第七話 代償(脚本)
〇本棚のある部屋
魔族の矢口朱童を倒した翌日の朝。
姫野晃大「ぐおああぁ・・・」
激しい筋肉痛で、晃大は早く目が覚めた。
姫野晃大「なんじゃこりゃあ・・・」
光龍「筋肉痛だな」
光龍の声が頭の中に直接聞こえた。
光龍「神気発勝の後遺症だ」
姫野晃大「それは分かってるよ・・・」
晃大が聞きたいのはそこではない。
姫野晃大「なんで、顔まで・・・」
昨日の戦いの後遺症だというのは晃大にも分かる。
光龍の力を全身に満たし、朱童を打ち破った。
技術も知識も経験も皆無の晃大が戦いに勝つには、身体能力で勝るしかない。
それを可能にしたのは、『神気発勝』。
あれだけの力を発揮したのだから、身体の負担が尋常でなかったのは分かる。
しかし、首から上の顔面や頭部に至るまで、全身余す所なく筋肉痛とは。
光龍「首から下だけが体ではなかろう」
光龍「目を見開き、雄叫びを上げ、歯を食いしばり、常に相手から顔を逸らさず耳も澄ます」
光龍「首から上もしっかり使っているではないか」
姫野晃大「たしかに・・・」
光龍の言う通りだった。
姫野晃大「俺、大丈夫かな・・・」
動けないわけではないが、痛い。
ベッドから体を起こしてみるが、日常動作をゆっくり、が精一杯のようだ。
姫野晃大「・・・」
姫野晃大「学校、行けるかな・・・」
〇教室
橘一哉「アッハッハ!!」
晃大を見るなり一哉は大爆笑した。
姫野晃大「笑うなよ、橘・・・」
橘一哉「いや、ゴメンゴメン」
橘一哉「だって、動きはカクカクしてるし、顔はガッチガチだし」
橘一哉「ちょーウケる!!」
古橋哲也「今朝は大変だったよ」
今朝は様子見も兼ねて瑠美と哲也の二人で晃大を迎えに行ったらしいのだが、
穂村瑠美「何をするにもゆっくりで、いつもの倍くらい時間が掛かったんだから」
二人が説明する横で、晃大はゆっくりと席に着いた。
動作自体がゆっくりで、よく見ると手足を細かく震わせながらの着席だった。
橘一哉「そんなにしんどかったのかぁ、お疲れさん」
一哉は何度も晃大の肩を叩き、
橘一哉「これが足しになればいいんだけど」
肩揉みを始めた。
姫野晃大「あ゛〜、生き返るわ〜・・・」
目を細める晃大。
意外な事に、一哉の肩揉みは上手だった。
首から肩にかけての筋肉が柔らかく解れて痛みが薄れていくのを感じる。
穂村瑠美「今日は体育もないし、うまくやり過ごせるんじゃない?」
姫野晃大「ホント、それが何よりの救いだぜ・・・」
橘一哉「由希姉の仕込みもあるし、たぶん明日には治ってるんじゃないかな」
揉みほぐしから摩りに変えながら一哉が口を開いた。
姫野晃大「草薙先輩の?」
橘一哉「昨日、由希姉に肩を掴まれただろ?」
昨日の事を思い出す。
八十矛神社から逃げ出そうとした瞬間に、晃大の肩に襲いかかった剛力。
姫野晃大「滅茶苦茶な馬鹿力だったよ・・・」
思い出すだけでも肩の痛みがぶり返してきたような気がする。
橘一哉「その時に、龍の力でコウちゃんの気血の巡りを良くして、回復力を高めたんだってさ」
姫野晃大「あんなに痛かったのに?」
ただただ鷲掴みにされたようにしか思えなかったが。
橘一哉「ホラ、調子が悪い所のツボを刺激すると痛いっていうじゃん」
橘一哉「それと同じ要領なんじゃない?」
古橋哲也「納得できるような、できないような・・・」
哲也が見た限りでは、あの時の晃大の痛がり方は由希の握力由来のような気がする。
橘一哉「あと、玲奈の鳴弦が魂振りになってたはず」
姫野晃大「タマフリ?」
古橋哲也「振動を与えてエネルギーを増幅させて、生命力や霊力を高める、だっけ」
橘一哉「その通り」
橘一哉「神社で全員の力を見せ合っただろ?」
橘一哉「その時にさ、回復能力を高める術をやってたらしいのさ」
思い返せば、晃大は朱童と終始一騎打ちだった。
誰一人として朱童の攻め手を突破できた者はいなかった。
逆に言えば、誰もが彼の攻め手を防ぐだけで精一杯だったということだ。
古橋哲也「取り込められる前も含めて、かなり消耗していたからね」
