特別な満月の夜(脚本)
〇渋谷のスクランブル交差点
気づくと渋谷駅前に立っていた。それ以前の記憶がはっきりしない。
空が明るく感じたので見上げてみると、満月が輝いていた。
〇渋谷のスクランブル交差点
野上瑛人(イテテ、何だ?)
ぶつかった女が尻もちをついていた。
野上瑛人「大丈夫?」
サラ 「助けて、男に追われているの!」
シン「サラ、逃げても無駄だぞ。誰だお前。邪魔すると痛い目に遭わせるぞ!」
野上瑛人「それで気が済むなら好きにすればいい。今の俺には怖いものはない」
シン「生意気だな。だったらお望み通りに・・・あっ、サラがいない!」
野上瑛人(何だったんだ?)
サラ 「ありがとう、助かったわ」
野上瑛人「まだいたの? 早く逃げて、あの男が戻ってくるかもしれない」
サラ 「その時はまた助けてね」
サラ 「さっき空を見上げていたでしょ」
野上瑛人「空が凄く明るくて見上げたんだ。今夜は満月なんだね」
サラ 「綺麗な満月ね。知ってた? 満月の夜、狼は人に変身するのよ」
野上瑛人「人が狼に変身する、でしょ」
サラ 「ねえ、私と付き合ってくれない?」
野上瑛人「えっ」
サラ 「助けてくれたお礼よ。私のお気に入りの場所に連れて行ってあげる」
野上瑛人(こんな美人が俺を? 何か怪しいな)
野上瑛人「悪いけど俺、お金無いよ」
サラ 「お金ならあるわよ、ほら」
サラ 「はい、これは返しておくわ」
野上瑛人「返す? どういうこと?」
サラ 「いいから受け取って。さあ、行きましょう」
〇商業ビル
サラ 「あれ、ここにあったはずだけど」
野上瑛人(ここって昔有名なディスコがあった場所。でもあれって30年以上前だよな)
サラ 「いいわ、他にもあるから」
野上瑛人(この人何歳だ? 美魔女か?)
野上瑛人「ところで、さっき俺に渡したお金だけど」
サラ 「いいから持ってて。そのうちわかるわ。次、行きましょう」
〇SHIBUYA109
サラ 「全部無くなってる」
野上瑛人「あるわけないよ、ディスコなんて」
サラ 「ついこの間はあったのよ」
野上瑛人「もう30年以上も昔なんだけど」
サラ 「好きな場所なのよ。みんな楽しそうで暗い顔している人間は一人もいなかった。あなたもここで踊れば変われると思ってたんだけど」
野上瑛人「え?」
サラ 「がっかりね。歩いたからお腹すいたわ。 美味しいお店知っているからそこに行きましょう」
〇立ち食い蕎麦屋(看板無し)
野上瑛人「まさかこの店?」
サラ 「昭寿庵、老舗の蕎麦屋さんよ。変ね、お店が閉まっている」
野上瑛人「こんな深夜に開いてないよ」
サラ 「この店は夜働く人のために夜中もやってたわ。確かご主人が一之輔さんで息子の英輔さんと親子で営んでいた」
野上瑛人「待って! 英輔は俺の爺ちゃん、一之輔は俺のひい爺ちゃんなんだよ。どうしてそんな昔のことを?」
サラ 「まさかひ孫のあなたに店を潰されるとは一之輔さんも思っていなかったでしょうね」
野上瑛人「あんた、一体何者なんだ!」
サラ 「本当にお店潰す気なの?」
野上瑛人「仕方が無いんだ。時代に合わないものは淘汰される。さっきのディスコが良い例だろ」
サラ 「時代のせい?」
野上瑛人「それに続けたくても無理なんだ」
サラ 「無理って?」
野上瑛人「店がうまくいかなくてやけ酒飲んだ帰り、車に追突された。そのケガで利き手が動かなくなったんだ」
サラ 「今度はケガのせい?」
野上瑛人「やるだけやった。運命には逆らえない」
サラ 「あなたは結局うまく行かない現実から逃げたいだけでしょ」
