エピソード3(脚本)
〇西洋の市街地
相原藤司「ここや・・・」
──センター試験を無事終えた夕方。
京都市内から少し離れた閑静な高級ホテル街に、藤司の姿はあった。
今朝絢音に、最後の記念にヌードモデルになって欲しいと伝えたら、何故かここに来いと言われ、藤司は正直戸惑いを隠せないでいた
相原藤司「と、とりあえず、着いたて電話せな・・・」
言ってスマホを出して、藤司はメモに書かれた番号に電話をする。
「・・・はい」
相原藤司「相原やけど、言われたとこ、着いたで」
「そ。なら、最上階の405号室来て。フロントで連れが来たと言えば、大丈夫だから」
相原藤司「う、うん・・・ あの、絢音、一体どう」
相原藤司「・・・・・・切れてもうた。 まあ、声は怒ってなさそうやし、とりあえず、行ってみるか」
言って、藤司はコートの汚れを手で払って、小さく咳払いし、フロントへ向かう。
〇ホテルの受付
相原藤司「あの・・・405号室に宿泊している女性の、連れなんですが・・・」
ホテルマン「・・・・・・・・・」
相原藤司「あ、えっと・・・」
ホテルマン「し、失礼致しました。 ご主人様・・・棗藤司様でございますね。お待ちしておりました。お部屋、ご案内させていただきます」
相原藤司「へっ?!」
ホテルマン「?」
瞬く自分に、ホテルの従業員は宿帳を差し出す。
ホテルマン「奥様から、チェックイン時に、このように御記帳賜っておりますが・・・」
相原藤司「あ・・・・・・」
そこには、確かに絢音の字で、「棗藤司、絢音」と、連名で書かれていた。
本当に、夫婦を演じてくれている・・・
嬉しくて、思わず写真に撮りたくなったが、不審に思われたら元も子もないと頭を振り、藤司は頷く。
相原藤司「はい。絢音は僕の・・・妻です。 案内、お願いできますか?」
ホテルマン「承知致しました。 では、こちらです・・・」
相原藤司「ハイ・・・」
そうして藤司は、絢音の待つ最上階の部屋に案内される。
〇おしゃれな廊下
ホテルマン「こちらになります。お夕飯は結構と伺っておりますが、御入用のものがございましたら、なんなりとお申し付け下さい。では、」
相原藤司「あ、ハイ。おおきに・・・」
ホテルマン「いえ・・・」
頭を下げて去っていくスタッフを一瞥して、藤司は渡された鍵を鍵穴に入れてドアを開け、部屋に入る。
〇シックなリビング
相原藤司「あ、絢音さん。 来たで・・・」
瀟洒な室内にドキドキしながら絢音を呼ぶと、奥の和室の襖が開き、着物姿の絢音が現れる。
棗絢音「おかえりなさい。受験、ご苦労様・・・あなた」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・・・・」
棗絢音「なに? そんな、ポカンとした顔して・・・」
相原藤司「い、いや・・・ めっちゃめちゃキレイで、その・・・」
棗絢音「・・・・・・・・・」
言ってもじもじする藤司に、絢音はチュッと口付けをすると、唇に紅がついたので、小さく笑い、袂からハンカチを出してそれを拭う
棗絢音「汗かいたし、疲れたでしょ?ご飯の前に、一緒にお風呂入りましょうか。露天だから、景色綺麗よ?背中も、流してあげるわね?」
相原藤司「えっ?!」
突然の申し出に真っ赤になる藤司に、絢音はまた微笑みかける。
棗絢音「ヌード、描いてくれるんでしょ?なら、お風呂一緒に入るのも、同じじゃない。それに、今は夫婦でしょ?」
相原藤司「せ、せやけど・・・さすがにそれは、藤次さんに悪いわ・・・」
棗絢音「大丈夫。全部話して了承済みだから。ただ、セックスだけはどうしても許してくれなかったし、私もやっぱりできないから、許してね」
相原藤司「阿呆!こんなに我儘聞いてもらえて許さんなんて言えるか!好きや、俺ホンマにお前が好きや!忘れたない。ずっと一緒におりたい!」
