エピソード2(脚本)
〇狭い畳部屋
相原藤司「えっ?!」
棗藤次「せやから、センター試験の間、ワシ他んとこ泊まるから、絢音と2人きりで、ここで夜過ごして、ここから試験会場行き」
相原藤司「け、けど・・・」
──それは、センター試験を明日に控えた夜。
いつものように藤次との勉強を終え、男2人で夕食を囲んでいた時だった。
激励にと作られたカツ丼を頬張る藤次の口から出た意外な言葉に戸惑っていると、彼は茶を啜り、複雑そうに笑う。
棗藤次「そりゃあ、ワシかてホンマは嫌や。せやけどお前、ホンマによう頑張った。せやから、同じ女に惚れた男からの、せめてもの餞や」
相原藤司「いや、けど・・・」
棗藤次「親御さんにも絢音にも、話通してる。せやから少しの間だけやけど、絢音と甘い時間過ごし。そんで、必ず合格取って来い。ええな?」
相原藤司「は、はい・・・ ありがとう、ございます・・・」
棗藤次「ん」
〇本棚のある部屋
相原藤司「・・・・・・・・・」
──夜。
受験に必要なもを揃え、藤司は後ろのダブルベッドに目を向けて胸を高鳴らせていると、階段を登る音がして、絢音がやってくる。
棗絢音「準備・・・できた?」
相原藤司「あ、はい・・・」
棗絢音「そ」
短く呟き、2人でベッドに向かい合わせで座ると、絢音はそっと彼の手に何かを握らせる。
相原藤司「?」
相原藤司「あ・・・」
棗絢音「藤次さんが、いつも大事な裁判がある時にお参りしてる神社のお守り。ご利益あると思うわよ?」
相原藤司「あ、ありがとう・・・ございます・・・」
棗絢音「うん。明日は、あなたの大好きな甘めの卵焼き、朝ごはんで出すわね。お弁当は?何かおかず、リクエストある?」
相原藤司「あ・・・じゃあ、あれ・・・得意料理って言ってた、唐揚げ・・・」
棗絢音「分かった。朝早く起きて、揚げたて入れて持たせてあげる」
相原藤司「わあっ! やった!!」
無邪気に笑う藤司に優しく微笑みかけながら、絢音はそっと、彼の頬に手を滑らせる。
相原藤司「あ、絢音・・・さん・・・?」
棗絢音「他には?何かして欲しいこと、ある?・・・さすがにセックスは、藤次さん裏切りたくないから無理だけど、それ以外なら、言って?」
相原藤司「そんなん、絢音さんが藤次さんホンマに好きやってこと知ってる。知ってるけどせやけど、一個だけ、我儘聞いてください」
棗絢音「うん。なぁに?」
優しく見つめる彼女に、藤司はキュッと、パジャマの裾を握りしめて、ゆっくり口を開く。
相原藤司「ワシ・・・いや、僕のファーストキス・・・もらって下さい」
棗絢音「いいの?こんなオバさんが最初で?」
相原藤司「そんなん・・・そんなん関係ない!! 好きや! 今でもワシ、お前が好きなんや・・・」
棗絢音「藤司君・・・」
相原藤司「ごめん。 けど・・・」
俯き、藤司は胸に募っていた想いを吐き出す。
相原藤司「こんな気持ちになったのも、検察官目指そう思たんも僕の退屈な人生変えてくれたんは、絢音さんなんです。けど・・・」
棗絢音「けど?」
相原藤司「けど、合格したらもう、会えへん。諦めなあかん。せやったら、一個でもええ。あなたを好きやった言う思い出・・・僕に下さい」
棗絢音「・・・・・・分かった。じゃあ、2人きりで過ごす間は、おはようといってらっしゃいとただいまとおやすみのキス、しましょ?」
相原藤司「う、うん!!」
棗絢音「じゃあ、ちょっと待っててね?折角の最初だから、お化粧して、ちゃんとしてくるから・・・」
相原藤司「ハイ・・・」
そう言って寝室を出て行く絢音の小さな背中を見送ると、この一年と少しの時間が一気に脳裏に去来して、藤司の頬に涙が伝う。
初めて好きになって人には、既に好きな人がいて、その人は、自分の仇を討ってくれた人だった。
藤次の教えは、決して優しいものではなく、何度も挫けそうになったが、その度に支えてくれたのは、絢音の笑顔だった。