古橋哲也「カズと飯尾くんの提案は丁度良かったよ」
姫野晃大「全然気づかなかった」
早く神社から帰りたい一心で、目の前の出来事以外は全く気にしていなかった。
橘一哉「俺は力を見せただけで、回復術はやってないけどね」
「やってないんかい!!」
口を揃えてツッコむ晃大、瑠美、哲也。
古橋哲也「僕は地脈を皆の足裏にある経絡の湧泉に繋いだよ・・・?」
穂村瑠美「あたしはコウの肩を擦った時に代謝を上げるようにしたんだけど・・・」
姫野晃大「俺は何もできてない・・・」
「それは仕方ない」
橘一哉「由希姉と穂村さんが何か仕込んだのは感じたけど、他は分からんかった」
帰り道で黒龍から教えられたらしい。
(それでいいのか、黒龍・・・)
橘一哉「まあとにかく、お陰でコウちゃんの回復はかなり加速してるはずなんだよね」
橘一哉「それがなかったら、今頃コウちゃんは寝たきり状態だったはずだよ」
姫野晃大「マジかよ」
どうやら、この全身筋肉痛の状態でも、かなり回復が進んでいる状態らしい。
古橋哲也「神気発勝は心身のリミッターを解除して限界を超えた力を発揮する奥の手だからね」
古橋哲也「反動はどうしても大きくなる」
姫野晃大「待てよ」
姫野晃大「神気発勝って、橘も使ってただろ」
橘一哉「うん」
姫野晃大「なんでお前は無事なんだ?」
一哉も朱童との一騎打ちで神気発勝を使ったはず。
晃大よりも時間こそ短いが、曲芸じみた動きは負担も大きかったのではないか。
橘一哉「俺は慣れてるから」
姫野晃大「慣れてるって、」
慣れただけで、こんなに普通にしていられるものなんだろうか。
橘一哉「鍛えてますので」
ニッ、と笑い親指を立てる一哉。
古橋哲也「カズは龍使い歴が一番長いからね」
古橋哲也「色々できるし、色々知ってるよ」
橘一哉「属性の使い方なんて連想ゲームだからね」
橘一哉「攻撃、防御、治癒、強化、操作」
橘一哉「発想次第で幾らでもやれる事を増やしていける」
橘一哉「コウちゃんも何か思いついたら試してみるといいんじゃないかな」
橘一哉「んじゃ、ちょっとトイレ行ってくる」
そう言って一哉は席を立ち、教室から出ていった。
穂村瑠美「相変わらず元気よね、橘くんは」
古橋哲也「元気ってだけじゃなさそうだけどなぁ」
〇鏡のある廊下
橘一哉「あー・・・」
橘一哉「トイレは近いし、身体はダルいし・・・」
橘一哉「昨日は頑張りすぎたかな・・・」
神気発勝を使った後は、いつもこうだ。
倦怠感と空腹感と眠気がひどくなり、ついでにトイレも近くなる。
晃大の様子を見て一時的に症状は消えたが、またぶり返してきた。
自然と背中が丸くなってきてしまい、足取りも重い。
トイレまでの距離が遠く感じる。
橘一哉「しかも、こんな時に限って・・・」
〇鏡のある廊下
橘一哉「結界か・・・」
結界に引き込まれていた。
結界の風景には、幾つかの共通点がある。
一つは時間帯。
夕方か、或いは深夜。
日本において『逢魔時』『丑満時』と呼ばれる時間帯の明るさだ。
今回の結界は、前者の逢魔時のようだ。
もう一つは、存在するもの。
現実世界の風景がそのまま取り込まれていることが多い。
結界の内側に取り込む対象は術者が任意に選択したもの。
今回は、一哉だ。
橘一哉「やばいな・・・」
ブワリ、と一哉の左腕から黒い火の粉が舞い散る。
橘一哉「ふう・・・」
自然に黒龍の力が漏れ出てしまう。
深呼吸をして気を落ち着けると、
「自ら力を発して居場所を示すとは、手間が省けたわ」
やはり魔族が姿を現した。
その発言から、先程漏れ出た黒龍の気を察知して来たのは明らか。
橘一哉「昨日の今日とは、そっちも忙しいねえ」
「龍を葬る好機だからな」
「朱童はよくやってくれた」
橘一哉「そうだな、あいつは強かったよ」
昨日のことを思い出す。
結果的に敗れはしたが、晃大との一騎打ちに誰一人として近づかせなかった。
単身で神獣使い八人を相手取るなど、並大抵の腕前ではない。
橘一哉「俺もだいぶ疲れた」
正直な心境を口にしたが、
「いつまで強がっていられるかな!」