棗絢音「藤司君・・・」
相原藤司「ホンマは、明日なんて来て欲しない。もっとぶっちゃけてまえば、一緒にどっかに逃げて欲しい!!せやけど・・・」
キュッと、藤司は瞳に力を込めて、涙を堪えて続ける。
相原藤司「今のガキの俺じゃ、お前を幸せにできん。せやけど、不思議と好きになった事への後悔も未練もない。もう充分や。絢音・・・」
棗絢音「藤司君。 ホントに、こんな私をそんなに慕ってくれて、ありがとう・・・ さ、泣かないで? お風呂・・・行きましょ?」
相原藤司「うん・・・」
──そうして絢音に手を引かれ、藤司は室内に設けられた露天風呂へと向かう。
〇露天風呂
絢音に導かれてやって来た露天風呂は、小さい小庭があり、落ち着いた大人の雰囲気で藤司は心臓を鳴らしながら、服を脱いでいく。
ふと、背後を盗み見ると、着物の隙間から絢音の白い頸と背中が見えたので、益々心臓が鼓動を早める。
相原藤司「・・・準備、出来たで」
棗絢音「うん。私、もう少しかかるから、先、入ってて?」
相原藤司「う、うん・・・」
頷き浴室に入り、かけ湯をしてると、扉が開く音がして、タオル一枚でこちらにやってくる絢音が見えて、藤司はサッと視線を外す
棗絢音「お待たせ。タオル貸して?背中、流してあげる」
相原藤司「う、うん・・・」
タオルを渡すと、ゆっくりと丁寧に、背中を洗われ、時々絢音の肌が、身体が当たる感触がして、顔が熱を帯びるのが分かった。
好きな人と裸で2人きり。本当なら、今すぐ押し倒して抱きたい。
けど、自分にはそんな経験はまだないから、どうすれば良いか分からないし、なにより・・・
相原藤司(こんなに尽くしてくれてる好きな人に、裏切り者の烙印なんか付けとうない・・・けど・・・そやし・・・)
気持ちは複雑に混ざり合い、自分の自己満足の欲望を向ける気にはなれなくて、そう考えると、不思議と欲情や興奮は収まっていって
ただただ気恥ずかしくて、切なくて、黙って俯いてると、絢音の声が耳をつく。
棗絢音「どうかした?そんな、泣きそうな顔して・・・」
相原藤司「いえ・・・別に。ただ、夢みたいで、嬉しくて・・・でも、恥ずかしくて・・・こういう時、どないな顔したらええのん?教えて?」
棗絢音「普通で良いのよ。笑って?大切な時間だもの。笑顔でいましょう?そうだ。学校の話して?私知りたいわ。あなたの事、もっともっと」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・」
そう絢音に諭され、藤司は彼女と湯船に浸かりながら、徐に口を開く。
相原藤司「実は、ここに来る前に、告白されてん。クラスの女子に」
棗絢音「そう・・・」
肩を寄せ合って庭を眺めながら、藤司は続ける。
相原藤司「桶本って奴でな?1年の時からやって。こんなワシを、貴重な高校生活余所見せんと一途に思うてくれてたんやと思うたら嬉しかった」
棗絢音「そう・・・」
相原藤司「大学違うし、上手くやってけるか不安やけど、ワシその子を好きになってみよ思う。よう言うやろ?失恋には新しい恋が1番やて!」
棗絢音「そう・・・」
相原藤司「もー! なんね、さっきからそうばっか。頑張ってとか、上手くいくわとか、言うてくれへんの?」
その問いかけに、絢音は複雑そうに笑う。
棗絢音「私達、今夫婦でしょ?確かにあなたのこと知りたい。学校の事話してって行ったけど、そう言う話、出来れば今は、聞きたくなかった」
そうして、私これでもやきもち焼きなのよと言う絢音に、藤司は真っ赤になる。
相原藤司「ご、ごめん!ワシ、デリカシーなくて!えっと、ほんなら部活!!美術部の中島先生!男や!これならエエやろ?」
棗絢音「うん。聞かせて?」