〇狭い畳部屋
棗絢音「(あなたを本気で検察官にしたいからなのよ?だから、頑張って!)」
〇狭い畳部屋
棗絢音「(あなた帰った後、藤次さん褒めてたわよ!だから大丈夫!自信持って!)」
〇狭い畳部屋
棗絢音「(少し息抜きしたら?肩揉んであげる。)」
〇本棚のある部屋
相原藤司「なんで、もっと早よう、出会えんかったんや。何でもっと、早よう・・・生まれられんかったんや・・・」
・・・違う。
そんな陳腐な後悔じゃない。
〇狭い畳部屋
棗絢音「(藤次さん・・・)」
棗藤次「(絢音・・・)」
〇本棚のある部屋
3人でいる時間の中で、絢音がどれだけ、藤次を愛しているか、痛いくらい思い知らされて・・・
自分が一目惚れしたあの幸せそうな顔は、藤次がさせているのだと知った今、彼に敵うはずがないと思う反面、寧ろ・・・
相原藤司「ワシ・・・あのおっさんに惚れとる絢音に、惚れたんやな・・・」
そう悟った今、2人を引き離してまで、絢音にそばにいて欲しいと思う気持ちは、なくなっていた。
センター試験の模擬試験も、充分な余裕で合格ライン。余程のことがない限り、大学合格は確約されている。
だから藤次も、こんな・・・気持ちを整理する時間を、くれたのだろう。
相原藤司「最初から、ワシあの人の、敵ですらなかったんやな・・・」
そうして苦笑していると、徐に扉の開く音がして、藤司の胸は高鳴る。
相原藤司「あ・・・」
棗絢音「? どうかした?」
相原藤司「あ、や、その・・・」
髪を整えて、薄化粧だが色っぽい紅の引かれた唇が印象的な、見たこともない美しい絢音が現れたので、藤司は顔を真っ赤に染める。
これが、自分の初恋の女(ひと)・・・
苦しくて、切なくて、彼女に誘われて一つのベッドに横になって布団を被り、明かりがフッと消える。
〇本棚のある部屋
相原藤司「絢音さん・・・」
棗絢音「うん・・・」
見つめ合っている内に、ゆっくりと絢音が目を閉じたので、初めて触れる彼女の小さな身体を抱きしめて、ありったけの想いを告げる
相原藤司「好きです・・・」
棗絢音「うん。私も、好きよ・・・・・・藤司・・・」
相原藤司「・・・っ!!」
初めて名前を呼び捨てされ、好きと言ってくれた・・・
込み上げてくる愛しさに身を震わせながら、そっと、震える唇を彼女の唇に押し当てると、涙の味がして、一層胸が、苦しくて・・・
相原藤司「絢音さん・・・ 絢音さん・・・・・・ 絢音・・・・・・」
棗絢音「・・・・・・・・・・・・・・・」
嗚咽を殺して泣いていると、ゆっくりと甘い梅の香りと共に、絢音の手が両手の頬に触れて・・・
相原藤司「あ・・・」
それは先程の・・・唇を押し付けただけのキスとは違う、うっとりするような甘いキスで、藤司は思わず目を見開く
相原藤司「絢音・・・さん・・・?」
ただただ呆然とする藤司に、絢音はにこりと微笑む
棗絢音「上手にできたじゃない。キス・・・」
相原藤司「いや。ワシは・・・」
否定しようとした唇を指で押さえられ、絢音はまた微笑む。
棗絢音「さっきのが、ファーストキス。あなたがしたの。ね?そうでしょう?」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・っ!!」
ギュッと、抱き締める腕に力がこもり、声を上げて自分の胸で泣く藤司の頭を優しく撫でながら、絢音はゆっくりと言葉を紡ぐ。
棗絢音「大丈夫。あなたもいつかきっと、巡り会えるわ。生涯かけて愛する人が。そうしたら、一番に教えてね?私、待ってるから。約束・・」
相原藤司「ハイ・・・」
そうして、もう一度キスをして、藤司は絢音に抱かれたまま、幸せな眠りに落ちていった。
〇広い玄関
棗絢音「はい。これで、準備OKね。受験票は?」
相原藤司「うん。持った。ありがとう・・・」
──朝。