そうは受け取らなかったらしい。
敵意を剥き出しに、力を全身に漲らせる魔族だったが、
一瞬だった。
一哉が相手との間合いを詰めるのも、
一哉が左腕を振るうのも、
一哉の腕振りを受けた魔族が黒い霧となって消滅するのも、
全てが、目にも止まらぬ刹那の出来事だった。
橘一哉「わるいな」
橘一哉「疲れてるから、加減が利かないんだよ」
軽く跳躍して体を揺すり、一哉は呟く。
左手を何度か握ったり開いたりしてから、一哉は再び歩き出した。
橘一哉「さて、トイレトイレ・・・」
〇教室
別の教室。
梶間頼子「ねえ、玲奈」
珍しく頼子の方から声を掛けてきた。
辰宮玲奈「なあに、賴ちゃん」
玲奈が頼子の方を見ると、
梶間頼子「カズのこと、心配じゃないの?」
辰宮玲奈「なんで?」
頼子の問いに対し、玲奈はキョトンとした顔で問い返す。
梶間頼子「だって、初めてじゃん、二人が別のクラスになるなんて」
辰宮玲奈「・・・え?」
辰宮玲奈「・・・」
辰宮玲奈「・・・」
玲奈は教室内を何度か見渡し、
辰宮玲奈「!!!!」
目を丸くした。
梶間頼子「え、何?今気付いたの?」
辰宮玲奈「うん・・・」
玲奈は信じられない、といった顔で首を縦に振るが、そんな親友の反応こそ頼子には信じ難いものだった。
梶間頼子「クラス別名簿見てどう思ったのさ・・・」
辰宮玲奈「気にしてなかった・・・」
梶間頼子(ある種の天然物だ、コレ)
辰宮玲奈「・・・」
黙りこくっているが、玲奈は明らかに落ち着きが無い。
梶間頼子(うわー、分かりやすい・・・)
辰宮玲奈「どうしよう、賴ちゃん・・・」
梶間頼子「あたしに聞かれても困るんだけど」
とは言ったものの、このままだと玲奈がしつこく絡んでくるのは容易に想像がつく。
梶間頼子「隣のクラスだし、見に行ってみれば?」
辰宮玲奈「うん、そうする!」
玲奈は笑顔で頷く。
分かりやすい。非常に分かりやすい。
この素直さが玲奈の長所だと思う。
梶間頼子(カズももう少し構ってあげればいいのに)
梶間頼子(あたしも一緒に行ってみようかな)
〇鏡のある廊下
トイレからの帰りに、
飯尾佳明「よう」
一哉は佳明と出会した。
飯尾佳明「姫野は生きてるか?」
佳明も開口一番は晃大の件だった。
橘一哉「ちゃんと登校してるよ」
橘一哉「ひどい状態だけどね」
飯尾佳明「お前は大丈夫か?」
橘一哉「戦えるから大丈夫」
一哉は左腕に意識を込める。
龍気の漏出は極力抑えなければならない。
飯尾佳明「そうか」
橘一哉「しばらくはコウちゃん重点かな」
飯尾佳明「だろうな」
飯尾佳明「それとなく見とくわ」
橘一哉「サンキュ」
短いやり取りをして、二人はそれぞれの教室に戻っていった。
飯尾佳明「なにか隠してるな、アイツ」
佳明は小さく呟いた。
〇教室
橘一哉「ただいま〜」
一哉が教室に戻ると、
古橋哲也「おかえり」
古橋哲也「カズにお客さんだよ」
橘一哉「俺に?」
梶間頼子「やほ〜」
辰宮玲奈「来ちゃった」
玲奈と頼子が来ていた。
橘一哉「何しに来たのさ」
辰宮玲奈「・・・」
玲奈は黙って一哉をジッと見ている。
橘一哉「どうした?」
たまりかねた一哉が声を掛けると、
辰宮玲奈「ちょっと聞いてよ!」
玲奈は机に手を着いて一哉へと身を乗り出し、
辰宮玲奈「あたしとカズ、別々のクラスなんだよ!」
橘一哉「あー、そうみたいね」
橘一哉「記録更新ならずかぁ」
橘一哉「中学までは一緒だったのにねぇ」
そう。この二人、小・中の九年間、ずっと同じクラスだったのである。
それが今回、初めてクラスが分かれることになってしまった。
辰宮玲奈「ずっと一緒だと思ってたのに〜」
ガックリと項垂れる玲奈。
橘一哉「大げさだなぁ」
橘一哉「隣のクラスなんだから、顔見るなんてすぐじゃん」
辰宮玲奈「だよね!」
梶間頼子「さて、夫婦仲も修復できたところで、」
頼子は晃大を見やり、
梶間頼子「生きてるみたいだね」
姫野晃大「生きてるって、お前、」
梶間頼子「家でへばってるかと思ったよ」
辰宮玲奈「もう動けるなんてスゴいじゃん」