相原藤司「良かった!中島勇気って先生なんやけどな、美術教師なのに、いっつも白衣着て、瓶底眼鏡掛けてて、頭モジャモジャで、でも、」
棗絢音「でも?」
相原藤司「描く絵は凄い綺麗で・・・繊細で、切うて、どうしたらそんなん描けるんですかて、聞いたんや。ほしたら・・・」
棗絢音「そしたら?」
問う彼女の肩を抱き、藤司は続ける。
相原藤司「君も、いつか身を焦がすような恋をすれば、描けるよって。そん時は、とんだロマンチストの戯言やと嗤うたけど、今なら分かる」
棗絢音「藤司君・・・」
相原藤司「せやから今なら、先生みたいな絵が描ける。せやから、頼んだんや。最期の思い出に、裸・・・描かせて欲しいて・・・」
棗絢音「・・・なら、私からも一つ、お願いしていい?」
相原藤司「なに?」
棗絢音「絵、2枚描いて?それが、藤次さんが一緒にお風呂入るの許してくれた、条件なの。ただ、モチーフは裸じゃないの。別のもの」
相原藤司「なに?何描けば、あの人ワシを、許してくれるん?」
必死になって縋る藤司に、絢音はそっと耳打ちする。
相原藤司「えっ・・・・・・そんなんで、ええの?」
拍子抜けする藤司に、絢音は笑いかける。
棗絢音「どう映ってたか、是非知りたいそうよ。だから、お願い・・・」
相原藤司「わ、分かった・・・描く。約束する」
棗絢音「ありがとう・・・じゃあ、上がりましょうか」
相原藤司「う、うん・・・」
〇広い和室
相原藤司「わぁ・・・・・・」
座敷に行くと、絢音が重箱を出してきたので開けてみると、手料理とは思えない豪華な弁当が現れたので、藤司は感嘆の声を上げる。
棗絢音「朝から頑張って作ったのよ。あなたが好きだって、美味しかったって言ってくれたもの、全部詰めてみた。合ってる?」
相原藤司「えっ!覚えててくれたん?めっちゃ嬉しい!ああこれ!藤次さんと散々取り合いした鶏から!今日はこれ全部独り占めしてええのん?」
棗絢音「勿論よ。沢山食べて。私は別に用意してるから、全部・・・あなたのものよ?」
相原藤司「ホンマに?!わあ!これもそうや!取り合いしたきんぴら。冷めてもめちゃうまで、白飯空になるまで競うように食べてん!」
相原藤司「こっちのピーマンの肉詰めに至っては、中身全部先に食べられて、ワシ外のピーマンだけ食べさせられて、悔しい思いしたんや・・・」
棗絢音「ふふ。その筑前煮も、藤次さんに人参ばかり押し付けられて、藤司君、毎回涙目になってたわよね?」
相原藤司「ああ、ああ、 みんな・・・みんな・・・」
そう思い出を語り合って食べていたが、そうして過ごすのもこれが最後なのだと思うとまた切なさが込み上げて来て涙が出そうになる
けど、笑顔で過ごそうと言う絢音の言葉を思い出し、ぐっと堪えて、夢中になって食べ進める。
そうして空になった重箱を見つめていると、絢音がそっと隣にやってきて、膝を折る。
相原藤司「絢音さん?」
棗絢音「膝枕に耳掻き。あなたも好きだったわね。してあげるから、いらっしゃいな」
相原藤司「あなたもって、ほんなら藤次さんも?」
棗絢音「ええ。ホント、まるで親子か兄弟。やることなす事そっくり。真面目な話する時、ワシじゃなくて僕って言うとこも、よく似てる」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・」
棗絢音「訛り口調の雰囲気もそっくりだし、だからかしらね。あなたの事を、こんなに大切にしてあげたいって思えるのは・・・」
小ざっぱりと纏められた短い黒髪に覆われた頭を撫でながら、絢音は続ける。
棗絢音「藤次さんも、あなただからここまで許してくれたんだと思うわよ。いつもなら私に声かけてくる男性、問答無用で突っぱねるもの」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・・・・」