玄関先で絢音に制服のブレザーのネクタイを整えてもらい、藤司は赤い目をしながらも頷く。
棗絢音「じゃあ、約束ね。いってらっしゃいのキス、しましょ?」
相原藤司「うん・・・」
そうして肩を抱き、ゆっくりと顔を近づけて、昨日の絢音のやり方を思い出しながら、優しく唇を重ねる。
棗絢音「頑張ってね・・・お夕飯、リクエストあったら、15時までにメール頂戴」
相原藤司「うん・・・ほな、いってくる・・・」
棗絢音「うん。いってらっしゃい・・・」
〇住宅街
相原藤司「あ!」
棗藤次「なんやねん。しみったれた顔して。大一番やろ?しゃんとせぇ!」
長屋を後にすると、路地の出口で、待っていた藤次に出くわす。
勢いよく背中を叩かれて瞬いていると、藤次は鞄から一冊のノートを取り出す。
相原藤司「?」
棗藤次「ダメ押しの一冊や。今年のセンター入試・・・ワシなりに分析して、出題の傾向と内容、整理してみた。あんじょう、気張りや」
相原藤司「あ、ありがとう、ございます・・・」
棗藤次「ん。 あと、絢音・・・大事にしたってな。今は、今だけは、お前がアイツの、亭主や」
相原藤司「は、はい・・・ あの、その、色々、ありがとう、ございます」
棗藤次「礼なんていらん。敵に塩を送っただけや。ここまで手厚う送ったんは、お前が初めてや」
棗藤次「絶対合格してこい。落ちたりしたら、張っ倒すだけじゃ済まんからな?覚悟せぇよ?」
相原藤司「は、はい!!」
棗藤次「ん。ほんなら、早よ行き。遅刻すんで」
相原藤司「はい!ありがとうございます!!行ってきます!!」
そうして藤次に見送らせて、藤司は最寄りのバス停からバスに乗り、試験会場へと向かう。
〇バスの中
相原藤司「よっしゃ! 最後の追い込みや!!」
車内で、絢音のくれたお守りを握りしめて、藤次のくれたノートを開き、最後の追い込みをしていると、桶本が近くにやってくる。
桶本沙織「おはよう」
相原藤司「なんや。委員長もこのバスやったんかい」
桶本沙織「うん。って言うか、相原君ち、この辺りじゃないでしょ?なんで、さっきのバス停から乗ってきたの?」
相原藤司「別に。委員長には、関係あらへんにゃろ?」
桶本沙織「そうだけど。ねぇ、何で急に検察官なんて言い出したの?楢山さんが、目指してるから?最近よく話してるし、付き合ってるの?」
相原藤司「んなわけあるかい。志望大が一緒やから、傾向と対策、聞いとっただけや。それに何遍も言わすな。委員長には関係ないやろ」
桶本沙織「なによ・・・」
相原藤司「ん?」
声が震えていたから横を見やると、顔を真っ赤にして涙目の桶本がいた。
相原藤司「い、委員長?」
桶本沙織「もう、知らないっ!」
瞬く藤司に、キュッと踵を返してバスの奥に去って行く桶本を見つめる。
あの顔は、自分が絢音を思って涙を流す様と、同じではないか・・・
なら・・・
相原藤司「まさか・・・な」
呟いた瞬間、試験会場に通じる最寄りのバス停がコールされたので、藤司は停車ボタンを押した。
〇広い玄関
相原藤司「た、ただいま・・・」
1日目を終えて、ドギマギしながら玄関の引き戸を開けて声を上げると、パタパタと足音がして、絢音が出迎えてくれる。
棗絢音「おかえりなさい。お疲れ様」
相原藤司「うん・・・」
棗絢音「鞄とコート貸して?後、お昼に急に食べたくなってホットケーキ焼いたんだけど食べる?それとも、息抜きに散歩にでも行く?」
相原藤司「あ、あの・・・」
棗絢音「ん?」
不思議そうに自分を見つめる絢音に、藤司はポツリと呟く。
相原藤司「先に・・・ただいまのキス、したい」
その言葉に、絢音は困ったように笑う。
棗絢音「いやあね。甘えん坊さん。そんなに寂しかったの?」
相原藤司「そんな・・・・・・子供扱いせんでくれ!!ワシは今、お前の亭主や!亭主がしたい思うんは、当たり前やろ!?早よ!して!」