野上瑛人「逃げてない!」
サラ 「先代の見る目の無さに呆れるわね」
野上瑛人「あんたに何がわかるんだ!」
カッとなって思わず彼女の肩を掴んだ。
サラ 「嘘つき」
野上瑛人「嘘などついてない!」
サラ 「嘘つきよ。動いているじゃない。私の肩を掴んでいる手はあなたの利き手でしょ?」
野上瑛人「ほ、本当だ。手の感覚がある!」
サラ 「逃げたいという弱い気持ちが手を動かなくさせていただけ」
サラ 「治って良かったわね。私に手をあげようとしたのは最悪だけど」
野上瑛人「す、すいませんでした」
サラ 「あなたは店の味は引き継いだかもしれないけど、肝心なものを引き継ごうとしなかった」
野上瑛人「肝心なもの?」
サラ 「心を込めた一杯」
野上瑛人「心を込めた一杯・・・」
サラ 「先代たちはそれを一番大切にした。でもあなたは店を大きくすることばかり考えていた」
野上瑛人「古い店のままでは時代に取り残されると思ったんだ」
サラ 「時代は追うのではなく繋ぐもの。それに不可欠なものが『想う』心よ」
サラ 「大事なものは心の中に宿り、そして心の中で永遠に生き続ける」
野上瑛人「亡くなった父親も同じこと言ってた・・・俺がバカだった」
サラ 「それで、これからどうするつもり?」
野上瑛人「あの・・・今からそばを作るんで食べてくれませんか」
サラ 「心を込めた一杯ならいただくわ」
野上瑛人「はい! あれ、店の鍵が無い。あっ、ちょっとここで待っててください」
サラ 「そろそろ仕上げね」
〇神社の石段
野上瑛人「確かこのあたりに」
サラ 「これでしょ」
野上瑛人「いつの間に? リュックに鍵があることをどうして?」
サラ 「ダメよ、もう死のうなんて思ったら」
野上瑛人「どうしてそれを・・・」
サラ 「全て見ていたからよ」
野上瑛人「絶望して最後に運試しで引いたおみくじも凶だった。それでこの階段から飛び降りようと」
野上瑛人「あれ、その後どうなったんだ? 気づいたら駅前に立っていたんだ」
サラ 「これからも見ているからね」
野上瑛人「サラさん?」
野上瑛人「そうだお金を返さないと。あれ、お金が無い!」
上着に入れていた札束が消え、丸めたおみくじが出て来た。
野上瑛人「このおみくじ、確か狛犬の口に捨てたはず」
〇神社の本殿
サラは宮益御嶽神社の狛犬だった。
同じくシンも狛犬であった。
サラ 「もう大丈夫ね」
シン「自分の口におみくじを捨てた人間に罰を与えるんじゃなかったのか」
サラ 「なりゆきよ。不器用なだけで悪い人間ではなかったから」
サラ 「人間は変わった生き物よね。たった30年前のことを遠い昔のように感じるなんて」
シン「それはまた別の問題だと思うが」
サラ 「ああ、満月の夜が終わっちゃう」
シン「満月の夜のたびに人に化けるのはやめろ」
サラ 「私たちは狼の狛犬。満月の夜は特別なのよ」
サラ 「次の満月の夜が待ち遠しいわ!」
幻想的なお話だなぁと思いました。
人間にとっては長い30年も、人でない者にとってはつい最近のことなんでしょうね。
口の中におみくじ突っ込んだところ笑いました。笑
サラさんって大胆で、狛犬でありながら人情みたいなものが深くて、すてきな方だなぁと感じました。サラさんに出会った後の彼の心の変化を読みながら、目に見える部分だけじゃなく、心の部分で人と繋がって、自分自身も人々も共に幸せでありたいと改めて感じました。
すべてお見通しだったのですね。時代に取り残されてしまったと感じる歴史のある建物や古くからある喫茶店や蕎麦屋などわたしは逆に魅かれます。