棗絢音「なのに、あなたと2人きりで過ごす時間と、裸を見せることまで許してくれた。ホントは優しくて、素敵な人なの」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・・・・」
棗絢音「そんなあの人だから私、愛しているの。誰よりも、なによりも・・・ あの人も、きっと同じ」
相原藤司「なんやねん。さっきワシが沙織んこと話したら、嫌や言うたくせに、ワシには惚気んのかい」
言って、藤司は絢音の腰に手を回して抱きつき口を開く。
相原藤司「そないな話、聞きとうない。今はワシの方が、お前の事好きやし・・・愛してる・・・」
棗絢音「いやだ。愛してるなんて、初めて言ってくれたんじゃない?ねぇ、ちゃんとこっち見て言って?こんな形じゃあ、嫌よ?」
相原藤司「嫌や。そないペラペラ軽々しゅう男が言うセリフやないんや。さっきので我慢し。それより、もうちょい左・・・掻いて?」
棗絢音「まあ!一丁前に男気取り?膝枕が大好きな甘えん坊のくせに生意気ね!ねぇ、言ってよ。こっち見て?ねぇったら!」
相原藤司「いーやーや!! 早よ、掻いて!!」
棗絢音「まあっ! あくまで言わないつもりね!? ならこうよ!! そらっ!!」
相原藤司「わ、ちょっ、く、くすぐった・・・ えーい!!仕返しやっ!!!」
そうして身体をくすぐりじゃれあっていると、いつの間にか彼女を組み敷いていて、藤司はハッとなる。
相原藤司「ご、ごめん!ワシ・・・すぐどくから・・・」
棗絢音「良い・・・」
相原藤司「えっ?!」
瞬く彼の首に腕を回し、ねだるように瞼が閉じられたので、藤司はドキドキしながらキスをする
相原藤司「! あ、あや・・・・・・んっ!!」
棗絢音「舌・・・出して・・・大人のキス、教えてあげる」
相原藤司「あ、う・・・ん・・・」
口を開いた瞬間、柔らかい舌が口の中に入って来て舌で愛撫されるので、心地よくなり、力が抜け、堪らず彼女に覆いかぶさる。
舐められ、絡めて、突かれ、口で吸われ、甘い吐息が静かな室内に響く。
暫くして、ツゥッと唾液の糸を引いて口が離れると、絢音は寂しそうに呟く。
棗絢音「──これが、あなたとする最後のキス。ごめんなさいね。最後が、こんな下手くそで・・・」
相原藤司「いや、ホンマはこういうの男がリードするんやろ?それに、気持ち良かった。最後なんが惜しいわ。なあ、言うからもう一回して?」
棗絢音「何を?」
問う彼女に顔を近づけて、正面から見つめて、藤司はありったけの思いをこめて言葉を紡ぐ。
相原藤司「お前を、愛してる・・・」
棗絢音「言ってくれた。・・・嬉しい・・・」
そうしてまた深く口づけて、いよいよ・・・2人にとって最後の夜がやってきた。
〇おしゃれな居間
棗絢音「髪は?下ろす?結う?」
相原藤司「下ろして。ありのままの姿・・・描きたい」
棗絢音「そ。じゃあ、少しだけ待って?櫛で梳かすから」
相原藤司「ん」
そうして鏡台に向かう絢音を一瞥して、藤司はカバンから鉛筆とスケッチブックを取り出し、デッサンの準備をする。
ここで、2枚の絵を描きあげて眠ってしまえば、朝が来れば、この恋は終わる。
── 初恋は実らない。
友人の森がそう言って人目も憚らず涙を流して号泣していたのを、その時は男のくせに女々しく馬鹿らしいと見下し嗤った。
でもまさかこんなに苦しいものだとは思ってなかったから、明日学校に行ったらジュースでも奢ってあの時はすまなかったと詫びよう
沙織にも、こんな自分でよければ付き合って欲しいと、伝えなければいけない。
──立ち止まったり、振り返ったりする余裕など、無いのだ。
そう思わないと胸が押しつぶされそうなくらい苦しくなるので、とにかく前を向けと必死に自分を叱咤していると、絢音がやってくる