そう言って詰め寄ってくるので、絢音はまた笑って、彼のネクタイを引いて屈ませると、チュッと、音を立ててキスをする。
棗絢音「・・・これで良い?あなた?」
相原藤司「うん・・・ええ・・・」
棗絢音「そ。なら、この後どうするの?散歩?オヤツ?それとも勉強?」
相原藤司「腹減ったから、オヤツ。あと、疲れたから、肩・・・叩いて。あと、できればでええんやけど、膝枕・・・して欲しい・・・」
棗絢音「・・・分かったわ。じゃあ、お家でゆっくりしましょうね。できる限りのこと、してあげる。夫だものね」
相原藤司「うん。ワシは夫で、お前は、ワシの・・・妻や」
・・・飯事でも良い。
今この瞬間、自分は絢音の夫で、絢音は、自分の妻。
明日で終わる、儚い飯事だが、それでも良い。
今だけ、今だけ、そう心に言い聞かせ、藤司は絢音との切ないくらいの甘い時間に、身を委ねた。
〇高層マンションの一室
棗藤次「おかわりっ!!!」
谷原真嗣「ち、ちょっと食べすぎだよ藤次!ウチの米食い尽くす気?」
棗藤次「喧しいわ。さっさと寄越せ!!」
谷原真嗣「もー」
──夜。
京都郊外にある真嗣(しんじ)のマンション。
昨日から泊めてくれとやってきた親友が、何やら妙にカリカリしてるので、真嗣はため息混じりに彼に問う。
谷原真嗣「一体何だよ。急に来たかと思えば終始仏頂面か調べ物ばかり。・・・はい、どうぞ」
棗藤次「んっ!!」
よそった白米をガツガツ頬張る藤次に、真嗣は続ける。
谷原真嗣「──見るつもりなかったけど、パソコンの検索履歴みたらセンター入試って、大学にでも入り直すの?それで絢音さんと喧嘩したの?」
棗藤次「別に。絢音とは頗る良好や!!ただ・・・」
谷原真嗣「ただ?なんだよ。話して楽になるなら言えよ。親友だろ?」
棗藤次「・・・・・・・・・・・・」
その言葉に、藤次は暫く思案を巡らせた後、徐に口を開く。
棗藤次「・・・・・・・・・・・・お前、初恋いつやった?」
谷原真嗣「えっ!?」
急に聞かれて真っ赤になったが、首を捻った後、冷や汗混じりに口を開く。
谷原真嗣「お、怒らない?」
棗藤次「なんね?聞いたんワシや。怒るかい」
バリバリと沢庵をかじる藤次に、真嗣は気まずそうに口を開く。
谷原真嗣「大学の・・・時かな。相手は・・・・・・君だよ」
棗藤次「はあっ?!!」
声を上げる藤次に、真嗣は彼が吐き出したご飯粒を避けながら苦笑いを浮かべる。
谷原真嗣「藤次気にも留めてなかっただろうけど、僕ら大学同じで、学生時代に既に会ってたんだよ・・・?」
棗藤次「そんなん・・・知らんかった・・・大学かて、同じや言うの聞いたん初めてやわ」
谷原真嗣「まあ、藤次とは学科違ったし、通ってた棟も違ったから、無理ないと言えば無理ないけどさ。・・・・・で?初恋が、どうかしたの?」
棗藤次「・・・・・・・・・・・・・・・」
谷原真嗣「藤次?」
どうかしたのと首を捻る真嗣に、藤次は食器を置いて俯き口を開く。
棗藤次「ワシは、初恋らしい初恋、したことないねん。本気で誰かを好きになるって感情、絢音に会うまで、知らんかってん。せやから、」
谷原真嗣「うん?」
棗藤次「せやから、アイツがちょっと・・・羨ましい・・・せやから、応援してやりとうて・・・」
谷原真嗣「アイツって?」
棗藤次「S高の3年。一年ちょっと前にウチに押しかけてきよって、絢音を好きやとほざきよった」
谷原真嗣「それはまた、随分な命知らずだね・・・」
棗藤次「勿論、アホかと怒鳴りつけてやったんやけど、アイツ怯むどころか、ワシの前で絢音にプロポーズしよった」
谷原真嗣「わ、若さだね〜 で、どうしたの?」
棗藤次「挙句そいつ、検察入りたい言い出して、散々脅したったんやけど、なりたい言うから、せやから、なんかほっとけんなって・・・」
谷原真嗣「はあ・・・ でもS高って、京都じゃ超のつく進学校じゃん。あれ?確か藤次も・・・」