やはり昨日の晃大の立ち回りは目を見張るものだったようだ。
しかし、
(動くのも喋るのもキツそうだなぁ・・・)
発声も、表情も、晃大の動きの全てにぎこちなさが溢れている。
橘一哉「それはそうとテっちゃん、」
一哉は哲也の方に向き直り、
橘一哉「コウちゃんのフォロー、よろしく」
古橋哲也「いいけど、君は大丈夫?」
哲也が尋ねると、
橘一哉「俺は多分大丈夫」
橘一哉「さっきも一人、潰してきた」
返ってきた言葉に一同は目を丸くした。
姫野晃大「もう魔族が攻めてきたのか?」
穂村瑠美「昨日の一戦で私たちも大分消耗したから、向こうからしたらチャンスよね」
瑠美はチラリと晃大を見る。
古橋哲也「姫野くんがかなり消耗してるから、要注意だね」
穂村瑠美「橘くんは大丈夫なの?」
橘一哉「まあ、こんな感じかな」
一哉は軽く両腕を回したり曲げ伸ばしをするが、
姫野晃大「いや、どんな感じだよ」
晃大の言う通り。
橘一哉「こんな感じとしか」
一哉は肩を竦める。
姫野晃大「だから、そんなんじゃ分からないって」
とりあえず、見た限りでは特に異常があるようには見えない。
橘一哉「とりあえずテっちゃんと穂村さんはコウちゃんを宜しくってコトで」
古橋哲也「そうだね」
姫野晃大「何か迷惑かけちゃってるみたいだな」
橘一哉「いいってことよ」
姫野晃大「何でお前がそれを言うんだよ」
橘一哉「お、ナイスツッコミ」
梶間頼子「それじゃ、あたしたちは戻るね」
辰宮玲奈「またね」
橘一哉「あいよー」
玲奈と頼子は戻っていった。
〇道場
時は移って放課後の武道場。
草薙由希「姫野くんの様子はどうだった?」
橘一哉「動ける程度には回復してたよ」
草薙由希「なら良かったわ」
橘一哉「でもさ、動きはカクカクしてるし表情もガッチガチでさあ」
思い出し笑いをする一哉。
草薙由希「そんなに・・・?」
そんな一哉とは反対に、由希は眉をひそめた。
昨日、晃大の肩を掴んだ時に感じた気脈の異常を思い出す。
草薙由希「気の枯れと淀みが酷かったから、気血の巡りが滞らないようにはしたんだけど」
橘一哉「戦いはド素人だもの、しょうがないよ」
実力を遥かに上回る力を出したのだ。
過労という表現すら生温い程に、晃大の気が枯れて淀んでしまうのは仕方が無い。
本覚醒直後に、高位魔族を打ち倒せたこと。
更に、応急処置と睡眠だけで、翌日には動けるまでに回復したことは特筆に値する。
橘一哉「痛覚伝達を何割か鈍らせといたから、身体の痛みは少し和らいでるはず」
草薙由希「いつやったの?」
昨日、八十矛神社に集まった時には一哉は黒龍と自分の力を見せただけ。
その後解散するまで、晃大に何かをした様子は見受けられなかった。
橘一哉「今朝」
草薙由希「そういえば、同じクラスだっけ?」
由希は思い出した。
新入生のクラス分けの紙を一哉に見せられたが、その時に晃大の名前は一哉と同じクラスにあった。
橘一哉「うん」
橘一哉「気付かれないようにコッソリ、ね」
一哉は頷き、人差し指を口の前で立てる。
草薙由希「あんたは何ともないの?」
一哉も朱童と直接戦っており、その際に神気発勝を使っている。
時間こそ短いが、朱童に直接触れて組み合い、気の『張り合い』をした上での曲芸じみた動き。
張り負けないようにするのはかなり大変なはずだ。
橘一哉「まあ、いつも通り、かな」
一哉の体感では、過度の消耗はしていないように思っている。
晃大のように日常生活に支障が出ているわけではない。
既に魔族と一戦交えはしたが、由希に話すような特筆すべき事も無い。
草薙由希「どうするの?フォローしとく?」
橘一哉「これぐらいなら多分大丈夫」
それじゃ、と一哉は練習を始める剣道部の方へと戻っていった。
草薙由希「あんたが薙刀部に入ってくれたら、余計な心配しなくて済むんだけどなぁ・・・」
戻っていく従弟の後ろ姿を見ながら、由希は小さく呟いた。
草薙由希「さて、こっちも練習再開しますか」
由希も背伸びをすると薙刀部員たちの方に向き直り、練習再開の号令を出した。