棗絢音「お待たせ」
相原藤司「ん。ほんなら脱いで、そこ・・・寝そべって」
棗絢音「うん・・・」
頷き、何の躊躇いもなく帯を解き、ストンと、ガウンが床に落ち、淡い光の下、一糸まとわぬ絢音の白い後ろ姿が視界に飛び込む。
相原藤司「き、キレイや・・・」
──自然と、口をついた言葉。
ゆっくりと身体が前を向くと、均整の取れた日本女性らしいしなやかで美しい体躯に、藤司は息を飲む。
棗絢音「こう?」
相原藤司「あ、もうちょいこっち向いて。目線も、ワシの方・・・見てて」
棗絢音「分かった。見てる。あなたが描き終わるまで、ずっと・・・だから、綺麗に描いてね?」
相原藤司「うん・・・」
そう言って納得いく構図にすると、藤司はスケッチブックに鉛筆を走らせる。
相原藤司「・・・ホンマに、同じトウジやのに、なんで神さんは、こない不公平なんにゃろ」
笑顔で、笑顔でと思っていても、涙が溢れてきて、絢音の姿が滲んでいく。
相原藤司「片っぽには、立派な仕事と、綺麗で優しい嫁さん与えて、ワシには、惚れた女忘れ言う上に、絵ぇにして残すことしか許してくれへん」
辛すぎると泣きじゃくる藤司に、絢音は優しく笑いかける。
棗絢音「そんな事ないわ。言ったでしょ?いつかあなたにも、生涯かけて愛そうとする人が現れるって。まだ18じゃない。これからよ?」
相原藤司「絢音さん・・・」
棗絢音「大学行ったら、勉強も大変だけど、楽しい事沢山あるわ。好きな人だって、できたんでしょ?私のことなんて、簡単に忘れられるわ」
相原藤司「みくびんな!ワシ、そんな中途半端な思いで、こないなことしてへん!そんな中途半端な思いでお前に、愛してるなんて言ってへん!」
相原藤司「ホンマに、本気やったんや。今かてずっと、時間止まってくれて、願っとんや!簡単なんて、言うな!!」
棗絢音「藤司君・・・」
相原藤司「決めた。ワシ、意地でも検察官なる! なってあの人と肩並べられるくらい、強うなる!!」
相原藤司「そしたら今度は、今度こそは、お前を賭けて、正々堂々、男として勝負申し込む。何年かかってもええ!きっと土俵に上がる!!」
相原藤司「せやから、もし勝ったら、その身体、抱かせてもらうからな?そのつもりで、待っとって」
棗絢音「・・・分かった。待つわ。だから、目一杯いい男になって頂戴。藤次さんにも、しっかりあなたの思い、伝えておくから・・・」
相原藤司「頼むわ。ワシ、絶対負けへんから。絶対、勝つから。何があっても、絶対挫けん!強くなる。心も、身体も、何もかんも、強うなる!」
言って、藤司はグイッと、浴衣の袖で涙を拭う。
相原藤司「もう泣くんは終いや。もし次泣く日が来るならそれは、お前を愛してると、お日さんの下で堂々と言える、結婚した時の、嬉し泣きや」
棗絢音「そんな誓いはやめなさい。涙ってね、ただ流すだけじゃないの。心を浄化させる、大事な要素なの」
棗絢音「折角そんな綺麗な心だから、世の中に出て沢山の汚物で汚したまま生きるより、泣いて洗い流して、綺麗な心のままでいて。お願い」
相原藤司「嫌や。どんなに汚ななってもええ。汚くならんと勝てへん。譲ってもらうんやない。奪うんや。本気や言うの、分からせたる」
棗絢音「なんで、そんな辛い道歩こうとするの?女なんて、沢山いるじゃない。目移りしなさいよ!」
棗絢音「お前みたいなババアに惚れてたなんて、悪い夢やったって言って、さっさと忘れなさいよ!!」
相原藤司「それができるなら、とっくにやって楽になっとるわ!!!でけへんから!忘れられんから!決めたんや!もう、忘れるの、止めるて」
相原藤司「せやから、もうワシが本当に結婚したいんは、愛したいんは絢音だけにする。男の決意や。口出すな。集中したいさかい、もう黙って」