棗藤次「せや。どう言う縁か、後輩や。せやから余計に親近感持ってもうて、試験終わるまで、絢音とあの長屋に、2人きりにさせとんねん」
谷原真嗣「ええっ!! そんな、もし、その子が絢音さんに何かしたらどうすんの!?」
棗藤次「そんなん分かってるわ。正直今も、悋気でどないかなりそうなんや。けど、そやし、」
谷原真嗣「うん?」
棗藤次「あない真剣に惚れるとる気持ちを簡単に忘れさす言うんも酷やし。ならせめて、2人きりの思い出作り、させたろ思うて。せやけど」
谷原真嗣「・・・・・・・・・・・・・・・」
堂々巡りの言葉を紡ぐ藤次に、真嗣はため息をつき台所に向かうと、ありったけの缶ビールを持って来て、テーブルにぶち撒ける。
棗藤次「真嗣・・・」
谷原真嗣「飲めよ。藤次ほど飲めないけど、付き合うから。それに・・・」
棗藤次「それに?」
問う彼に、真嗣はニコリと笑う。
谷原真嗣「藤次のそう言う優しいとこ、好きだよ」
棗藤次「アホか・・・お前に言われても、嬉しくも何ともないわ」
谷原真嗣「棘あるな〜。折角、慰めてあげてるのにぃ」
言って大袈裟に溜め息をつく真嗣に、藤次はフッと吹き出す。
棗藤次「冗談や。話・・・聞いてくれておおきに。少し、楽になった・・・」
谷原真嗣「・・・そうやって、最初から素直になれば良いんだよ。はい」
棗藤次「ん」
渡されたビール缶を受け取り、蓋を開け、藤次は徐にそれを真嗣に向ける。
谷原真嗣「なに?」
棗藤次「いや。乾杯しよ思うて」
谷原真嗣「何に?」
問う彼に、藤次は笑う。
棗藤次「切ない青春の1ページに・・・かのぅ・・・」
谷原真嗣「そっか・・・そうだね。 じゃあ、乾杯」
棗藤次「ん」
そうして2人は笑い合い、ビール缶をカンと合わせて、1人の少年の苦しいまでの恋心に、思いを馳せた。
〇広い玄関
相原藤司「ほんなら、行ってきます・・・」
棗絢音「うん。行ってらっしゃい・・・」
── センター試験2日目の朝。
今日が、2人で過ごせる最後の日。
今日の夜が終われば、この夫婦ごっこも終わる。
だから・・・
棗絢音「じゃあ、いってきますのキス・・・しましょうか?」
相原藤司「その前に、ワシ・・・僕の最後のお願い、聞いてもらえまへんか?」
棗絢音「なに?」
問う彼女に、藤司はキュッと、握っていた拳を強く握り返す。
相原藤司「今夜・・・裸・・・ヌードモデル・・・なって下さい」
棗絢音「えっ!!?」
真っ赤になる絢音に構わず、藤司は続ける。
相原藤司「僕・・・部活美術部で、デッサンだけやけど、先生に上手いて褒められるくらい、描ける。せやから、」
棗絢音「と、藤司君・・・」
相原藤司「せやから、セックスできへん代わりに、裸・・・描かせて下さい。どこにも晒しません。僕だけの、宝物にしたいんや・・・」
棗絢音「けど・・・」
相原藤司「わこてます。今すぐ返事欲しい言いまへん。ワシ帰って来るまでに、考えとって。ほんなら、キス・・・しよ?」
棗絢音「う、うん・・・」
戸惑う彼女の肩を抱いて、すっかり慣れた体で口付けを交わすと、藤司は玄関を後にし、会場へと向かった。
〇白いバスルーム
棗絢音「・・・・・・・・・・・・・・・」
洗濯物の回る洗濯槽を眺めながら、絢音は先程の藤司の申し出に対して、どう返事をしようか思案していた。
藤次以外の男性に肌を見せる。もし、デッサンなど嘘で、無理矢理犯されたら・・・
棗絢音「バカね・・・そんな子じゃないって、分かってるじゃない」
昨夜だって、同じベッドで抱き合って寝たが、藤司は自分の寝巻きを脱がそうとする仕草は一切なかった。
18歳。性に多感な時期。好きな女性とのセックスなど、本当はしたくてたまらないはず。
なのに、そう言う気持ちに全て蓋をして、藤次を裏切りたくないと言う自分の気持ちを尊重してくれる彼の純粋な気持ちに対し・・・
