調子だから」
哲也が晃大の肩をポンと叩く。
飯尾佳明「まともにコイツの相手してると疲れるだけだぞ」
佳明も口を挟んできた。
飯尾佳明「コイツが遅刻した理由は、お前も分かってんだろ?」
飯尾佳明「なら、いいじゃねぇか」
姫野晃大「だけどさ、」
言いかけた晃大だったが、
姫野晃大「っ・・・」
佳明と目を合わせた途端に口を噤んだ。
やめておけ。
佳明の目は、言外に語っていた。
姫野晃大「・・・わかったよ」
何を言おうと、この橘一哉という若者は揺るがない。
だから、何を言っても無駄なのだ。
橘一哉「ストーカー乙って感じだよ」
橘一哉「朝っぱらから様子見してさ、見つかって返り討ちにされちゃあ世話ないわな」
まるで他人事のような語り口の一哉に、龍使いの若者たちは誰一人として口を挟もうとはしなかった。
そんな様子を見て、橘一哉という人間の立ち位置が何となく分かったような気がしたが、
姫野晃大(ん?)
ある違和感に気付いた。
姫野晃大「橘、」
橘一哉「カズでいいよ」
姫野晃大「じゃあカズ、」
橘一哉「何?」
姫野晃大「お前、何処で魔族と出くわした?」
姫野晃大「辰宮さんを先に行かせた理由は?」
疑問を一哉にぶつけた。
梶間頼子「今朝はあたしも一緒だったよ」
頼子が横から割って入ってきた。
姫野晃大「梶間さんも?」
梶間頼子「うん」
晃大の言葉に首を縦に振る頼子。
梶間頼子「どうせ家に居ても暇だからさ、朝起きたらすぐに学校に行くことにしてるの」
梶間頼子「今日は早起きしすぎちゃってさ、」
辰宮玲奈「朝練に行く私とカズに合流しちゃったんだよね」
梶間頼子「そうそう」
姫野晃大「それで、どこでカズと分かれたの?」
橘一哉「コンビニの前」
飯尾佳明「お前は信用されてないから黙ってろ」
古橋哲也「辰宮さん、梶間さん、今朝何があったのか、僕も知りたい」
哲也も口を開いた。
古橋哲也「朝から魔族が出てくるなんて、今までは無かったことだ」
姫野晃大「!!」
「!!!!」
哲也の口から出た言葉に晃大は驚き、他の面々もハタと気づいて目を瞠った。
一哉だけはキョトンとしていたのだが、皆驚きが大きすぎたのか気付いていない。
飯尾佳明「そういえば、そうだよな」
古橋哲也「夜明けから正午までは、陰の気が減って陽の気が高まり続ける」
飯尾佳明「陰の気が主体の魔族にとって、午前というのは活動しにくい時間のはずだ」
古橋哲也「だから、姫野くんの光龍や穂村さんの赤龍の力は魔族が特に苦手にしてる」
古橋哲也「光や炎は陽の気の中でも特に強いから」
姫野晃大「へえ・・・」
晃大は嘆息した。
たった二回とはいえ、相対した魔族が尋常でない敵意を向ける理由の一端が掴めたような気がする。
古橋哲也「それで、辰宮さんと頼子さんは、どこでカズと別れたの?」
「コンビニの前」
口を揃えて答える玲奈と頼子。
辰宮玲奈「腹の調子が悪いから先に行け、って」
辰宮玲奈「朝練に遅れちゃまずいから、先に行くことにしたの」
辰宮玲奈「そしたら、頼ちゃんが出てきて」
梶間頼子「今日の昼ご飯買った後に雑誌読んでたらカズが入ってきて、玲奈もいたから一緒に学校に向かったよ」
古橋哲也「意外とドライだね・・・」
待つ、という選択肢は、玲奈だけでなく頼子も無かったらしい。
飯尾佳明「じゃあ、今朝の遅刻の理由で嘘は言ってないんだな?」
橘一哉「うん」
一哉は首を縦に振る。
飯尾佳明「魔族と一戦交えたのは言わなかっただけ、と」
橘一哉「そう」
再び頷く一哉。
飯尾佳明「お前も災難だな、午前中に襲われるなんて」
橘一哉「いや、襲われてない」
飯尾佳明「は?」
佳明は己の耳を疑った。
飯尾佳明「今、なんて言った?」
橘一哉「だから、魔族には襲われてない」
飯尾佳明「なに?」
橘一哉「見つけたから狩った」
橘一哉「言っただろ、ストーカー乙、ってさ」