棗絢音「バカよ。何でトウジって、そんなにバカで、真っ直ぐなの?私なんて、あなた達に取り合ってもらう程、価値のある女じゃないのに」
相原藤司「黙って言うたやろ。もう、決めたんや。トウジの名前に賭けて、絶対、お前をモノにする」
棗絢音「バカよ・・・もう、知らないからね。後悔しても・・・」
相原藤司「せえへん。初恋は実らん言うジンクス、ワシはぶち壊したる。これは、ワシの一生かけた、たった一回の、本気の恋愛や」
そうして2枚の絵が完成すると、その内の1枚を眠る絢音の傍らに置くと、藤司は生涯かけて愛すると誓った女と別れを、決意した
〇ビジネス街
── そうして時は巡り、桜咲き誇る春。京都地方検察庁の掲示板に、新年度の正式採用者の名前と、初年度の赴任先が掲示された。
棗藤次「さて、約束通りなら、これ見にくんのも、今年が最後になるはずやけど、果たして・・・」
言って、名前を上から見ていく藤次。
やや待って、視線が止まり、ニヤリと、口角が上がる。
棗藤次「相原藤司。初年度赴任先は・・・仙台か。 なら久しぶりに、連絡してみるかのぅ・・・」
呟いて、男はスマホを取り出し、とある人物に電話をする。
棗藤次「酒井か?久しぶり。仙台時代は世話なったな。なあ、ちょお、こっちに急ぎで送ってもらいたいもんあんねんけど、頼めるか?」
そうして暫く会話を交わした後、藤次は電話を切り徐に相原藤司の部分を撮影すると、それをメールに添付してとある人物に送信する
−果し状、来たで?初年度は仙台や。京都来んの、楽しみやな。−
棗藤次「ホンマ、愉しみやわ。あの恩知らずのクソガキ、どう血祭りにあげたろ」
そうしてニヤリと藤次は嗤い、廊下の奥へと消えていく。
〇ボロい家の玄関
配達員「郵便です。棗絢音さんに、速達です」
棗絢音「あ、はい。ご苦労様です」
棗絢音「何かしら・・・ 仙台地方検察庁? 藤次さんじゃなくて私に?」
一体なんだろうと思いを巡らせながら、絢音はふと、先日の藤次のメールを思い出し、慌てて家に入り居間へ行き、封書を切る。
〇狭い畳部屋
棗絢音「あ・・・」
封書には、一枚の写真と、夫の欄に名前の記された婚姻届で、余白には短く「もう一人のトウジによろしく」と書かれていた。
そして・・・
棗絢音「変わってない。 ホントに、あの頃のまま・・・ バカよ・・・」
写真には、真っ新なスーツ姿に検察官紀章を胸元に光らせた、あの頃と寸分違わない真っ直ぐな瞳を自分に向ける藤司の姿があった。
そして、婚姻届の隙間からハラリと落ちた一便箋が、絢音の心を更に締め付ける。
女、お前やないと抱けんかった。せやから、身体だけは綺麗なままで迎えに行くから、責任取って・・・
棗絢音「ホントに、バカ・・・ バカで真っ直ぐ何だから・・・ 一生女抱かないつもり? もう、知らないから・・・」
色褪せない藤司の想いに、絢音は嗚咽を殺して泣いていたが、その内婚姻届を大事に終い、写真に見合った額を探しに消えていった。
彼の手紙の続きは──
責任取って、俺の身体の初めても、もらってな?
・・・今も、昔も、これからもずっと、愛してる。藤司──
誰もいなくなった居間の、一番良く見える場所に、額に入れられ飾られていたのは、一枚のスケッチ。
それは、藤司が藤次との約束で描いた絢音の、弾けんばかりの幸せそうな笑顔。
色褪せない藤司の想いが込められたそれが、窓から差し込む春の陽光に照らされ、静かに穏やかに、輝いていた──
初恋〜First Love〜
終わり──
完結おめでとうございます。
ラストで明らかになったもう1枚の絵……笑顔の絵。
それを捨てずに飾ってあるのが……。
2人のトウジと女性を巡るほろ苦いストーリー。
楽しかったです。
(包み隠さず言うと、3つのエピソード全て10分以上なので、区切って欲しかったです)