棗絢音「・・・恥ずかしいって感情だけで断るなんて、失礼よね・・・」
ピーッと、洗濯終了のアラームが鳴ったので、絢音は何かを心に決めたかのように唇を喰み、中身を籠に移し替え物干し場に向かった
〇海岸線の道路
相原藤司「おおきに」
運転手にそう告げて、藤司はバスを後にすると、後ろから誰かがついてきたので振り返ると、そこには桶本がいた。
相原藤司「なんね。委員長、最寄りのバス停ここちゃうやろ」
桶本沙織「相原君こそ、家・・・こんなとこじゃないじゃない。どこに行ってるのよ」
相原藤司「せやから委員長には関係ないて何遍も言っとるやん。いい加減しつこいで?ワシ急いどんねん。いつものお説教なら学校でして。ほな」
言って、その場を立ち去ろうとした時だった。
桶本沙織「関係あるわよ!!だってアタシ・・・相原君好きだもん!!」
相原藤司「!?」
突然の告白に瞬き彼女を見やると、顔を真っ赤にして涙を流す桶本・・・沙織がいた。
相原藤司「じ、冗談やろ?ワシの事、揶揄うてんか?」
桶本沙織「揶揄ってない!本当に、好きなの。1年の時からずっと・・・だから、一緒の大学だって行きたかった」
相原藤司「い、委員長・・・」
桶本沙織「でも、K大なんて、アタシには無理だから、今言わなきゃ、離れ離れになっちゃうから・・・だから・・・」
相原藤司「・・・・・・・・・・・・・・・」
肩を震わせ泣きじゃくる彼女。沙織は、絢音には劣るが美人の類に入る。
他にも言い寄る男くらい沢山いたはずなのに、1年・・・つまり3年も、自分を一途に思っていてくれたのかと思うと、心が揺れた。
けど、今は・・・
だけど・・・
悩んだ末・・・藤司は口を開く。
相原藤司「分かった。せやけど、その返事・・・少し待ってくれへんか?」
桶本沙織「えっ?!」
瞬く沙織に、藤司は切なげに笑う。
相原藤司「全部にケリつけてから、答え出すわ。せやから、待っとって。こないどうしょうもない男に惚れてくれて、ありがとうな」
桶本沙織「・・・うん。待ってる。私、ずっと、待ってるから・・・」
相原藤司「ん。ほんなら、今は何も聞かんと、ワシの好きに、させてくれへんか?返事は、必ずするさかい・・・な?」
桶本沙織「うん・・・」
そう言って頷く沙織に別れを告げて、藤司は絢音の待つ長屋に帰って行った。
〇ボロい家の玄関
相原藤司「あれ?」
── 長屋街の奥から3番目の家の前に立ち引き戸を開こうとすると、鍵が掛かっており、格子になにやらメモが挟まっていた。
−おかえりなさい。今夜はここに来て。着いた時、もしくは分からなかったら、下の番号に連絡下さい。絢音−
短く書かれた文章の下には、スマホの番号と、何処の住所が書かれていた。
相原藤司「なんやろ。朝、変なこと言うてもうたから、怒ってんのかな?」
不思議に思いながらも、来いと言われたら行くしかないと思い、藤司はスマホの地図アプリを起動させて、住所を入力する。
相原藤司「えっ・・・」
住所を入力し示された場所に、藤司は瞬く。
絢音に指定された場所は、京都市内でも1、2を争う、高級ホテルだった。
一体なぜこんなところにと疑問しか湧かなかったが、やはり来いと言われているので、不安を抱えつつ、藤司はそこへ向かった。
〇花模様3
──絢音。
ワシ・・・いや、僕の最愛の、初恋の人。
君の裸が見たい。
その願いに、君は、君は──
どこまでも優しくて、どこまでも僕を包んでくれて、ホンマにホンマに、君を好きになって、良かった・・・
せやから、どうか、
やっぱり困らせてまうやろけど、僕の最期のワガママ、聞いてや。
その思いを胸に、巣立つから、羽ばたくから、
せやから、受け止めてな?
狂おしいまでに焦がした、この想いを・・・
愛しい愛しい、
何よりも、誰よりも大切な
絢音──
初恋〜First Love〜 次巻に続く──